ピオニール探訪 オーテク街道~中央操車場~バルクライ通り
一行は上屋敷の御者の運転する大型4輪車で街に出た。
長い前部車体の後ろに角ばったキャビンが付いた4輪車は、やはり『遺跡』から掘り出されたものだったそうだが、とうていそうは思えない。
漆黒の車体は隅々まで磨き上げられ、くっきりと景色が移るほど。当然傷一つついていない。
下側を覗き込んでもサビ一つなく、直線と見紛うほどの緩やかな曲線で構成された車体に歪みは見られない。
豪華な内装の後部座席は2~3人がけの座席が向かい合い、足を伸ばしてもお互いぶつからないほどに広かった。おまけにザボス個人はこの車両はほぼ使わないらしく、上品でしとやかな香りがほんの僅かに漂っているだけ。つまる所は大変に落ち着ける空間であり、これで酒が飲めないのは悔しいところだとアンネリーゼは内心ひとりごちた。
魔王領首都ピオニールは北西から東南に向かって流れるオーテク河に沿って栄える、おおよそ平行四辺形の街区を持つ街だ。人口140万人。単一の都市としては世界有数の人口密度と言える。
オーテク河の北岸には数千年前にカメリモス大火山から吹き出た溶岩で形成された断崖と原生林が迫り、その断崖と河岸に挟み込まれた南北8km東西16kmほどの猫の額のような土地に魔王城と各種官公庁が押し込まれている。旧市街の両端には各貴族の上屋敷が置かれ、旧市街の盾としての機能を果たしていた。
オーテク河沿いを走るオーテク街道は首都外苑で東西南北へと分岐する。
南岸にはいささか雑多な作りの建物が密集する新市街が広がっている。
休日なうえにオーガーやトロルの祭りを発端にした「魔王領アイドルフェス」の最終日ということもあり、オーテク河越しに眺めてみても人出は多く新市街はかなり賑わっている様子だった。
オーテク街道の幅は広く、この4輪車が3台並走できる路線が細長い緑地を挟んで2本設けられている。さらにそれぞれの路線の外側には路線馬車の走る車線が設定されていた。
路面はなにかタールのようなものに細かな砕石を混ぜたもので分厚く舗装され、土埃が舞い上がることもない。路上には4輪車は少なく、馬車のほうがよほど多い。
漆黒の車体にザボス家の紋章を金色で塗装された4輪車は、一番内側の自動車専用車線をゆったりと流してゆく。
車窓にはたくさんの建物が立ち並ぶ魔王領首都ピオニールの景色が映り、アンネリーゼはもうすぐ18になるというのに4輪車の窓にかじりついてそれを眺めていた。
流石にはしたないのではと思われたが、アッシュもベルキナもにこにこするばかりでアンネリーゼを注意しようとしない。
むっつりと黙り込んでいたエミリアだったが、ついに堪えきれなくなったのか棘のある発音でアンネリーゼに言った。
「アンネ。お前ここ何日か出歩いているだろう。すこしは落ち着いたらどうだ。はしたない」
「だって先輩、面白いんですもん」
素早く振り向いたアンネリーゼは、獲物を目にした肉食獣のようなぎらついた目で答えた。
エミリアはその目に覚えがある。戦場で、あるいは戦場になりそうな土地を通るとき、アンネリーゼが必ず見せていた目だ。
エミリアの予想通り、アンネリーゼは戦場でのものの見方で車窓の景色を観察していた。
異様に広い街道は旧市街側にしか建物が立っておらず、その建物はすべて背が低く窓が少ない木造モルタル作り。
建物の背後には旧市街を取り囲む高さ5mにもおよぶ土塁の一見なだらかな、実際は登るには苦労する角度の斜面が迫っている。
土塁上にはほとんど建物はなく、いくつかの東屋がぽつりぽつりとあるばかり。
土塁から出てくる道は歩行者用の階段を除けば、たとえ片側1車線の細い通りであっても必ずはっきりとしたカーブを描く掘割を通っていた。
幅300mほどの河を渡る橋は両岸の大通りと十字を作って直交することはなく、その周囲の土塁は大きく後退していた。そのくぼみは軽く1個騎士団――1個連隊程度は飲み込めそうな広さがあった。
つまりこのオーテク河畔を走る街道はオーテク河の向こうの新市街から渡河してきた敵軍を一網打尽にする殺戮地帯に他ならない、とアンネリーゼは判断した。
街道沿いに立つ木造モルタルづくりの建物群は、わざと壊れやすくすることで被災後の処理を簡便にするため。
旧市街を取り囲む土塁は少しばかりの砲撃や魔法を受けてもびくともしそうにない。石の壁だと崩れてしまう。
土塁上の東屋は観測拠点。
土塁から出てくる道がすべて曲がりくねった掘割を通るのは最悪の場合埋め立てやすくするため。
橋と通りが十字を作らないのは敵の進行を遅滞させるため。
