落ち(の)着かない話
王宮警護局研修生1号生徒ミィナ・パーカーは、10月半ば以降ほぼ毎週ザボス家上屋敷に遊びに来ていた。
それで何をするかといえば、アンネリーゼと一緒に国家公務員試験II級の試験対策勉強をしたり、ベルキナやヤナギダに稽古をつけてもらったり、たまにはアンネリーゼと乱取り稽古をすることもあった。
アンネリーゼやべルキナとの「私的な交流」から徐々に王宮警護局と公安本部のつながりを深めていこうという計画の中心人物に配置されてしまったから、ではない。
偉大なる先輩であるところのべルキナとじかに話したり稽古を付けてもらえることが、彼女の行動力の源泉となっていた。
そうでなくては毎週毎週、ザボス家の重鎮、ひいてはザボス本人から過度なセクハラを受けて平然とできるわけがない。少なくとも、彼女はザボスに腰や肩に手を回されるぐらいなら微笑みさえ浮かべていた。
では毎週アンネリーゼと言葉や拳を交わすことになんの意味を感じていたかといえば──友情だけではなかったのも確かではあった。
さてある日のこと。
いつもどおり夕方にザボス家を訪ったミィナだったが、通用門で彼女を出迎えたエミリアによればアンネリーゼは過労で寝ており、ベルキナはアンネリーゼを見守っているとのことだった。
「どうする? それでもよければアンネの部屋には案内してあげるけれど」
「うーん」
ザボス家の秘書見習い(法的には備品扱いだが)としての、というよりは義妹の友達に対する態度を見せるエミリアに、ミィナは一応は迷うそぶりを見せた。
だが答えは最初から決まっていたようなものだった。
「行きます。どんな間抜な寝顔してるのか、見たいです」
抑揚なくそういったミィナに、エミリアはそういうところもアンネにそっくりね、と苦笑してみせた。
◆
アンネリーゼは夕五つ(午後5時)ごろ、ふと目を覚ました。
ゆっくりまぶたを開けると、彼女の顔の直ぐ側にベルキナの寝顔。眉間にしわが寄っている。
どうもアンネリーゼに付き添ううちに寝入ってしまったらしい。椅子に腰掛けたままで、アンネリーゼの枕の直ぐそばに突っ伏していた。
アンネリーゼは少し驚いたが、ベルキナの緊張した寝顔を見て、なぜだかはわからないが不意にその頭を抱きしめたくなったような気がした。
実際にはそっと手を伸ばし頭をなでてやるにとどまったが、そうしているうちにベルキナの寝顔からは緊張がほぐれ、次第に安心したような表情へと変わっていった。
そうしているとアンネリーゼ自身もまた安心し、またまどろみながら今はもう死んでしまった者のことを思い出していた。
赤毛のヨハンナ。
浮浪児だったころからの、年上の親友。
彼女はりんご飴が大好きだった。
◆
ミィナはアンネリーゼの部屋へゆく途中、枯れ木のようなノームの老人とすれ違った。齢2000年を超える伝説の魔族、ユルゲン翁である。彼は小柄な猫耳の獣人の女中を伴につけ、ゆっくりと歩いていた。
その姿を認めた瞬間、エミリアもミィナも廊下の端に寄り頭を垂れた。今どきの魔王領では1000歳を超える年寄りは非常に少ない。ましてや相手は魔王領成立以前からの歴史の生き証人。ただそれだけで周囲からの敬意を集めてしまう人物だったから、杖と介添がなくては歩けないような老人であっても皆が頭を下げるのは自然なことだった。
そのユルゲンが、ミィナの前で立ち止まった。介添の女中、ミーナはミィナに対して警戒心を顕にし、ユルゲンの腕をしっかりと掴んでいる。まるでユルゲンを取られとすまいと身構えるように。
「ミーナ。お前さんはいつから二人になったんじゃ」
と、突拍子もない事を言うユルゲン。
ミィナもミーナも反応しようにも、あまりのことに混乱して何も言えずに固まった。
そこでエミリアが助け舟を出した。
