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女騎士(バーサーカー)とオークと、時々バイク  作者: 高城拓
第2章 冬までにあったこと
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獣のような顔つきで(3)

 もちろん、彼女が願った展開にはならなかった。

 自分がどんな表情を作り何を考えたのかに気づいたボグロゥは激しくうろたえ、小屋の隅に引っ込んでしまったのだ。

 モニカは反射的に意気地なし、と思いかけたが、そういうことではないとすぐに気がついた。ボグロゥは彼女の瞳に映る自分に怯えていたからだ。

 それから彼女は、彼をなんとか竈のそばまで引っ張っていって座らせた。

 モニカ自身はまた毛布の間仕切りの向こう側に行き、毛布をかぶって体の線を隠した。間仕切りの下からひょいと顔を出して、もう無理に迫ったりしないしあなたならいつでも気絶させられるから安心して、と伝えるとオークの青年はほんの僅かに落ち着いたようだった。

 それからモニカは自分のことをいろいろと話した。首都であったことや、今までどう思いながら暮らしてきたか、これからどうしたいかなど。本当はボグロゥのことをもっと知りたいと思ったのだが、きっと今のままでは彼は何一つ喋ろうとしないだろうと考えたからだ。

 ボグロゥはモニカの話を聞き終わると、山を降りたら二人でみんなに謝りに行こう、とだけ言いい、モニカは頬をほころばせた。


 その日の夕方に村に戻ると、謝って回るまでもなく、二人を探しに出ようと広場に集まった村の衆の目の前で、二人は散々にメルに怒鳴り散らされ説教されまくった。

 その時のボグロゥの横顔を、モニカは今でも時々思い出しては一人で微笑むことがある。


 ボグロゥがどうしてあのときひどく怯えたのか、どうしてその様になってしまったのかについて知るまで、それから二年の月日が必要だった。


 その間にモニカは自分の性根を叩き直すことに成功し、周りと上手くやっていけるようになった。ボグロゥの何気ない助力があったのは言うまでもない。それに、モニカやメルたちの助力もあって、ボグロゥの退役病は随分良くなって彼は周囲と少なくとも表面上は屈託なく話せるようになった。しかしあくまで表面上のことだけであって、特に女性が彼に好意じみたものを(男女のあれやこれやではない、ごく一般的な好意)を示したとたんに怯える癖はなかなか治らなかった。

 そんなある冬の夜、彼は仕事でボイラー点検に訪れた花宿で酔いつぶれた。ボグロゥを引き取りに来たモニカに、彼を介抱していたロクサーヌが彼の語ったことをしゃべり、それでようやくモニカはボグロゥを芯から理解することができたのだ。

 

 モニカはなんとかボグロゥのトラウマ──過去に彼自身が行った行状からくる自分自身への恐れをどうにか和らげてはやれないかと思い、いろいろと手を回すようになった。

 普段から過激な露出で出歩くのはその一環のつもりだったし、トマスの視線を意識するようになってから異様にモテはじめたシャンテを夏祭りのときに警護させることを思いついたのもそのためだった。他にもボグロゥのことを憎からず思っている女たちは年を追うごとに増えていったから、彼女たちの助力も得ることができた。その内容は荒療治と言ってよい内容だったが、このあたりモニカもザボスの縁者らしさがある。

