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女騎士はジョブチェンジしますた

 上質な木材で内張りされたその部屋は、魔王領首都ピオニールにある最高裁判所、その第6法廷である。

 通常この法廷は、国事犯の裁判でしか使用されない。当然使用頻度はそれほど多くもない。

 壇上に並んだ幾つかの机のうち、中央の机の上で黒衣に身を包んだ耳の長い裁判官が木槌を鳴らした。

 もとから結審内容は決まっていたのだろう。

 検察、弁護側ともにやれやれとばかりに背を伸ばすものが続出し、場は和やかな雰囲気に包まれた。

 国家転覆共謀、スパイ、国際法違反などなどの容疑をかけられていたアンネリーゼ・エラ元聖法王国教会騎士は周囲に頭を下げ、警護官に手枷を外されてから、付添とともにその場を立ち去った。




「さて、お主は晴れて自由の身になったわけだが、誰の意向かは当然わかっておろうな」

「はっ、ザボス公爵殿下」

 

 二時間後。

 場所は変わって、ここはザボスがピオニールに構える上屋敷、その書斎である。

 最上級の漆喰と黒壇と漆によって作られたモノクロな色彩のその部屋は、その実、持ち主の財力と地位にふさわしいものである。

 書斎というところは基本的にプライベートな空間だ。

 そこに呼ばれるということは、これからアンネリーゼに言い渡されることが内密な話であるということにほかならない。

 机の傍らには一人のメイドが立っている。

 背後の窓から入り込んでくる光を背負い、ザボスは言った。


「先月の騒動の直後、お主も知っておるとおり、聖方王国内で内乱が起こった。発生した難民の流入もすでに始まっておるし、陛下はこの期に、彼の国の一部なりとも国交を回復したいと願っておられる。お主には陛下のご意思の先駆けとなってもらいたいが、どうだ?」

「その問いに答える前に、一つお伺いしても?」

「さし許す」

「恐れ多くも今上魔王陛下におかれては、停戦合意を破棄されるおつもりなのでしょうか?」


 直立したまま無表情にザボスを見据えるアンネリーゼ。

 その声に混じる僅かな不信の色に、ザボスは微笑んだ。


「ある意味においてはまさにそのとおりよ。率直に言おう、アンネリーゼ。我らは聖法王国との間に、新たな市場となる緩衝国を求めておる」


 聖魔大戦後、完全鎖国体制に入り国内の再統一事業を開始した聖法王国に対し、魔王領のとった方策は真逆のものだった。

 停戦合意に前後して発生した内乱を単期日で鎮圧した第10代魔王コーは、戦後復興の財源を領土ではなく市場に求めた。すなわち、海外貿易をそれまでより活発に展開させ始めたのである。

 もとより鬼族や半魔、龍族や龍人たちは水棲魔族たちと同盟あるいは業務委託契約を結び、東洋や南洋の諸国と交易を行っていたが、それを魔王の名のもとに国家事業として統制しはじめた。

 主な輸出品目は金属製品や毛糸などの線維製品。輸入品目は一部の金属原料や絹糸、それにコメであった。このころ魔王領ではコメの消費が一段と進み、国内生産分では早くも需要を満たすことが不可能となっていたのだ。

 東洋に浮かぶ鬼族たちの故地である皇国とは直接的な物品のみならず、互いに技術者を派遣しあい殖産興業の糧としている。

 当時の皇国は西南洋貿易の利権を魔王領と争ってこそいたが、北氷洋に浮かぶ帝国との直接対決が目前に迫り国力の倍増が急務であったから、魔王領からの技術移転は全く望ましいものであった。

