女騎士と密談
「皆様、ご紹介いたします。こちら教会騎士正5位、エミリア・ナスティア卿。先の西方蛮族との戦では私の先輩であり上司でした」
その夜、村長宅に集まった面々の前でアンネリーゼはエミリアを皆に紹介した。
集まったのは村長一家とザボス一行に加え、ボグロゥ、開拓祭を運営する村役場の役人たち、ラウルをはじめとする難民の一部、トマスと駐屯地司令と他何人かの軍人、それにコウタロウとその供回り数名だった。
なんのかんのと言って20名を越えている。
通常ならばこれだけの人数であってもメルとシャンテとモニカの3名でサービスを行うのだそうだが、祭りということで二人は休みをもらっている。飲食物はすべて地元の店からケータリングされたものだ。
田舎にしてはいやに躾のいきとどいた給仕たちが村長宅の応接間を行き交い、サービスを行っていた。
その末席に、アンネリーゼとエミリアは席を連ねているのである。
「ただ今ご紹介に預かりました、『元』教会騎士正5位エミリア・ナスティアです。この場に居られし貴顕の皆様にご挨拶を許されること、誠に光栄に存じます。騎士爵しか持たぬ身の上につき、どうかエミリアとお呼びくださいませ」
クッションを降り、直に床に膝と手をついたエミリアはそう挨拶しながら深々と、優雅に頭を下げた。
編み上げたピンクゴールドの髪を後頭部で丸めたエミリアのうなじが顕になり、ザボスの目がそこに向けられる。当然アンネリーゼと他数名がそれに気づき、ものすごいジト目でザボスを見やった。
村長――前魔王ギュンターが咳払い一つし、挨拶を返しつつ一同を紹介する。
「過分なご挨拶を頂き誠にありがとうございます。どうか頭をおあげください、エミリア様。私はこの村を預かっておりますギュンターと申します。これは私の妻のメル。そちらはコウタロウ・スギウラ。私の長年の友人です。そちらはザボス公爵……」
順繰りに人物を紹介するギュンターたちの振る舞いは奇妙なものだった。
長方形の部屋であるにもかかわらず、宴席は箱形ではなく車座に組まれているが、その中でギュンターは上座から少しずれた位置に座っているのだ。上座に座っているのはコウタロウに見えなくもない。
メルもあれほど人目をはばからずギュンターに甘えていたのが嘘のように、ギュンターの右隣でかしこまっている。昨日など、ともすればギュンターのあぐらの中に身を滑り込ませていたほどなのにだ。
ザボスとボグロゥは昨日とあまり変わる様子がなかったが、アンネの右隣に座ったシャンテはカチコチに固まっていたし、ふだん飄々としているように見えるモニカですら背筋を伸ばしている。
その原因は明らかに 新たな客人であるコウタロウにある。
ニコニコとしながらもコウタロウは床に置かれたクッションの上に、長い脚をきれいに折りたたんで座っている。
背筋はピンと伸び、手は軽く握られ膝の上。
ただ座っているだけなのに、嫌に迫力と色気がある。
供回りの者たちですらもう少し乱暴な座り方をし、他の者達に至ってはほとんどがあぐらを書いているにも関わらず、だ。
コウタロウと同じ座り方をしているのは脂汗を浮かべているシャンテただ一人。
だが、それは格好をつけようというものではなく躾によってそうしているのがありありと見て取れたし、ザボスの供回りや村の役人たちの態度からコウタロウが何か特別な地位の人物であることは容易に推察できた。
となれば無論エミリアも騎士としての態度礼節をもって席に望むことになる。
その所作は実に立派なもので、騎士爵しか持たぬとはいえ貴族階級出身者であることを思わせたが、同時にそれなり以上の緊張感を持っているのもまた明らかだ。
