女騎士は二度寝したい
真夜中。
「くそっ、くそっ、どうしてかからない、たのむ、動いてくれ」
教会騎士アンネリーゼ・エラは村はずれのバイク屋にそっと忍びこむと、ホンダ・ハンターカブCT110のエンジンを始動させようとしていた。
しかし店主に始動方法を教えてもらっていたにもかかわらず、うまくいかない。
そうこうするうちに、村の中心部の方の騒ぎが大きくなってきた。
冷や汗が顔面に浮き出たそのとき、小さいがしっかり通る声が背後から響いた。
「それはやめとけ。頑丈で燃費もいいが、あの峠を越えるにはパワー不足だ。それにそいつはその通り調子が悪い」
振り返ると、熟睡していたはずの店主が何かを投げてよこした。
「俺のSRを貸してやってもいいが、ありゃあお嬢ちゃんの手に余る。そっちのセローにしろ」
店主が投げてよこしたのはヤマハ・セロー225のエンジンキーだった。
訝しげな目でオークを振り返りながら、ハンターカブを離れ、2台となりのセローにまたがる。
今度はキック一発でエンジンが始動した。
「ボグロゥさん、」
「何もしゃべるな。出て行く前にヘルメットで俺の頭を殴っていけ。俺まで怪しまれる。さ、早く」
言われるままに店主の頭をヘルメットで殴って昏倒させたアンネリーゼは、乗り方を教えてもらったばかりのバイクで国境に向かって走りだした。
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事の起こりは数日前にさかのぼる。
アンネリーゼが目を覚まして一番最初に気がついたのは、リネンの下のクッションが藁ではなく綿だということだった。
よく干されたリネンの匂いが芳しく、寝ぼけた頭はそのままシーツの中へ潜り込もうとする。
柔らかくていい気持ちだ。
窓の外からは子どもたちの元気な声と小鳥のさえずりが響いてくる。
2、3分そのまま丸まり。
「!?!?」
違和感に気づいて飛び起きた。
綿詰めの布団で寝るだなんて、皇都の教会騎士団本部に行ってもなかなかできることではない。アンネリーゼは平民出身者では異例とも言える出世頭だが、その実は序列100位の中堅騎士にしか過ぎない。
実際、綿の布団で寝たのは4ヶ月前に皇都に呼び出されたときが初めてで、その時は感動で2時間ばかりも寝れなかったものだ。
そのあとはシスターにかなり強引に起こされるまで深い眠りに落ちたのだが。
ともあれ綿の布団という高級品にはそれだけの価値がある。
件の領地の査察を終えて帰還した時には、藁じきの寝台に逆戻りする有様だったからなおさらだ。
ではここは、と、改めて周りを見渡すと、なるほどかなり経済的に恵まれている家のようだ。
漆喰を塗った土壁に太く大きな柱は北国の農家風だが、騎士階級の男性が三人ほども寝転がれるような大きな寝台にこれまた大きなサイドテーブル、分厚い板でできた床は聖法王国の田舎貴族程度にならばけして引けを取ることはない。
部屋の大きさも大したもので、横16フィート、縦18フィートほどはあるだろうか。
ベッドの端から洗面台の置かれた壁際までまだ8フィートほどもある。
天井までの高さに至っては、ゆうに10フィートを超えている。天井板も反りのない綺麗なものであった。
左手の壁にはめ込まれた大きなガラス窓に至っては、一枚が彼女の肩幅ほどもある。このような高価なものを購えるのは、皇都の王宮貴族ぐらいだ。
土豪か村長かは知らないが、これほどの家があるのだ。この辺りはよほど儲かっているに違いない。
ともかく、差し迫った危険はなさそうだった。
彼女の長剣は窓側の枕元に立てかけてあり、甲冑具足は布を敷いた床の上にまとめてあった。
いずれも丁寧に泥を落とされ、鈍い輝きを放っている。
そういえば衣服は、と思い肌掛けをめくると、薄い肌着一枚にされていた。
とはいえ下腹部に痛みはないし、シーツにもシミはないから意識がない間に手籠めにされたということはなさそうだ。
狼に噛まれた手足の傷も、綺麗さっぱり、跡形もなく消えている。
頭は寝ぼけて少しぼんやりしているが、じきに明瞭になるだろう。
少しばかり安心したアンネリーゼは長剣を抱き寄せながら、ぼふっ、と音を立てて大きな枕に身を委ねた。
はて、皇都を出るとき国境近くにこれほど裕福な村があるとは聞いてなかったがなぁ、などと思っているとドアの向こうからトントントン、と軽やかな足音が聞こえてくる。