 このため、断1762年から40年間に渡り魔王領と皇国は同盟を結ぶこととなる。


 同盟云々はさておき、魔王領は聖法王国と広大な砂漠が広がる西域を除く周辺諸国との貿易について実に熱心であった。

 と同時に、皇国に施したほどではないにしろ、技術移転も活発に進めている。

 当然といえば当然である。

 魔王領の製品は周辺諸国から見ると恐ろしく高額な製品ばかりであり、諸族が自儘に交易を行っていた聖魔大戦末期ですでに貿易不均衡問題が発生、一部原材料の輸入に支障が発生していたほどだった。

 つまり技術移転により周辺諸国の科学技術と国内総生産を上昇させ、固くなろうとする(というよりあまりに軽くなりすぎた)相手の財布の紐を緩めさせる(あるいは財布を重くさせてやる)ことを狙ったのだ。

 魔王領には、このとき南洋の島嶼諸国を植民地化するという選択肢があったが、彼らはその誘惑に屈しなかった。聖魔大戦の最中、聖法王国内部に得た占領地域の維持にどれほどのカネがかかったかを覚えている諸侯が多かったことが幸いしたのだ。

 しかしそもそもそれを統率したのは、第10代魔王コーである。

 後の時代の歴史家の中には、魔王領が近代国家――中央集権化された資本主義国家として真の統一を果たしたのは、内乱を鎮圧した彼が魔王領所得倍増10カ年計画を発表した断1760年4月9日を持ってしてのことである、と断ずる者たちさえいる。

 魔王領はその時点を持って、内陸性の地域覇権国家ではなく海洋貿易国家として歴史へ歩みだしたからだった。


 そういった歴史に鑑みれば、ザボスの語るところは表も裏もなく全くの事実。

 聖法王国北部に根を張るエラ修道会の自治が及ぶ範囲を独立させ、新たな市場として開拓する。

 聖法王国はさらに鎖国を継続するだろうが、エラ修道会を通じて聖法王国へ自国の製品を輸出することは不可能ではない。少なくとも魔族ではなく同じヒトを相手にする以上、聖法王国側の締め付けはゆるくなるはずだ。

 その狙いは聖法王国の近代化による国内総生産の向上。もちろん、魔王領の製品を将来売りつけやすくするためだ。


「そのためのエラ修道会への援助ですか」

「然り」


 その妙に合理的で自国の都合によりすぎた考え方に、アンネリーゼは無性に腹が立ってきた。


「陛下のご意思の先駆けにならないかとのお誘い、誠に魅力的ですが、お断りいたします」


 ザボスの提案はつまり、聖方王国で内戦を戦うエラ修道会と接触し、魔王領の外交官として働けということだ。

 その提案をアンネリーゼはきっぱりと断った。

 ザボスは面白いものを見たかのように片眉を上げ、頬杖をつく。


「説明を」

「私は彼の国ではやりすぎました。どのような形であれ私が陛下のご意思で動くとあらば、おそらく囮としての役割を果たすことすらできず、私は路傍で虫の餌となるでしょう」

「囮とは?」

「殿下もよくご存じの通り、私は軍事(いくさごと)にしか頭が働きません。法律書と剣をちらつかせての査察であればまだしも、外交交渉の場となると、いくらご指示を頂いていたとしてもご期待に添えかねることになるかと。別の言い方をすれば、引っ掻き回すのは得意であっても、それ以外はいささか不得手ということです。そのような者の使いみちは限られています。違いますか?」


