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アンネリーゼ

前回のお話の追憶パートになります。最後のほう少し加筆修正済みです。

 エミリアがアンネリーゼと出会ったのは6年前。

 西方蛮族の侵攻を受けて4年が経過。

 かつて魔王軍と砲火を交えた聖法王国軍であれば後れを取るような相手ではなかったが、宗教的ドグマに支配され、たまに貴族同士で小競り合いが起こる程度の平和な百数十年間を過ごした彼らはかつての精強な軍隊ではなくなっていた。

 軍の予備兵力が不足しがちになり、教会があっさりと160年前の軍法を思い出した結果、聖法王国全土より少年少女がかき集められ戦場に投入されるようになって2年目。

 没落したナスティア伯爵家復興のためエラ修道会士として2年前に参陣したエミリアが、正式に教会騎士見習いとして認められてから1年が経とうというころである。

 エミリアの所属する百人隊に回されてきた35人の補充兵の中に、アンネリーゼはいた。


 アンネリーゼはエミリアの見るところ、おかしな子供だった。

 よく言えば規格外、悪く言えば異常だった。

 初めて会った時から、彼女は頭が冴え、面倒見が良く、素直でほがらか、天真爛漫な子供だったのだが、もうこの時点で完全におかしい。

 この時すでに聖法王国軍は戦前のような丁寧な訓練を施す余裕を失い、新兵はわずか2週間の教育を受けただけで戦場に放り込まれていた。ひどいときはその2週間の教育さえ受けられない。

 その後半年間の「前期教育期間」――実地で兵隊としての教育を施すという建前の、命の選別期間――を経て、改めて補充兵として配属される。

 この半年を潜り抜けた子供の過半数はむっつりとふさぎ込み常に相手の出方をうかがうようになる。

 そうでないものは、頭の動きが鈍く、享楽的で、だらしのない馬鹿になっている。

 アンネリーゼのように子供らしく、かつ、理性的でいられるはずがなかった。

 腐っても貴族ということで雑兵扱いされなかったエミリアでさえふさぎこみがちになっていたから、そのことはよくわかった。


 さらにアンネリーゼはすでに自分の分隊を持っていた。

 自分の取り巻きを引き連れて転属してくるガキ大将気取りの馬鹿どもは数多いたが、そういうことではない。

 アンネリーゼに付き従う子供たちは彼女に盲従するのではなく、また彼女も自分の分隊員を無意味に手荒に扱ったり馬鹿にしたりしなかった。

 初年兵にありがちな、生き残り同士の馴れ合いでもない。

 彼女たちはいかに自分たちがうまく生き残るか、それでいていかに周囲の恨みを買わずにいるか、そのために全力で知恵を出し合ったが、けんかや言い争いはほとんどしなかった。

 古兵どもは彼女たちを自分の奴隷のように扱おうとした――当時の戦地における初年兵の扱いとはそうしたものであった。

 実際アンネリーゼの分隊もそのように扱われたが、最低でも2名一組で行動する彼らは実に要領と手際が良く、何かにつけては初年兵をいじめたがる者どもに付け入る隙を与えなかった。


 アンネリーゼたちが転属してきて5日目のことである。彼女たちが押し付けられた仕事――薪拾いや洗濯はもちろんのこと、排せつ物の処理まで――をあまりにも的確かつ素早くこなすので、業を煮やした底意地の悪い古兵が彼女たちをばらばらにしてほかの子供たちと一緒にさせたことがあった。

 そうすると彼女たちはあてがわれた子供たちをさっさと自分の指揮下に置くか、さもなくば副官として立ち振る舞い、同じように要領よく仕事をやってのけて見せたのだ。

 仕事がうまく行かなかったのは、ほんの半日だけだった。

 おかげで部隊の生活環境が一気に向上してしまい、初年兵どもの揚げ足をとっていじめるつもりだった古兵は百人長直々に褒められ、彼らをいじめるどころか子や兄弟のように扱わざるを得なくなってしまった。

 これが長年どこぞの分遣隊に勤めていたものや、貴族の郎党をしていたもの、さもなくば商家の丁稚をしていたならば話は分かる。だが、強制徴募されたせいぜい11歳から12歳程度の、それも孤児院出身の子供たちのやったことである。

