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紳士な魔王は賭け事がお好き

『これはデカい! 5メートルは飛んだぞ! 無事着地、そしてぇ……決まった―!! ダブルキャブ1080!! そしてフットスタンプ、でブザー。王座奪還に燃えるレオニール・”ブラッディ”・ルシエンコ、圧巻の走りだ! これはかなりいい点数が狙えるんじゃないか? パイプ上で集計結果を待つブラッディ、10年間シーンを牽引し続けてきた老兵は何を思うのか……』


 高さ3.6メートルはあろうかという半円筒の曲技場(ハーフパイプ)から5メートル以上上空へ飛び出した豹顔の獣人(ライカン)は、反対側の半円筒の縁(リップ)へ飛び出すと水平気味に後方2回転宙返り1回転半ひねりを決めた。次のトリックでは片足で立ち反対側の足でBMX(バイク)をまるでカラテ・キックをするかのごとくかなり垂直気味に持ち上げ、一瞬その姿勢を維持してから車体をおろしてまたがった、というところで競技終了のブザーが鳴る。

 盛大な歓声。

 ”ブラッディ”ルシエンコ選手は半円筒内部に降り、反対側のリップへと駆け上がって戻るとヘルメットを脱いで競技アシスタントから受け取ったボトルの水を頭からかぶった。

 腕で水を拭い観客に向かってにこやかに手を振ると、女性ファンが感激のあまり何人か卒倒する。

 ルシエンコは金豹族特有の甘いマスクと女性的とすら言える美しくしなやかなシルエットを持っていたが、3年前に競技中の事故で負った顔面の大きな傷と、競技から離れていた2年半の間に得た筋肉が彼に雄としての魅力を与えていた。大会の主要スポンサーであるシルクワーム・インダストリアル製のぴっちりしたジャージが水に濡れ、男性特有のエロティシズムを醸し出す。また何名か卒倒する。今度は男性も混じっていた。

 ひとしきり笑顔を振りまくと、彼は至って真面目な顔つきで審査員席横の集計板に目を向けた。審査員席中央には特別審査員である今上魔王陛下コーの姿もある。

 上空で旋回する火吹尾長大飛龍モドキ(ワイバーン)が、一声ケーンと鳴いた。




「ポレヴォイリードよりコントロール。ポレヴォイ編隊は離陸完了。いい天気だ」

『コントロールよりポレヴォイリード、貴編隊の離陸を確認した。これより旋回上昇を開始せよ。コースは既定のとおり。規定高度へ到達次第、戦闘航空警戒(CAP)任務を引きつげ。リヒテル、居眠りはするなよ』

「ポレヴォイリード、了解。これより規定高度へ向け旋回上昇を開始する。キーン、余計なお世話だ」


 リヒテル・カローラリス中佐、戦術識別符牒(TACネーム)”アイスマン”は今年でちょうど320歳になるエルフだ。160年前の聖魔大戦後半に兄とともに志願入隊し、撤退中の魔王軍を援護するための任務で初陣を飾ったという古兵だ。当時は友軍の上空援護(エアカバー)もなしに鷲獅子(グリフォン)を駆り近接対地支援(CAS)を繰り返したものである。才能に恵まれたのか運によるものか、敵天馬騎士(ペガサスライダー)4騎を相手取り、圧倒的に空戦能力に劣るにもかかわらず2騎撃墜の戦果を上げて無事返ってくることさえあった

 その後、竜騎兵(ドラグーン)に騎種転換し、大戦末期には合計10騎撃墜のダブルエースとなっていた。戦後は国境配備の543飛行隊、首都警護航空艦隊、飛行教導隊の教官職、東海洋派遣軍事顧問団、飛行教導隊仮想敵部隊(アグレッサーグループ)を経て、現在は近衛兵団竜騎兵隊(DDB)1番騎である。

 そんな彼も、もうそろそろ飛行任務が辛くなってくる歳だ。

 魔王領のエルフは白エルフと黒エルフの抗争が終わった断1000年代で既にかなり混血が進んでおり、1200年程度と考えられていた寿命も縮んだのか断1800年代以降800歳から短ければ600歳程度で死亡するものが多くなっていた。彼の祖父も712歳で天寿を全うしていたから彼自身の寿命もそれぐらいと考えれば、もう中年と言って良い年頃である。