ドアがノックされた。
「……何か」
シーツの中で愛剣の鯉口を切りながら、アンネリーゼは答えた。
「あ、起きてらしたんですね。おはようございます、騎士様。失礼いたします」
と、やや幼い声の村娘が入ってくる。
綺麗な夜紫のショートヘア、大きな金色の瞳、身長は4.8フィートほど。アンネリーゼより5インチほど小さい。
可愛らしく幼い顔つきと言ってもいい。年の頃は10代なかばにも見える。
藍色の少しごわごわした見慣れない生地で出来たロングスカートに、淡黄色の木綿のシャツ。
その上から大きなエプロンをしているが、同性からみてもその体つきはちょっとびっくりするくらい艶めかしい。
耳は少し尖り、肌は褐色、止めに水牛のような角まで生えているのをみて、アンネリーゼはようやくここが魔王領であることを強く意識した。
村娘は水を張ったタライをサイドテーブルに置いた。
タライは一枚の板金を打ち出して整形したもののようだ。
継ぎ目もなければ槌目もなく、アンネリーゼはどうやればこんなものが作れるのかと訝しんだ。
「起き上がれますか?」
「ああ、まぁ。……しょっと」
上体を起こしたアンネリーゼに、村娘はタオルを手渡した。
手にしたタオルはふかふかのふわふわで、これまで触ったことどころか見たことも聞いたこともないような生地で出来ていた。
「それで身体をお拭きになってください。ご希望であればあとでお風呂を用意いたします」
村娘の言葉にアンネリーゼは顔をしかめる。
「それはつまり……陵辱されるなり食われるなりする前に身綺麗にしろ、と?」
村娘はきょとんとしたが、やがて合点がいったらしい。
「いやですよ騎士様。いくらわたしたちが魔族だからって、戦争でもあるまいし、そんな野蛮なことはいたしません」
角を生やした村娘はきっぱりと言い放ち、それから少し声を落とした。
彼女の目に怪しげな色が映る。
「もっとも、そういった趣味がお有りなら、個人的には検討いたしますけれど」
アンネリーゼは顔をかぁっと赤く染め、後ずさりした。
「冗談ですよ。お若いヒト族の女性の体臭をあまりに振り撒くと、村の若い衆が興奮しちゃうから……村にもヒト族の娘はいるんですけど、騎士様みたいに可愛くて綺麗な子はいないんですよ」
「ああ、うう、ありが、とう?」
褒めちぎられた女騎士は、なんとも緊張感のない返事をしてしまった。
「ふふ。それじゃあすぐにお食事をお持ちしますから、お待ち下さいね」
村娘はにっこりと微笑んで退出した。
騎士様、なぁ。
流れの傭兵か武装商人に見えるような荷造りと格好をしてきたはずだけど。
馬に乗って長剣抱えてれば、田舎者には騎士に見えるのかな。
それとも褒め殺しのつもりなのかな。
ああ、いやいや、いかんいかん。
私は潜入偵察をするために越境したのだ。
多少優しくされたからといって、心を許すようでは。
そんなことを考えながら固く絞った濡れタオルで首筋を拭くと、ごっそりと垢が取れてひどく心地が良かった。
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軽い朝食のあと(毒が混じっていないか気になったが、どのみち検査など出来はしないのだから覚悟を決めて食べたらかなり美味だった)、身支度を整えたアンネリーゼは応接間と思しき広間で村長を名乗る老人と、幾人かの人物を交えて会談していた。
応接間といえ、そこはやはり魔王領。一同はふかふかとした絨毯の上に置いた柔らかいクッションに座っている。聖法王国では全員が全員座って会談することは、会食でもなければありえない。
同席者は村娘、軍人と思しき緑色の斑の服をきた青年(人間で、まぁまぁの美形だった)、それと見覚えのある体格のオークだった。
ただの村娘と思っていた角娘は、なんとまぁ村長の妻であるとの事だった。歳も見かけどおりではないらしい。名はメルといった。
見ているこちらがハラハラするような露出の多い服装で、サービス役を行なっている。
ときおりお茶を注ぐついでにそっと村長に触れたり、それに対して村長が屈託のない微笑をみせている様子を見ると、少し居心地が悪かった。
アンネリーゼの服はきれいに洗濯され、シミひとつ残っていない。
面倒をかけたかとおもいきや、3日も寝ておられたのでかえって楽でしたとメルに笑われてしまった。
