ちゃんちゃらおかしくって
アンネリーゼを膝枕で寝かせた次の日、ベルキナはザボスの秘書室にひょっこりと顔を出した。
その時エミリアは家令のレオニール・ドミトル氏とともに午前の休憩に入るところだった。
エミリアは謹厳実直に過ぎるドミトル氏と多少気の合うところがあったから(何しろザボスは享楽的に過ぎる)、休憩時間に聞かされる彼の小言を多少楽しみにしていた。
だが、彼女の義理の妹であるアンネリーゼの婚約者になりたいというベルキナが、浮かない顔をして相談しに来たとなれば、時間を割いてやることにやぶさかではなかった。
◆
「アンネはまだ寝てるのか?」
「ぐっすりと。御典医殿はただの過労だとおっしゃっていたが」
二人はこの日は使う予定がない客間の控室に場所を移した。
もちろんエミリアがマダム・エリカとフルーゼの許可を得た上でのことだ。
その部屋の窓からは、先日アンネリーゼたちが戦った中庭がよく見えた。
「最近はずいぶんと無理をしていたからな。夕方まで起きないだろう。戦時中は何度かそういうことがあった。研修の方は?」
「アッシュさんに言伝をお願いしたよ。公安警察本部と移民局はそんなに離れてないから」
「あなたもずいぶん参っているようだな。一体どうしたんだ」
エミリアは相変わらず、アンネリーゼとベルキナの前でだけは男言葉のままだった。とはいえ、声音はずいぶん優しくなっている。ザボス家の女たちの教育のかいあって、仕草も年相応、若い女性のそれになりつつあった。色気については言うまでもない。
彼女は戦地暮らしが長く、屈強無比な男ども、獰猛果敢なアンネリーゼたち女どもを従えるべく男言葉と精悍な騎士たる武張った仕草を身に付けていたのだが、変われば変わるものである。
事実、お仕着せを着た彼女が廊下で歩いていると、すれ違いざまに目を奪われる者たちが最近では増えていた。
ベルキナはそれを好ましく思っていた。自分と同じように一隊を率いて戦ってきた女が、かくも見事にその姿を変えるとは。アンジェリカに頼り切っていた自分ですら変わることができる、その可能性を見せてくれている。
ベルキナはただの愚痴かもしれないしこんなことを相談するのも気が引けるんだが、と前置きしてから、昨晩のアンネリーゼとのやり取りをエミリアに明かした。
「へぇ。ずいぶん信頼されたじゃないか」
「そうなのかな」
「そうだとも」
普段からは考えられないほど気弱な態度のベルキナに、エミリアは思わず励ます声音を出した。
「あれは誰にでも愚痴や弱音を吐くような娘ではない。それはあなたもよく知っているはずだ」
「うん……」
しかしベルキナはうつむくばかり。ベルキナのこのような態度は、少なくともエミリアは想像したことすらなかった。
「ねぇエミリア。こんな気持ちになったのは初めてなんだ。アンジェリカといた時ですら味わったことがない」
「うん」
「私はあの子が好きなんだ。たまらなく好きなんだ。愛してるなんて言わない。私がその言葉を口にしたら、言葉の価値はなくなってしまう。でも、でも、どうしようもなく好きなんだ。だけど、ああ、どうしよう。私のこの思いがあの子にとって迷惑なのだとしたら」
「ベルキナ」
「どうしよう、エミリア。私、わたし、あんなこと、言うんじゃなかった──」
ベルキナは泣いていた。涙を流さず、笑顔さえ見せてはいたが、それでもベルキナは泣いていた。
エミリアは掛ける言葉が見つからず、絶句するより他なかった。
しばらく二人は押し黙って立ち尽くしていた。
エミリアは途方に暮れたまま、カバーのかかったテーブルまでべルキナを連れていくと、その端に二人して尻をひっかけた。こうして並んで座ってみると、べルキナのほうがまだ拳一つ背が高いのがわかったが、構わず肩に手を回す。義妹が弱音を吐くほど信頼する相手には、そうしてやる必要があると感じたのだ。
「ベルキナ。私の知る限り、あれは自分を懸想する相手を振るときに謝ったり気遣ったりしたことがない。つれなくしてしまっていることを気に病むほどには、あなたのことを真剣に考えているということだ」
ベルキナは黙ってうつむいている。
「それにあれはまだ誰とも恋人になったことがない。いや、なれた試しがない。私達の国は自由に恋愛することさえ難しい。私だって、公爵殿下がはじめて親しくおつきあいする男性だ。毎日戸惑ってばかりだ。だからその、アンネが戸惑っているのは、あなたのことが嫌いになるかどうかとかじゃなくて、すごく普通のことなんだ。だから、もう少し気持ちをゆったり保って見守ってあげてほしい」
そう言ったエミリアは、それでも、少しばかりずれたことを口にしたな、と自覚した。
べルキナは今まで感じたことの無い不安に駆られているからこそ、そのはけ口をエミリアに求めたのだ。今の言い方ではべルキナを余計に追い詰めることになるのではないだろうか?
