バイクに乗ったオークと女騎士がみんなを救いに来るなんて
村の西端付近で大きな爆発が立て続けに起こった。
同時にそちらの方から感じていた波のようなものが消える。
『くそ、魔王軍め。だが』
マルセルは集中し、村の中に残っている怪異と化した仲間たちに波を送った。
もっともっと暴れまわれ、と。
彼らはそのようにしたようだった。
彼女自身は村の南西にある丘の上に注目した。
ヒトの、魔族たちが多数集まっているのが闇夜を通してはっきり見えた。
そちらならば魔王が本営に使っていた、前魔王ギュンターの居宅にも近い。
『あちらをやればひとたまりもあるまい』
マルセルは魔王コーが自ら出陣したことを知らない。
だが知っていたところで行動を変えたかと言えば否である。
魔族には多くの元聖法王国人の血を引くものたちが含まれており、棄教者であるそれらを殺すことは信徒の責務であるからだ。
マルセルが坂を駆け下る速度をいっそう速めたその時、前方から十ほどの光が見えた。
ほぼ同時にパンパンという発砲音。鞭が唸るような音を立てて銃弾がいくつも至近距離を飛び抜け、そのうちのいくらかはマルセルの身体に血しぶきを立てて食い込んだ。
『なに?!』
銃は効かないはずではないかと彼女は目を見開くような思いをしたが、身体に当たったものは数発だ。傷もそれほど深くはなく、すぐに修復される。
走りながら光が放たれた方へ向かって何度か水撃を行うと、慌てて魔族の兵どもが逃げるが見えた。
2~3人に怪我を負わせただけだが、深追いはしない。目標はあくまでも丘の上の魔族ども、それを蹂躙すれば出てくるであろう魔王たちだ。
魔族の兵どもの傍らを駆け抜けると、彼らはまた隊列を組んでこちらを撃とうとする。水撃を軽く一掃射して追い払った。
彼女の感覚では、丘はもうすぐそこだった。
「みんな! 丘の北側面へ! 急げ!」
アンネリーゼの援護に差し向けた1個分隊から怪異が丘に向かったとの報告を受け、トマスは避難民の誘導と防御陣地の形成に追われた。
幸い実戦経験豊富な予備役や退役兵が多いため、下手な現役兵による部隊よりもよほど動きはいい。すでに個人用の掩体壕――タコ壺も掘られている。
しかし数千人にまで膨れ上がった避難民を100名に満たない兵で誘導し、守りきるのは荷が勝ちすぎると言えた。
仕方なく避難民の中から志願してきた者たちを使って避難誘導を行うが、彼らは非武装だ。最後の盾にはなりえない。
つまりここが僕の死に場所ですか、とトマスは思った。
民を死んでも守る。それが魔王軍。冗談じゃない。せっかく長年あこがれたシャンテに婚約を申込んだのだ、こんなところで死んでたまるか!
