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女騎士(バーサーカー)とオークと、時々バイク  作者: 高城拓
第2章 冬までにあったこと
37/74

ザボスという男(3)

 アンネリーゼはユルゲン翁とザボスの間に見え隠れする、深い信頼関係に感動を覚えていた。

 きっとザボスがああなのは、統制を取ろうともしなかった魔族やヒトとの軋轢に疲れ果ててしまったからなのだろう。長い長い時間をかけて成熟してきた精神は、今や幼児退行じみた反応を見せているのだ。

 そしてユルゲン翁がずっとザボスを支えていたから、ザボスは孤立せずに居られるようになったのだろう。

 彼の話は長いと言いつつざっくりとしたものだったが、アンネリーゼはもっと細かく話を聞きたくなった。

 ザボス自身のことは相変わらずいけ好かない好色爺だと思っているが、物語としての彼らの来歴に俄然興味が出てきたのだ。

 それでとりあえず一番面白そうなザボスが女性の体に入っていたときのことを聞こうと、お話をねだる子供のような顔をしながら身を乗り出しかけ、隣でエミリアがうつむいてふるふると震えているのに気がついた。

 

「せんぱい?」

「……」


 何をするのかとアンネリーゼが心配し始めたところで、やにわに玄関のほうが騒がしくなる。

 バコバコというVツインの音、フォンフォンという直列4気筒の音が2台分、バタバタという並列2気筒の音。

 同時に玄関番(ドアボーイ)女中(メイド)が玄関のほうから足早にやってきて、大殿様のお戻りです、と告げた。

 二人の衣服がわずかに乱れているのは見て見ぬふりをしてやる優しさが、この家の者どもにはあった。

 ややあってドカドカと足音荒くザボスが戻ってきた。傍目にも頭に血が上っているようで、傍らの家令に「まったくアンドレイときたら、あの堅物はどうにかならんのか」などと怒鳴っている。

 その姿を目にしたエミリアは素早く席から離れると、地を這うような姿勢でザボスに駆け寄った。手にはいつの間にか短剣が握られている。

 あまりの素早さにアンネリーゼが止める暇も、驚く暇すらもなかった。

 

 ほんの瞬きするほどの間に10mを駆け抜けたエミリアは天井近くまで飛び上がり、ザボスに斬りかかろうとする。アンネリーゼが理性を失ったときにも匹敵する、人外じみた動きだ。

 エミリアの短剣がザボスの喉元に突き立てられると思われたその刹那、ザボスは素早くエミリアの手首を捕まえた。その場でくるりとエミリアを抱きすくめると、妙な姿勢で可憐な唇を貪り犯す。

 これに憤ったのはアンネリーゼだけではない。今では姉妹と知れたリヴニィたち女中3人組もである。


「あー! ずっるーい!」

「今晩は僕達の番だよね!?」

「エミリア様は昨日もしてもらったぽい! 独り占めは駄目っぽいぃ!」

「先パ……なんだと?」


 ザボスは彼女たちの声を無視し、エミリアの唇から自らの唇を離すと、彼女の耳朶を噛みながら「儂は今気が立っておる。今この場で犯してやっても良いが、必要以上に恥をかかせることは好まぬ。見逃してやるゆえ、今日は耐えよ」と囁いた。

 それを耳にしたアンネリーゼは発狂したかのように夏祭りのときがどうのこうのと怒鳴っていたが、これは流石に傍らのアッシュとベルキナが抑えにかかっていた。

 エミリアはエミリアで、殺意と官能とがない混ぜになった潤んだ瞳でザボスを睨みつけ、軽く触れるだけの口付を交わしてから深く頭を下げて謝罪し、何事もなかったかのようにアンネリーゼの傍らへ戻っていった。途中、エリカやフルーゼと殺意めいたもののやり取りがあったようだが、周囲の者どもは全く落ち着いたふうであった。いや、ただひとりノーマンだけはいたたまれない顔をしている。

 ザボスは「着替えてくる。儂の分も残しておけよ」と言い残して私室へ向かった。リヴニィたちが後を追おうとしたが、よほど気が立っているのかザボスは彼女たちをしっしと手で追い払ってしまった。


