女騎士と化け物退治(1)
H.28.5.31 改題につぐ改題やら改行箇所変更やらいたしまして。
アンネリーゼたちは15分ほどで河原を離れた。
難民たちの足取りは多少軽くなっている。
小休止の間に、わずかながら残っていた食料をすべて分配して食べ、残りの荷物はほとんど捨てさせたのだ。
荷物を捨てることに渋る者たちもいたが、すぐ近くまで魔族たちですら食われてしまう化け物どもが迫っていることを告げると全員が水と杖以外の荷物を捨てた。
難民たちは年寄りと子どもが目立ち、壮年の者たちはラウルを含めて20人と居なかった。道々で(非合法の)奴隷として連れて行かれたり、野盗や病気、飢えと戦って死んでしまったのだ。
アンネリーゼはやつれきった者たちの先頭を、ハンターカブの前ブレーキをやんわり効かせ、手で押すというより転がっていかないように押さえながら下っていった。荷台にはどうしても捨ててはならない、薬草の入ったかばんを括りつけている。
最後尾にはラウルが居た。
本来ならば彼女が最後尾となるべきで、なぜならここらはあの狼達の縄張りだからだ。狼は群れの後ろから弱いものを襲う。
しかし何と出くわすかわからない以上、彼女が先頭に立つしかないのも事実だった。
難民たちに声をかけながら山道を下ることしばし。
狼達に襲われた場所を通り過ぎた時は一瞬立ち止まり、胸で小さく四方を切った。
彼女の愛馬が倒れ伏した斜面は、未だにおびただしい血の跡が残っている。遺骸が残っていないことが救いだった。
そこからまた下り始めると、いくらも行かないうちに左手、つまり西の方から急に狼、いや獣の群れが飛び出してきた。
アンネリーゼは素早くサイドスタンドでハンターカブを立たせると長剣に手をかけたが、狼どころか鹿や猪などの混ざった群れは気にすることなく通り過ぎていく。
不意にその内の狼が一頭立ち止まり、なにか言いたげにアンネリーゼをじっと見つめた。
彼女を襲った群れの銀灰色の狼だ。
何事かと思った瞬間大地が揺れ、獣の群れを追って金色の化物が轟音とともに現れた。
「ごるぅうおおおおおおおお」
川を挟んだ左手の尾根から現れた金色の化物は、そのように聞こえる遠吠えを放つと20フィートはありそうな杉をへし折りながら進んでくる。距離はおよそ100ヤード。
全高はおそらく10フィートほど。いずれも4本足の馬のような牛のような見かけの下半身に、人間のような上半身が乗っている。
一体は人間でいえば胸に当たる部分に女性のようなふくらみがあり、全体的にほっそりしている。残りの二体ははたから見ても明らかなほどたくましい筋肉に覆われている。
「おう、あれは聖獣様じゃ」
「ほうじゃほうじゃ、狼どもから儂らを守りに来てくれたんじゃ」
年寄りたちが口々につぶやく。
中にはひざまずいて祈りを捧げるものものまで居る。
アンネリーゼも聖獣と呼ばれる金色の怪異は、何度か見たことがある。主に山脈の向こう側、聖法王国領の高山地帯に生息し、危険な猛獣から山で道に迷った人間を助けたりすることで知られている。
アンネリーゼが直接聖獣と触れ合ったのは2度。
一度は徴兵直後に投入された北部戦線で、道に迷った100人隊ごと目標地点近傍の水場まで案内してもらった。もう一度はそれから2年後、蛮族に包囲されたところを助けてもらった。
そのたびに不可思議な安心感に包まれていたのを、彼女はよく覚えていた。
しかし眼前へ近づいてくるそれらは、そういったものを感じさせない、むしろおぞましげな怪異だった。
何が違う?何がおかしいのだ?ふた呼吸ほど凝視するが、その間にも金色のそれはぐんぐんと近づいてくる。
と、そのうちの一体がおもむろに手を伸ばし、鹿と狼を掴みとった。
人体でいうなら首が生えているべきところがぱっくりと開き、ぎらぎらと光る牙が並ぶヤツメウナギのような口に獲物が放り込まれる。
バキバキ、ギャリギャリと骨を砕く音が響き渡り、動物の断末魔がそれにかぶさる。金色の怪異は動物を生きたまますりつぶし、飲み込んでいく。
その時になってアンネリーゼはようやく気がついた。