 異常としか言いようがない。


 そうこうするうち、彼ら百人隊は西方蛮族の一個集団と対峙することになった。

 西方蛮族はかつての魔王軍や聖法王国軍とおなじく兵站という概念を持っておらず、どこぞの野盗か狼の群れのように、緩やかな周期で定期的に集落を襲うのがお決まりであった。

 集団の人員数はだいたい500から600人規模で、女はともかく子供が混じっていることは少なくなかった。

 略奪された村や町は最初の一回目で男と年寄りは皆殺し、男子は見どころ或る者は戦奴隷として連れ去った。村々や町には女子供しか残らなかった。当然女は全員輪姦された。村から逃げると2日目には追い付かれ、引き戻された。

 彼らは大規模な会戦を徹底して避け、確実に勝てるときしかまともに戦おうとはしなかった。

 そのくせいざ戦闘を避けられないと悟ると悪鬼羅刹のごとく刃を振るい、魔族ですらひるむような残虐行為を楽しみながらやってのけたし、大規模な戦闘が必要となると騎馬の機動力を生かしてほんの一日で万を超す大軍を一か所に集めることができた。

 まさに蛮族、まさに暴風というよりない。

 その蛮族がアンネリーゼとエミリアの百人隊に襲い掛かろうというのである。


 敵接近の報を受け、百人隊は街道沿いの宿営地を引き払い近在の小山に陣を張り直した。

 アンネリーゼたち初年兵は街道沿いの森に潜み、敵偵察隊12騎を始末せよと命じられた。 

 目付け役としてエミリアと、例の底意地の悪い古兵も参加させられている。

 戦場で盾になるかどうかの試しのつもりでアンネリーゼたち初年兵を西方蛮族の偵察隊にあててみた古兵どもは、度肝を抜かれることになった。




「敵は騎馬斥侯12騎、歩卒なし。犬も連れていない。接触まで1時間と少しだ」


 斥侯に出ていた男子がアンネリーゼたちの元に戻るなり、簡潔に報告した。

 アンネリーゼは即座に子供たちの各リーダーを集めて、軍議らしきものを開いた。

 

「やつらはこの街道をまっすぐこちらに向かってきている。街道の上に6騎、街道から離れて左右に3騎ずつ分かれてる。先頭と最後尾は中央4騎から6馬身、左右の3騎は前後と2馬身ずつ、中央隊列から2馬身広げた隊列を組んでる」


 偵察に出ていた生意気な顔をした男子が地面に木の枝で図を描きながら、より詳細な報告を行った。


「いつものパターンね。別動隊は?」


 アンネリーゼが落ち着いた声を出した。


「ハンスが木の上から観察したけど、見つけられなかった。前衛中隊は歩きで2時間、敵本体まではそこからさらに1時間ほどの距離を行軍中らしい」

「ということは、偵察騎兵を打ち漏らすと30分程度で前衛中隊が襲い掛かってくるのね。ありがとう、エリオ。移動は5分後。段取りは任せるわ。ヨハンナ、仕掛けは?」

「3段目までは完成してる。逆茂木の設置は例の場所でいい?」


 ヨハンナと呼ばれた赤毛でそばかすの女子が答えた。


「そうね。それとここ。始めたらすぐに引っ張り出せるようにしておいてね。大仕掛けは?」

「森の中にたっくさん。落とし穴に吊るし木に跳ね木に簡易カタパルト。ちょいと檄を飛ばしたらあの子たちものすごい勢いでやってくれたわ」

「うまく隠せてる?」

「うまく隠せないやつをおとりにして、ちゃんと隠せるやつに誘導するようにした。罠としてはどっちも動作するから、うふふ、楽しいことになるわよ」

「ようし。すぐ移動して。みんなには隠ぺいを徹底させてね」


 アンネリーゼの指示が飛ぶと、ヨハンナはさっと駆け出し、自分の分隊の元に戻っていった。


「ちょっと待て、お前はさっきからいったい何の話を」


 アンネリーゼの指示を見ていた古兵が、怪訝そうな声を出した。


「敵を殲滅させる算段を整えています」


 アンネリーゼはぞっとするような冷たい目で古兵を見上げた。


「このツアニー街道はこの山地と森を縦貫しています。ここで街道の両側から森が迫って隘路になっているから、やつらは警戒を厳にするはず。でもここでは仕掛けません。この隘路を抜けたここで仕掛けます。そこならほんの少し、警戒が緩むはずですから」