ラウルたち難民に至っては、何がなんだかよくわからないがともかく席を辞したほうが良さそうだと言わんばかりの表情になっている。もっともこれは当たり前だといえた――ギュンターとザボス、おまけに駐屯地司令(彼らの認識では当地の騎士団長)などという『貴顕』と宴席を同じくするなど、恐れ多すぎて想像だにしないことであったからだ。
翻ってアンネリーゼを見れば昨日と同じくそれなりに気楽な態度であり、コウタロウと視線が合ったときは顔を真赤にしてはしゃぎさえした。なんとも図太いというか、ここ2、3日で見たまことに彼女らしい態度ではあったが――どことなく元気がなく、ボグロゥはそれが大いに気に食わなかった。
そういった硬い雰囲気を崩したのは、ある意味で予想通りザボスであった。
「では各々方、飲み物を持たれよ。これ、端女ども、うぬらもなんぞ適当に持て。構わん構わん。ギュンターが許すよってな。これ、コウよ。御身もそのかたっ苦しい居住まいを崩さぬか。御身は毎年毎年、我に何度言わせれば気が済むのだ? ギュンターもだ、お主がそのように固くしておっては酒がまずくなるだろうが。どうせお互い老い先短いのだ、恋女房の気持ちぐらい酌んでやれ」
戦や斬り合いの緊張感や空気は好んでも、職務以外での重い空気はどうも気に食わないらしい。ゆえにザボスは乱暴かつ気楽な言葉を給仕たちにも掛ける。
ザボスの言葉のだしにされたギュンターとコウタロウは顔を見合わせ苦笑した。
コウタロウは足を崩し、ギュンターはひょいとメルを抱え上げて自分のあぐらの中に抱き込んだ。メルは真っ赤に茹で上がるとギュンターの胸に顔を埋めてしまった。よく見れば、びっくりするじゃないですか恥ずかしい、とかなんとか言いながらメルはドスドスとショートパンチを夫の腹に入れている。
それに難民たちがおどろいて顔を見合わせると、ギュンターはメルを優しく撫でながらこれまでになく晴れやかな声を出した。
「まぁ、魔王領というものはこういう土地です。すぐに慣れろとは申しません。まず酒と料理だけでもお楽しみください。それにまぁ、せっかくの祝の日です。あまり堅苦しいのは良しとしましょう。では、ザボス公」
「なんじゃい、そこで我に振りよるか。まったく、お主は要領が良いというかなんというか……あいや、文句はありませぬぞ、メル様。これは友とのじゃれあいにつき」
「良いから早く乾杯の音頭をお取りくださいませ」
「アッハイ」
ギュンターの腕の中からジト目を寄越したメルに気圧され、ザボスはグラスを掲げた。
あるものは優雅に、またあるものは典雅に、あるものはふてぶてしく、あるいは恐る恐る、またあるいは堂々とそれに続く一同。
「より良き明日に」
「より良き明日に!」
魔族というからにはヒト族をどうとか言うのかと思っていた難民たちは、そこでもやはり驚いた。
驚いたが杯を掲げ恐る恐る酒をなめてみると、思った以上にうまい酒だったので、もう一段驚いた。
そんな彼らの様子を見て、魔族たちは嬉しそうに杯を勧めるのだった。
---------------------
多少ぎくしゃくとした空気は残しつつも、宴は和やかに進んだ。
コウタロウや、クリスティーナという駐屯地司令はアンネリーゼや難民たちの話を聞きたがり、モニカやメルの介添えもあり彼らは進んで質問に答えた。
駐屯地司令は穏やかな顔つきをした褐色の肌を持つ鉱龍族で、はっとするほど美しい麗人でもあった。
正直ギュンターにはこちらのほうが似合いなのではないかとアンネリーゼは思ったが、当の本人はむしろメルやエミリアに強い関心を持っているふうだった。
その様子を見てボグロゥが茶化そうとしたが、駐屯地司令のひと睨みで凍りつく。美人の冷たい視線には、たとえ魔力がなくともそういう効果がある。