トマスは無線機の受話器に向かって怒鳴った
「本当に増援は受けられんのですか!?」
『魔法使いは向かわせた! だが火器が足りんのだ! おまけに急に村の中の怪異どもが動き回り始めた! 航空支援を要請し、それでなんとか持ちこたえろ! 竜騎兵が居るはずだ! 近衛飛行隊の空中管制に連絡を取れ、無線チャネル25番、コールサインはサプサンだ! 護衛司令部、以上』
「くそったれ!」
トマスはライフルの安全装置を外しながら、無線機を担いだ兵にサプサンとの回線を開かせる。
竜騎兵は制空戦闘が中心任務だ。夜間、移動目標への攻撃となれば鷲獅子騎兵のほうが望ましいが、鷲獅子騎兵は村の方で必要とされているはずだ。つまるところ援護はないと思わなければならない。
怪異が駆ける音は今やはっきり耳に届いている。
無線に出たサプサンはトマスの疑念をきっぱりと否定した。
トマスは内心の不安を押し殺し、竜騎兵の空爆を当てにすることを決心するしかなくなった。
森が途切れ、マルセルの眼前に丘へと続く草原が広がった。
今や彼女の思考は魔族を皆殺しにすることでいっぱいであった。
それだけしか考えられないのだ。
前方上方に6つの光弾が発生し、ゆっくり降下していく。
その光に照らされてマルセルの黄金色の身体がきらめいた。
「魔法分隊! 照明弾! 打ち方はじめ! 撃て!」
トマスの命令に応じ、魔法使いたちが光弾を打ち上げる。
2.5kmほど先に黄金色のきらめきが見えた。
思ったよりも動きが早い。
それを見た瞬間、トマスはそれまで抱いていた慎重な防御方針を捨てる覚悟をした。
「軍曹、まずいね」
「はい、中尉どの。手強い相手です」
傍らの予備役軍曹――石工のドワーフ、クレハラ通り3丁目のギムレイさんに確認を取る。
彼も同意見のようだ。
トマスは決心する。兎にも角にもまず火力。出し惜しみは無しだ。
「まず空軍の近接航空支援で阻止攻撃をかける! それで止まらなければ引きつけて撃つ! 距離300だ! 軽機とライフル、魔法で集中射撃! なんでもいいからぶつけてとめろ! 足が止まったら小銃擲弾集中射撃! 50m以内には近づけるな! 敵は強力な水撃魔法を使うぞ!」
塹壕の中に立つ予備役兵たちが、銃床を肩に押し付け直す。
怪異までの距離が2kmにまで迫り、通信兵が受話器を差し出した。
奪い取るようにして受け取り、受話器の向こうの相手と交信を開始する。
『こちらポレヴォイ・リード、カローラリス中佐だ。近接航空支援が必要と聞いた。急行中』
「リード、こちらは村の南西の丘、避難民保護部隊、トマス・エリクソン中尉。南東から走ってくる怪異が見えますか」
『よく見えてる。トマス、君は前線航空統制の経験はあるか』
「はい。いいえ、ありません」
『わかった。なら好きなようにやらせてもらう。頭を低くしてろ。編隊ごとに侵入、まずは爆撃。それからブレス攻撃だ。心配するな。俺も元鷲獅子騎兵だよ。全騎続け!』
夜空からケン、ケン、ケンと鳴き声が響き渡る。龍騎兵が突撃するときの鳴き声だ。
直後、照明弾に照らし出された赤黒いシルエットが恐ろしい速度で落下し、いくつもの何かを落とすのが見えた。
怪異は空中に向かって水撃を放ち、その何かをいくつか切り落としたようだったが、爆炎と土煙に包まれる。
丘の陣地前縁から着弾点までの距離は1.5km。これ以上近づかれると危険な距離だ。
また火吹尾長飛竜モドキの鳴き声が響き渡る。風切り音。そして爆発。
照明弾として打ち上げていた光弾魔法が光を失い、霧散する。
『トマス君、ポレヴォイ・リードだ。爆撃効果判定を頼む』
「諒解しました。魔法分隊! 照明弾!」
再び光球が打ち上げられる。
予備役兵たちが、避難民たちが息をのむ。