あれには頭がない。
頭がないうえ殺意を周囲に振りまいている。
「ラウル殿ぉー! みなを引き連れてこの場を離れられい!!」
我知らずアンネリーゼは叫んだ。怪異どものとの距離は60ヤードを切っている。
あの銀灰色の狼の姿はもうない。
「なんですと!?」
「あれは、あれは聖獣などではない!! あれこそが魔族の衆が言っていた化け物だ!!」
今や怪異どもは明確に難民たちに向かって走っている。
難民たちは呆けたようにそれを見ている。
猶予はもう全く無い。
と、怪異たちの一頭、いや頭がないから一体が、口に挟まった何かの脚を難民たちに向かって放り投げる。
すさまじい速度で飛んできたそれは、幸いにも誰にも当たらずに済んだが、飛び散った血肉をまともに浴びた難民たちがパニックを起こした。
「はしれ!!」
ラウルが難民たちを急かしはじめ、アンネリーゼは怪異どもに向かって走り始めた。
アレは敵だ。
アレは敵だ、と規定すると、アンネリーゼの奥底でもう一人の彼女が目を覚ました。
歯を剥き出し喉の奥で唸ると、走る速度が恐ろしく上がる。一歩で5ヤードほども進んでいるのだ。
瞬きする間もなく先頭の筋肉の多い方――数から言ってこちらがデミ・タウルスB型と思われた――の間合いに踏み込む。
自分の刃が通じるかどうかは疑わない。今の彼女はたいていの甲冑を断ちきる自信と腕があった。
「ごぅあ!」
それは叫びながら右手でアンネリーゼを捕まえようとしたが、彼女はさらに強く踏み出すと敵の股の間をくぐり居合一閃、抜き打ちざまに回転しながら右前足と両後ろ足の膝の腱を断ち切った。
怪異が倒れる前にその胴体の下をくぐり抜け、手近な木に飛びつき、数歩駆け上がる。
そのままその太い幹を両足で蹴って踏み台とし、怪異の背後へ飛び込んで上段から丸太のような左腕を切り落とした。
たまらず怪異は地面に右手をついた。
真っ赤な血が怪異の傷口から噴水のように吹き出す。
アンネリーゼはそれを避け、素早く前方に回り込むと回転しながら切り上げて怪異の右肘の腱を断ち切った。
もう一回転、こんどは逆袈裟に切り下げて右肘の関節を覆う軟骨に切れ目を入れ、素早く飛び退く。
ちょうど彼女の頭があったところを、怪異の口が倒れざまに通りすぎた。その拍子に怪異の右腕が肘のところからぼっきりと折れ、それは地面に倒れ伏す。
一足で5ヤードを飛び退いたアンネリーゼは、軽く呼吸を整えながら姿勢を低くした。
怪異どもの注意は完全に彼女に向いた。
妙な話だが、頭のないデミ・タウルスどもは明らかに彼女を見つめている。
彼女の背後では難民たちが山道を駆け下りはじめた。
アンネリーゼは喉の奥で低く唸り、再び敵の間合いへ踏み込む。
「ふしっ!」
鋭い呼吸音とともにもう一体のB型の前脚を横薙ぎに斬ろうとし、標的はそれを前脚を浮かせることで避けた。アンネリーゼの狙い通りである。
アンネリーゼは素早く左へステップし、すれ違いざまに標的の右後ろ脚の膝の腱を断ち切った。そのまま数歩でA型の正面に出る。
A型が左腕を突き出してくるのを上体を沈めてかわし、行き掛けの駄賃とばかりに左肩に担いだ長剣でその腕を切り裂く。並みの長剣であればそれだけで折れてしまっただろうが、彼女の長剣はしなりを使って標的をなで斬りすることに向いた片刃の刀身であった。
そのまま深く踏み込み長剣を振り切ると、すぐ近くに生えていた楡の木の若木へ飛びつく。
若木は彼女の体重をしっかり受け止め、弓なりにしなるとやおら元に跳ね戻る。
A型はその跳ね戻りで飛んできたアンネリーゼを右腕で撃ち落と――せなかった。
飛んできたのはその辺に落ちていたボロ布――難民の落し物であろう――であり、がら空きになった右側面に立ったアンネリーゼの連撃をうけることとなった。
A型の右肘靭帯と、右の2本の脚の膝靭帯をほんの1秒足らずで破壊したアンネリーゼに、背後から先ほどのB型が襲いかかる。
彼女は十分に敵を引き付けると一歩踏み込んで跳躍した。B型の胸板を蹴り飛ばすと反動でA型の背中を飛び越える。B型とA型は激突し、もつれ合って倒れた。
(イケる!)