話はエミリアにも及び、一年前にリアット峠を越えたという彼女はここ一年の旅の感想を緩急つけて巧みに語って聞かせた。隣で聞くアンネリーゼや難民たちの表情は真剣なもので、先に魔族領に慣れたものの言葉を聞きのがすまいとするかのようであった。
そのうちに酔いが回ってくると、いい気分になったザボスが応接間の庭に面した戸をすべて開け放ち、その廊下(シャンテはそれをエンガワと呼んだ)で何やら古い唄をうなりながら舞を踊って見せた。
それにギュンターとコウタロウが混じり、ザボスが自分とコウタロウの供回りも招き寄せて一緒に躍らせ場を盛り上げる。
難民たちは、魚採り唄やら麦踏歌などを滑稽に演じてその返礼としたのだった。
---------------------
村長宅の庭の片隅で、若い男が二人、酒をなめなめ語り合っている。
表情は晴れやかなものだ。
縁側ではコウタロウの供回りがかくし芸を無理やりやらされており、背後の村の広場では酔っぱらった者どもが歌を吟じたり女に声をかけたりひっぱたかれたりと騒がしくも楽しい祭りの夜が繰り広げられていた。
「どう思います?」
「さてね。彼女たちは目立ちすぎる。金髪のお嬢さんだけかと思ったが、ピンクのお姉さんもまた」
「難民たちもあの数で来られるとなかなかですね」
「制圧にはさして時間はかからん。必要となればいつでも行くぞ。部隊はすでに潜入してる」
「そこまで物騒な話ですか」
「そこまで物騒な話なんだよ。なんでこの日に彼らがくる? なんで彼女たちはこのタイミングで次々ときた?」
「公安はそう見てるんですね」
「諜報部はそうではないのか? この話はずいぶんと前にそちらに流したはずだが」
「正直わからないですね。作戦部や民部省移民局との綱引きもありますし」
「君の上はなんと言ってるんだ」
「最悪の事態は回避しろ、とだけ」
「なんとまぁ。どうしてそうなった? やる気がないんじゃあないのか」
「どうなんでしょうね。まぁあちらも政変の雰囲気がありますし、軍はそもそもこの規模の国内治安対処には動けませんし。それにしたって下に丸投げだなんて前代未聞ですよ」
「ちょっとまて、あちらにそんな動きがあるなんて話は聞いてないぞ」
「そりゃあまぁ。特級機密事項ですし」
「誰の許可でそれを、ああいや、言わんでいいが」
「独自判断です。事前に許可はもらってますからご安心を。正直ここに課員が僕一人だけじゃあ、こういう事態に対応できないのは最初からわかりきってますからね。まったく、東海洋がきな臭くならなければよかったのに」
「どんな規模だ?」
「あちらの修道会の、少なくとも一つが異端としてパージされかけています。北部を中心に8つの支部と20の傘下教会を持つ会派です。このままだと2年以内に内戦ですね」
「なるほど。だから君たちは慎重に動員準備を進めているのか。俺たちはてっきりクーデターかと思っていたぞ」
「近日中にはそちらに情報提供する予定だったんですがね。あまり早く知らせると情報が拡散しすぎて、防諜の穴が見つからなくなるんで機会を伺ってたんです」
「で、その情報と見返りに手助けをしろと?」
「いえ。僕の任務は適切なときに適切な人物に情報を渡すことに変更になっていましたから。あとはまぁ、軍人らしく振る舞うだけですね」
「いいのか? 使い捨てにされるぞ」
「なぁに、命まではとられんでしょう。たぶんここで徴募官かなにかにされるんじゃないかな。そうなったらバイクの乗り方教えてくださいよ。気持ちのいい日に彼女を乗せてピクニックとかしてみたいんで」
「それはいいが、バイクに関しては俺より適任がいるだろう」
「いやぁ、あの人は巻き込めませんよ。ことが終わった後が怖いです」
「それもまぁそうか」
「プレーヤーはこれだけだと思います?」
「プレーヤーか駒かはわからんが、ひとまずはこれだけだろう。そうあってほしい」
「つまりそんなわけはないと」