照明弾に照らし出されたのは、深手を負いながらもいまだ立ち続ける怪異の姿だったからだ。
それは2、3度頭を振ると再び前進を開始した。
「爆撃効果不十分! 爆撃効果不十分! 敵はまだ倒れていない!」
『ポレヴォイ・リード諒解。君たちの背後から接近し、ブレス攻撃を行う!』
すぐに風切り音がトマスの背後から迫り、2騎ずつペアを組んだ赤黒いシルエットが4編隊、次々に飛びゆき1kmまで近づいた怪異に炎を浴びせかける。
怪異は蛇行して攻撃を避けようとしたが、さすがは魔王領最強の竜騎兵部隊。的確に炎を浴びせてゆく。だが、それでもなお。
炎に包まれた怪異は、焼け焦げ、全身から血を流しながらも、まだ止まろうとしない。
4編隊めの攻撃が終わったとき、怪異との距離は600mまで詰まっていた。
『くそ、すまない、トマス君! 抜かれた! これ以上の支援は危険だ! 君たちにまで被害が及ぶ!』
「ちくしょう、ポレヴォイ・リード、これまでの協力に感謝します! 全隊! 構え! 目標、前方の怪異! 照準!」
『サプサン、サプサン、こちらポレヴォイ・リード。 増援をたのあっ!? 何をするルサールカ・リード!』
受話器の向こうからポレヴォイ・リードの焦った声が聞こえた直後、逆落としに赤黒いシルエットが怪異に向かって落ちてきた。
そのまま激突するかと思いきや、寸前で身をよじって引き起こす。反動で長い尾が振り回され、怪異を殴り倒した。
その竜騎兵はそのまま地上に降り立ち、乗騎の尻尾で2度3度と怪異を打ちのめす。
兵と避難民たちから歓声が上がった。
しかしその声もむなしく、炎に包まれたままの怪異は降りおろされた火吹尾長飛竜モドキの尾を刃物のような腕で切り落とした。ついで腕の先端の筒状器官から水撃を放ち、悲鳴を上げる火吹尾長飛竜モドキを切り刻む。
『お嬢ちゃん!』
『私は無事です! いいから撃って!』
「全隊! 撃て!」
受話器から竜騎兵たちの声が聞こえた瞬間、トマスは命令を下した。距離約350m。少し遠いが構うものか。
ルサールカ・リードのことは心配していない。切り刻まれたあのかわいそうな乗騎の胴体に隠れれば、小銃段程度なら防げるからだ。むしろ敵の意識がこちらに向くことで竜騎兵だけは助けられるのではないかとすら思っている。
雑多な服装をした予備役兵たちが射撃を開始すると、そのとおりになった。
怪異はこちらに向かって猛然と走り出したのだ。
瞬く間に距離が詰まる。300。250。200。
と、怪異との距離が150mまで近づいたとき、怪異の前の地面が突如大きく爆発し、巻き上げられた土砂と爆発でできたクレーターによって怪異は派手に転んだ。
直接魔法の炸裂をぶつけても聞かないと見た魔法分隊の者たちが、土砂に含まれる石を砲弾の破片に見立てて魔法を地中で炸裂させたのだ。
転倒した怪異は大きく滑って停止する。距離130m。
「中尉どの!」
「小銃擲弾! ありったけ撃て! 投擲技能保持者は手榴弾も使え!」
軍曹の声とともにトマスは命じた。突然の膀胱の痛みに気づくが、無視している。彼が命の危険を感じるのは、20数年の人生の中でこれがようやく2回めだった。
幾人かの兵がライフルの先に大きな筒状のものをかぶせ、ライフルの銃床を地面につけて斜め上方に向かって撃った。獣人やオークは肩付けしたまま撃つものもいる。筒のようなものが大きく弧を描いて転倒した怪異へ向かっていく。
さらに何人かの獣人やトロルなど体格の良いものたちがタコ壺から飛び上がり、軽く助走をつけて丸い手榴弾を投擲した。手榴弾はヒト族にはできない速度で怪異へ向かって飛んでゆく。
竜騎兵隊の起こした物と比べると小さいが、それでも強烈な光と轟音を発する爆発が、つい目と鼻の先のような距離で立て続けに起こる。
