女騎士と世界の歴史、の続き(2)前編
予想以上に長くなりそうなので2回に分けます
干しリンゴの切片は飴に包まれ、カーテンから漏れ出てくる朝の光を受けてキラキラと輝いている。
アンネリーゼは寝床に座り、包み紙の上のそれを見つめていた。
昨日の段階ですでに引くに引けないところまで来ている。
しかし、これを食べれば、あるいは。いや、どうだろうか。
周囲の者たちがまだ寝息を立てるなか、アンネリーゼはそれをかみ砕き、飲み込んだ。
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祭りの二日目、早朝。
村の目抜き通りは黒山のひとだかりだ。
通りに面した窓という窓には、鈴なりになったひとかげがある。
村役場の講堂の窓からも、難民たちが恐る恐る外の様子を覗いている。
やがて北のほうからバォンバォンという爆音がいくつもやってきて、通りのひとだかりが竹を割くように道を空けはじめる。
そのうちに爆音の正体たちが姿を現した。
魔王軍のパレードである。
将校役は馬とバイクに乗り、ガラの悪い歩兵はみな角の生えた甲冑を着込んで大声を張り上げながら進んでいく。
列の半ばには大きな3輪の乗り物と、その後ろにしつらえた玉座に座った魔王。
その顔は大きな兜に覆われて、伺うことはできない。
体格はそれほど良いものではないようだ。
「おらぁ! 困ってるやつはいねぇーかぁ?!」
「ヒャッハー! 汚物は回収して発酵させて畑の肥やしだぁ!」
様々な獲物を振り回し練り歩く魔王軍。
と、その前で一人のヒトの老人が道に倒れこんだ。
「オラオラオラオラ! 爺ィ! こんなとこで倒れちゃあ危ねぇだろ~がぁ~~~!? あぁ~?!」
人相の悪いゴブリンの兵が老人に凄みを効かせる。
「ひっ、ひぃい、お助けくださいまし……」
「たすけろぉ?! たすけろだぁ?! そんなもんオメェ、助けるに決まってんだろうが!」
兵は老人を助け起こすと傷がないか確認し、衛生兵を呼ぶ。
エルフの衛生兵は老人に体力回復と医療の魔法をかけると、もう大丈夫ですよ、お気を付けて、と声をかけた。
「ところでよぉ~~~~! 爺ィ~~~~! こりゃあなんだぁ~~~~~~~??」
ゴブリンがつまみ上げたのは小さな麻袋。
「そっそれはぁあ~~~! それは来年の分の種籾! それだけはご勘弁を~~~!」
老人は泣き叫びながら麻袋を取り戻そうとする。
当たり前だ、軍とは民衆から食料その他を巻き上げるものだからだ。
しかしゴブリンはそれをポンと投げ返した。
「はへ?」
「やい爺ィ~~~頼みがあるんだがよぉ~~~~! 麦の作り方を教えてくれやぁ~~~~!」
麦の作り方を教えろと大挙して詰め寄りだしたゴブリンをはじめとする魔王軍に、老人はおっかなびっくり麦の作り方を教えはじめた。
つまりこのどうしようもない下手くそな三文芝居は見世物に他ならない。
それも醜悪なまでに美化された、魔王軍による南方侵略の話である。
見ようによってはくだらない、歴史の曲解も甚だしい出し物を繰り広げながら、パレードは進んでゆく。
宿の2階の窓からそれを見ていたエミリアは、パレードが通り過ぎるのを見届けると微笑みを浮かべ、部屋の中に唾を吐いた。
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パレードがは中央の広場へとたどり着いて、しばらく後。
舞台の上で黒いローブに身を包んだコウタロウ、いや、今上魔王陛下コーが演説している。
内容は魔族の成り立ちと、その苦難の歴史を乗り越えた魔族領に住まうすべての者どもの偉大さについてだ。
「というわけで、コウタロウさんは当代魔王コー陛下にあらせられた、というわけさ」
「……そんなことだろうとは思っていたんですよ……」
それを舞台から少し離れ、村役場の前においてある石のベンチに、ボグロゥとアンネリーゼは腰かけていた。
頭を抱えてため息をつくアンネリーゼの顔色は、昨晩に比べればだいぶマシになっている。