「先輩、どういうことです? 斬りかかるのはまだしも、あいつと、あんな」


 席に戻ってきたエミリアに、アンネリーゼは小声で尋ねた。


「アンネリーゼ。人の主人に”あいつ”とは何事だ。失礼であろう。とりわけ皆に」


 エミリアはアンネリーゼを軽く睨みつけてから、マダム・エリカの方を見た。釣られてアンネリーゼもそちらを見やると、果たしてマダム・エリカより怒気を孕んだ視線が寄せられている。

 エルフの耳は恐ろしく良いことを思い出したアンネリーゼは青い顔をして飛び上がり、周囲に頭を下げて回ることになった。まぁ自業自得といえばそうかもしれない。

  

 大食堂に戻ってきたザボスは周囲にリヴニィたちを呼び寄せると、一人ずつ優しく頭をなでてやり、侍らせた。リヴニィたちもザボスによくなついた犬か猫のようにザボスにまとわりつく。

 ザボスはすべての料理をひとつまみずつ(それだけで恐ろしい量だが)食べ、ヴォトカを立て続けに4~5杯煽ると、それでようやく落ち着いたようだった。

 その姿勢でザボスが語るには、今晩赴いた旧友はアンドレイ・ヨシヒサ・シマヅという鬼族の元締めでありシャンテの父親だそうだ。

 あれこれと雑談をかわしたあと、夏の騒動とシャンテとトマスのことに触れ、冬至か春分にでも祝言を挙げさせてやってはどうかと提案するとアンドレイは烈火の如く怒りだし、追い出されてしまったとのことだ。

 ああまったく、ともう一杯ヴォトカを煽ったザボスに、テーブルの端からユルゲン翁が声をかけた。


「ザボス様」

「なんじゃい」

「随分丸くなられましたな」


 ザボスの反応はアンネリーゼにとっては大変な見ものだった。

 一瞬きょとんとしたザボスが少し顔を赤らめ、そっぽを向き、「うるさいわい」とぶすりとした声を出したのだ。

 

 その後、酒と料理とどうやら夜伽番であるらしいリヴニィたちの尽力でザボスは機嫌を直した。

 そのまま乱交座敷となりそうな雰囲気が漂い出し、ようやく自制心を利かせたザボスが寝室に戻ったところで宴会は何が何やらよくわからぬまま散会となった。

 アンネリーゼはエミリアに案内され、自分にあてがわれた部屋に下がった。アッシュは流石に渡り廊下でつながった旗本屋敷へ下がったが、アンネリーゼにはベルキナが付いている。

 大食堂を辞去する際、アカツィーヤに頼んで弱い米酒(サキ)と菓子をいくつか、チーズと腸詰も夜食として貰った。

 時はまだ宵の9つ。もう少しなら夜更かししてもよいだろう。




「ところで先輩。なんでさっきザボス公に斬りかかったんです?」


 魔法石ではない何かが明るく照らす部屋の中、サイドテーブルに酒と夜食を並べ、ベッドに腰かけ酒を舐め始めて30分ほど。

 どうでもいいような話が途切れたところで、アンネリーゼは先程の一件についてエミリアに尋ねた。


「ああ、あれか。この身にかけられた呪いを解くゲームだ」


 エミリアは薄く笑うとグラスを空けた。


「私は一度殺されて傀儡として蘇生させられた。それはまぁいい。問題は死ぬ自由さえ与えられていないことだな」


 エミリアが言うには、こういうことだ。

 彼女は傀儡として蘇生させられた。あろうことか、魔族に殺され、魔族によって蘇らされた彼女は、もはや魔族そのものだった。

 絶望した彼女は幾百回もザボスに殺してくれと懇願した。取り調べのために首都へ移送されるときからずぅっとだ。

 3日間の取り調べと2日間の勾留が終わったとき、魔王領が必要とした情報をすべて喋らされた彼女はその時点で用済みである。さらには聖法王国が内戦に突入した今、彼女がすがるべき正義、生きる目的というものは失われてしまった。

 そのときになってようやくザボスはエミリアに短剣を投げて寄越した。エミリアはそれで喉をつこうとしたが、できなかった。ではと手首を裂こうとしたがこれもできなかった。腹を刺すことは出来たが、致命傷になる刺し方、裂き方はできなかった。無論心臓を突くことも出来ない。