案の定べルキナは黙りこくったままだったので、エミリアは一呼吸おいてから別の提案を口にした。
「私じゃ頓珍漢なことしか言えないようだ。お昼休みにでもお姉さま方に聞いてみよう。どうだろうか?」
エミリアがお姉さまと呼ぶものは、ザボス家上屋敷には2人しかいない。女中頭のマダム・エリカ、筆頭女中のフルーゼだ。この2人に加えて、家令のレオニール・ドミトルと旅団第1大隊司令であるエドゥアルド・ヨシフ・プチャンスキーが実質的にザボス家上屋敷の人間関係を掌握しているといってよい。恋愛相談などは年がら年中処理している。
べルキナは子供のようにこっくりとうなずいた。
◆
「あらあら、それはまた」
「なんとも」
ザボス家の者たちの昼食はとにかくにぎやかだ。
ザボス本人が人々の喜怒哀楽をその目で味わいたいという性分であることが大いに影響しているし、ザボス家は昔から騎兵で有名だった。
命令を聞く前に飛び出していくのが騎兵と竜騎兵、などというのは有名な冗談だが、ザボス家の者どもはその権化のようなものだ。上は隠居であるザボスから、下は下駄番お針子庭師に至るまでが騎兵の精髄のような家柄だった。
そういった連中は暇があればとにかく互いにコミュニケーションをとる。そうしないと部隊あるいは部署として急な任務を申し付けられたときに対処できないからだ。
つまるところはザボス家の昼食において早食いは習慣、食事時の会話は義務であり、大いにそれらを楽しむべしとされていた。礼儀正しく静かな食卓、などというものは求められていない。
とはいえ賑やかな食卓にいつまでたっても慣れない者や、そういう気分になれない者もいる。なにしろザボス本人がとんでもない気分屋で、普段は騒がしく食事をとるくせに、突然黙りこくって人を寄せ付けもしないときがある。
そういう時、そういうものどもが使うこじんまりとした食堂は大食堂の隣にある。礼儀正しく静かな食事であるとか、あまり余人に聞かせるべきではない会話を行うときにはそちらが使われていた。
エミリア、ベルキナに加えマダム・エリカとフルーゼを加えた四人はそちらの食堂で昼食を摂っていた。
周りには給仕役すらいない。ここで食事を摂るときは兵士のようにメスキットに盛り付けてもらって、自分で運ぶのがしきたりだ。
エリカとフルーゼはベルキナの話を黙って聞きながら食事をしていたが、一段落すると顔を見合わせてからこう言った。
「ベルキナさんの気持ちはわかるけど、その前に一つ忘れてることがあるんじゃない?」
「今は恋愛に興味ありませんって、それ、他に好きな人がいますっていうときの常套句でしょう」
それを聞いてエミリアははっとした顔をし、ベルキナはことさらにうつむいた。
二人の反応を見てフルーゼは額に手を当て天を仰ぎ、エリカはいぶかしげな声を出した。
「エミリアさん?」
「すまんベルキナ、レスタのボグロゥ氏のことを忘れていた」
レスタに住むオークのボグロゥは、アンネリーゼの命を2度も3度も助けていた。その時の振る舞いは、まるで年を経たふてぶてしい老騎士のようですらあった。アンネリーゼは恋に恋い焦がれる、ということがなかった代わりに、血反吐が出るほど現実を見せつけられたあとでも「お話に出てくるような騎士らしい騎士」へのあこがれを捨てることができない。また、年上の男臭い男性がアンネリーゼの好みの異性のタイプでもあった。つまり種族の違いやボグロゥの立ち居振る舞いの些細なあれこれを差っ引いても、アンネリーゼにとっては魅力的な人物の一人であることは間違いない。
このため口に出さずともアンネリーゼがボグロゥに思いを寄せていることは容易に予想できたし、事実エミリアはそれを前提にアンネリーゼの後見をボグロゥに頼んだことすらあった。
エミリアはようやくのことでそれを思い出し、ベルキナに頭を下げた。
「いや、いいんだ、エミリア。私もわかってたから」
ベルキナは絞り出すような声で嘘を言った。ボグロゥの存在を忘れていたのはベルキナ自身も同じだったのだ。
「姉さん、どう思います?」
「どうって、ねぇ。あたしはあんまりきついこと言いたくないんだけど」
恐縮したり落ち込んだりしているエミリアたちの様子を見て、エリカはフルーゼに苦笑交じりの問いを発した。返すフルーゼはあきれたような声音を出した。