 つまり、軍事的恫喝あるいは軍事行動そのものであれば役にも立てるが、そうでない場合は役には立てないとアンネリーゼは言っている。

 別の視点でいえば戦術的局面では成果を出せるが、今回のような戦略・作戦的な局面では足を引っ張る要因でしかないと主張しているのだ。

 それにアンネリーゼは聖法王国から魔王領へと寝返ってから日も浅い。

 魔族の考え方や法律にはまだまだ疎く、いくら詰め込み学習したところで、外交官として働くのは最初から無理な相談だった。


「混乱を誘い、混乱に乗じて成果を挙げることしかできぬ、か。確かに先だってのお主の動きそのものであるな」

「はい。私には常に作戦指導を行う有能な上官が必要です。殿下や、エミリア先輩のような」

「で、あるか。お主の言ったとおりのことを言うな、なぁエミリア」

「はい……ご主人様」


 アンネリーゼとザボスがチラリとメイドを見やると、メイドはうつむき加減に応えた。

 彼女、首に幅広の革のチョーカーを嵌めメイド服を着たエミリアは、実はこの時すでに一度死んでいた。


 魔族の軍隊の戦闘力を間近で観察したエミリアは、奇しくも怪異となって倒れたマルセル某と同じ結論――危うすぎる隣人としての魔王領――にたどり着いた。

 ボグロゥのバイクに蹴飛ばされ、意識を失い怪異の肉体から引き剥がされ、運ばれてゆくマルセル某を見下ろしながら行われた魔王コーによる閲兵の場。

 そこでエミリアはコーに斬りかかり、その場でザボスに首を刎ねられ、彼の傀儡として蘇生させられた。

 ザボスの傀儡になったエミリアは、魔王領内の聖法王国勢力の組織についてかなりの、彼女自身が自覚して分類できたもの以外のことも語ることになった。 

 翻ってみて現在のエミリアは死体であってモノであり、完全な、独立した意志をもって活動する生体ではない。彼女はザボスの所有物であり、私有財産であるから、いかなる権力も裁判所の令状なしに彼女を取り上げることは出来ない。

 法の解釈上はかなり危うい。他のアンデッドとは違い、彼女の心臓は動いており、彼女が彼女自身ではない部分は、わずか10にも満たない行動制限だけだった。

 だがザボスは未だに保持している権力を用いて、彼女の身分をそのようにした。


「まぁよい。アンネリーゼ、お主がそのように申すことは承知しておった」

「はい」

「とはいえ何もせずにブラブラさせるわけにもいかん。一応聞いておくが、お主、何かやりたいことはあるか」


 真面目な顔つきのザボスの問い。

 エミリアはほんの僅かに優しく微笑み、うなづいた。

 その視線を受け止めたアンネリーゼは、背筋を正し踵を打ち付けると厳かな声でザボスに応えた。

 

「ならば公爵殿下、私は」





 断1918年12月18日。

 冬至を待つレンサル峠の麓の「村と言うには大きすぎる村」には槌音が鳴り響いていた。

 夏の騒動の復興のみではない。行政区分の変更により州都として拡張されることになったのだ。

 積雪はすでにふくらはぎまでになっているが、湿度が低いことが幸いし、べたつかないのが幸いだ。

 

 「元」村の外れ、『遺跡』のほど近くの荒れ地に難民キャンプは作られている。

 エラ修道士会とそれに連合する組織の力では戦線を固定させることは難しく、彼ら難民は交戦地域から脱出してきたものたちばかりだった。

 さすがに冬の峠越えは厳しく、秋口からこちら流入し続けていた難民の列は流石に途切れがちになり、立冬のころこそ1日に200から300人越境してきていた難民は今や4日に50名、それも隊列を組んで来るようになっていた。

 それでもこのキャンプだけですでに1万人近い人口を収容している。

 治安維持に周辺地域の衛生環境対策、そして何より雇用拡大とやるべきことは山積みであった。


「だからというて、今更俺を引っ張り出さんでも」


 とひとりごちたのは先代魔王ギュンター・グリュン・ドラコである。彼の前には厚さにして30センチほども書類が積まれており、彼の爬虫類顔には疲労が色濃く刻まれていた。

 村長、あらため名誉市長となった彼だったが、現職の市長やかつての村役場の人員がそっくり移った市役所の能力では膨大な事務を処理できず、名ばかりの肩書を持つ彼の手元にも毎日うんざりするほどの書類が届けられている。