「わかってるなら皆まで言うなよ」
「ともかくここ2~3日が山場です。協力は惜しみませんので、何卒よろしくお願いいたします」
「わかっているさ。そのためにここまで来たんだ。よろしくお願いされようじゃあないか」
片方の男がはぁとため息をついたとき、村長宅のエンガワから声がかかった。
何をやっとるお前らぁ、芸を見せよとはいわんが客を接待せんかぁ。
それを聞いて男たちは顔を見合わせ、呆れたように笑って肩をすくめた。
「客を接待せよとは、またなんとも」
「なぁに、その通りじゃないか。俺達がやらなきゃいかんのは、そういうことだ。ああ、ところで」
「なんです?」
「その、パージされかけてる修道会の名前はわかるのか?」
「エラ修道会です」
---------------------
ほろ酔いという具合もだいぶ過ぎ、泥酔一歩手前になってラウルたち難民は席を辞した。
アンネリーゼとエミリアは難民たちを送ってから、村長宅の庭の隅のベンチに座っていた。
二人の間には強めの酒の瓶が置いてある。
「ま、今さらだが、お互い元気で何よりだ」
「ええ。でも……先輩は雰囲気が変わりましたね」
快活な様子のエミリアに対し、アンネリーゼは少し暗い雰囲気だ。
「お前もな」
エミリアはふっと笑うと、アンネリーゼの髪をなでた。
「……やるんですか」
「ここでする話じゃないだろ、それ」
二人の念頭には、昼間に再開した後、ふたりでリンゴ飴を食べていた時のことがある。
ボグロゥが気にしていたアンネリーゼの妙な暗さはその時から始まっていた。
エミリアは瓶を口につけ、大きく煽った。
大きくさらけ出された胸の谷間と太ももにこぼれた酒が伝う。
「……どれだけ変わっても変わらないものもある。それを私たちはあの戦場で習い覚えたはずだが?」
アンネリーゼは返事をしなかった。
「それに、我らがやらねば修道会は危地に立たされる。我らは帰る場所を失うぞ」
エミリアは酒の瓶をアンネリーゼに押し付けた。
「まぁいい。明日半日しっかり遊んで、覚悟を決めることだ。我らはもう後には引けん。今日は休め。私も休む」
そう言って先にベンチを立ったエミリアは、エンガワの下で膝をついて席を辞することを酒宴に告げた。
当然ザボスとクリスティーナが引き止めようとしたが、メルが注意するとザボスはしぶしぶと、クリスティーナは少し嬉しそうに今日の別れを口にする。
振り返ったエミリアはアンネリーゼににこやかに手を振ると、宿屋へ向かって歩いて行った。
その場で少しの間ぼんやりしていると、アンネリーゼに大きな影が掛かった。
「よう、大丈夫か?」
「……ボグロゥさん」
ボグロゥはアンネリーゼの前に座り込むと、心配そうにアンネリーゼの顔を覗き込んだ。
「なんかあの女、お嬢ちゃんの先輩らしいが、あいつと会ってから様子が変だぞ。なんか言われたなら」
それを聞いたアンネリーゼは無表情になり、おもむろに瓶の中身をボグロゥの頭からかけた。
「先輩の悪口は言わないで」
アンネリーゼはすっと立ち上がると、エミリアと同じように宴席を辞することを告げに行った。
その足取りは昨日ほど酔っていないであろうにも関わらず、どこかおぼつかない。
今日は難民たちと一緒に講堂に泊まることを告げるとシャンテが送っていこうかと声をかけたが、アンネリーゼはそれを朗らかに断った。
荷物を受け取るとアンネリーゼは庭を出て講堂へ向かう。
「アンネリーゼ」
その彼女に、ボグロゥは生け垣越しに声をかけた。
「すまなかった。また明日」
声音に怒りは含まれていない。
ただ彼女を心配するオークの気持ちだけが込められていた。
「……また明日」
騎士アンネリーゼは消え入りそうな泣き声で、それに応えた。
エンガワ・スイカ・シークェンスをプロットに入れ忘れてました……