女騎士と女スパイ(1)
黄金色の光と暴風が吹きすさぶ中、アンネリーゼは目を凝らした。
工作員たちの身体がブクブクと膨れ上がり、黄金色の怪異へと変化していこうとする中、そうではないものたちを見つけたのだ。
1人はもちろん、喉を突かなかったマルセル。
もう一人は先程ヘルメットでぶん殴って気絶させた工作員だ。体つきからして女らしい。
アンネリーゼは2速に入れたままで握り込んでいたクラッチレバーをすぅっと離しながら、スロットルを目一杯開きつつ、思い切りステップに体重をかけた。ここまでの道のりでこのバイクの操作はだいぶ理解できている。
馬力はないが豊かな低速トルクを持つセロー225はアンネリーゼの操作に見事に応え、土くれを蹴飛ばしながら瞬きする程の間に12mを駆け抜けた。
大きく身体のみを倒し込み、左手を離して倒れ込んでいた工作員の腰のベルトをひっつかみ、そのまま強引に筋力だけで魔王の手のものの方に向かってぶん投げる。
相手も心得たもので、二人がかりで気絶している工作員を上手く――死なない程度に乱暴に、という意味だが――キャッチした。
「死なせるな! 殺させるな!」
と、アンネリーゼがそのものたちに叫ぶと、相手はすっとうなづいて、工作員を担ぎ上げた。
しかしアンネリーゼの後方から飛ばされた鋼線のような水に1人が眉間を貫かれ倒れてしまう。
「行かせるか!」
「くそっ」
頭上に水球を浮かべたマルセルが四方八方に水撃を飛ばす。
アンネリーゼは辛くもマルセルの攻撃を躱し、その場で土くれを蹴立てながら旋回した。落ち葉と土くれが盛大に舞い、マルセルの視界を一瞬悪くさせる。
変身なった怪異が気絶した工作員を、それを抱える魔族ごと掴み取ろうとしたが、その怪異とマルセルの前に飛来した薪のようなものが大きな音と強烈な光を発して爆発した。
しばらくしてマルセルの耳鳴りが収まったとき、アンネリーゼと魔王の手のものは姿を消していた。
彼女は舌打ち一つして命令した。
「バイクの臭いを追え! やつらはすぐ近くにいるぞ!」
「アンネリーゼ・エラだな」
黒尽くめ、どころではない。
ほとんど光を反射しない表面仕上げの衣服とヘルメットに身を包んだ魔王の手のものたち、その隊長と思われるものに声をかけられアンネリーゼはうなづいた。
相手の種族はわからない。全員が全く同じ作りの、目出し穴すらついていない狐か狼の頭のようなヘルメットをかぶっているからだ。体格もわざと同じような者たちを集めているらしい。声が低くくぐもっているから男か女かもわからない。
彼らは太い筒に直角に握り手がついたものを持ち、細長い四角いもの、先程の薪のようなものと丸い何かをごちゃごちゃと身に着けていた。
太い筒は銃であろうとアンネリーゼは直感した。
「王宮警護局特殊警護隊だ。先程の機転は見事だ。礼を言う」
「こちらこそ。さてどうする? あいつらは私を追ってくるわ。背教者に死を与えるのは信徒の責務だもの」
アンネリーゼたちは先程の現場からさほど離れていない谷間に身を隠していた。実は20mも離れていない。
近くを流れる渓流の音と水の匂いで彼女たちの声と臭いは上手く消されているが、それにしても限度があるだろう。程なく捕捉されるはずだ。この会話は手早く終わらせなければならない。
「奴らを殲滅する。囮になってくれ。あの女と怪異どもの連携を崩したい。あの女も押さえられれば完璧だ」
「マルセルは私が相手する。怪異どもは任せるわ。どっちがどっちを見捨てても恨みっこなし。いい?」
「話が早くて助かる」