土塁のくぼみは橋を渡ってきた敵軍を拘置し、集中させた火力で鏖殺するため。
恐るべきことにアンネリーゼのその想像は、相当な部分で現実と合致していた。
ギュンターが魔王の座に復権したのち、最初に行った公共事業がこのピオニールの要塞都市化工事であったのだ。
アンネリーゼの想像の埒外にあったことは、新市街に2本ある同様の防壁が新市街の発展と拡張によって市街に取り込まれ、大半はすでに取り壊されていることだけだった。
子供のような態度と飢えた肉食獣のような表情で景色を楽しむアンネリーゼの脳髄は、そんなようなことばかりでいっぱいだった。その目に映る景色の中に、腸をはみ出して悶え苦しむ友軍将兵や焼けただれた皮膚を晒してとぼとぼと歩く民間人の姿がないのであれば、それはたしかに楽しいだろう。
そのことをよく知っているエミリアは、ただため息をつくしかなかった。
やがてザボス家の大型4輪車は新市街中心部の操車場へとたどり着いた。車窓からみえたのは、種種雑多な種族がまるで芋洗いか産卵期のボラの大群のように押し合いへし合いして歩く姿だった。
気後れしてしまったエミリアをよそに、アンネリーゼたちはさっさと歩道へ降り立ってしまう。
歩道へと降り立ったアンネリーゼ達を見て、周囲にはため息をつく者、息を飲むものが続出した。
アッシュの着衣は紫がかった黒のジャケットとスラックス、シルクのシャツ。ジャケットとスラックスはツイードだったが生地の目が微妙に違い、僅かに見た目の色が違う。赤鉄色のネクタイを下げ、ネクタイピンはいぶし銀。首には不釣り合いなほど使い込まれたゴーグルを掛けていた。ザボスほどではないが伊達の一言である。
アンネリーゼは萌黄色の柔らかな生地のショートパンツの上に膝下丈のラップスカート、白いシルクのガーター紐ですこし厚手の木綿の長靴下を吊るしている。長袖のシルクのシャツは薄い浅葱色に染められ、その上から細い毛糸で編まれた袖なし胴衣を重ねていた。肩口で切りそろえられたさらさらの金髪が美しく、いかにも元気溌剌少女といった風情だ。
ベルキナは赤褐色の乗馬ジャケット、カーキ色の乗馬パンツに膝丈の編上げブーツ。左手には漆仕上げが美しい杖を持ち、同じく左腰には太刀を吊るしている。これだけを見ればただの傷痍軍人かと思われがちだが、なにせ出るところはどんと出て引っ込むところは引っ込みつつも芯は残っている体つきだ。健康的でありながら倒錯的な雰囲気を振りまいている。
ためらいながらも最後に降り立ったエミリアは赤みの強い黒色に白いストライプが入ったジャケットとスリットが入ったタイトスカート。シャツと靴下は真っ白なシルクで、桃色がかった長髪を編み上げている。見ようによっては恐ろしく地味な格好ではあったが、まるでどこぞの女社長か大企業の秘書頭といったふう。ザボス家の女として磨きをかけられつつある色香がなんとも凄まじい。
ようはどこかの芸能事務所に所属していそうな連中が突然表れたのだ。しかも今日は「魔王領アイドルフェス」の最終日である。
注目するなという方が無理な相談だった。
アッシュは御者に夕方には戻ってくると告げ、周囲を見まわした。
と、目当ての人物を見つけたらしく、そちらの方へ一団を促した。
人混みの中から現れたのはトマスである。
トマスは顔はいいがもとから目立たない性分であり、この日もまたなんとも目立ちようのない姿であった。ありきたりな灰色のジャケットと流行遅れのパンタロン、くたびれた革靴。大して値段が高いわけでもなさそうなシャツとネクタイ。
おまけに4人に対して出会い頭にお辞儀を繰り返すものだから、周囲の者たちはトマスを4人のマネージャーだと思い、それで納得することにした。きっと何かの事情でフェスへの出演が見送られたものたちなのだろう、と。
アッシュたちは群衆の視線に気づくと皆一様にバツの悪そうな表情を浮かべ、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
「ちょっと、いささか目立ちすぎじゃないですか皆さん」
「ははは、まぁたまにはおしゃれして出かけるのもいいかと思ってさ」
2分ほど歩いた先、揚げ菓子と飲み物を売る屋台の前で、はぁ、と胸をなでおろしながら言うトマスにアッシュは笑って答えた。
「まぁこちらとしても良い息抜きになりますから。今日はお声がけいただいてありがとうございます」
そう言うとトマスはまたもペコリと頭を下げた。
「ひぇもほマスさんさぁ、いま情報学校? に居るんれひょ? ひゃってにへれないんじゃないの?」