しかたない、とため息をついたフルーゼ。テーブルの上に肘を立て、組んだ手の上に形の良い顎を載せた姿勢でべルキナの目を覗き込む。
「べルキナさん、ちょっとよろしくて?」
「……はい」
「あなたねぇ、今まで何人も女の子泣かしておいて、今さらそのカマトトっぷりはないんじゃないかしら」
フルーゼの冷たい一言に、べルキナは凍えて固まった。
◆
「あなたがここに来てからフッた女の子は何人?18人はいたはずよ。男の子も5、6人。いずれも鮮やかなフリっぷりで、フられる前より好きになった、なんて言ってる子たちも居る。アンネリーゼさんが来るのが遅かったら、実際何人かは自分の虜にしていたでしょう? それに、これは想像だけど、アンジェリカさんとお付き合いなさってた頃も何人かと寝てるわよね? 王宮警護局の研修生だったころは言うまでもない。そんな猛者が、いまさら生娘みたいに振舞うだなんて、なんていうか、もう」
フルーゼは穏やかな口調でベルキナを責め立て、ベルキナは背筋を震わせ彼女を見た。
「フルーゼ、さん」
「ちゃんちゃらおかしくって」
フルーゼは口を押えて笑い始めた。
エリカはそんな姉に苦笑のまなざしを今一度向けると、表情を消してベルキナに向き合った。
「私たちは大殿様から上屋敷内の人事の少なくない部分を任されています。そして諜報工作の基本は性愛・恋愛的な罠。人事を掌握し部下の人生の相談に乗るということは、防諜にも携わるということになります。なにが言いたいかはわかりますね?」
つまりエリカとフルーゼは、ベルキナが来た時から積極的に諜報工作を仕掛けていたのだ。
公安と軍部に強力なコネクションと権力を持つ、というより魔王領の公安組織の長たるザボス家にとって、自分たちの権力が及ばない王宮警護局の内部協力者――情報資産の獲得は必須の課題でありながら達成できたことは一度もなかったから、それは当然と言えた。
結局その後、王宮警護局とは平和裏に協力体制が構築されたためベルキナを情報資産に仕立てる試みは中止されたが、工作を仕掛けていたこと自体は伏せられたままだった。
お互いにわかってやっていること――そのはずだったからだ。
ところが当のベルキナはアンネリーゼにのぼせ上ったまま。
ザボス家側の工作については天然なのか計算ずくなのか、華麗にあしらい何人かは本気にさせる始末。しかもベルキナは工作を仕掛けられていることに気づきもせずに無頓着。
工作を振り切られてコケにされたりなかったことにされるのは構わない。
フルーゼをいらだたせたのは、言葉の通り乙女のようなベルキナの態度だ。
「まぁ別に工作のことはいいんです。仕事ですから。でもやっぱりうちの子たちが泣いているのをみるとね」
「……ええ」
ベルキナはことさらにうつむいた。
他人を傷つけるようなものがなにが恋の悩みだ、そのように批判されていると思ったのだ。
だがそうではなかった。
「だぁから、そうじゃなくて」
声を荒げたのはフルーゼだ。
「そこまでアンネリーゼさんのことを思ってるなら、おたおたしないでどっしり待っててあげなさいって言ってるの。そうじゃなきゃフラれた子たちもかわいそうでしょ?」
ハッとしたベルキナが見上げると、フルーゼの表情は和らいでいた。
◆
多少はすっきりした表情で食堂を出ていくベルキナを見送った後、アンネリーゼは義姉たちに頭を下げた。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
「いいのよ、別にこれぐらい。でも、ちょっと釈然としない顔をしてるわね?」
「ええ、ああ、はい」
エミリアの屈託は、同じような指摘をしたのに、ベルキナはどうして自分の言葉では納得せずフルーゼの言葉では納得したのか、という点にあった。
「アンネリーゼさんはベルキナさんは考えすぎだと以前言ったし、実際そうだとは思うのだけれど、ベルキナさんは自分に罰を課してほしかったの。他人に悲しい思いをさせた罪に対するね」
自分とエミリアの言葉の大きな違いはそこだと、フルーゼは指摘した。
フルーゼはべルキナに、あの雑種女、こっちに色目を使っておきながら、と周囲には思わせてしまえ。実際そう言われるのだから。と伝えていた。多少居心地が悪くなるだろう、とも。