戦意に満ち溢れた様子のアンネリーゼを見て、隊長はヘルメットの中で微笑んだ。
両者は拳を突き合わせると、行動を開始した。
バィン、というエンジン音とともに谷間がぱっと光った。
「あそこだ!」
マルセルが叫ぶと怪異の一体が飛び出し、異様に長い腕を槍のように突き出した。
土煙が派手に上がるが光源は素早く移動し、硬質な響きとともに谷間から空中へ飛び出す。
それを狙ってマルセルの水撃と怪異たちの攻撃が集中、光源であるバイクは空中で破壊され落下した。
手応えを感じニヤリとしたマルセルだったが、ツンとした匂いに鼻をしかめる。
直後、バイクの残骸を中心に爆発が発生、燃料が腕についた怪異2体も炎上する。
瞬時に広げた水膜で火炎とバイクの破片を防いだマルセルに向かって、爆炎の中から飛び出してきたアンネリーゼが突進する。
「おおおおおおおお!」
「ぐぬっ」
雄叫びを上げながら剣を振るい、マルセルに斬りかかるアンネリーゼ。
アンネリーゼの剣の速さと重さにマルセルの水膜はいともたやすく切り裂かれ、それを防ぐためにマルセルは水膜を分厚いものとしながら動き回る。
しかしアンネリーゼのほうが速い。ことごとく行く手を遮られ、マルセルは舌打ちすら出来ない。
そうしているうちに炎上する怪異2体の胸のあたりで爆発が発生し、怪異どもは叫びを上げた。
直後、鈍くくぐもった連続音が響き、怪異どもの胸部に内側から弾けるような血しぶきがいくつも上がる。
何人もの特殊警護隊員が闇の中から飛び出し、怪異どもの腕を、足を切り落とし、ぽっかりと開いた口の中に何か丸いものをいくつも投げ込む。
数瞬後、怪異どもの上半身は内側から弾けるように爆発した。
血煙が晴れると、怪異どもは脊髄といくばくかの筋肉、赤い珠が4本脚の下半身から突き出ている奇妙な物体に成り果てていた。
あらわになった赤い珠に向かって、特殊警護隊員が銃を向ける。鈍い連続音。
赤い珠は弾け飛び、4本脚の下半身もドロドロと溶け崩れた。
「へぇ、やるじゃん」
それを見ていたアンネリーゼは、額に汗を浮かべながら笑った。
「私も頑張んなきゃね!」
「調子に、乗るな!」
鋭く突き入れられ水膜を突破したアンネリーゼの剣をすんでのところでかわしたマルセルが叫ぶ。
同時に水膜の一部が変形し、水撃となってアンネリーゼの太ももと肩を貫いた。
アンネリーゼの動きがにぶる。
好機と見たマルセルは水膜を押し出し、アンネリーゼにぶつけて後退させた。
さらにそこに残り2体の怪異のうち1体が、連続する被弾にかまわずアンネリーゼを腕で薙ぎ払おうとした。
しかし怪異の腕はぽんと宙に飛び、アンネリーゼは剣を振り上げた姿勢でそこに佇んでいた。
さっと振り返ると瞬く間に怪異の右脚を2本とも斬り落とし、何食わぬ顔でスタスタと山の斜面をマルセルに向かって歩み始める。
倒れ込んだ怪異に向かって特殊警護隊の攻撃が集中する。再び爆発。
怪異がまた1体溶け崩れる。
「あのさぁ。マルセル、さん? あんた一応偽装身分じゃ私より上の階級持ってんだからさぁ、もうちょっと頑張んなよ?」
心底呆れた表情、隙だらけの姿勢でアンネリーゼはマルセルを挑発した。
見れば先程の被弾からの出血は止まっている。
「あの程度の水撃魔法で」
と、アンネリーゼの言葉を遮るようにマルセルの水撃がアンネリーゼの眉間を貫いた、かのように見えた。
「私を殺せるわけ無いじゃん」
マルセルの水撃はアンネリーゼの顔面を濡らしただけだった。いや、それでも一応は皮膚を切り裂き、多少の出血はさせている。しかしそれもあっという間に止まってしまう。