 アンネリーゼが地面に描いた地形図を指し示しながら作戦の概略を説明する。

 その言葉にはよどみがなく、またその態度も堂に入ったものだった。


「ここで弓と簡易カタパルトで射掛けます。それぐらいではあいつらは混乱はしませんので、直後に逆茂木で前後を封鎖し、おとりの一個分隊で森の中におびき寄せます。ついてくるならしめたもの。ついてこなければ射撃継続。ついてこずに隘路を逆戻りするのであれば隘路で仕留めます。最後の選択肢には犠牲が伴うでしょう」


 古兵はぽかんとした。

 古兵といってもたかだか18~9の大人になり切れない少年である。

 アンネリーゼが言っている言葉の意味はわかるのだが、なぜアンネリーゼがそう言えるのかわからないのだ。

 エミリアはそうではなかった。エミリアはまだ16歳だったが、この手の戦術及び作戦論は貴族の子女として一通り習っているし、今の百人長のもとで騎士見習いとしてさらに勉学を重ねてもいる。

 その知識が、アンネリーゼの言葉にはある程度筋が通っていると告げていた。

 エミリアはアンネリーゼをもの知らずの初年兵ではなく、実戦経験を経てある程度の部隊指揮ができる、下士卒や自分たち騎士見習いと同程度の存在と見なすことにした。

 となればアンネリーゼに疑問をぶつけるのは義務となる。


「アンネリーゼ初年兵、そなたの構想は分かった。だが彼らが強行突破したらどうするのだ?」


 エミリアの言うことはもっともである。

 騎馬民族である西方蛮族の偵察騎兵の馬術にかかれば、子供の作る逆茂木などたやすく飛び越えられてしまう。

 そのままこちらの背後に回り込まれたら、いかに森の中とはいえ殲滅されてしまうのはこちらのほうだ。

 しかしアンネリーゼは呆れたような目でエミリアを見上げたのだった。


「あいつらは偵察騎兵ですよ? 情報を持ち帰るのが彼らの任務です。森の中で歩兵を相手にすれば、まぁ確かに我々も殲滅される恐れはありますが、そもそもが本隊に戻ることすらおぼつかなくなります」


「先ほどそなたは森の中におびき寄せると言った。それと矛盾するのではないか?」


 アンネリーゼはうれしそうに微笑んでから、地図の一点を示した。


「ですから、仕掛けるのはここ、街道側面で森がわずかに途切れ、馬が並んではいれる場所があります。ここで仕掛けるのです」


 ちなみにおとりは私と騎士見習い様、古兵殿が中心になります。ある程度見栄えのするものがおとりにならないと、彼らは食いつきませんので。なお、任務に当たっては現地指揮官たる私の指示に従っていただきます。拒否される場合は命令不服従の罪でこの場で斬首か、百人長殿の裁量にて10日間の重営倉です。聖法王国軍一般軍律第37条の2と教会騎士団軍律第43条3項の例外2、および軍事裁判判例集第9巻322ページ3段目記載の判例によればそうなっています。よろしいですね?

 アンネリーゼはこともなげに言い放ち、エミリアと古兵は絶句した。



 かくして彼らはやってきた。

 隘路の出口に伏せた初年兵たちはおびえ切っていたが、流石に半年間矢面にさらされ続けた者たちだけあって、おとなしく震えながらその場に伏せている。

 敵騎兵の先頭が隘路を抜ける。

 茂みの中からぎらぎらとした視線で敵を見つめるアンネリーゼの横顔を見ながら、エミリアは「どうしてこの子は」という思いを持った。

 その瞬間、アンネリーゼが低い声でエミリアに注意した。視線は敵に向いたままである。


「騎士見習い様、戦の最中に余計な思いは持たれぬほうが良いですよ」


 エミリアはぞっとしたが、その低い声がわずかに震えているのに気が付き、ふと微笑んでから視線を前に戻した。


「どうしました?」

「いや、そなたでも怯えるのだなと思って」


 絶句するのはアンネリーゼの番だった。


「……みんなには内緒に」

「わかっている」

 