だがそれもすぐに納まってしまう。
配布されていた弾薬があまりにも少ないのだ。
しばらくはライフルを撃つパンパンという音や、何丁かが据えられた機関銃のタカタカという音が続いていたが、それも止んでしまう。
現場は波を打ったように、しんと静まり返った。
光弾がまた光を失い、辺りは暗闇に包まれる。
再び照明弾が打ち上げられた。
視界に入るのはもうもうと立ち込める土煙ばかり。
10秒、20秒、30秒。
誰しも固唾を呑んで見守るが、土煙の中に怪異の姿は見えない。
もう大丈夫ではないか、そう思って皆が顔を見合わせたとき、ばしゃりと特大の濡れ雑巾を地面に落としたような音がした。
血だらけになった怪異がゆっくりと立ち上がってゆく。
マルセルは判断を誤ったことを悔やんでいた。
銃が物によって威力が違うことを知らなかったこと、竜騎兵は夜間戦闘ができないと思っていたことが判断を誤った原因だと思っていた。
そうではない。
丘の難民など狙わずに、魔王軍本営を直撃すればよかったのだと、彼女は気づいていない。
ましてや、もしアンネリーゼかエミリアが今の彼女のような立場に立ったならば、必ずそういう判断をするなどとは思いもよらない。彼女たちは新世代の軍人であり、政治的都合・宗教的教義より軍事的整合性を最大限に求めるという部分で、狂信的な部分のある非正規活動工作員であるマルセルや旧世代の軍人たちとは根本的に異なる。
であるからして当然、この瞬間の彼女は自分の判断に致命的なミスが有ったという発想は持ちようがなかった。
だからといって彼女がどうしようもなく無能だということではない。
彼女は実際スパイとしては有能であった。
つまり軍人ならして当然の判断ができないことが彼女の限界である、というに過ぎない。
しかしこのときにおいては致命的に過ぎた。
魔法、続く魔族の武器の爆発によって打ち倒されたマルセルの視界は完全に失われた。
匂いは自分の血の匂いしかわからず、音は例えるなら砂嵐だ。
外界のすべてを正常に認識することができない。
触覚さえも失われ、かろうじて自分が倒れていることを認識できるのみだった。
と、彼女が白と黒でできた砂嵐の世界と認識する視界の正面に、唐突に横長の黒い四角形が現れた。
そこに緑色の、妙に角ばった字で何事かが表示される。
《reboot》
《checking systems》
《memchk 1,699,511,627,776 byte ok》
《FullBodyOS 10.4.8 started on safe mode》
《load IO.SYS》
《conected device i/o》
そこまで表示されると、あとは物凄い勢いで文字が浮かんでは過ぎ去ってゆく。
okと表示されるものよりerrorと表示されるもののほうが多い。
主観時間にして5秒ほどで文字列の表示は終了し、ところどころ欠損はあるものの視覚と聴覚が戻ってきた。
最後に表示された文字列には《Good luck》とだけあった。
ゆっくりと身を起こす。
各種栄養素と水の不足で再生機能が大幅に低下している。だが、まだたって前に進んでいける。
マルセルはまだ戦えることを神に感謝し、ゆっくりと進み始めた。
避難民たちはパニックを起こした。
我先に丘を駆けくだろうとするか、逆に歯をむき出しにして怪異に吠えかかるかのどちらかだった。
背後の混沌をちらりと眺めたトマスは、腰のホルスターに挿してあった拳銃の存在を確認し、それから銃剣を取り出してライフルに装着した。
鼻から溜息をこぼし、背筋を伸ばす。
「軍曹! 残弾は!」
「はっ、中尉どの! 各分隊ともに残弾僅少! 軽機関銃は2丁が残弾100、他は残弾ゼロです! 小銃擲弾残弾ゼロ、破片手榴弾が各分隊にいいとこ5個というところです」