 元来書類仕事は人並みにしか出来ないギュンターは、頭に固く絞った濡れタオルを巻き、防寒のために分厚い綿入りの上着を引っ掛けていた。


「いいじゃないですか、あなた。普段からたくさん年金を頂いているのですから、たまには民の役に立たないと」


 憔悴した声を出すギュンターにぴったり寄り添い、それでいながら彼の数倍もの数の書類をこなしているのは妻のメルである。

 四肢を隠す地味な服装で、長い髪を三つ編みにまとめ、おまけに度の弱い眼鏡をかけて指先をインクで汚した彼女はどこからどう見ても役場の事務のお姉さんである。

「左様でございます、御屋形様。未だに御屋形様の御名前を出さねば動かぬ役人も多く御座りますればなおのこと」

「公爵殿下に頼んでそ~いう奴輩(やつばら)斬って回るわけにも行きませんしね~」


 主人に遠回しに「いいから仕事しろ」と発破をかけるのは、シャンテとモニカの二人のメイド。

 シャンテはもともとドラコ家の御台所を司っていたから事務仕事はお手の物、メルに匹敵する量を捌いている。過去に駐屯地司令に泣きつかれ、主計科の手伝いをしたことさえあった。

 モニカはそこまで事務処理能力は高くないものの、魔法使いらしく論文査読にかけてはかなりの能力を持っていたから、皆に回す前の書類を査読してはより分けている。

 4人は居間に役場から借りてきた長机を並べ、そこで事務仕事をしているのだ。


 午後も過ぎ、さすがに4人の能力が落ちてきたところで、家の前にエンジンの付いた乗り物が止まる音がした。

 やってきたのはボグロゥである。


「うっす。ボイラーの様子見に来たぜ」

「ご苦労様、ボグロゥちゃん。それじゃあみんな、休憩にしましょっか」


 メルがぽんと手を打ちそう宣言すると、ギュンターとモニカはやれやれと背を伸ばし、シャンテはさっと台所へ茶を煎れに向かった。

 邪魔するぜ、と工具箱を吊るして廊下を進みかけたボグロゥは、メルの姿を目にすると「派手な格好よりそっちの方がかわいいぜ」と言い、ギュンターに同意を求める。

 顔を赤くしたギュンターは言葉を返すことなく、これまた赤くなったメルを抱き上げると腕の中にしまいこんでしまった。途端に部屋の中の温度が2~3度上がったような気になり、ボグロゥは苦笑した。

 二人の温度に当てられたモニカは椅子の背もたれに背を預けて伸びをしつつ、その見事な2つの頂きを見せびらかしながら無言でボグロゥに流し目をくれる。

 はいはいお前も十分魅力的だよ、と、どこか恥ずかしそうにボグロゥが言うと、モニカも嬉しそうに微笑んだのだった。


 ドラコ家のボイラーは特に異常もなく、正常に動いていた。


「ただ、燃料配管のパッキンでちょっと怪しいのがあったから、新品に交換しといた。他になんかあったらすぐに言ってくれ」

「承知しました」

「でもボグロゥちゃんも毎年大変ねぇ。全部のおうち見て回ってるんでしょう?」

「そうでもないよ。市街拡張のお陰で、今年から何人か腕のいいボイラー技士が来てるから」

「商売敵でもある、か」

「商売敵でもあり仲間でもあるよな。第一、こんなに家が増えたんじゃオレ一人じゃとてもとても」


 ひと仕事終えたボグロゥは、茶菓子をつまみながら世間話に応じていた。

 細かく挽いた小麦粉と大麦粉に砂糖と塩、牛乳とバターを加えてざっくりと練り上げオーブンで焼き上げたクッキーは、シャンテの自信作である。

 南洋産の発酵茶はモニカにザボスから送られたもの、茶に入れるりんごのジャムは果樹園が有名なシャルコの産だった。


「それで今日は何で来たんだい? 歩いて回るにはちょっと寒いし、バイクはもう乗れないだろう?」


 愛でているのか、それとも単に湯たんぽ代わりなのか、先程から膝の上にメルを抱いて離さないギュンターが疑問を口にする。

 メルはさくさくさくさく、と、栗鼠が大きな木の実を食べるように焼き菓子を夢中になって食べていた。


「9月にさ、難民キャンプを拡張する前に『遺跡』を総ざらいしたよな?」

「ああ。あれは凄かったなぁ。まだあんなに埋まってるとは思ってなかった」

 