 挙句には腹に作った傷もあっという間に治ってしまった。これでは失血死することも出来はしない。

 ザボスはその一部始終をつまらなさそうに眺め、エミリアがうずくまって泣き崩れると口を開いた。

 曰く、その身にかけた我が傀儡の呪いにより、貴様は儂の許可なしに死ぬことは出来ないと。

 その呪いを解きたくば、週に一度我が身を襲い、傷の一つもつけて見せよと。


「まぁ失敗したら寝所に連れて行かれて朝まで手篭めにされるんだがな」


 こともなげに、どころではなく、むしろ嬉しげにそう締めくくったエミリアの横顔を、アンネリーゼは愕然とした思いで見つめた。

 そこにいるのは彼女の知っているエミリア、教会騎士団正5位序列75位、エラ修道会騎士団ナスティア支隊を率いた優しく厳しい先輩騎士、エミリア・フランソワ・ナスティアではないのだ。

 腐った肉をこねあげ、ヒトの形にし、ザボスへの殺意と肉欲を詰め込んだ、動く死体(ゾンビ)

 それが現在のエミリアだった。


「そうだ、アンネリーゼ。お前も大殿には恨むところがあるだろう」

「は? いえ、そんなことは――いやまぁなくもない、です、が、」


 ぎぎ、と首を回したエミリアがアンネリーゼににじり寄る。

 絶望と狂気に塗りつぶされたその瞳に、アンネリーゼは呑まれてしまった(・・・・・・・・)


「どうだ、私と一緒になら大殿に一太刀入れることも可能だろう? なぁ、私と一緒に――」


 エミリアはアンネリーゼに右手を伸ばし、その頬に触れた。

 その手は命を吸い取ろうとするかのように冷たい。

 アンネリーゼは身動きすることも、口を開くことも、瞬きすらも出来ないままエミリアの瞳に囚われ続けている。


「――堕ちよう」


 そうつぶやいたエミリアが唇をアンネリーゼに寄せようとする。

 その二人の眼前に、凜、という鈴音とともに豪壮な拵えの太刀の鞘が差し込まれ、アンネリーゼははっと我に変わった


「エミリア様。あなたは悪い酔い方をされたようだ。もう休まれては如何だろうか?」


 二人の間に太刀を差し込んだのは、これまでろくに口を開かなかったベルキナ・アイラ・ユーリアネンだった。

 エミリアは常人なら腰を抜かしてしまうような殺意を、向かいのベッドに腰掛けるベルキナに向けた。

 だが彼女は平然とそれを受け流す。そよ風ほどにも気にしてはいない。

 ぐっと(ほぞ)を噛んだエミリアは一呼吸おいたのち、にこりとしてアンネリーゼとベルキナに謝罪した。

 そのとおりだな。そのとおりだ。うん、申し訳ない。それじゃあ私は下がるとしよう。おやすみ。

 アンネリーゼはその無感情な言葉を告げるエミリアの作り笑いを、呆然として見送った。


「……大丈夫か?」

「え、ええ。ありがとう、ございます」

「まったく。公爵殿下にも困ったものだ。傀儡としたものの心的ケアぐらいちゃんとやれっていうんだ」


 そう言って太刀を側においたベルキナは、アンネリーゼのグラスに水を注いでやった。

 北の辺境にほど近いヴェスタ山の湧き水で、口当たりのまろやかな軟水だった。

 カメリモス大火山を水源に持つオーテク河の水運と地熱を活かして発展してきたピオニールでは高級品である。

 水を一口飲んで落ち着いたアンネリーゼは、改めてベルキナと向き合った。

 青みがかった黒髪を顎のラインでバッサリと斬り落とし、首筋より下はよく鍛えられている。

 がっしりとした体幹を持ちつつもはっきりと要所要所の丸みを帯びたその体は、しかし女性か男性か今ひとつ判別がつきかねる。背はアンネリーゼより頭一つ高い。

 いっそ眠たげな目つき、青い瞳に縦長の虹彩、少し下膨らみぎみのがっしりした顎、低く丸い、猫のような小鼻。エルフほど長くもない尖った耳、黒い肌。体格よりも幼い印象の顔つきだ。

