お風呂にドはまり女騎士
むろん、このようなことを幼女相手に長々としゃべくり倒すギュンターではない。
彼が語ったのは、昔ヒトと魔族の間で大きな戦争があったこと、ヒトの国に攻め込んだ魔族はそこで出会った人々との営みの中でヒトの言葉を学んだこと、勇者に負けて魔族領に戻った魔族たちはもうヒトを憎んでいないこと、むしろいろいろなことを教えてくれたことに感謝している、ということだった。
ものの5分とかかっていない。
これがザボス公であれば、歴史のうんちくも披露して半日がかりの話であったろうなとアンネリーゼは思った。ボグロゥもそう思った。モニカもシャンテもそう思い、より正確に言えばその場にいたザボス以外の全員がそう思った。ギュンターとメルとザボスの供回りたちに至っては、傍で聞いていた彼が口を挟まなかったために今から大嵐になるのでは、とすら思っていた。ゆえにザボスが周囲の視線を集めるのは当然のことである。
周囲からの視線にいたたまれなくなったのかザボスが「なんだ」と声を上げると、全員が全員肩をすくめて「いいえ、べつに」と異口同音につぶやいたことは特筆に値するであろう。
それはともかくとしてクロエ嬢はどうやら納得がいったらしく、感心した様子でしきりに「これからなかよしにならないとだめなんだねぇ」と一人うんうんとうなづいていた。
「そうだよ、お嬢ちゃんの言う通りさね」
と、そこへ食堂の女将がほかの出店の者どもを率いて帰ってきた。
みな手に手に自分たちの料理を携えている。
どうやら甘味が多いようだ。
「さて、疲れをとるにはダメ押しの甘味が一番だ。みんなも食べな。今日は村長様のおごりだ!」
女将がそういうとみんなわっと沸き立ち、戦場から帰ってきた兵士たちもまじえてあとは無礼講となった。村長の家の御台所、つまり家計を担当しているシャンテは怖い顔をしたが、アンネリーゼたちが初めて見るホイップクリームの甘さに顔を輝かせているのを見て、まぁいいかとつぶやいた。
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難民たちの宿舎は村役場の講堂が充てられた。
真ん中に間仕切りが立てられ男女にスペースを分けられた講堂は、40名ほどが寝床を広げてもまだ余裕がある。難民の半数ほどはそちらで体を休めていた。
もう半数とアンネリーゼ、クロエと女衆は村の大通り中ほどにある風呂屋に来ていた。
「ぐへぇええええええええええ~~~~~~~~~~~~♡」
「……おい」
「アンネちゃん……」
「おねえちゃん……」
「あらあらまぁまぁ」
「まぁいいじゃないかい、ここの湯は気持ちがいいからねぇ」
村役場の講堂よりもまだ大きな漆喰が塗られた部屋の中に、これまた大きな湯船が1つ。部屋全体で詰め込んで100人、湯船にはゆったり20人は入れそうだ。
恐る恐る湯船に浸かった次の瞬間、だらしのない声を上げたアンネリーゼ。それを隣でたしなめるシャンテは背筋をピンと伸ばして湯に浸かっている。
クロエはメルに頭を洗ってもらいながら石鹸の泡にきゃいきゃいと声をあげ、メルとモニカはいつくしむようにクロエの面倒を見ている。
エレーナは湯船に船盆と酒を持ち込み、手酌で盃をなめていた。
「アンネ、お主は誠に騎士であるのか。私が知る武家の子女というものはだな」
「え~~~いいじゃないべつに~~~~~~~~~~あたしもう教会騎士じゃないし~~~~~平民出身だし~~~~~~~」
蕩けきった顔で湯船のへりにしがみつきながら体を溶けるに任せているアンネリーゼは、そんなことをのたまった。頭の片隅で、本当にそうなったらどんなにいいだろうとかすかに思う。思うが顔には出さなかった、というより出せなかった。それほどに湯に浸るという行為は甘美であった。
聖法王国ではぜいたくは敵である。