まっすぐに怪異を睨みつけながら残弾の状況を求めるトマスに、ギムレイ軍曹は即座に答えた。先程の僅かな間にすべて確認していたのだ。
こうでなくては軍曹など務まらない。
ギムレイの返答を聞いたトマスは片眉をちょっと持ち上げた。
士官学校の図書室の片隅にあった軍記物を思い出している。
いかなるときも士官には演技が必要、その軍記物と士官学校の教育はそう述べていた。
トマスはあえて朗らかな声を出す。
「なんとも楽しいことになってきたな、軍曹」
「は」
ギムレイは何を言い出すんだこの若者は、と反射的に思ったが、トマスが士官としての任務を果たそうとしているのを感じ取り、その態度に付き合うことにした。
「まぁ、これが戦争というやつです、中尉どの。それに16年前の西方民族との戦争の時よりはマシですぜ。あのときはアレぐらい往生際の悪い敵が何千人も向かってきたもんです」
「なるほどね。普段の根性もなければ頭も悪い怪異とは大違いってわけだ」
ニヤリと笑ったトマスは数歩前に歩み出て、皆を振り返った。
「さてみんな。もういいぞ。僕が時間を稼ぐから、みんなはさがって避難民たちを守ってくれ。なに、心配することはない。聞けばみんなが昔戦った西方民族よりは楽な相手だというじゃないか。ならば僕でも対抗できると思うんだ」
ライフルを持ったトマスの笑顔は引きつっている。
それを見た古兵どもは互いに顔を見合わせ、苦笑しながら立ち上がった。
皆思い思いにトマスを茶化し始める。
「あのなぁ、そういう格好つけは子供の一人も作ってから言うもんだぞ」
「バカじゃねぇのか、お前さんを1人で行かせたら俺達がシャンテの姉御になます切りにされちまわ」
「普段からそんな態度だったらシャンテになんか渡さなかったのに。もったいないことしたわ」
「こういう少尉候補生ドノよくいるよなー。いまさらそういうのやめろよ、トマス坊や」
知り合いの獣人やトロルやエルフ、ついでに親戚筋のおじさんまでもに口々に罵られ、トマスは傷付いたような顔をした。
「いやぁ、エリクソン中尉殿。もうあいつは走れないみたいだし、みんなでよってたかって逆襲すりゃあ、なんとかあいつの首ぐらいは取れるんじゃあないですかね」
「……はぁ、まったく。どうなっても知らないぞ」
丘にバイクの排気音が響き渡ったのは、彼らが小銃に着剣し、マルセルだった怪異が彼らの防御線まで80mと迫ったときだった。
「見えた! ボグロゥさん! もっと寄せて!」
「まかせろ!」
マルセルだった怪異は距離にして200mほど先行していた。
おびただしい血を流しながら、ゆっくりと進んでいる。
いまや丘の上の兵たちの姿がはっきりと目に映った。
ボグロゥのSR400改はエンジンを唸らせさらに加速する。
荒いブロックパターンのタイヤが大地を噛み、土砂を巻き上げながら突き進む。
上空に新たな照明弾。
ボグロゥは思い切ってハンドルを切り、マルセルの30m右後方につけた。
マルセルの左尻と右肩の筒状器官がこちらを向いた。
彼女だったものの左腕はすでに落ち、右後ろ脚は引きずられ、右尻の筒状器官は沈黙している。
「来る!」
アンネリーゼが叫ぶのと水撃が発射されたのは同時だった。
ボグロゥは自分の腰を掴むアンネリーゼの手の力でそれを感じ取り、さっと身を沈めてさらにマルセルにバイクを寄せた。水撃が先程までの進路を掃射するが、ボグロゥの操作についてこない。
距離はあっという間にわずか5mまで迫った。
「行けぇ!」
「はい!」
アンネリーゼは満身の力を振り絞り、バイクの上からマルセルの背中へ飛び移る。
筒状器官がアンネリーゼを補足したときには、彼女はもうそこにはいなかった。