 事実、80歳ばかり歳の離れた兄であるトクォジョチェフ・カローラリス大佐はとっくの昔にパイロットを引退し、作戦参謀として地上勤務を行っていた。

 彼自身、近衛飛行隊での勤務をあと1年やり遂げたあとは飛行教導隊の教官職に戻り、さらにその後は地上勤務に回ろうと考えていた。

 であるから、キャリアの頂点であろう現在の配置での任務を疎かにしようなどとは僅かたりとも考えない。

 列騎である”マーヴェリック”タァゴスキィ・エルィバロフ少佐にハンドサインを送り、警戒を厳にしながら既定高度である高度1200メートルまで旋回上昇していく。乗竜のアーニャはすこぶるご機嫌だ。彼女はネブカドネザル種特有の赤黒い鱗を波打たせながら、うっとりとした表情で空を駆けていく。

 アーニャはときどき『ねぇ、気分はどうかしら?』と言いたげにリヒテルに視線を寄越した。そのたびにリヒテルは微笑んだり、サラサラのたてがみを手で梳いてやったり、美しく伸びる首筋を撫でてやったりした。そうするとアーニャはさらに機嫌が良くなるのだ。

 彼ほどのヴェテランですら、いや、空に魅せられた彼のようなヴェテランだからこそずっと飛んでいたくなる、絶好の飛行日和であった。


 上空に見えていた編隊と同高度になるまで3分とかからなかった。


第1編隊編隊長(ポレヴォイリード)より第4編隊(ルサールカ)、ポレヴォイは規定高度に達した。これより任務を引き継ぐ」

『はっはい! ルサールカリードよりポレヴォイ、貴編隊の到着を確認しました! 空中に敵影なし、地上に変化なし! です!』


 鞍の背中側に搭載されているFdl-fk16魔導航空無線機は快調に動作している。最新の魔法工学と電気工学の間の子であるが、先代にあったような不安定さはまったくない。ノイズ一つなくルサールカ編隊一番騎、つい2週間前に配属になったトモユィの声を伝えてきた。


「ヂェーヴァチカ、空中管制(エアコントロール)は?」


 リヒテルはトモユィに引き継ぎ事項の漏れを指摘した。

 お嬢ちゃん(ヂェーヴァチカ)とはルサールカ編隊一番騎、トモユィ・フォン・シュネーケンベルクの戦術識別符牒(TACネーム)である。

 戦術識別符牒(TACネーム)は直属教官や配属になった飛行隊の司令、あるいは先輩飛行士から貰うものである。

 近衛兵団竜騎士隊の伝統では、新人の戦術識別符牒(TACネーム)は一番騎が腕前を見て決める。

 つまりトモユィの腕前はリヒテルの見るところ、戦術識別符牒(その名)の通りお嬢ちゃん(ヂェーヴァチカ)だということで、トモユィはそれが大いに気に食わなかった。

 が、今さら逆らったところでどうにもならない。事実、いまも未熟な部分を指摘されたところだった。


『はい! 中佐! 申し訳ありません! 空中管制(エアコントロール)は”サプサン()”です!』

「ヂェーヴァチカ、アイスマン。了解した。ルサールカ、気をつけて帰れ。ポレヴォイ、交信終了(アウト)

『ありがとうございます。ルサールカ、交信終了(アウト)


 こわばった声で返答したトモユィは愛騎のトルストイを左旋回に入れ、旋回緩降下へ移る。動きは至ってスムーズで、ルサールカ編隊2番機、勤続20年のリーリィが一瞬遅れてしまうほどだ。