 夏の騒動の後すぐに難民の流入が始まり、それとともにエラ修道士会の非公式使節もこの地を訪れた。

 彼らが言うには少なくとも20万名程度の国外難民が発生する恐れがあり、ついては全面的な協力をお願いしたいとのことであった。

 それを聞いたギュンターはとりもなおさず村の西方の荒れ地に難民キャンプを設営することにしたのだが、『遺跡』からでる毒素が問題になった。

 それについてコーとボグロゥに相談すると、彼らは実にあっけらかんと「全部掘り返して残土を埋め立てれば特に問題ないよ」と応えた。むしろまだ『遺物』が残っていることのほうが問題なのだという。

 いざそうしてみると出るわ出るわ、様々な形状の4輪車やバイク、その他の機械が軍用2トントラックでおおよそ200台分ほども出土したのだ。これは大きな見当違いだったと、ボグロゥは大いに苦笑した。

 さすがにそれほどの数となるとボグロゥや臨時雇いの発掘師たちでは処理しきれず、市の管轄で公売に掛けると高額で落札されるものが相次ぎ、市の予算は随分楽になったのだった。

 それでもまだまだ掘り出した『遺物』には売れ残りが存在するため、それを目当てにやってくる古物商もまた多く、日銭目当てに『遺物』の洗浄・整備を請け負う業者も少なくない。

 この街の好景気を支えているものはそれだったのだ。


「あの時に出たスノーモビルってやつ。エンジン整備は簡単なんだけど、足回りがわけわかんなくてね。コーさんあんまり興味なさそうだったんだけど、軍のお偉がたや通産省やら国土開発庁の人らが気に入ってさ。全面的に協力してやるからこの冬いっぱい試験しろとさ。で、なんとか動かせるようになったから、試験ついでにね」