よくよく見れば、アンネリーゼの体表をうっすらと淡い光が覆っている。唖然としたマルセルの背後で爆発が生じ、最後の怪異が溶け崩れた。
「貴様ッ!?」
「どうせあんたも、私とシャンテとザボスのおっさんの立ち回りを見て私の戦力を見積もってたんでしょ? それかその前の、怪異との戦闘とか。バッカじゃない? 誰が敵で味方かもわかんないうちから本当の全力出して、手の内全部さらけ出す必要がどーーーーーーこにあるのよ」
そのとき棒立ちになったマルセルの両膝を銃弾が貫いた。血肉と骨片、魂消るような絶叫を撒き散らしながらマルセルは倒れ伏す。
彼女にはその銃弾がどこから飛んできたのか全くわからなかった。気配はある。しかし先程のようにはっきり視界に捉えていなければ、そこにいると認識することが出来ない。旅籠で始末した者どもとはケタが違う、どころではない。
全く別次元の敵手どもであった。
「くそっ……教会の資料には、貴様は魔法は」
「そうよ。魔法は大の苦手。いいとこ医療魔法と加護魔法しか使えない。まぁでも、剣も魔法も同じよね。バカスカ使ってればモノにはできるし、その機会はうんざりするほどあったもの」
それでも銃弾は防げないんだろうな、と思いながらアンネリーゼは講釈を垂れてやった。
だいたい、先程の水撃もそこそこ危なかった。加護魔法・鉄の肌を3倍がけしていなかったら頭を割られるところだった。いくら医療魔法を無制限使用していても、死んでしまってはどうにもならない。
それを言うなら最初に怪異と接したとき、回復魔法だけしか発動させていなかったのは明らかに失策だった。もっと冷静で居れたなら、無駄な犠牲を出さずにすんだのに。
「なるほど、奥の手というあっぐぅあ!?」
倒れ伏したマルセルが腰の物入れに手を伸ばした瞬間、再び鈍い連続音が鳴り響き、マルセルを中心に土煙が立ち上る。
土煙が晴れたとき、マルセルの両腕は無数の銃弾に切り裂かれ、血と泥にまみれた肉塊となり、彼女は激痛にうめいていた。
「うぅ……ぐっ……ふぐっ……ふっ……ふふふ……ふはっ! ふはははは! あーっはっはっは!」
しかしそのうめき声は、やがて明らかな哄笑となる。
その異様な雰囲気に、アンネリーゼたちは僅かに気圧されてしまった。
「はっはっはっはっは! やられた、やられたぞアンネリーゼ! 貴様に敬意を表してやる!」
マルセルは奥歯を噛み締め割砕き、そこに埋め込まれた液体がマルセルの口中に広がった。
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南の山中、《断絶の壁》レンサル峠のほど近く、森林限界線付近に彼らはそれを見た。
リヒテルたち近衛兵団竜騎兵隊は543飛行隊第2中隊と村の北方10km地点上空での空中集合を終え、南下を開始したところだった。
ギュンターたちは降下第3波による住民救出を行っている最中だった。
クラウスは怪我の治療もそこそこに、マリアや彼女の両親、同僚たちとともに被災を免れた旅籠を避難者のための救護所として提供したところだった。
ルシエンコ、ナガタたちBMX選手たちは貴族の私兵たちとともに民間人の避難誘導を行っていた。
憲兵、軍医、魔法使いの監視下に置かれていたゼラやラウルら難民たちは一時的に拘束を解かれ、村の南方の丘に避難してきた魔族たちの面倒を見ていた。
ボグロゥはトマスが差し向けた一個分隊ほどの兵を追い抜き、峠に視線を戻したところだった。
今上魔王陛下コーはバイクに乗った騎兵集団を先頭で指揮しながら、バックミラーに映るそれをちらりと横目で眺めただけだった。
