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弾道飛翔(2)

 村長ことギュンター・グリュン・ドラコの邸宅は、いまや怪異相手の戦闘を指揮する喧騒に満たされていた。

 

「ブリュナーク男爵小隊、トランセット街道を北上中、まもなく敵前衛と接敵!」


 応接間どころか控室までもを占拠した通信士たちの一人が声を張り上げた。

 それに応じて応接間のテーブルに広げられた地図の上の駒が移動させられる。

 それを見て魔王コーがつぶやき、チェレンコフが応じた。


「やはり避難民が接敵の障害になっていますね」

「ご隠居様と愉快な仲間たちチームが家屋をぶち抜いて道を開けてなかったら、トランセット街道とクレハラ通りの避難はもっと停滞していたでしょう」

「彼らはいまどこに?」

「ここです、クレハラ通りの北端。この2体を仕留めれば敵の東側面はがら空きになります」

「側面。陣形。今夜出た怪異は普段の報告よりもずっと賢いようですね?」

「はい、陛下。この2体、さらには怪異共を指揮しているとおぼしきこの真中の集団、彼奴らは明らかに戦術を知っています。事実、北側面の2体にすら公爵殿下も手を焼いておられるご様子」

「彼らは少数の空挺歩兵に過ぎませんからね」


 魔王コーは額を揉んだ。

 その当時の魔王領、どころかツェントラル大陸全土において最も突出した戦闘力を持つザボスを少数精鋭の遊撃隊として用いるまでは良かったのだが、それを支援すべき他の部隊の展開が全く追いついていない。

 やはりギュンターかザボスはこの場に留めるべきだったかも知れない、と思うがしかし、それを思っても仕方がない。現実的な解決策に意識を集中する。


 拡大する被害を防ぐにはどうすれば良いのか。

 敵の早急な排除。

 具体的には?

 味方の損害を押さえつつ、敵のみを早急に排除する方法とは?

 その時、通信士がまた声を上げ、チェレンコフが応じた。 

 報告によれば近衛兵団竜騎兵隊が迫撃砲弾を爆弾として無理やり搭載し全騎離陸を完了、同じく近在の543飛行隊第2飛行中隊も全騎離陸を完了したとのことであった。

 543飛行隊といえば何度も国外派遣されている、対地対艦攻撃の達人集団である。なかでも第2中隊は荒くれ者が多く集う、鷲獅子騎兵(グリフォーニア)最強の部隊として名高い。装備は長砲身20mm機関砲と50kg爆弾12発、または30mm機関砲と先ごろ実戦配備になった対地ロケット弾14発である。

 それを聞いて魔王コーは顔を上げた。


「落下させた爆弾って、魔法で誘導できたりしますよね?」


---------------------


「先任」

「は、陛下」

「陛下はやめなさい。私は今、ただの応集退役軍人だ」

「はい、閣下。しかしながら、陛下とお呼びするのも閣下とお呼びするのもあまり違いがありませんが」

「うん、オット―。君のその冗談をまた聞けて嬉しい。それはそれとして、我が隊は、私を含めて総員何名かな」

「はい、閣下。臨編魔導空挺隊、総員133名! 皆そろって意気軒昂です!」

「よろしい。それでは仕事を進めよう。臨編魔導空挺隊諸君、我はギュンター・グリュン・ドラコである。これより我が隊は事前の打ち合わせ通り特殊捜索救難(SAR)作戦を開始する。以後、我が隊をレスキュー・バード、我をレスキュー・リード、空中管制をレスキュー・コントロール、降下救難隊長をバード・リード、降下救難班をバード01から24、近接航空支援隊長をストライカー・リード、近接航空支援班をストライカー01から16と呼称する。バード・リードは退役陸軍少将オットー・フォン・ベルンシュタイン侯爵、ストライカー・リードは空軍中佐アレクサンドル・ボグダノヴィチ・ゴリュノフ子爵、レスキュー・コントロールは我が妻メル・メルルゥ・ドラコが行う。近接航空支援の空中管制は私が兼任する。バード諸君は4名1組、ストライカー諸君は2名1組で班を組め。オットー、すまんが君の近習の綺麗どころ(ヴァンピレラ)4名を航空偵察要員としてわが手元に置く。救助した民は村の南西の丘に展開した応急防護部隊に引き渡せ。当該部隊指揮官はトマス・エリクソン陸軍中尉である。なお、救難作業中に緊急かつ大火力の対地攻撃が必要な場合は、レスキュー・リード、レスキュー・コントロールに要請しろ。では特殊捜索救難手順、はじめ」