どうしたのだと訊くと、ここ数日でいろんなことがありすぎて一時的に参ってしまった、甘いものを食べたらだいぶ楽になった、とのことだった。
まさかまたリンゴ飴じゃなかろうな、とボグロゥが茶化すと、アンネリーゼは何とも言えない顔をしたものだ。
「村長さんが前魔王陛下で、そのご親友が虐殺王ザボス公爵殿下、そしてその二人のご親友はだれかって言ったら、ねぇ」
「ちょっと出来すぎなような気もするけどな。ああ、ちなみに病弱な奥さんと子供が二人いて、陛下は家族を溺愛しているそうだ」
アンネリーゼはことさらに肩を落としてため息をついた。
彼女の年上好きは父親というものに対するあこがれの成分も多いのだが、となれば当然、想った相手が妻子持ちということはよくあることであった。
なお聖法王国において浮気を行うことは重罪である。
「でぇ、ちょっと話変わるんですけどぉ」
さて、実はそこにいるのは二人だけではない。
ボグロゥを中心に、モニカにシャンテ、エレーナをはじめとした村の内外の年頃の女性たちが群がっているのだ。
みなそれぞれがそれぞれなりに美しく、また可愛らしい。
「ボグロゥさん、なんでこんなにモテるんですか?」
「だったらいいんだけどなぁ、俺ァただの虫よけだ、虫よけ」
殺気さえ感じさせる目つきと低い声でアンネリーゼが問うたところに、至極残念そうな声音でボグロゥが返す。
それを聞いて周りの婦女子がクスクスと笑う。
「虫よけ?」
「12年ほど前かな、当時のシャンテはめっちゃくちゃにモテてな、って言えって言われてるから言うんだけど、」
「ボグロゥ殿!」
すまし顔をしていたシャンテが柳眉を吊り上げ、モニカとエレーナが口元を抑えて肩を震わせる。
「はは、すまん。いや実際、祭りのときに寄ってくる男がうっとうしかったらしくて、俺の近くにいたら多少は虫よけになるんじゃないのかってモニカが言い出してな。それからだな。まぁこんだけ女ばかりで集まってりゃ、女泣かすのだけが楽しみみたいなやつは逆に声かけづらいんだよ。で、相手が決まってるやつはここで待ち合わせ。ここにいる娘っ子と遊びたい奴は、ちゃんと皆に聞こえるように言わなきゃダメ。いつの間にやらそういう仕組みになったんだ」
「ふぅん」
その割には、ボグロゥ目当ての女も多いのではないかとアンネリーゼは疑った。
シャンテこそ女たちの外周に居るが、モニカは巨大な胸をボグロゥの右腕にむにむにと押し付けているし、エレーナとこれまた胸の大きなアラクネの女性は背後からボグロゥの肩にしがみついている。
極め付けには両ひざの上に、子供にしか見えない小人族だかドワーフだかの女性を二人も乗せているのだ。
そして周囲にはその数倍にもおよぶ女性の数々。
その全員が聖法王国の基準から言えば猛烈に過激な服装をしている。
ちょっと離れて見てみれば、かつてンゴワが作ったというハーレムのようである。
そういう状況のボグロゥは、鼻の下を伸ばすまいと何とかいかめしい顔を作るのに努力している。実際に困ってもいるようだ。
なんとなく面白くなくなったアンネリーゼは、ちょっと姿勢を変えると腕組みしているボグロゥの左腕にもたれかかった。
「虫よけですかぁ」
「虫よけだって」
おびえたような声でボグロゥが応える。
アンネリーゼは自分がどれだけ剣呑な声を出しているかに気付いていなかった。
壇上では魔王の演説が続いている。
――かの勇者は我らに真の団結の大事さと、どのようなものにも誇りがあることを伝え、停戦の約定を交わしたのです――
「ゆうしゃ」
アンネリーゼはむすりとした表情のままつぶやいた。
「アンネちゃんのお国では、勇者様のことは伝わってないんだっけぇ?」
モニカがボグロゥ越しに相槌を打つ。
「そうなのよね。ただ一人で聖法王国軍を立て直し、魔王に深手を負わせ、魔王軍を追い払う。そんな人が教会の経典どころか絵草子にすら載ってないのよ。というか、たった一人のヒトにそんなことできるわけがないし。私は勇者の実在をかなり疑っているわ」