「ユルゲン様。こちらはミィナ・パーカーさんです。アンネリーゼのご友人です。ミーナさんとは違う方ですわ」
「ほうかい。同じような匂いがしたものでな。ミーナ、ミィナさん。お許しくだされ」
ミィナとユルゲンを支えるミーナに否応はない。
それから、ユルゲンはミィナに多少時間はあるかと尋ね、ミィナたちは世間話に応じることとなった。
ザボス家上屋敷本宅はおおむねコの字型の建造物である。
ザボス本人の居室や事務室、応接間、大食堂等がある南棟と、客間が集中する東棟、使用人の居室や洗濯室や厨房などが集まる西棟で構成されている。
装甲の仕込まれた壁は分厚く、全ての窓の上部には防弾鋼板製の落下式非常シャッターまで備えられている。
しかし無骨さとは裏腹に、内装は優雅でありつつ質実剛健、全く落ち着き調和のとれた見事な世界が広がっていた。
とはいっても元からそうだったわけではない。
ザボスが最初の体だったとき、彼の邸宅はゴミ屋敷だった。
2番目体だったときは邸宅のいたるところで乱交騒ぎが行われ、3番目の体だったときは武具と血糊があちこちに散らばり、汚くなった室内を掃除して回る下男下女でいっぱいだった。
4番目の体である現在のザボスとなってからようやく人がましい暮らしをするようになり、それから初めてこのような清潔感あふれる邸宅を建てるようになったのだ。
中庭に面した東棟一階の渡り廊下のベンチに座ったユルゲンは、概ねそういったようなことをゆるゆるとした調子で話していた。
「わしは最初からこういうふうなきれいな住まいにしようと言っとったんじゃがのう。ザボス様は体験主義者であられるゆえ、自分で飽きるまでやってみんことにはお止めにならぬ」
「わかるような気がします」
女たちは翁の言葉にクスクスと笑い声を漏らした。
気がつけば、手すきの女中や下男、兵卒たちが周りに集まってユルゲンの話に耳をを傾けていた。
「近頃、ザボス様は高貴な行いについて頻繁に口に出されるであろう」
「ええ、はい」
「そのようになったのも、先のお体の晩年からじゃ。ザボス様は人がましく在りたいと、つねづねお考えであらせられる。そのための無茶であったり、伊達であり、過去のなさりようがある。日々のいたずらも、その一環じゃ。不快に思うこともあろうが、なに、いきなり首を刎ねたりせぬだけずいぶん丸くなられた。皆もよくよく考え、ザボス様を支えてやっとくれ」
ユルゲン翁が自らを支える猫耳の女中を優しくなでながらそう言うと、者共は一様に声を合わせて、はい、と答えた。
ちなみにザボス本人はミィナとミーナを見かけて、ミィナの生意気な胸とミーナの慎ましやかな胸を同時に揉む方法はないかと考え、少し後ろから気配を断って彼女たちをつけていた。
のだが、思いもかけずユルゲンの思い出話が始まった。
最初は余計なことをと腹を立てもしたが、一番最初から自分に付き従ってきた従者の思いやりの言葉が胸に深々と突き刺さり、助平な悪戯をすることばかり考えていた自分が突然恥ずかしくなり、耳まで真っ赤にして物陰に隠れそこから動けなくなってしまった。
他のものはともかく、ユルゲンだけはそれに気づいた様子であったが、彼はその事に触れなかった。
べつの廊下の曲がり角からザボスたちの様子を目にしたマダム・エリカは、すばやく帳面を取り出し無表情に何事かを書き付けると、何食わぬ顔で職務に復帰した。
十数日後、バルクライ通りの特殊な書店に「うちのご隠居が可愛すぎてマジ薔薇咲き誇る」なるタイトルのザ●ス単体受け全年齢本(28ページ表紙カラー5色刷りPP張り)が並んだ。非番の公安警察1課のアイリ某(巡査部長28歳ヒト族独身)はそれを手にとると鼻息荒くレジに並び、自宅で悶えた。