「こちらレスキュー・コントロール。魔王軍特殊捜索救難手順(SARプロトコル)にもとづき、魔導チャネル4から14番を確保せよ。航空偵察情報および降下地点割り当てを送信します。ストライカーは直ちに上空へ移動、バードの移動を妨げないように」

「バード・リードより各班。バード各班は現空域より割り振られたポイントへ降下、民間人を救出しろ。降下用意の整った班から信号弾、撃て」

《ザッ……え……か……聞こえますか、上空の部隊!》

「あなた、緊急通報チャネルに受信!」

「こちらレスキュー・バード。聞こえるぞ。官姓名を名乗りたまえ」

《その声は村長……ま?! マイケル・ミュラーです! 花屋……息子の!》

「トランプ通り、『アンネマリィ』の隣のミュラーさんの息子か。君の声が聞けて嬉しい。わかる範囲で言い、状況は?」

《こちらは怪異ども北東と南西を包囲され……ます! 通りの北と南はバリケードでふせぎました! 現在、付近の避難者は非番の兵隊さんと予備役のおじさんたち、花街のお姉さんたちと一緒に、『アンネマリィ』と『ロクサーヌ』、『エル・アライメン』、『ミカド』に立てこもってます! その外周の建物が防壁兼主交戦地帯です! 兵隊さんたちは応戦に手一杯で、僕は魔導通信の資格を先週取ったので。 ミコ! エイミィさんと一緒にその兵隊さんの怪我を見て! ああ、僕は『アンネマリィ』の屋上にいます、一番見晴らしがいいので》

「マイケル、そっちは何人いるんだ?」

《わかりません! ひょっとしたら1000人はいます! くそう、あいつら、瓦礫やなんかを投げてきて、身動きが取れません! 南東から逃げたいんですけど、そっちも少し行ったらあいつらがいるし》

「もうあとほんのすこし待っていてくれたまえ。全レスキュー、当該地域をこれより戦域アンネマリィと呼称、アンネマリィの空中管制はバード・リードが行なえ。他の地域の空中管制は引き続きレスキュー・コントロールが行なえ」

「レスキュー・コントロールより全レスキュー・バード。降下地点座標を更新。先程の通報があった地点を戦域アンネマリィとします。バード1から12はアンネマリィを担当、空中管制をバード・リードに託します。他の地点は13から24、空中管制はレスキュー・コントロールが行います。敵対空防御を確認、無理を掛けるけどおねがい」

「レスキュー・リードよりバード・リード。突撃降下は可能か?」

「突撃降下! 懐かしい響きです。まるでアルテグラ包囲戦ですな。わかりました、見事ご覧にいれましょう。私も一度降りて状況を見てきます」

「頼む」

「バード各員、突撃降下用意! タイミングを合わせていくぞ」

「ストライカー・リードより全ストライカー。防御系エンチャント、実施はじめ」

《マジかよ、身体がいくらあってもたんねぇえよ》

《だったらなんだバカヤロウ、ガキや女を見捨てるつもりか!? 玉無しめ!》

《誰よ、いま性差別的暴言を吐いたのは?! ふざけないでちょうだい、なら私は野郎どもを見捨てないわ》

「マイケル、確認するが、他に手すきの兵隊さんはいないんだね? 随分軍事に詳しいようだが、君はまだ中学1年生だろう?」

《いません、さっき逆襲に出て20人ほどもいっぺんにやられたそうです。ぼくは、うちの花を買いに来る兵隊さんから、色々教えてもらってて、それで》

「そうか。マイケル、君に頼みがある。今から君たちを助けに我々が降下する。そのときの着陸管制をお願いしたいのだ。つまり、どういうコースからどこにどう降りろという指示が欲しい。無理は承知だ。出来ないと思ったら断って」

《やります。やらせてください。今もお得意さんが死んだんだ! お姉さんたちも、予備役資格持ってる人たちはみんな血まみれで! みんなを、みんなを助けてください! お願いします! なんでもしますから!》

「わかった。それでは君は今からアンネマリィ・コントロールだ。いいね? わからないことはレスキュー・コントロール、ああ、メルに聞いてくれ。各員、聞いてのとおりだ。すまんが頼む」

「バード・リードよりアンネマリィ・コントロール。降下隊長オットーだ。すぐに行くから待っていてくれ。すぐに降りてほしい場所や、牽制攻撃をしてほしい場所があったら言ってくれ。絶対に行く」