素早く屋台で糖蜜をたっぷりかけられた細長い揚げ菓子を買って頬張っているアンネリーゼが言うと、
「まぁそこはそれ、蛇の道は蛇ということで」
「ふーん……んぐ、どうにかこうにか休みを取るのもスキルのうち、みたいなところ?」
「はは、かも知れません」
トマスは笑ってごまかし、アンネリーゼは指についた糖蜜を舐め取った。
アッシュはニヤリとし、エミリアは不機嫌そうに眉をしかめ、ベルキナはにこやかに佇んでいる。
「まーいーや。それじゃあ、お買い物、行こうよ!」
妙な雰囲気になりかけたところでアンネリーゼはぴょんと一飛びし、駆け出しながらそういった。
ベルキナとアッシュにどこにいくんだとたしなめられるのは、そのわずか2秒後である。
80年後にはセンター広場と呼ばれるようになる中央操車場から放射状に伸びる通りのうち、東に伸びて坂を登るやや狭い通りはバルクライ通りと呼ばれている。
断1646年の聖法王国による大遠征を迎え撃った12人の親衛隊騎士、そのひとりの名である。ヨーシフ・バルクライはギュンターに認められて親衛隊騎士となったが、その前は単なる武装商人で、彼が誰の許可も得ずに勝手に開いた市がこの通りの前身である。
彼はただのヒト族でしかなかったが、当時すでに1万人を超える人口を抱えるバルクライ自由市の首領として勇敢に戦って死んだ。金を出せばなんでも売ると常日頃豪語していた彼は、自分の命を差し出してバルクライ自由市と魔王領首都ピオニールを守ったのだ。
このため、東西7kmを超えるバルクライ通り商店街には尚武の気風、言い換えればどこか野蛮なところがあった。通りを歩く男女か、商店の軒先を飾る商品か、あるいはそのどちらもがなんとはなしのあらっぽさを持っていた。
それでも扱われている衣服は安いものも高いものも皆それなり以上の品質だったし、武器屋はきちんと警備が立ち当局の許可証を掲げ、飲食店に虫がたかることもない。
なにより通りもひとびとも、聖法王国皇都の市民街よりずっとずぅっと清潔だった。
商店が入っている建物はみないずれも継ぎ目のない恐ろしく硬いコンクリートで作られており、飾り窓はヒトではなくオーガーの身の丈ほどもある巨大なガラスで覆われている。聖法王国でこのようなガラス窓を持つ商店を建てたならば、ガラス一枚で商店そのものが土地ごと買える上にとんでもない税金が課税される。おおよそ伯爵以上の身分を相手にする商店でないと1年も持たない。
それなのに飾り窓に飾られている衣服の値段は。
「は??? 240ギル??? 先輩、これ、聖法王国の貨幣価値で言ったらいくらですか」
「……400銅だな」
「はぁー?! 安くない? これ安くないですか?! これ! ねぇ!」
飾り窓の内側に立つ人形に着せられたボタンなしの下着のようなシャツ。
ほんの数年前まではみっともない衣服として中流階級以上の者たちからは嫌われていた衣服だが、生地の改良や染色技術の進歩により、最近では若者のファッションとして受け入れられている。
アンネリーゼが眺めているそれは淡い桃色が肩口から裾に向かって薄くなり、胴体部分に何か戯言が書いてある。
「命短し恋せよ乙女、か。ドクロのマークが塗られてるのはどういうことなんだろう?」
「……文言はいいが、アンネ、お前はザボス公家に出入りする身だろう。そんな服は着せられん」
はしゃぐアンネリーゼにエミリアは冷たい声で突っぱねた。
途端に口をヘの字に曲げるアンネリーゼ。
二人の様子を見て、トマスはアッシュに小さく尋ねた。
「あれ、どうしたんです?」
「うーん、いやー、エミリア嬢が侯爵殿下の傀儡になったのは知っているだろう?」
「そりゃあ、見てましたからね」
「それからエミリア嬢はずっとあんな感じなんだ。まぁ、一度死んで蘇った身だろう? むしろ当然なんだが、アンネリーゼが必要以上に気にしているフシがあるんだよなぁ」
「……それは時間を置くしかないのでは」
「だよなぁ、でもほらあのべルキナが」
小さく答えたアッシュの視線の先で、ベルキナがアンネリーゼとエミリアのやり取りを見守っていた。
ずっと微笑んではいるが、その真意は定かならぬところがある。
「……今回の行動はあの人の立案でしょう? 一体何を考えているのやら」
「それが判れば世話はない。公安2課は王宮警護局とは縁が薄いからなぁ。まぁ君の言った通り、ここは息抜きに専念する手だな」
「ふふ。違いないですね」
アッシュの嘆息にトマスは苦笑を漏らす。
アッシュがぱんぱんと手を鳴らし、一行を先にへと促した。
「ほらほら、今日はもっといいところに行きますから」