「勇者様は私たち魔物の命も救っていたからぁ、なおさらねぇ」
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1749年秋からの5年間は、戦線は再び膠着状態となった。
この間、魔王軍は聖法王国領で得た農業や統一された貨幣経済と信用取引、共通語などなどの知見を魔王領内に送り、兵役解除となった魔王軍元将兵という人材の経験と知恵を生かして魔王領での改革を急速に進めている。
それはギュンターたちが失敗した改革のやり直しそのものであった。
また、占領地域内での農業革命をも進めている。
4圃式農業はもちろんのこと、大陸東端には珍しく軟水が流れるサンツァー河流域の湿地地帯では水稲の栽培を行い、最初の収穫となった1750年の秋に副王コーが鬼族の古老たちを伴い食味検査を行っている。
このときコーと鬼族の古老たちは涙を流しながら何杯も炊いたコメを食した。
鬼族の故地である東洋皇国でのコメの味とそっくりであったからだそうだ。硫黄分の強い水系が多い魔王領内でのコメの食味の改善は実際このあと60年後になってようやく進展を見たため、古老たちの気持ちもわからなくもないといえる。また、このとき『鬼の目にも涙』という言葉が生まれたともいわれている。
ともあれ湿地での耕作が可能であるという事実は占領地域の農民を大いに刺激した。つたない手つきで地面をひっかく魔族にできて、どうしてヒト族の農民にできないことがあろうか?
奮い立った占領地域の農民たちの奮闘により1752年までの間に耕作地域は一気に倍増。
この時期に開墾された土地は戦後においても断絶の壁の南側のヒト族の胃袋を膨れさせることになった。
聖法王国領内でも農業を中心に改革が進んでいる。
4圃式農業など耕作方法の改善については1751年に提言がなされ、1752年春までには少なくとも48の修道院の管轄地域で導入されている。
農業以外の分野では複式簿記の導入が軍と商人を中心に進んでおり、また同時に兵站システムも従来の現地調達式から大規模な兵站部隊を用いるものへと変化している。
銃砲の導入や魔法の改善も、この時期に進められている。
銃砲については聖法王国内での出土品は禁忌であるため使用せず(そもそも400年ほど前に聖法王国内の『遺跡』からは銃砲の類は出土しなくなっている)、戦場鹵獲品とそのコピーが用いられた。戦後すべて鋳つぶされたことは先に述べたとおりであるが、その運用はやはり農民主体の歩兵によるものであった。
魔法については従来は一撃の威力を重視されていたが、威力には多少劣っても連射や持続発射が可能な攻撃魔法、肉体や物体の強度を長時間にわたって向上させる加護魔法、回復/医療魔法といった部隊全体の能力向上に寄与する魔法の開発が行われている。
魔族と比べて桁違いに魔力の少ないヒト族が一撃の威力で立ち向かことの愚を知ったのである。
魔王軍は、聖法王国内に放った密偵たちの報告で明らかになったこの変化をいぶかしく思ったが、、ある一人の人物にその原因があることを突き止める。
名前はもちろん性別、年齢、出生地にいたるまでが一切不明。
しかし確実に存在しており、『勇者』と呼ばれている。
副王コーはこれを脅威と見て取り、ザボス、リンゥエと共謀して新たな密偵、というより暗殺者を送り込んだが、彼らは何の成果も得られぬまま連絡を絶ってしまった。
1754年秋。
2年前より兵力動員を進めていた聖法王国軍は、30万の兵力を号するに至る。
彼らは皇都前面に兵力を集中させると、進撃の構えを見せた。
対する魔王軍は兵力24万に増大している。
聖法王国軍の動員を受けて再招集した将兵と、現地で志願した兵を加えての数である。
彼らが守勢に回るのであれば、攻撃側3倍則の原理(攻撃側は防御側の3倍の兵力を持ってようやく確実に勝てる)に則り、魔王軍の有利は揺るがない、ということになる。
しかし現実は違った。