湯船に満たしたお湯に浸かるというぜいたく行為が行えるのは、公式には何か重大な式典に参加する前ぐらいである。普段は良いところ湯を浴びるか蒸気風呂にはいるかであって、たいていの庶民は水浴びか硬く絞った布で体をぬぐう程度で済ませている。平民出身であるアンネリーゼも似たようなものだった。
ゆえに湯に浸かるという行為がこれほど気持ち良いものだとは知らなかったのである。
「ふぇえええええええええ♡」
「だーかーらー」
「シャンテちゃん! おねえちゃんいじめたらだーめ! おねえちゃんつかれてるんだよ!」
アンネリーゼをたしなめようとして、逆にクロエに叱られてしまうシャンテ。しかもちゃん付けである。
これにはシャンテも面喰ったが、すぐさまアンネリーゼがとりなした。
「クロエ、シャンテはクロエよりずっとお姉ちゃんなんだから、シャンテちゃん、て呼んだらだめでしょう?」
「うー……じゃあシャンテおねえちゃん!」
ほんの少し考えるそぶりをしてから、大きく体を動かしてそう言うクロエ。その拍子に石鹸の泡が目に入り、思いがけない痛さにいやいやをして転びそうになり、メルのたわわな胸に受け止められた。
「ハッハ! 鬼のシャンテ姐をおねえちゃん呼ばわりたぁ大した度胸だ! この子は将来大物になるね」
「叔母上、からかわないでください」
「シャンテおねえちゃんは、シャンテおねえちゃんてよばれるの、いや?」
エレーナの言葉にシャンテが反応したが、モニカとメルにお湯をかけられ目の痛みから解放されたクロエが悲しそうな声を出した。
いつの時代も言うように、泣く子と地頭には勝てぬ。
地頭とは地侍、要は荘園領主や名主のことであり、時代とともに対象は変わっていったが、泣く子だけはその地位を揺るがせない。
つまりはシャンテも同様で、ああ、うう、しょうがない、と困った声を出しながら了承してみせた。
メルとクロエとモニカも湯船につかり、やはり感極まった声を出し、シャンテはやはり眉をしかめた。
ぷかりぷかりとメルとモニカの大きな胸が湯に浮いている。
隣を見ればエレーナの胸も湯からちょいと顔を出している。
アンネリーゼはどうだと見ると、メルやモニカほどではないにせよ、これまた堂々としたものだった。すくなくともエレーナとタメは張る。
さて自分はと言えば、なんともまぁ寂しい限り。
ぐぬぬとシャンテが歯を食いしばっていると、難民のうちの一人が湯船に近寄ってきた。
「ちょいと騎士様、アタシも入っていいもんかねぇ」
「ゼラおばちゃん!」
メルの膝に抱かれてアンネと遊んでいたクロエが難民の名を呼んだ。
セラと呼ばれた女性は、年は取っているが腰は曲がっておらず、確かに年相応にくたびれてはいたがそれを感じさせないかくしゃくとした雰囲気を持っていた。
「ああ、クロエかい。アンタぁいつも元気だねぇ。元気なのはいいことだ」
「うん!」
「かまいませんよ。教会の戒律などお気になさいますな。追い出しておいて文句をつけに来る、暇な坊主もおりませんよ」
「騎士様がそういうならそうなんだろうねぇ、じゃあちょっと失礼しますよ」
アンネリーゼが答えるとセラはアンネりーゼの向かいに入り、迷わず肩までつかった。感極まった声を出すかと思いきや、鼻でため息を漏らしただけである。背筋も伸び、田舎の老婆という風には見えない。
「はぁ、いやぁこりゃあいいもんだ。まるで生き返るようだねぇ……どうしたんだい」
ゼラの凛とした雰囲気にシャンテとともに見入ってしまっていたアンネリーゼは慌てて答える。
「あっ、いえ、べつに、その、あんまりお美しいので……」
隣でうんうんとシャンテがうなづく。
「あっはっはっは! おかしなことを言う騎士様だねぇ! 騎士様や、みなさんのほうがずっと綺麗じゃないかい!」
アンネリーゼはいえいえそんなことはと手を振った。
実際にゼラは年老いてこそいるが、それでもやはり美しいのだ。