 空中感覚だけは抜群なんだよな、あいつ、とリヒテルは感心した。

 いっちょ経験を積ませてやろうと今日はトモユィを第4編隊(ルサールカ)の編隊長にしてみたが、うまく育ってほしいものだ。

 そう声に出さずにリヒテルがつぶやくと、列騎のタァゴスキィが笑いを含んだ声で茶化してきた。


『アイスマン、マーヴェリック。あんまりヂェーヴァチカに強く当たるなよ』

「マーヴェリック、アイスマン。見どころがあるから厳しくするんだ。それともお前が面倒見てやるか?」

『冗談はやめてくれアイスマン。あいつの酒癖ひっでぇんだぞ』

「マーヴェリック、もう誘ったのか。で? どうだった?」


 今度はリヒテルが茶化す番だった。


『フラレたよ。お前さんのほうがまだいいとさ。それにあいつはお』

「あいつは、なんだ?」

『あー、いいや、なんでもない』


 相棒が言葉を濁したのを不審に思ったその直後、アーニャが一声ケーンと鳴いた。

 敵を察知したときの声だ。  

 リヒテルとタァゴスキィはハッとしたが、すぐに不思議なことに気づく。

 敵を察知した火吹尾長大飛龍モドキ(ワイバーン)は、肉食動物の本能に従い、そちらをまっすぐ睨みつける。匂いか熱か、どうやって敵味方を識別しているのかはわからないが、とにかく彼らはそうするのだ。

 ところがアーニャは地上のあちこちに鼻面を向けるだけで、一向に視線が定まらない。タァゴスキィの乗るミナァミィも同様だ。

 どうしたとリヒテルがアーニャの首筋をぽんと一度叩くと、アーニャは戸惑ったような視線を向けてきた。敵の気配は感じるが、どこに居るのかわからないのだ。

 リヒテルは怪訝な顔をし、視線を地上に向けた。

 地上では、村と言うにはいささか大きすぎる村の夏祭りが行われている。

 村の道はすべてヒトで埋まっており、刈り取りの終った農地には村の宿に収まりきらなかったものたちのテントが見える。

 おそらくは1万人ほども集まった群衆の中に敵がいる。のであればこれはリヒテルたちには対処のしようがない。リヒテルたちでは民衆ごと敵を焼いてしまうことになる。


「マーヴェリック、そっちは何か見えるか」

『ダメだアイスマン』


 タァゴスキィが首を振った。

 ぎっしり集まった群衆から何名いるかもわからない敵を見つけ出すことは不可能だ。


サプサン()、ポレヴォイリードだ。聞こえるか」

『ポレヴォイリード、こちらサプサン。今日は電波がよく通る。ちゃンと聞こえてるよ』


 サプサンは50kmほど後方上空を遊弋している、空中管制担当の皇龍族(インペラトゥール)だ。彼もリヒテルと付き合いが長い。


「アーニャとミナァミィが敵を警戒しだした。既に陛下のお側にいるようだ。そちらに地上から何か情報は入っているか」

『いいや、何も。まずいな……俺達じゃ手出しできン。地上のことは陸軍に任せよう』

「そうだな、サプサン。すまんが陸軍への連絡は任せた。俺達は空中哨戒を続ける」

『わかった、何かあればすぐ連絡する。グランドコントロール、こちらサプサン。護衛司令部に繋いでくれ』




「わかった。各中隊は哨戒線を維持。憲兵中隊は臨検を強化、だがこの状況では一発銃声が鳴るだけでパニックだ。穏便にやれ。公安の部隊は既に動いている。哨戒線の中は彼らに任せろ。なにかあればすぐに連絡しろ。陛下の特殊護衛隊(スペツァルズ)には俺から言っておく。以上だ」