 そういってエミリアはそっと左手をアンネリーゼに差し出した。

 それに気づいたアンネリーゼはエミリアを一瞥すると、その手を掴んだ。

 収まっていくわずかな震えは、アンネリーゼのものかエミリアのものか。


「私はあの子たちを無事に修道院に帰さなくてはいけません。あの頼りない子たちも。それが私の仕事です」

「そうだな。みんなで無事に帰ろう」


 アンネリーゼはそっと微笑み、至極素直な態度で、ありがとう騎士さま、とつぶやいた。




 そうこうするうちに敵偵察騎兵の最後尾が隘路から10馬身ほど離れた場所に来た。

 アンネリーゼは素早く左手を掲げ、エリオが離れた場所で「今だ!」と叫んですぐに伏せた。

 ヨハンナの指揮する分隊が森の若木を用いて作った簡易カタパルトで街道の反対側から射掛け、ハンスの分隊が樹上から弓で射掛ける。

 子供の引く弓であるからそのほとんどは敵に当たらなかったが、ハンスの弓の腕は別格であった。素早く隊列中央付近の信号手を射殺し、その次に先頭と最後尾、それから隊列中央の指揮官の馬を狙い、いずれも一撃で射殺す。


「逆茂木!」


 ヨハンナが叫ぶと、やけになった子供たちが逆茂木で街道を封鎖し、即座に森に戻った。




 蛮族騎兵の指揮官は素早く状況を確認すると射殺された兵の乗っていた馬の手綱を握る。

 部下たちは何も言わずとも敵の弓兵に対して射撃を開始している。当たっているかはわからないが、相手の射撃の速度と精度は落ちた。

 これまでの攻撃で、敵が子供の一個小隊程度であろうことは把握できた。

 前後は逆茂木で封鎖されており、森は深い。隘路になっていたところからの射撃が一番激烈であるから、そちらを強行突破するかどこか側面から包囲を脱出したほうが――

 左手前方に森の切れ目が見えた。馬が2頭は並んで走れそうだ。


『続け!』


 蛮族の騎兵隊長は一声叫ぶとそちらに向かって駆け出した。

 部下たちは即座に彼に続く。

 元気のいい騎兵が一人、尖兵を買って出て前に出る。

 いい男だな、と隊長は思った。娘が無事に育てばやつに嫁がせても良いな、とも。


 その時、逃げ込むべき森の切れ目に、粗末な槍を持った男児が数名現れた。

 彼らは騎馬が向かってくるのを見ると槍を捨ててみっともなく逃げ出した。

 おそらくは騎兵たちにとどめを刺そうと考えたのかもしれないが、あまりの騎馬の迫力に逃げだしたのだろうと思われた。

 となれば、やはりあの森の切れ目がこの包囲からの脱出口となるはずだ。逃げやすい経路で逃げるのは人間の本能だ。

 騎兵たちは馬を走らせる速度を一層上げた。降りかかってくる矢や石つぶても、今や彼らの速度に対応できない。

 先を行く尖兵役の若い男が隊長を振り返り、騎兵隊長は大きくうなずいた。

 若い男は曲刀を抜き放ち、肩に担いで森の切れ目へ駆け込み、その直後横合いから突き出された槍をまともに食らって馬から投げ出される。

 わき腹に槍を刺したまま立ち上がろうとする彼の前に誰かが立ち、首を刎ねた。

 暗がりから姿を現したのは年端もいかない金髪の少女。手にした粗末な長剣は血に染まっている。

 彼女の後ろから桃色の髪の女戦士と、それよりはまだ少年くささが抜けきらない歩兵が現れる。


『止まるな! 男は殺せ! 女子供は捕らえろ!』


 騎兵隊長の叫びを聞くと金髪の娘はにたりと笑って、ほかの二人を先に逃がした。

 これほどの襲撃をやってのけて見せたのだ。この子供たちには価値がある。

 それにあの娘!あの粗末なぼろを着た金髪の娘こそがこの部隊の指揮官に違いない。

 もう少し育ててから種を仕込めば、強い子供を産んでくれるだろう。