 しかし彼の持つトラウマは恐ろしく根が深く、だからモニカは14年前と変わらず処女のままだった。



 今もそうだ。

 テーブルの向かいでボグロゥはクロエの相手をしながら、ちらちらとこちらを気にかけている。

 そんなに物欲しそうにひとを見るのならいっその事襲ってくれてもいいのに、彼にはそれができず、だからモニカも悶々とするしかない。

 と、そんなモニカの思いに元気な声が割り込んできた。

 大きなマグカップを抱え込んだクロエであった。


「おいちゃん、モニカちゃんのおっぱいばっかり見てる。やらしーんだ」

「え、あ、いや、これはその」


 とはいえこちらを盗み見る視線に怯えがなくなったのは良いことだな、と思った。

 並の男が相手であれば気持ち悪いだけだが、ボグロゥの場合はトラウマを克服しつつあるということだろう。それならそれでいい。

 だが。


「ねぇクロエちゃん、ボグロゥおじちゃんやらしいねぇ」

「やらしーんだ♪ やらしーんだ♪」

「すまねえ、勘弁してくれよ、このとおり」


 釘を差すべき部分はしっかり刺さねばならない。

 下手にほうっておくと他の女になびいてしまいそうだ。

 それはそれでオークらしくもあるが、正直寂しい気もするのだ。

 ともあれ気分を変えようと、モニカはすこし下卑た目つきでボグロゥを見上げた。


「ところでねぇ、ボグロゥちゃん」

「うん?」

「さっき走ってる最中、あのときみたいな顔つきになってたわよぅ」


 それを指摘されたボグロゥはぎくりとしたが、モニカが彼を責めようとしているわけではないことに気づくと照れくさそうな表情になった。


「ほんとにもう、バイク好きなんだから。いいからちょっと走り回ってきたらぁ? みんなまだもう少しここで休憩するみたいだしぃ、私達もここで待ってるからぁ」


 やらやれ、といった風情で彼女がそう言うとボグロゥは早速立ち上がり、恩に着ると言い残すと、牧場主のコレクションに襲撃をかけるために小走りで立ち去った。

 その時のボグロゥの顔つきは、やはり獲物を見つけたときの獣のようになりかけていた。


「あららぁ」

「おいちゃんだめだねぇ、モニカちゃんともっとお話すればいいのに」

「クロエちゃんはおませさんねぇ~。でもいいのよ、ボグロゥちゃんはあれぐらいでぇ」


 そう言うとモニカはクロエを抱き上げ、膝上においてから他の話をし始めた。

 他の話をしながら、もっと屈託なくあんな顔つきを見せてほしいと、ボグロゥにそう願った。



「いや、それにしてもかっこいいな」


 牧場主のコレクションであるが、ほとんどはボグロゥの店の裏手にあった《遺跡》から掘り出したものをレストアしたものであった。ハーレーダビッドソンならデュースにV-ROD、ホンダではCB750F、ヤマハのXJ400にカワサキGPZ900に、トライアンフのボンネヴィルT140。変わったところではロイヤルエンフィールド・ブレット350にディーゼルエンジンを搭載したD-R400Dなどがある。


 しかし今回のボグロゥのお目当てはそれらではない。

 西の山脈近くの《遺跡》で発掘され、首都ピオニールでレストアされ、牧場主が今後3年間の小遣いと引き換えに購入したスズキ・DR800Sだった。ちなみに牧場主の小遣いは、ここ10年以上全くのゼロだった。牧場自体が繁盛しているのが救いではある。


 さて、スズキDR800Sである。

 排気量779cc、4サイクル単気筒油冷エンジン。鳥の嘴のように突き出たフロントカウルが特徴的な、荒野や砂漠を長距離走るためのオフロードバイクだ。

 ゴツゴツとしたブロックの並ぶタイヤ、太く長いフロントフォーク、深く沈み込むスイングアームに、オフロードバイクとしては巨大なエンジンブロック。

 オフロードバイクにしては大きな図体だが、ボグロゥも牧場主もオークだったから乗車にあたって差し支えはない。

 牧場主はこれに車体をまるごと囲むような形のフレームバンパーと、大型の密閉型ケースを3つ取り付けられる後部キャリアを装備していた。どちらも意図するところは、荒れ地を長距離、安全に走り抜けることだ。

 

「いやぁ、褒めたってなんもでねぇよぉ?」

「誰もおめえのことなんざ褒めてねえよ」

「そうそう」

「ほんまやボッさんもっと言うたれや」


 納屋の中から押し出されたDR800Sを前に、バイク乗りたちは牧場主を口汚く罵りながらデレデレと頬を緩めていた。そのうしろで牧場主の妻が呆れ顔をしているのは言うまでもない。ついでにいえば、それを見ていた難民たちは、どの種族でも似たような夫婦関係はあるのだなぁと妙に感心していた。