「でもありがとうございますよ。アタシも死ぬ前にこんないい風呂にはいれるなんて、思ってもおりませんでしたよ」
ゼラは満足げにゆっくりと湯の中で手足を伸ばした。
そんなゼラにアンネリーゼは恐る恐る声をかける。
「あのう、ゼラ殿」
「いやですよ、アタシの事ァ呼び捨てでかまいません。ご遠慮なんてしないでおくんなさいまし」
「いや、その、いずこかでお湯に浸かったことが? いえ、あまりにその、臆されないもので」
湯に浸かる慣習がない民族は、湯に浸かることをひとたびは恐れる。これはヒトかどうかは関係がない。
事実アンネリーゼも、湯船に入るときはずいぶんとへっぴり腰を見せたものだった。
「ああ、大した事ァございませんよ。アタシぁ昔、皇都で娼婦をやっていたんですがね、位のお高いお坊さんに随分と気に入られて」
たいへん良くしてもらいましたが、一等好きなのが旦那様と一緒に入るお風呂でしてねぇとゼラは笑った。言葉は乱暴だが、髪をかき上げるその所作ですらも美しい。それだけで現役当時はかなりの高級娼婦だったことが察せられた。時に枢機卿ですら甘えさせるほどの存在が当時の高級娼婦というものであるから、知識、教養、物腰といったものが洗練されているのも無理はない。
おまけに村長の妻と随分と鍛え上げられた体躯を持つ鬼族二人のいる湯船で、この堂々とした態度。
つまりは女としての格が次元からして違うわけで、腕っぷしだけが取り柄と自認するアンネリーゼとシャンテが気圧されてしまうのも無理はなかった。
「皇都暮らしにも飽きたってんで田舎に下ってみりゃあ、死ぬ間際になって大騒ぎ。死ぬような目にあったかと思いきや、こんな気持ちいのいいお風呂にはいれるなんざ、まったく、人生何があるのやら。あっちの蒸し風呂に入ってる女衆も、お侍さんには感謝しておりますよ」
と言ってゼラはアンネリーゼに頭を下げた。
「いえ、皆様には大変なご迷惑を。感謝されるいわれは」
「およしくださいな。少なくとも、このアタシぁ本当に感謝しておりますよ」
にっこり笑ったゼラだったが、目にはわずかに不穏な光が混ざっている。
少なくとも、隣で見ていたシャンテにはそう思えた。
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風呂屋から出て難民たちを講堂へ戻し、アンネリーゼはまた服をもらって広場へ出た。
ちなみに村長とザボスは手酌で酒を舐めながら将棋を打っていた。聖法王国のものとは駒とマス目の数が違う。モニカやメルが声をかけても生返事しか返さないほど熱中しているようで、せっかくの湯上りだというのにつれなくされて怒ったメルは魚介の干物の細切りを鍋に一杯、料理用の安い火酒一瓶を二人の傍らに置いて難民たちの様子を見に出て行ってしまった。あとはもうしらない、というやつだ。
それはさすがにまずかろうとモニカが家に残ろうとしたが、メルはザボスの供回りの相手を命じて自分の札入れを投げて渡した。酔い潰させてしまえということだ。
モニカは喜んで命に従い、控えの間に居た供回り二人の首根っこをつかむと酒場のほうへと消えてしまった。供回りの二人はそこそこ屈強な体つきをしていたが、お助けだのなんだの情けない声を上げていた。
手持無沙汰となったアンネリーゼは、とりあえずシャンテと一緒に村の広場でトマスを待つことにしたのだった。
「はー……」
で、村の広場である。
トマスが帰ってくるにはまだ時間があるということで、アンネリーゼにはこの辺に居ろと言い含めておいてから、シャンテは食べ物の屋台へ”略奪”に赴いた。村長の家の家計が危なっかしいという風なことをシャンテはほのめかしていたが、それはシャンテの責任でもあるのではないかしらん、と言わなかったのはアンネリーゼにもまだ遠慮があるということか。
仮にも”敵性国家の元軍人”をほったらかしておいて大丈夫なのかとアンネリーゼは思ったが、この人いきれでは自分がなにか”する”より、自分がなにか”される”ほうを心配したほうがよさそうだ。