 聖法王国人の美人の概念を一言で言うと『お人形』で、ベルキナはその基準からは明確に離れている。

 離れてはいるがしかし、そのほとばしるような健康美は、やはり紛れもなく美しいといえる。


「あの……ありがとうございました……」

「なぁに、礼には及ばんさ。私は君の保護観察官に任じられた。護衛であり監視役というところだな。これぐらいのことは当然さ。それに私は君に返しきれない借り、と言うより恩義がある」

「恩義?」


 あまりの変貌ぶりを見せたエミリアにショックを受けたままアンネリーゼのおどおどとした声に、快活に返答するベルキナ。

 アンネリーゼにはベルキナの言う『恩義』に覚えがなかった。

 首を傾げたアンネリーゼの様子が可愛らしく、ベルキナはくすくすと笑った。


「夏のあの晩、レンサル峠の麓、敵工作員の追撃中、といえば思い出してもらえるかな?」

「んぅ? ええ?! あのときの隊長さん?!」


 頓狂な声を出してアンネリーゼを見て、ベルキナはやっと気づいてくれたと腹を抱える。

 笑われたアンネリーゼはぷぅと頬をふくらませた。


「だって、あのときはあなたがこんな美人さんだなんて思わなかったし」

「お互い必死だったしね。ともあれ、君のお陰で私はこうやって生き延び、なんとか手足もくっついたわけだ。いくら感謝してもしきれないよ。本当だ」

「うん。本当に良かった。でもその杖は? やっぱり、その」

「そりゃあね、前ほどは動けなくなってしまったから特殊警護隊からは引退することにはなったよ」

「ごめんなさい」

「何を謝ることがある。あれは戦争だった。死傷者はつきものだ。けれど、君は奴を仕留めてくれた。君のお陰で我が隊は、少なくともその魂は救われた。私はそう信じているよ、アンネリーゼ・エラ教会騎士殿」


 身を乗り出し、両手で握手を求めてきたベルキナの瞳を見つめながら、本当にそうならどんなにいいだろう、とアンネリーゼは思った。


「それはそうとて、ほんとザボスのオッサンどうにかなんないのかしらね?」

「いやぁ、あの御仁は本当に色々と欠落してらっしゃるからなぁ。曾祖父に聞いた、大昔のオークやゴブリンと大差ないよ、あの方の倫理観は。ヒトやエルフと同じ程度以上に法や秩序の概念を理解しているのが不思議なぐらいだよ」

「2000年ぐらい意識を保ってるなら、もうちょっと穏やかになりそうなものだけど」

「そうはならないから悪魔なんじゃないかな? まぁ、私達もあまり公爵殿下のことは悪しざまに言えないとは思うよ。だってほら、そこまで完璧な理性を持てる種族なんていないわけだし」 

 

 ベルキナが示してくれる友愛と感謝の念が眩しくて、話を逸らすために持ち出したザボスのことだったが、ベルキナによるザボスへの人物評はアンネリーゼのそれと同じくするものだった。


「公爵殿下はああ見えてかなりの寂しがり屋だと思うんだ。沢山の人を周りに置きたがるのはそのせいさ。だから仕方ないとは言わないけどね。ユルゲン様のおっしゃった『随分丸くなった』には、『もうすこしがんばりましょう』っていう意味もちょっとは入ってると思うよ」

「ふぅん」


 感心したような顔をしてアンネリーゼは腕を組んだ。


「まぁ良くはないけど、納得、というかそういう人物だっていうのはわかったと思う」

「なら良かった。君の義姉殿も、もう少し落ち着けばきっと持ち直してくれるよ」


 アンネリーゼはベルキナの言葉を聞いて、屈託のない笑顔を見せた。

 

「ありがとう。それじゃあこれからよろしくね、ベルキナさん」

「うん、こちらこそ。呼び捨てでかまわないよ、アンネリーゼ」

「じゃああたしのことはアンネって呼んで、ベルキナ」

「ああ、わかった」


 ベルキナはアンネリーゼと改めて握手しながら、その手のぬくもりに心惹かれるものを感じた。

 彼女はこれからアンネリーゼの身辺を警護しつつ、アンネリーゼにまた群がろうとする敵の情報網を探り出さなければならない。

 それがザボスから彼女に与えられた任務だった。

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