「このくちばしってBMWのGS系に似てるけど、どういうこったろな」

「いやこういう形だとさ、前輪が巻き上げた泥やらなんやら、ライダーに正面からかかる量が減るみたいなんだよ」

「へー。ホンマに?」

「エンデューロやモトクロスバイクのフェンダーってずいぶん高い位置に付いてるよね。アレと一緒じゃない?」

「フムん。俺のSRもこんなんしようかな」

「ボグのSRはあれはアレでかっこいいんだから、やめたほうが良いんじゃねぇの?」

「だよなぁ~~~俺のSR、かぁっこいいよなぁ~~~~めっちゃくちゃかっこいいよなぁあ~~~」

「「「うるせぇよ」」」

「よし、じゃあ乗ってみてぇやつ、挙手!!」

「「「「はーい! はい! はい!」」」」

「小学生かよ」


 というわけで、午前の休憩はそのまま延長され、牧場主の所有するバイクの試乗会と相成った。

 今回の走り納めの会は厳密に行程を決めていたわけでもないから、みんな別段文句はない。

 まぁバイク乗りなどというものは、一人残らず子供のようなものであるからにして。



 なだらかな斜面がいくつも重なり合った牧場の敷地。

 その中に一周3kmほどの農道、というには起伏に富みすぎた道がある。

 なんのことはない、牧場主が作ったオフロードコースだった。コースは内外2本あり、直線部分では合流・分岐していた。

 その内周側は明らかに外周側より起伏がなだらかで、試乗会参加者はそちらを走るように言い渡され、皆素直にそのようにしている。

 なかにはスリップして転倒するものもいたが、フレームバンパーが車体ごとライダーを守り、怪我を負ってもせいぜいが打ち身擦り傷で済んでいた。モトクロス競技基準で考えると、怪我のうちにも入らない。

 ボグロゥは牧場主の母屋の裏のテラスから、他のライダーたちがDR800Sの大トルクに振り回されている様子を眺めて楽しんでいた。


「お前はいいのか、ボグロゥ」

「一番最後に乗らせてもらうよ、トゥモニブ兄」

「お前はいつもそうだったよな」

「そういうトゥモニブ兄は、何をするのも一番最初だったよな」

 

 テラスに並び立った二人は目を合わせると互いに笑みを見せ、茶の入ったカップを触れ合わせた。


「親父の葬式、どうだった?」

「まぁまぁ盛況だった。俺たちはそうは思ってなかったが、ああ見えて周りからは信頼されてたんだな」


 二人は7人兄弟のうち、次男と末弟だった。

 実家はレンサル峠から遠く離れた魔王領中西部の、どうということもない山間部の、これまたどうということもない小さな牧場。父は頑固で手が早く、牧場を経営しているところ以外はまさにオークを絵に描いたような男だった。

 トゥモニブは近所、といっても隣の家まで歩きで20分も30分もかかるような田舎だが、ともかく地元ではちょっと名の知れた悪ガキで、何事にも万事慎重な長男やのんきな3男とは違っていた。

 他の兄弟と比べると引っ込み思案なボグロゥも、トゥモニブと一緒によく父に殴られていた。

 そのせいか、粗暴だったトゥモニブは(彼なりにではあるが)ボグロゥにだけは優しく接していた。

 正直な話、ボグロゥがバイクに興味を持ったのは、トゥモニブが盗んできたバイクに無理やり乗せられたのがきっかけだった。当然ことは簡単に発覚し、二人は父親にしこたま殴られた。

 二人が実家から離れたのは、どうしようもない大旱魃が彼らの住んでいた地域を襲い、7人兄弟のうち実に5人までもが口減らしのために実家を去らなくてはならなかったためだ。