「ふぅん」

「むちゃくちゃ寒いけど乗るのは簡単だから、親父さんも後で乗ってみたらいいよ。メル様抱いてりゃ寒くないだろうし」 


 それを聞くとギュンターはにっこりと笑い、メルの角に頬ずりしながら「考えてみよう」と言った。

 かれが機械動力の乗り物に興味を示すのは大変に珍しいことだった。


「ねね、ボグロゥちゃんボグロゥちゃん、ところで聞いたぁ?」

「なにが」


 机の上に載せた巨大な2つのマシュマロをずいと押し寄せながら、上目遣いで問うのはモニカである。

 ボグロゥはそれを堂々と見つめてからモニカに目を合わせ、それを横目で眺めていたメルは感心したような目つきになった。


「公爵殿下に聞いたんだけどぉ、次の輸送車両隊(コンボイ)で新しいお役人さん来るんだってぇ」

「へぇ、何の」

「難民保護担当官。私達のよく知ってる子よぉ」

「ふぅん? トマスかね?」


 もったいぶって言うモニカにクッキーを頬張りながらとぼけた声音で返すボグロゥ。

 これにはモニカもやや呆れた顔つきになる。


「いや、トマスくんも帰ってくるけどぉ」

「トマス帰ってくるのか!? 聞いてないぞ?!」

「話進まないわねぇ~」


 シャンテが頓狂な声を出し、メルがボソリと呟いた。

 トマスは夏の騒動の活躍を知った軍諜報部から情報学校への入学を辞令として渡され、過酷な訓練と勉学に明け暮れていたらしい。

 その間ろくに連絡が取れなかったシャンテは彼が返ってくると聞いて小躍りせんばかりに驚いた。いや、うふふあははと笑いながら実際くるくると回ってしまってもいる。

 と、そうこうする内に面の方から大きな車両が停車する音が聞こえてきた。


「噂をすればねぇ~。んもう、ほら、行った行った」

「え? え? お、おう。ごっそさん、そいじゃまた」


 はぁ、と一つため息を付いて立ち上がったモニカに追い立てられ、ボグロゥはいそいそと席を立った。

 わけがわからない表情をしているがそれも仕方がない。


「モニカも苦労するなぁ」

「大きなお世話ですぅ」


 ぽんと肩を叩いて茶化したシャンテにモニカはべぇと舌を出し、シャンテにも出迎えにいけと尻を叩く。

 その様子を見てギュンターは「また騒がしくなりそうだ」とつぶやき、メルは彼の髭を引っ張って頭を下げさせ、顎先にキスをしてから「そういうの、嫌いじゃないでしょ」と囁いた。




 アンネリーゼはトラックの運転席(キャビン)から雪面に飛び降りる前、あの夏の夜明けのことを思い出していた。


 足元には血溜まりが広がっている。

 その中に首を刎ねられたエミリアの死体が転がっている。

 絶句したアンネリーゼが見守る中、懐中時計を取り出したザボスが宣告する。


「心停止確認、瞳孔散大より3分経過。死亡を確認。以後、この死体は儂が預かる」


 そう言ってからザボスはモニカを呼び寄せ、エミリアの蘇生術に取り掛かった。

 呆然としたまま、アンネリーゼはよろめいてうろたえた声を出した。


「これは、一体、どういう」

「相変わらず彼は強引だ」


 柔らかくアンネリーゼを抱きとめたのは今上魔王陛下コー。

 彼はアンネリーゼの耳元で優しく、しかしぞっとするような声音で囁いた。


「彼女は間違いなく蘇生します。記憶も身体も障害は残りません。ただし彼女はほんの僅かに今までと違う彼女として再生(リスタート)するのです」


 アンネリーゼは怖気を覚えて振り返った。反射的に手を腰に伸ばす。

 直ちに特殊警護隊が銃を構えてコーの前に壁を作った。

 アンネリーゼはあるべきものをつかめなかった右手を見つめ、それからコーをもう一度見た。

 

「誠に悲しむべきことですが、この地は天国でもなければ理想郷でもないのです」


 だからこういったことも必要なのだと言外に語るコー。

 その姿からは権力者としての何かが溢れていた。

 ただその目は深い悲しみに彩られている。

 ガクリと膝をついたアンネリーゼの肩に手をかけたのは、彼女が騎士と信じたオークの男。

 その手に手を合わせ、眼下の市街を焦点の合わない目で眺めた。

 

「ねぇ、ボグロゥさん。いまさら聞くのも何だけど」

「うん」

「この村の名前は、なんていうんだっけ」



 そして運転席のドアを開けた彼女の眼前に、あのオークが居た。

 彼女の命を三度も助けたオークの騎士が。

 おかしいな、どうして視界がゆがむのだろうとアンネリーゼは思う。


「……ねぇ、ボグロゥさん。この村の名前は何ていうんだっけ」

「レスタだよ。再出発っていう意味だよ」


 運転席から降りようとして足を踏み外し、オークの太い腕に抱きとめられながらアンネリーゼは思った。

 聖法王国教会騎士としての戦争は終わった。これからはまた違う戦いが始まるのだ、と。

これにて序章終了です。

次回からは番外やらバイクオタクののんびりした話を挟んで、しばらくしてからまたシリアル展開にしたいなぁとかなんとか。

今後とも宜しくお願い致します―


あと眼鏡三つ編み地味爆乳のメル様が正直めっちゃシコかったので、最初彼女はどこからどう見ても役場の事務のお姉さんである。正直めっちゃシコい。って書いてて我ながら失笑。

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