「こちらストライカー・リード、アレクだ。降下第一波とともに南西の敵部隊に攻撃を試みる。まずは伏せてろ」

《わ、わかりました》

《頑張れよ、坊主。男を見せろ》

《終わったらお姉さんがいいコトしてあげるわ! それまで待ってるのよ!》

「まことによろしい。それでは諸君、参るぞ。我らの子どもを救い出せ!」

「レスキュー・コントロールよりより全レスキュー。皆に先祖と闇の女神のご加護を。降下開始5秒前、4、3」

「バード・リードよりバード降下第一波、我に続け!」

「降下! 降下! 降下!」


---------------------


「機動打撃が出せん? どういうことだそれは」

「指揮官も兵も足りんのよ。各個に対応する羽目になったんが痛いわい」


 チェレンコフが素っ頓狂な声を上げ、ヘグルンドが頭を抱えながら返答した。


「護衛大隊は最初、3個中隊で外周包囲しとったじゃろう。8524中隊は1個小隊相当が駐屯地待機で残りは村内に分散。憲兵中隊も似たようなもん。まとまっとぉて自由に動かせたの兵力は俺の特殊戦術班(SAT)やったけど、人数的には2個小隊もおらんかった。ほいで今は誰も彼もが各個に怪異相手に戦闘したり住民救出しとるやん。こっちが求めるレベルで部隊を動かせる将校も、そんなかで気張っとるんじゃ。引き抜こうにもでけんわい」

「相手は自分たちの陣の中から出ようとしとらんのだ。後背をつくなら今しかない」

「わかっちょるわい、じゃけぇワシも頭抱えとんのじゃろうが」


 チェレンコフは腕を組んで、鼻からため息を漏らした。

 現在は外周包囲陣の各中隊からそれぞれ一個小隊を抽出し、住民救出任務に充てている。

 残りの2個小隊ずつのうち、1個は包囲の外からの攻撃を警戒、もう1個小隊は予備兵力兼包囲任務の継続だ。

 8524中隊は兵力としてまともに使える状態ではない。駐屯地司令兼中隊長たるクリススティーナ・フォン・アギレリウス少佐は人の姿から龍の姿に戻れば無類の打撃力を誇るが、民間人の救出・避難誘導で手一杯になってしまった。

 初動でトマスが掌握した応急防護部隊も、予備役が自発的に集まり指揮官としてトマスを担ぎ上げたというのが実態に近いから、混沌とした状況を素早く読み取って自発的に適切な行動を行える部隊というわけではない。もちろん攻撃力は不足している。

 救出された民間人から志願者が相次いでいるため兵力そのものに問題はないが、将校がいないのでは話にならない。必要なのは戦慣れした兵と、頭が良く戦度胸の座った指揮官なのだ。

 輸送手段も不足している。

 市街の大きさはせいぜい南北1.2km、東西1.4kmでしかない。

 村の通りが狭いのなら外側を走り抜ければよいはずだが、その外周は祭りに来た者たちのテントや馬車で埋め尽くされている。このため、村の”市街地”の面積は平時の倍以上に膨れ上がっている。

 これを突破するにはトラックでテント群を回り込むか、戦慣れした獣人(ライカン)を中心に編成した快速部隊が必要となる。

 そして今はそのどちらもが大いに不足している。トラックは避難民の移送に使われており、戦慣れした獣人(ライカン)は真っ先に民間救助に走ってしまった。

 普通の状況ならほんの2個中隊もあれば簡単に制圧できそうなこの村の市街は、今や底なし沼のように兵と人命を飲み込もうとしていた。

 チェレンコフの額に、つ、と汗が流れたその時、通信士のひとりが新たな報告を行った。


「報告! 公安警察のアッシュ・エドモン2課長補佐がバイクライダーで実戦経験を持つものを掌握したそうです! 兵力41名、トロル、獣人、ドワーフとヒトで構成されており、火器、刀槍で武装。魔導通信が行えるものも3名います!」