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ドン、という衝撃波とともに黄金色の光の柱がそびえ立った。
光と風の奔流はアンネリーゼたちを5mほども押し退けた。2~3名の特殊警護隊員が光の柱に向かって銃撃を加えるが、なんらダメージを与えた様子はない。
やがて黄金色の光の柱は怪異のシルエットへと形を変えてゆく。
『アぁあaンnんんんネぇeええEEEええリぃいイゼぇえええ。さぁすがはぁAaあああ勇ぅううううううーー者あああのぉおおかぁくぇええEEERRRるあaあAあAhhhhhh』
マルセルだったその光は言葉を発した。
「怪異が喋った?!」
「形状も少し違うぞ」
常に冷静であろうと思われる特殊警護隊員たちが、狼狽えた声を上げる。
アンネリーゼは光のシルエットを見て戦慄を覚え棒立ちになった。
まさかとは思っていたが。まさかとは思ってはいたのだが。
やがてそれは光るのをやめ、黄金色の実態としてその姿を現した。
『ああ、これは、すごい、ナ』
その怪異は肩をぐるぐると回し、そのようなことをしゃべった。
明らかに今までの怪異とは違う。
その怪異の特徴はアンネリーゼを過去に助けた聖獣のそれと同じだったのだ。
馬のような4本脚の下半身、黄金色の体色は他と変わらない。
その怪異には頭があり、人間と同じような口があり、鼻と耳はなく、頭部をぐるりと一周するガラス質の細い帯があった。
腕は長く、前腕部はやや幅の広い刃のようになっているが、片刃の刀剣で言うところの峰に当たる部分の先端が銃口のようになっている。
同じような筒状の器官は両肩、尻の左右にも生えている。昆虫の触角のように見えなくもない。
と、その時、特殊警護隊が呆然としているアンネリーゼを捨て置き統制の取れた攻撃を開始した。
マルセルだった怪異は最初のうちこそ腕で胸や頭を守っていたが、そのうちそうすることすらやめてしまった。銃弾は彼女に全く何の影響も及ぼしていないのだ。
彼女は顔と右腕を暗闇の一点に向けると、腕の先端の筒状の器官から水撃を発射した。右肩の筒状器官からも発射されている。その水撃は大人2人でようやく抱えそうな太さの檜を安々と切り裂いた。
檜の影から飛び出した人物を追ってマルセルが頭と腕を巡らせたとき、その背後から銃撃が加えられ、爆発が発生した。
今度は流石にダメージが発生する。彼女の背中の皮膚へ大きく切り裂かれ出血が発生していたが、見る間に黄金色の皮膚が再生し始める。
そして皮膚の再生完了を待たずして左肩と左尻の筒状器官が銃撃の方向へ向けられ、またも強力な水撃が発射された。その時彼女は振り向いてなどいなかった。
『ふム。なるほど。わかってきたゾ』
言いながらマルセルは四方八方へ水撃を行う。
彼女の感覚を説明するなら、視界は360度。闇夜を通し敵の姿が心臓の鼓動まではっきり見える。
匂いは色として認識され、空気の流れを明確に現した。
木の葉の葉ずれ、小石一つの転げる音さえわかり、それぞれの音像は音そのものでありながら映像としても認知される。
全く驚異的な世界がそこにあった。
銃弾が当たる感触はせいぜい激しい雨という程度の感触しか無い。
さすがにさきほどの爆発は堪えたが、痛みは急速に引いていく。
この姿になったからには、おそらく元の姿には戻れないだろうとマルセルは思った。
しかしそれもどうでもよい。
なぜならば。
『これは良い。良いな。これなら魔族のゲスどもを打ち滅ぼせる』
マルセルは高らかに笑いながら坂を下り始めた。