午前中はそうでもなかった人出が一段と多くなり、広場に居るだけでも800人から1000人ほど、村全体を考えるなら4000は超えていそうな勢いだった。非番の兵士が駐屯地から遊びに来ているのを考慮するなら、5000人ほどもいるかもしれない。
村の広場の舞台では入れ替わり立ち替わりに大道芸人がその技を披露し、噴水を挟んで反対側には横に寝かせた大きな大きな円筒を半分に切ったようなものや大小さまざまな箱が置かれている。
その周りはロープが張られ、その内ではアンネリーゼの度肝を抜くような競技が行われていた。
縄張りの両端に立てられた柱に括りつけられたラッパのような道具から、聞いたこともない激しい音楽にのせて威勢のいい声が何事かわめいている。
高さ10フィート幅20フィートほどもあろうかという横に寝かせて上半分を切り取った円筒の中、エンジンを持たず小さく細いタイヤを持ったバイクにまたがった若者が勢いをつけて反対側のへりから大きく飛び出し、バイクごと複雑な回転をしたり、かと思えばへりに後輪だけで飛び乗ったり。そういった技をテンポよく、かつ飽きが来ないよううまく順番を整えながら次々と繰り出している。
観衆は大きな技が決まり競技者が無事に円筒に降り立つたびに歓声を上げている。
『キャブ5からのフラットバースピンノーハンド、これはデカい! そしてダブルテイルウィップ5! とんでもねぇ! イカレてるぜ! さてもう一発何を狙う? インバート……ワンフット……とてもスムーズだ……フラットジャンプでパワーをためてからのトリプルバーック! 決まったー! 超ぉーデカい! ヤバい!』
と早口でまくしたてる威勢のいい声。これらは繰り出されている技の名前であろうと思われた。
それにしてもとんでもない高さまで飛び上がるものだな、とアンネリーゼは感心しきりだった。
競技者たちは10フィート、つまり3メートルの高さの円筒のへりよりもっと高く、さらにその12フィート上まで飛び上がることもざらにあるからだった。
さらにはそんな高さまで飛び上がりながらバイクごと回転するなど、真似しようと思ってもそうおいそれとできることではない
感心していると布を切り裂くような音が鳴り、競技者は山周りに半回転して半分に切った円筒のへりに後輪だけで飛び乗った。
一呼吸その姿勢を保って、一度ぴょんとその場で飛び跳ねてから足を着く。
『ここでブザー、最後はアリウープ3からのテイルタップでフィニッシュ! みんな、でっかい拍手をくれてやってくれ!!』
観衆がわっと声を上げた。
みな惜しみない拍手と歓声を競技者に捧げている。
アンネリーゼも子供のように声をあげ、手をたたいていた。剣術とは全く違うが、それでも競技者たちが空恐ろしくなるほどの時間と創意工夫を持って技を磨きあげてきたのがよく分かったからだ。
ちょっとというか、だいぶかなりものすごく感動していることに気付いたアンネリーゼは、もうひとたび大きく拍手したのだった。
『さぁて、第7回魔王杯オープン第4戦、本日の予選競技はこれで終了。いま審査結果を集計中だ。明日の決勝進出者を発表するまでちょっと待っててくれ』
咳払い一つして、威勢のいい声がアナウンスする。
と、円筒の手前に置かれた大きな箱の陰からエンジン音が鳴り響いた。
『その間は、名物・バイクスタントショーを楽しんでくれ!』
その声に観客はまた沸き立ち、歓声とともにバイクが二台、ひときわ大きくスロットルをふかして箱の上に飛び出してきた。前輪を高く掲げたまま、すこしだけゆらゆらとしながらバランスをとっている。
細身のバイクに乗る二人には見覚えがあり、アンネリーゼはあっと声を上げた。
「ボグロゥさん!?………………と…………えーと…………………………だれだっけ?」
だれだっけ?(すっとぼけ)