「そりゃあええ! ちと数はすくねぇが行けるじゃろ。将校はおるか、佐官級の」

「はい、ヘグルンド司令。将校殿はマケイン予備役大尉殿ただお一人のみであります」


 一瞬期待に溢れた目をしたヘグルンドとチェレンコフだったが、伝令の返答を聞くと黙り込んでしまった。

 大尉でも悪くはないが、やはり大隊レベルの指揮経験を持ち、参謀教育も受けたものが欲しかったのだ。

 この状態ならあと1人は将校が欲しい。

 ヘグルンドとチェレンコフは顔を見合わせ、ヘグルンドが席を立とうとしたその時、魔王コーはすっと腰を伸ばすと自らの執事を呼び、99番行李を、と言った。

 影のように現れた執事は何もない空間から柳で編まれた行李を取り出すと、また影のようにかき消える。

 コーは行李を受け取ると、女性もいるというのにその場でさっさと着替え始めた。


陛下(オヤジ)、なにを」

「機動打撃部隊の指揮官が必要なのでしょう? 幸い今日集まっているバイク乗りたちはみな顔見知りです」

「陛下! なりません!」

 

 シャツを脱ぎサラシを腹にまき、様々な色の糸で様々な文字らしき刺繍が施された裾の長い白い服に袖を通す魔王コー。

 彼が何を考えているか悟ったチェレンコフは声を大きくした、が。


「あなたたちの作戦指揮能力は疑っておりません。むしろ私がいることのほうが足かせとなるでしょう。ギュンターとメルさんに、例の件、よろしくお願いいたします」


 衣装を改め、髪をかき上げ後ろへなでつけた魔王コーは、それまでの彼とは印象が全く異なっていた。

 老境に差し掛かろうというのにその肉体は恐ろしく鍛え上げられ、細身ながらも鋼のような筋肉を搭載していた。

 胸元から覗く肌には大小様々な傷が刻まれており、それは若い頃やくざ者としておおいに名を馳せたヘグルンドのそれより多い。

 最後に眼鏡をそれまでつけていた柔らかい四角のものから目尻のつり上がった涙滴型のものに変えると、柔和な雰囲気はどこへやら、目つきは鋭く、熱く、恐ろしいものとなっていた。


「エミリアさん、もし怪異のことで彼らが手助けを必要としたら、アドバイスをお願いいたしますね」

「は、はい、陛下」


 行李から釘を打ち付けた丸い木の棒を取り出し肩に担いだ魔王は、部屋の隅に憲兵とともに控えていたエミリアにほほえみとともにお願いをした。

 エミリアの声と表情は引きつっている。

 いや、それはほかの誰しもがそうだった。

 古く、傷ついた白装束に身を包んだ彼は今やまったく魔の王であった。

 魔王は縁側に立つと腕を組み、大音声を張り上げた。


「近衛騎兵集合! 第10代魔王、コー! 出る! 俺のZ2(ゼッツー)もってこいやぁ!!」


---------------------


 ボグロゥはトマスとアッシュ、バイク乗りたちに話を通して南へ向かった。

 それを見送ったエレーナは村の広場にある軍出張所の見張り台を駆け上った。

 そこが村の中で一番見晴らしが良い。


「エレーナさん?!」

「エレーナ・ロブルトヴィチ・シマヅ予備役曹長、狙撃手として着任する。アゼル、12.7mm弾、下にあるだろ。悪いけど何箱か持ってきておくれ」


 エレーナは見張り台の上で監視任務についていたコボルドの上等兵に素早く言いつけると、背負っていた巨大なライフルを見張り台の胸壁に据えて狙撃の準備を始めた。

 大柄なエレーナがそうすると元から窮屈な見張り台は身動きするのも億劫な空間になったが、アゼル上等兵に否応はない。彼はすぐさまエレーナの要望を叶えにはしごを滑り降りた。

 エレーナの背後では見張り長であるヒトの伍長が無線機を操作し、受話器をエレーナに差し出した。


「シマヅ曹長、司令部です」

「こちらシマヅ予備役曹長であります。勝手に軍施設をお借りして申し訳ありません」

『こちらは大隊司令チェレンコフ大佐だ。構わん、ありがたい』


 エレーナは近衛護衛大隊司令と簡単に挨拶を交わした。広場は避難民と集結した部隊でひどく混乱しており、司令部となった村長宅とはほんの200mも離れていないのに伝令を走らせることも出来ない。