 そう思ったのは何も騎兵隊長だけではなく、蛮族の兵士すべてがそうだった。

 彼らは繁殖力が低く、それゆえに健康な子女を常に求めているのだ。

 激しく馬を走らせる彼らは、あっという間に娘の前に到達した。

 そのまま騎兵隊長は曲刀を振るう。生け捕りが目的だから刃は立てず、曲刀の腹で打つ。

 その時だ。


「いぃやああ!」


 金髪の娘は思いもかけない鋭さで剣を振るった。

 騎兵隊長の手首に熱さが走る。見ればぼとりと手首が落ちたところだった。


『ぐっ……くそ!』


 金髪の娘はどこだと見渡せば、騎兵隊長と轡を並べていた騎兵の太ももに切りつけていたところだった。

 たまらず騎兵が落馬する。空中でくるりと姿勢を立て直し、地面に降り立ったところでさらに金髪の娘が彼の内股に切りつけた。


『ぎっ!!』


 血がどっと吹き出し、騎兵は地面に倒れこんだ。

 金髪の娘は顔にかかった返り血を腕で拭うと、さっと踵を返して走り出した。


『くそっ』


 騎兵たちは彼女を追った。倒れこんだ騎兵を見ると、彼のもがき方はどんどん鈍くなっていく。あれではおそらく助かるまい。

 騎兵隊長は自分の腕を止血しつつ馬を走らせ、思った。

 畜生、なんとしてもあれを手に入れ、さんざんに犯しつくしてやる。孕ませてやる。子供を産ませてやる。そうでなくては釣り合わない。

 



 もちろんそうはならなかった。

 森の奥に誘い込まれた騎兵たちは、子供たちの作った罠に叩きのめされ、子供たちの粗末な槍と弓矢にかかって、一人残らず死んだ。

 アンネリーゼたちの損害は、3人が流れ矢で軽傷を負っただけだった。

 偵察騎兵からの連絡が途絶えたことをいぶかしんだ前衛中隊がやってくる頃には、アンネリーゼたちは尻に帆かけて遁走してしまった後だった。

 百人隊本部に戻るとアンネリーゼはエミリアと古兵を差し置いての指揮を行ったことにより越権行為の疑いをかけられたが、当のエミリアが古兵と手を組んで補充兵たちの実力を見ることにしたのであって、アンネリーゼたちは命令不服従も越権行為も行っていないと主張した。

 それは半分事実でもあったし、初年兵だけで敵偵察騎兵を迎え撃てという命令の出所をたどると、どうも面倒なことになりそうだということでその場は沙汰なしとなった。

 さらにその2日後、百人隊は復仇に燃える敵集団とまともにぶち当たってしまった。

 壊滅の憂き目を見た百人隊だが、エミリアが敵集団後方の森を焼いたことで危地を脱することができた。

 森を焼いて百人隊を助けるという提案を行ったのは誰あろうアンネリーゼであったから、彼女に掛けられた疑いはうやむやとなった。


 その後、各地でアンネリーゼのような補充兵や新任騎士が増え、聖法王国軍も教会騎士軍もかつての精強さを取り戻すと、それから2年ほどで聖法王国は大勢を覆すことができた。

 晴れて教会騎士となっていたエミリアはエラ修道会騎士として転戦することを望み、そのたびにアンネリーゼはエミリアと轡を並べた。かつての分隊員たちもアンネリーゼやエミリアと戦塵に塗れることを選んだ。

 さらに2年ほどかけて失地回復と西方蛮族残党の討伐を聖法王国は行った。

 彼女たちはときに仲間を失いながらも、お互いに助け合い、深い信頼で結ばれるようになった。


 失地回復戦争(レコンギスタ)のとき、教会騎士軍は聖法王国正規軍以上に宗教的情熱を持って法の執行に望むことで敵味方から嫌われる存在となっていったが、エラ修道士会騎士団だけは各地で歓迎された。

 彼女たちは何千ページもある法典の中から忘れ去られていた「緊急避難条項」を探し出し、それを積極的に活用することで再占領後の聖法王国領土、なかんずくその市民を安堵したからだ。