「ほう、では騎士アンネリーゼ殿は教会と対立されて?」
「望んで、ではありませんが。寄騎先にて代官と現地修道院が結託して民を苦しめていたとあらば、それを正さずして何が教会騎士かと先走りまして。しかし私の独断のため、助けたつもりの民や私を育てた修道院にまで累が及ぶのも忍び難く、こちらまで落ち延びた次第。……もし万が一ご迷惑をお掛けするようなことあらば、この素っ首、如何様にでも」
アンネリーゼは簡潔に、自分が越境した理由を打ち明けていた。
なぜこのことをあっさり喋ってしまっているかといえば、騎士と呼ばれているため事実がバレていると考えたからだ。
そうとなれば事実を用いて相手の信用を得るほうが簡単である。
一応の偽装身分とカバーストーリーも与えられてはいたが、任務の性質を考えるとそのほうが良いと思われたし、こうなった場合の対応を教会にも確認したところ、あっさり認められてもいた。
聖法王国は先の大戦から徹底した鎖国体制にあるため、彼らの天敵であるはずの魔物の生態や文化についてすらよく知られていない。
言葉が通じること自体すら彼女にとっては半ば想像の埒外であったが、現在行なっている会話のようなこと自体を協会があっさり認可したところを見ると、教会は想像できないほど深く魔王領のことを調査しているのではないかと思われた。
「お気遣い頂きかたじけない。先のいくさから160年、停戦の誓は未だに守られておりますゆえ、よしんば騎士殿に面倒を持ち込むものが居たとしても、それはこちらの民でありましょう。ならば聖法王国とのいくさにはならんでしょう」
上座に座る竜と人を掛けあわせたような見かけの老人は、白く長いあごひげを右手でしごきながら応えた。
この屋敷の天井がいやに高いのはこの魔物のせいか、とアンネリーゼは思った。
見かけこそいかにも長老、と言った風情だが、その身長はどう少なく見積もっても7フィート半はあったからだ。
これで醜く肥え太っていれば教会の教え通りに「魔物に対する純粋な殺意」の一つも抱けようものだが、その物腰や理知的なしゃべり方は、経験と教養の豊かな枢機卿の向こうを張るものだ。
信用はできないが、ある程度信頼するのは構わないだろうと思われた。
「それについては請け負います。騎士殿にはもう何日かお手数をお掛けしますが、通常の難民として受け入れられるでしょう」
まだらの服を着た青年が笑顔であとを継いだ。名をトマスという。
近くに駐屯する魔王軍の将校だそうだ。将校とは何かと聞くと、100人隊長やその副長などがいるでしょう、そういったようなものですよと教えられた。
見た目はそこそこにハンサムで、物腰も洗練されては居たが、アンネリーゼはあまり好きにはなれなかった。
相手が軍人だからではない。
この手の顔つきと物腰の相手は、物心ついた時からいやというほど見てきたからだ。
それらのほとんどすべてが俗物で、そのうちの半分は上司の太鼓持ち、残りの半分は自ら悪事に手を染めて悪びれもしないような連中だった。
例外も多少は居たが、絶対数はあまりにも少なかった。
しかしそれを顔面に表してしまうほど、アンネリーゼは世間知らずでもなければ愚かでもなかった。
いかにも『生まれて初めて見る魔物相手に威厳を崩すまいと必死な教会騎士が人間を見てあからさまにホッとしているものの、それすらもなんとか隠そうとしている』ていを装ったのみだ。
端的に言えば、ぎくしゃくと愛想笑いを浮かべ会釈した、ということである。
「ところで騎士アンネリーゼ殿、今後の身の振りようは何かお考えですかな?」
村長の言葉にアンネリーゼは素直に愛想よく答えた。
「いいえ。特には。ただ、しばらくここでお世話になって、魔王領の人々の慣習を習ってから、この国を見て回れれば。無論、何処かしかるべきところからの許可を得てからですが」
任務の内容をぶちまけてしまったに等しいが、楽観主義かつ現実主義のアンネリーゼはごくごく単純にそうなったら楽しいだろうな、と思ったのだ。
村長は鷹揚に頷き、メルは花が咲いたような笑みを見せた。
トマスはちょっと困ったような顔をしてみせたが、嫌だとは言わなかった。
さっきから一言も発さないオークがそっぽを向いて黙ったままなのがアンネリーゼは気にかかったが、そのうち面倒くさくなって、あのふかふかのお布団で二度寝したい、と考えてしまった。
オフトゥン……