 ボグロゥは母のつてをたぐりに手繰って、ピオニールのエレナの店に徒弟として入り込むことになった。

 トゥモニブは徴兵年齢が差し迫っていたため、誕生日が来るまでの1ヶ月を徴募管事務所で臨時の住み込み職員として働き、それから入営した。2年間の勤務期間が終わる頃には何をどうやったのか、年上のふっくらとした可愛らしいオークの女性3等軍曹と仲良くなっており、彼女の婿養子となって現在に至るというわけだ。


「実家の方は大兄貴がしっかりやってるから大丈夫さ。お前もいいかげん、身を固めたほうが良いぞ」

「うん、いや、俺は」

「あれ、そういうつもりで連れてきたんじゃないのか? モニカさん」


 バツの悪い顔を作るボグロゥに、トゥモニブは追い打ちをかけた。


「ここ十数年間、近所にいる俺じゃなくて、モニカさんにずいぶん面倒見てもらってるじゃないか。姉さん女房は良いもんだぞ? 時々ちょっと怖ぇがな」


 と、冗談めかして言うトゥモニブの後ろから冷たい声がかけられた。


「だぁれが怖いって?」


 トゥモニブの妻のミヨゥだった。身長は二人よりちょっと低い。素敵に太った、いい奥さんに見えた。


「んぁっ!? ミヨゥ!? いやこれはそのそういう意味じゃなくて」

「んん~? どういう意味ぃ? ねぇボグロゥくん、ちょっとこいつ借りていいかな? 話があるんだぁ」


 ただ今は、目がちょっと怖い。

 気圧されてボグロゥ、うんうんと勢いよくうなずいた。

 それからそろりと回れ右して、すまなさそうな顔で兄夫婦に言う。


「えと、じゃあ、ごゆっくり。トゥモニブ兄、俺もそろそろバイク乗ってくるわ」

「うん、どうぞ。楽しんでらっしゃいな」

「あーっ! おい待てよボグロゥ! ちょ、あの、おいー!」

「いいからトゥモニブ伍長、ちょっとこっち来い」

「……ウィ、セルジャン……」


 ミヨゥさんいい奥さんなんだけど、軍人時代の力関係持ち出すのはよくねぇなぁ、と、ボグロゥ思ったとか思わなかったとか。



「ボッさん気ぃつけや、こいつじゃじゃ馬やで」

「うん、見てたから知ってる」


 ともあれDR800Sである。

 エンジンはすでに十分温まり、ドルッドルッと規則正しくアイドリングしている。

 少しスロットルを捻ると、ドラァン、ドラァンと激しい振動と共に低い排気音を吐き出した。


「んじゃ」

「無茶すんなよ!」


 仲間に声をかけ、クラッチを握り、シフトを一速に入れて、スロットルを開けながらクラッチをそっと離してスタート。

 クラッチが繋がった瞬間、ダンと後ろから蹴っ飛ばされるようにして加速した。

 地面がえぐれ、土くれが大きく後ろに放られる。


「うは、こりゃあ」


 2速、3速。

 779cc単気筒エンジンは信じられないようなトルクをタイヤに伝え、グイグイと加速していく。

 BMW R1200GSにも乗ったことはあるが、水平対向2気筒とはまた違う感じだった。

 どう例えればよいのか、BMWが馬の加速感だとするなら、DR800Sのそれは一足ごとに加速する、まるで自分の足が何百倍にも強化されたような加速感だ。

 地面の凹凸は深いストロークを持つ前後サスペンションがしっかりと吸収し、不安を感じることは一切ない。

 もし不安要素があるとするなら、それはこの異常なトルクと強烈な振動だった。油断すると振り落とされてしまう。

 だがそれを抑え込めるだけの度胸と腕があれば、まるでどこまででも走っていけそうだった。



 コースの半ばに差し掛かる頃には、ボグロゥはすっかり獣のような顔つきで、歯をむき出しにして笑っていた。


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