代わりに短い薪のような缶がマルセルの頭部、その前後に投げつけられていた。
強烈な光と音響が発生する。
『ガァあああ?!』
マルセルの視界は全て真っ白になり、音も脳をかき乱すような高周波に満たされる。
彼女は刃物のような腕で頭を抱え、脚をもつれさせて地面に倒れ込んだ。
トマスたちが築いた防御線のわずか20m手前である。
マルセルは地面に倒れ込み、うめき声を上げながら四方八方へ水撃を放った。
と、その水撃の間合いの内側にアンネリーゼは素早く潜り込み、スカートを翻して剣を振るった。
腕が、脚が、筒状器官が瞬く間にもぎ取られ、血しぶきがあたりに飛び散る。
酸鼻を極めるその光景にトマスたちは身をすくませた。
荒い呼吸音を出してうごめくマルセルの傍らに、泥だらけのアンネリーゼが肩で息をしながら立ちすくむ。アンネリーゼを覆っていた薄い光は、何度か瞬き、すっと消えた。
彼女は何も言わずにマルセルの顔面、そのガラスのような表面の環状器官へ向かって銃の引き金を引き絞った。
鈍い連続音とガラスが割れる音。
あっという間に弾を使い切ったアンネリーゼは、次の銃をマルセルの胸の傷に向けて、またも引き金を引き絞る。今度は体表面で防がれることなく、銃弾が怪異の体内へ潜り込む。
十分に傷跡が大きくなったところで、アンネリーゼは丸い手榴弾の最後の一つを押し込んで安全ピンを外した。
さっと離れて走り去る。
マルセルがなにか言っている。
爆発。
マルセルだった怪異の身体はグズグズと溶け始めた。
その光景を見てトマスたちは歓声を上げた。
彼らはつい先程まで何人が生き残れるか、考えたくもない数式を頭のなかでこねくり回していたのだ。
アンネリーゼははにかんで右手をちょっと上げて彼らに振った。また歓声。
ちょうどその時、村の北の方でも幾つかの爆発が起き、ふた呼吸ほど置いてからトマスの小隊の無線機が軽い雑音とともに声を吐き出した。
『……敵性勢力の沈黙を確認。繰り返す。村落内部の適正勢力の沈黙を確認。各員、上級指揮官の指示に従い、敵残存勢力に警戒しつつ被災者救難と防災戦闘にあたれ。各員、上級指揮官の指示に従い、敵残存勢力に警戒しつつ被災者救難と防災戦闘にあたれ』
それを聞いて予備役兵たちとアンネリーゼは両手を突き上げ大いに喜んだ。
剣を振って血を落とし、鞘に収めてからアンネリーゼはトマスたちのもとに軽やかな足取りで駆け出そうとする。
彼女が背後から左肩を撃ち抜かれたのはそうしたときであった。
「アンネリーゼぇえええ!」
怪異となり、そして溶け崩れたはずのマルセルが、血のあぶくの中から水球を掲げ持って現れたのだ。
水球からは幾つもの水撃が発生し、アンネリーゼを襲う。
たまらず何発か被弾する。今度は出血が止まらない。医療魔法も加護魔法も切れてしまっているのだ。これ以上の魔法使用は命にかかわる。
たたらを踏んで後退するも、剣を抜き踏み出そうとするアンネリーゼ。水撃に狙われた心臓をとっさに剣の腹で庇うが、愛剣を水撃にへし折られた挙句、水撃によって胸甲が大きく凹まされてしまう。
たまらず転倒したアンネリーゼは、胸部に与えられた衝撃によって呼吸を乱した。口の中に血の味が広がる。肺が衝撃で傷付いてしまったのだ。胸骨にヒビが入ったのかもしれない。
「死ねェイ!」
彼女が水球を手のひらの上で槍状に変化させ、アンネリーゼに投げつけようとしたその時、強烈な光が彼女を背後から照らした。
はっと振り向いたマルセルの目に飛び込んだものは、四角いブロックがいくつも並んだバイクのタイヤだった。
このあと作者多忙につき、なんとか7~10日ペースで維持できていた更新頻度も大幅に下がります。
なんとか年度変わる前には序章終えたいなぁと思います。あといいとこ2回だし。
ではではー。