しかしそれを聞いたべルキナの目からは、不安の色が少なからず拭い去られたのも、また確かだ。
「それに言葉にしてはいないけれど、ベルキナさんはまだまだアンジェリカさんのことを引きずっているの
よ。まるで男の子みたい」
「それで」
「実際、例えば、アッシュ君みたいに若いころ遊び呆けてた男の子でも、心底惚れた相手が現れるとああいう風になるの。そうするとうじうじ悩みがちなのよね。相手の負担になるんじゃないかとか。ばっかみたい。相手がそういう風に気に病む相手なんて、相思相愛になってるか生理的に嫌われてるかどちらかしかないのに。今回みたいにしばらく待って、といわれたなら、おとなしくしばらく待つかほかに行くべきよ」
フルーゼの口調はだんだん悪くなり、最後のほうは吐き捨てるかのような調子だった。過去に思い当たる節が山ほどあるようだ。
思わずエミリアとエリカは苦笑する。
「べルキナさんが聞き分けのよい方で助かりました。意外と誠実そうですし」
「あたしは今のうちにアンネリーゼさんとくっついてほしいのだけれどね。このままくすぶらせていると、うちの子たちに手を出しそうで」
「べルキナには今一度伝えます。多分もう大丈夫でしょうけど」
エリカとフルーゼはやれやれといった表情で伸びをしながら感想を述べ、エミリアもほっとした表情を見せた。
そのエミリアにフルーゼは頬杖をついたまま更なる感想を述べた。
「でも意外だったわ。まさかエミリアがあの子の味方になるなんて」
「どうしてでしょうか?」
少し小首をかしげるエミリア。
その所作はフルーゼが教えた通り、上品でありながら少し艶っぽい。
「雑種の魔族の、それも両性具有の女丈夫が、年下のヒトの娘のお嫁になりたい、だなんて。私たちでも少し驚いたのに、よく平気ね?」
エミリアは聖法王国の出身だから、とまでは言わない。
このような縁談が持ち上がったとき、反射的に忌避感を示す者たちは魔王領であっても種族を問わずに数多く存在する。
ところがエミリアは少しも考え込むそぶりを見せずに、にっこりとして朗らかに答えた。
「アンネリーゼは私の大事な大事な義妹ですもの。轡を並べたことがあって、信頼できそうで、ダメなところはきちんと叱る。そんな相手があの子を婿にしたいと言うのなら、多少相談に乗ってやるのも義姉の責務かと思いまして」
「そんなにべルキナさんが気に入ってるの?」
「ええ。最初こそいろいろとありましたけれど、今はもう。細々とした恩もありますしね。それに見ていると案外可愛らしくて。ああ、でも実際どうなんでしょう? 女性同士だと子は作れなさそうですし、でもべルキナはその、付いてますよね? 立場が逆ではないでしょうか」
エミリアが年頃の娘らしく他人の色恋話に花を咲かせ始めたところで、フルーゼとエリカは顔を見合わせクスリとした。
3人はそのままひそひそと、昼休みの時間が終わるまで仲良く話し込んだのだった。
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ところでその後、冬にピオニールで行われた魔王領最大の同人誌即売会「マルシェ・デ・ラ・バンドデシネ」に於いて一冊の成人指定小説が上梓された。
200冊持ち込まれていたその本は、会場後わずか1時間半で完売という小説同人誌としては驚異的な売れ行きを見せ、しばらく魔王領のその手の特殊な界隈では話題となっていた。
タイトルは「ふたなり剣士は切なくて、年下女狂戦士を想うとすぐにしちゃうの」。
当日の頒布係に雇われた者たちの口は一様に硬く、作者はようとして知れない。
ただ、あの日の会話の終わり際にエリカが「良いお話を聞かせてくれてありがとう」、などと言っていたことはひょっとしたら関係があるのかもしれないなぁ。
などと、いつの間にか入り浸るようになったバルクライ通りの特殊な書店でこれまた特殊な薄い本の束を持って、新年あけ初売りの支払の列に並びながら、エミリアはそう思った。
なおエミリアの手の中にあったものの大半がKZとかGZとかZ総受けだったとかなんとか。
現役権力者のナマモノ受け入れられてるって魔王領寛大すぎでは???
ていうか誰だ(誰だ)(誰だ)エミリアにそんな趣味を教えたの