悶えながら、この作者様はなんと素晴らしい想像力をお持ちなのであろうかーーーーーーーーっ!!たまんねーーーーーーーっ!!むーーーーーーりーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!と内心で褒め称え、枕に顔面を突っ込んで布団を殴りつけ、また紙面に目を戻し、悶え、といったことを朝まで繰り返したが、まあこれは別の話、全くの余談である。
◆
エミリアがアンネリーゼの部屋のドアをノックすると、中からなんだかむにゃむにゃという返事が聞こえた。
それを耳にしたエミリアはいたずらっぽい笑みを浮かべミィナを振り返り、ミィナもまた心得た顔をした。
2人が静かに部屋に入ると、アンネリーゼは何やら難しい顔をしてまだ寝ていた。
その手は枕元に突っ伏すベルキナの肩にかけられ、ベルキナは穏やかな表情で寝息を立てている。
ミィナはまずベルキナの表情をうっとりとして眺め、アンネリーゼの寝顔を見て眉をしかめた。
アンネリーゼの目尻には涙が浮かんでいたのだ。
そうするうちにアンネリーゼは目を覚まし、身を起こすとごしごしと手のひらで顔を拭った。
当然エミリアたちの来訪には気づいている。
「おはよう、アンネリーゼ。……泣いていたのか?」
「ヨハンナの夢を見たの……お姉ちゃ、先輩」
「そうか」
ヨハンナの思い出は2人にとって辛いものだった。
彼女はアンネリーゼを愛していた。しかしアンネリーゼはそれにうまく応えることができず、エミリアは2人を眺めるばかりで何ら干渉することができなかった。
結果、思いつめたヨハンナは戦争が終わったそのときに自ら命を断ってしまった。祝勝の祭りの夜に露店で買ったりんご飴を食べてから。
アンネリーゼは切り揃えられたベルキナの髪をさらさらと指に流しながら、つぶやいた。
「ベルキナは私をすごく大事にしてくれる。ヨハンナみたいに。私はベルキナにアンジェリカさんの代わりに私を選ぶのかと言ったけれど、私がベルキナをヨハンナの代わりにしてしまうのだとしたら」
「……お前の好みではないな」
「うん。だからね、ベルキナのことはもっと真剣に考えたい。いつか、きちんと応えたい。でも私はあんまり頭は良くないし……それに、気になるのはベルキナだけじゃなくて……ベルキナにはつらい思いをさせるなぁって痛ってぇ!?」
そこまでアンネリーゼが語ると、ミィナはつかつかと歩み寄り、そのままの勢いで渾身の力でアンネリーゼの額を弾いた。
表情は無表情だったが目の色は呆れと怒りに染まっている。
「バカ」
「んなぃ?!」
「そんな事考えてると来週の試験に落ちる。落ちたらバカなのにまた落ち込む。そしたらベルキナ姉さままで落ち込んじゃう。そんなの許せない。その前に余計な妄執をその空っぽの頭から叩き出してやる」
「言ったな!? すぐにぶっ飛ばしてやるからちょっとアンタ着替え手伝いなさいよ!!!」
「7戦4勝3敗。今日は5勝目になる日」
「うっせバーカ!4勝してんのは私でしょうが!!」
「バカはそっち」
「はぁあ!?」
アンネリーゼとミィナはぎゃあぎゃあと騒ぎながら着替えを行い、バタバタと足音高く駆けていった。
エミリアは2人を微笑みとともに見送り、少し経ってから寝台に突っ伏すベルキナのそばに腰を下ろした。
「いつか、きちんと応えたい、だってさ」
「ぶほっ! ぐほ、げぇっほ!!」
エミリアの声とともにベルキナは激しく咳き込んだ。長耳の先端まで湯気が上がりそうなほど赤面している。
「なんで寝たふりなんてしてたんだか」
「だ、だって恥ずかしくて」
「いやーしかし面白くなってきたなぁ!」
「エミリアぁ!」
エミリアがベルキナをからかうと、ベルキナは飛び起き、年甲斐もなく子供のようにエミリアをポカポカと叩き始めた。
晩秋の、とある夕暮れの光景であった。