『曹長、君の武装は』

「エンドロHSR A4重狙撃銃、12.7mm口径であります。民間用ですが、今日の天気と火災の具合なら、一番向こうの敵までなんとか届きます」

『前の所属は』

「第21旅団、騎兵13中隊の特技兵でした」

『2113中隊……? 思い出したぞ軍曹(・・)、君は魔眼持ち(イーヴル・アイ)だな?』

はい(ダー)、大佐殿。中佐(・・)殿とともに戦ったこともあります」

『なるほど。思い出話に花を咲かせたいがそれはまたあとだ。曹長、君の無線符牒は今から魔弾(イーヴル・ショット)だ。無線チャネルは24番。連絡のつく全部隊から支援要請が飛ぶだろうが、優先順位は君の判断でつけろ。責任は私が持つ。まずは何発かザボス殿下を支援してくれ』

はい(ダー)、大佐殿」


 眼帯を跳ね上げ巨大なライフルを構えたエレーナは、銃の機関部の上に据えられたヘンドリックスM60照準眼鏡を覗き込み、そのようにした。


---------------------


 クレハラ通り北端近くの2体の怪異にザボスたちは手をこまねいていた。

 その怪異たちは体高2.5mと怪異にしては小さく、4本の腕を持ち、建物はもちろん捕らえた民間人を盾に使ったり、高度な連携を保って互いの側背を守るなどの戦術を持っていたためだ。 

 敵が民を捕らえるたびにザボスとシャンテは怪異の手首ごと切り落として民を助けたが、全く追いつくものではない。

 モニカは救出した民の治療に忙殺され、スケとカク――スケルグ・ボーウェン子爵とカーク・ハンコック騎士爵は先回りしての避難誘導で手一杯。

 敵は結構な速度で動き回り、捕らえた民の何人かに一人は喰ってしまっていたから、早急に排除せねばならない。

 民ごと切り刻んでよいのであればザボスには幾度となくチャンスはあったが、それはできなかった。ギュンターとコー、ついでにモニカとメルに釘を差されていたのもあるし、敵は人質を胸に埋め込んで融合させていた。なお悪いことに人質はどちらもザボスの好みの女性であった。

 

「でぇい! おのれ!」


 数十度目になる攻撃を防がれ――というよりとどめを刺しそこね、高速で離脱したザボスはつばを吐いた。

 同じように音を立てて滑りながら着地したシャンテが喚く。


「殿下! 正面からは無理でも背後からでは如何です? 私がなんとかしてあやつらを引き離しますゆえ、そのすきに――」

「ばかもの! 言うな!」


 シャンテの声が聞こえたのであろう、怪異どもは手に持っていた人質――1人は子供だ――を自らの背中に押し付けて、活かしながら融合させてしまった。


「あ……ああ……」

「チッ」


 わなわなと震えながら腰を抜かしそうになったシャンテの横っ面を張り、ザボスはシャンテの襟首を掴み上げた。


「貴様の甘さがあの者どもを殺すのだ。貴様の甘さがあの者どもを殺すのだ! わかったか! わかっているのか!」


 ザボスは殺気のこもった目でシャンテの目を睨みつけた。

 だがシャンテはザボスを見ていなかった。

 彼女の目はこちらを向く怪異の胸に貼り付けられた女性に向けられていた。

 彼女たちは声を出せぬまま、口の動きだけでこう言っていた。


 おねがい、ころして、と。


 ザボスはもう一度シャンテを揺さぶると、噛みつきそうな勢いでがなった。


「儂は悪魔だ! 民草がどうなろうとなんとも思わぬ! 所詮あやつらは草よ! だがお主は武士であろう! 武家に生まれた娘であろう! ならばお主は武門の誇りにかけてあの者どもを介錯せねばならぬ! あの者どもを苦しみから救ってやらねばならぬ! それが武門の、魔族の武門たるの務めぞ!」