 村の西北、陸軍8254中隊の駐屯地司令部の会議室に設置した護衛司令部で、陸軍近衛護衛隊司令ユーリィ・ジュガノビッチ・チェレンコフ大佐は指示を矢継ぎ早に出した。

 すぐに無線機に取り付いた通信兵と魔導師がユーリィの指示を隷下部隊に伝達する。

 村の周辺には近衛の一個増強大隊が展開しているのだ。


「こちらは動かなくてよろしいのですか、大佐殿」


 駐屯地司令クリスティーナ・フォン・アギレリウス少佐はチェレンコフに感情を含まぬ声で尋ねた。


「ああ、キミの部下たちには祭りを楽しませろ。ただし帰ってきた者は、ある程度聴取せねばならん」


 8254中隊は魔王陛下コーの行幸とともに毎年一時的に近衛の指揮下に置かれるが、実際は不幸な当番が割りを食うだけだった。

 これでは当番になった小隊に不満がたまるということで、10年前からは祭りの期間中だけ中隊全体で3直交代勤務を行うようになっていた。

 このトロルの大佐は、それを活かして情報の収集を行おうとしている。しかしタイミングが悪かった。


「交代まであと5時間ですか……焦れますね」

「ひとまずキミの部下で配置についているものから話をそれとなく聞いておいてくれ。要点はわかるな?」

「人出の状況、目立った人物、気になったところ……キリがありません。せめて例の女騎士二人ぐらいは押さえたいのですが」

「それこそダメだ。いくら片方が情報提供者になったと言っても危険すぎる。現時点では何もわかっていないのにも等しいのだぞ。片方に逃げられたり敵が暴走したらどうする」


 アンネリーゼがシャンテに託した情報は即座に魔王の護衛部隊、その司令部には即座に周知されたが提供された情報があまりにも少なすぎた。

 魔王陛下の暗殺計画が進行している、などというのは最近でこそようやく減ったものの、魔王領では年中行事のようなものである。

 どこから手を付けて良いのかわからず、二人は頭を抱えることになった。




 コウタロウはなかなかに厳しい審判をする男だった。

 ルシエンコの獲得した得点は、残念ながら現王者”トリッキートリックス”ジェイソン・ナガタのそれと同点だった。3位、4位のものとも点差はごく僅かだった。

 決勝は延長となり、8名の出走者のうち4名に、あと一度だけ出走の機会が授けられる。

 こういう展開にするために、コウタロウはわざと(から)い審判をしたのではないかとさえ思われた。


「それでよい。あの者らには頭を抱えさせておけ。なぁに、あの女騎士殿のことだ。なにか面白い手を打ってくれるに違いないわい。ええからお主らものんびりしておくがよい」


 曲技場の特別審査員席に座るコウタロウの真後ろ、その気になれば素手で首をもげる座席にザボスは陣取り、未だ意見を求めてくる治安維持関係者に低い声で指示をやっていた。

 視線は眼前の競技に向けられているままだ。

 大きな笑みさえ浮かべても居る。

 観客たちを見回せば、子どもたちと一緒に競技に見入るアンネリーゼとエミリアの姿がある。

 微笑んではいても油断なく周囲の気配を探る様子のエミリアとは対象的に、アンネリーゼは隙だらけ、全く弛緩しているようにすら見えた。

 

「のう、陛下よ。今宵の晩餐はどうせギュンターのところを借りるのであろう」


 ザボスは深く腰掛けたまま、ほとんど唇を動かすことなくコウタロウにのみ通る声で囁いた。

 今上魔王陛下コーことコウタロウもニコニコと前を向いたまま、ザボスにだけ聞こえる声で返した。

 なお、ギュンターとメルの夫妻はコウタロウたちと別れ、一度自宅に戻っている。年老いた前魔王は以前より睡眠を多く必要とするようになっていたのだ。

 前日、メルにそっけなくしてしまったことを後悔しているようでもある。 


「そりゃあまあ、難民のみなさんが村役場の講堂を使っておりますからねぇ」

「あの女騎士殿も誘ってはみんか。面白いことになるぞ」

「ああ、その件ですか。私は構いませんよ。いい加減、この国を取り巻く状況にも焦れてきたところです。一つ大きなうねりが発生してくれると良いのですが」

「ふふん。御身は相変わらず、自分の命をぽんと賭け事に差し出しよるな」

「なぁに。日々プレイしているゲームの延長ですよ。どうせ掛けるコインは一枚きりですし、コインを失ってもそれはすなわち負けではありません。まぁあと10年は欲しいところでしたが、仕方のないことです」

「くくく。頼りない風体のくせに肝の座ったやつよ。では儂が差配する故、御身はゆたっとしておれ」

「ええ、よろしくお願い致しますよ」


 コウタロウは相変わらずニコニコとしたままだ。

 よっしゃよっしゃとうなづいたザボスは供回りの一人に、アッシュを呼べと命じた。

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