 つまり、エラ修道会騎士団は敵に占領されていた地域の「再教化」――占領地域住民の虐殺や農奴化を行わなかったのだ。

 その過程でエミリアとアンネリーゼは、エラ修道会がそうあれかしと望む騎士へと成長していた。

 それはつまり、アンネリーゼは自分の思うような自分へと成長していたということでもある。


 あるとき、休養期間中にアンネリーゼが騎士に叙せられたときのことである。

 エミリアはアンネリーゼがあまりにも騎士に叙せられたことを喜ぶので、なぜそんなにも喜ぶのかと尋ねたことがあった。

 そうすると彼女ははちきれんばかりの笑顔でこういったのだ。


 騎士になることが夢だったと。

 騎士になって、教会で偉くなって、人々を助けるのだと。

 私のような孤児をなくすのだと。


 エミリアは、その笑顔になにか奇跡のようなものを感じのだった。


――――――――――――――――――――――


 そしてエミリアは今、岐路に立たされている。


 エミリアは西方蛮族との戦争期間中に掲げた数々の武勲と、アンネリーゼをかばううちに身に着けた政治力で、ナスティア家をどうにか立ち直らせることが出来た。自分に替わり、実家の経営を任せた弟にも気立ての良い嫁を見つけてやることが出来た。

 エミリア自身も、教会序列正5位などという没落貴族の娘には出来過ぎな地位を与えられた。

 エミリアが6年間、教会と聖法王国市民へ献身した成果がそこにはあった。 

 そして教会は、中央修道会はエミリアにさらなる献身を求めている。

 魔王コーとザボス公爵の暗殺。

 わけも分からず国境を越えさせられたエミリアが、現地の連絡員から知らされた任務はそれだった。

 成功すれば仇敵たる魔族領は再び混乱に陥り、この160年間でつけられた技術的・経済的格差は大幅に弱まるだろう。

 山脈を乗り越えてくる敵が魔族だけでないと知れた今、仮想敵である魔族領を停戦合意のまま放置しておくわけにはいかなかった。山脈一つ挟んだだけの隣国とは、あまりにも技術的・経済的格差がついてしまっていることは、教会はよくわかっていたのである。

 失敗する訳にはいかない。失敗すれば教会は彼女を贖罪羊とし、一族の未来は永遠に閉ざされることになる。エラ修道会もおそらく大いに弾劾されることになるだろう。

 鬱屈した思いを溜め込み、魔族たちの平和な暮らしぶりをつぶさに観察しながら過ごしたこの1年。

 派遣されてきたのは生死をともにしたアンネリーゼ。彼女は変わるところが何らなかった。

 エミリアはこの一年で自分が大いに変わってしまったことを自覚していた。

 エミリアは教会、中央修道会の指示に従うしかない。彼女は守るべきものが多すぎた。守るべきもののためであれば、エラ修道会で仕込まれた騎士道など、泥の中に放り出さざるをえない。

 だがアンネリーゼはそうではない。どこまでもまっすぐで、騎士たるもの単純であれかしと願う少女は。


「なぁあんた、アンネリーゼはいつもあんな感じなのか?」


 幼児や魔族と戯れるアンネリーゼをのんきな顔で眺めるオーク。

 聞けばアンネリーゼは彼に2度も助けられているという。

 アンネリーゼが彼に多少の好意と信頼を抱いているのは間違いがない。

 そのあたり、アンネリーゼは実に素直に態度に表す。

 だが、任務に当たるときはまた別だ。アンネリーゼは感情を完璧に別の感情で覆い隠してしまう。

 エミリアは機械油臭いオークとともにアンネリーゼを眺めた。

 彼女は祭りで浮き立つこの村の空気を、誰より楽しんでいるように見えた。


 アンネリーゼは必ず中央修道会を裏切る。

 そしてエミリアは実家も、エラ修道会も、そしてアンネリーゼも守らねばならない。

 アンネリーゼを斬って捨てるには、エミリアは情がいささか厚すぎた。

 あるいは、笑顔で語ったアンネリーゼのあの夢を信じたいのかもしれない。




「いや……ボグロゥ殿。一つ頼みごとがある」


 エミリアの道は定まった。

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