 ザボスの口から語られたのはノブレス・オブリージュ。

 それからザボスはもう一度シャンテの横っ面を張り飛ばし、それから思い切り突き飛ばした。

 直後にザボスは吹っ飛んできた大きなレンガの壁を振り返りざまに切り裂いたが、土煙に隠されて姿が見えなくなった。

 尻餅をついたままのシャンテに土煙を蹴立てて黄金色の怪異が迫る。

 その胸で女がころして、と口を動かし、その目はゆっくりと光を失っていく。

 シャンテはその目に魅入られてしまった。


 死。


 シャンテを魅了したものの正体はそれだった。

 モニカが、スケとカクが、シャンテを助けようと身を翻し、ザボスが土煙から飛び出そうとした。

 死に魅入られたシャンテは身動き一つ取れない。

 怪異は四本の足で迫りくる。

 怪異の四本の腕が振り上げられる。

 ころして、とつぶやきながら。




 直後、振り上げられた怪異の4本の腕が根本から吹き飛んだ。

 それと同時に特大の鞭で何かをひっぱたいたような音が4つ。

 はっと我に返ったシャンテは愛刀を握り直すと一足で敵の間合いに踏み込んだ。

 神速の剣が振るわれ、怪異の前面に貼り付けられていた女性がズルリと引き剥がされる。

 その時、遠くで太鼓が4つ叩かれたような音が響き、シャンテの耳元をまた特大の鞭の音が通り過ぎた。


 ばぁん、という音とともに腕を吹き飛ばされた怪異の心臓が吹き飛び、即座に黄金色の肉体はドロドロと溶けていった。


「エレーナか!」

《横から獲物を失敬、ザボスのおっさん。パンヘッドの修理代今度タダにするから見逃してよ》

「まぁ、儂もアンドレイの汚い泣き顔見せられずに済むが」


 ザボスが叫ぶと耳元から軽い雑音とともにエレーナの声が聞こえた。

 また太鼓を叩く音。今度は1つ。

 

《それよかそっち、早く片付けちゃって。今夜のアタシはモテモテなんだ》

「ぬかせ」


 振り向けばすでにシャンテは残りの一体を散々に切り刻んでいたところだった。

 その目は憎しみや殺意、わずかばかりの安堵に染まっている。

 最後に彼女が一閃すると、もう一体の怪異もドロドロと溶けていった。

 1人で怪異を斬り殺せる程度には開眼したのであれば、まぁしばらくは大丈夫だろうとザボスは安堵した。

 

 なお、怪異どもから切り離された人物に死者はいなかった。


---------------------


 聖法王国からの工作員たちは山道をひた走った。

 先程まで後ろから聞こえていたウォンウォンというエンジン音は聞こえてこない。

 時折、狼らしき獣の唸り声に混じって低くくぐもったエンジン音が、前後左右から聞こえてくる。

 マルセル以外の者たちは心なしか浮足立ってしまっているようにも見え、マルセルはそれに対して苛立った。

 どうやらアンネリーゼに追い抜かれたようだった。


 やがて一行はほんの僅かに開けた場所に出た。

 山肌は向かって右に傾斜し、道の左手には何か大型の獣が倒れ、大いに血を流した跡がある。

 そこから少し登った闇の中からロロロロ、という低いエンジン音が響いてきた。

 マルセルは一歩歩み出て、口を開こうとした。


「アンネリー……」


 その時カッと闇から一条の光が飛び、マルセルともう一人の目を焼いた。

 やにわに大きくなったエンジン音とともにバイクに乗ったアンネリーゼが現れ、すれ違いざまに目を押さえて呻いていた工作員がやけに丸い兜で顔面を叩かれ昏倒する。


「くそっ」


 直後にアンネリーゼはライトを消し、大きく車体を傾けてエンジン音を残して闇の中へ消え去った。

 エンジン音とゴツゴツしたタイヤが地面を削る音は山肌に反響し、その位置を曖昧にさせた。


「マルセル・ボンフィス」


 闇の中から若い女の声が響いてきた。


「アンネリーゼ・エラ」


 マルセルは目を押さえたまま唸り声を出した。

 仲間で戦闘力を保っているのはあと4名。


「貴様。あの罪のない者どもを殺したな。あの親切な人達に毒の種を仕込んだな!?」

「フン。あの村で芽吹いた種はいくつだ? 10か? 20か? 心配するな。そのうち10は我が教会の志願者だ!」

「貴様ァ!」


 マルセルの挑発にアンネリーゼは歯をむき出しにしたが、別の気配に気を削がれた。

 数は12。

 殺気はない。もっともっと粘着質な何かを漂わせている。

 アンネリーゼはこの気配に覚えがあった。

 ザボスの放つそれに近いし、かつて彼女自身がそれを漂わせていたことも事実としてあった。

 ただの機械のように、淡々と死を運ぶもの。

 死そのもののにおい。

 しかしマルセルとその仲間たちは慌てもしなければ色めき立ちもしなかった。


「魔王の手の者か。ちょうどよい。我らの力と覚悟の程、とくと思い知るが良い!」


 マルセルの声とともに工作員たちは自らの喉を突き、命を絶った、かに見えた。

 アンネリーゼと闇の中の気配たちがはっと息を飲み込むと、工作員たちの死体から黄金色の暴風が巻き起こったのだった。

佐藤大輔「地球連邦の興亡」4巻に捧ぐ

1/22 一部改稿

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