沸騰した脳髄の中のどこかで、彼女はそう思った。
しかしそれは慢心であったのか。
もつれあった2体に追い打ちをかけようと前のめりになった彼女の視界の端に、先ほどさんざんに切り刻んだB型が写った。
強烈な違和感を感じる。
見れば先ほど骨が見えるほどに折れた怪異の右腕は、すっかり元に戻り血も止まっていた。
怪異は地面をまさぐり切り落とされた左腕を拾い上げ傷口に押し当てると、ほんの一呼吸の合間に傷口がふさがっていく。
肘の曲がる方向が反対だったが、怪異が肩をゆするとくっついた左腕が水を入れた革袋のようにうごめき、関節が正しい方向を向いた。
もしやと思ってもつれ合って倒れた2体を見ると、そちらに与えた傷口も見る間に塞がってゆく。
ぞくりと背筋に氷柱を差し込まれたような感覚を覚える。
傷口の塞がった怪異どもはぞろりと地を這うと、大きく口を開けてアンネリーゼと難民に吠えかかった。
難民たちは水すらも捨てて走っていたが、村まで逃げおおせるとは思えない。
窮地というにも程がある。
この正念場、いや土壇場にあって、『元』聖法王国教会騎士準5尉アンネリーゼ・エラは、歯を剥きだして笑ったという。
しかしそれからわずか10分たらずの間に、アンネリーゼの姿はボロ雑巾のようになってしまった。
いくら切り刻んでも怪異どもは死ぬことがなく、瞬く間に傷を治しては難民たちを追い立て、彼らをかばうアンネリーゼを打ち据えた。
体中いたるところに打ち身と切り傷、裂傷をこしらえた彼女は、それでもよろばうことなく立ち上がっては怪異どもに立ち向かった。
難民たちの被害は少ない。つまずいてころんだ老人が3人食われた『だけ』だ。
(なにが『だけ』だ!)
彼女は血の混じったつばを吐きながらそのように思った。
未熟者め、貴様がそのようなざまだから、と彼女は自分を罵る。
罵りながらまた怪異どもに立ち向かう。
「がぁああああ!」
鎧も付けず、白い布の服といやに軽い兜を身につけただけの女騎士が肌もあらわに山野を飛び回り、一撃しては別の怪異に斬りつける。女騎士はヒトとは思えぬ速さで怪異どもに対抗していたが、その鋭さは明らかに鈍っていた。
被害が少ないのは谷に下り険しさを増した山道のお陰と、なぜか2体しか攻撃を仕掛けてこない怪異どもの気まぐれのせいだが、この分ではあとそういくらも持ちそうにない。
誰もがそう思った時、ついにアンネリーゼは敵に捉えられてしまった。
「ぐあっ!」
怪異の黄金色の腕が天高く彼女を締めあげ、たまらずアンネリーゼは声を上げた。
肋の軋む音がする。
「おねえちゃん!」
「いいから、に、にげろ!」
立ち止まったラウルの娘にアンネリーゼは叫んだ。
それと同時に身をもがきなんとか長剣を敵に突き立てようとするが、怪異は構うことなく口を開けた。
幾百と並ぶ牙と臼歯。
それがアンネリーゼ・エラの死だと、彼女自身ですらそう思った。
あとから来た者たちは違った。
突如、アンネリーゼを締め上げていた腕が大きな音を立てて中程からはじけ飛ぶ。
音波は空気の壁となり、アンネリーゼをひっぱたいた。その拍子に拘束を解かれたアンネリーゼは落下する。
地面には叩き折られて鋭く尖った樹木の幹。
それが彼女の白い肌を貫く前に、爆音とともに躍り出た漆黒と銀の風が彼女を空中で抱きかかえた。
同時に白と紺の影が飛び降り、烏の濡羽のように艶やかな黒い髪をなびかせ怪異を切り刻む。
怪異の胸の肉と骨が切り開かれ、大きく真っ赤な脈打つ珠が現れ――またはじけ飛んだ。
切り刻まれた怪異が膝をつき、どろどろと溶けてゆく。
緩やかな曲線を描く刀を振り、血を落として鞘に収めた白と紺の横に、漆黒の騎士を載せた銀色の鉄馬――SR400カスタムが泥を跳ね飛ばしながら荒々しく停車した。
騎士の肩には気を失ったアンネリーゼ。それでも長剣は手放してはいなかった。
白と紺は腰の物入れから水筒を取り出すと、遠慮なしに中身をアンネリーゼにぶちまけた。
その拍子にアンネリーゼが目を覚ます。
「今日びの娘っ子どもは揃いもそろって無茶しやがるぜ、まったく」
「ボグロゥさん?!」
銀色の鉄馬に乗った漆黒の騎士が呆れた声を出し、アンネリーゼはガバリと跳ね起きた。
拍子であご紐の切れた兜がぽんと飛び、彼女を担ぐ漆黒の兜にポコンと当たる。
振り返って彼女を見上げる兜のつるつるした表面に、白くて大きな丸いものが二つ映っている。
「ほんとに、まったく」
心配していたんだぞ、という響きにアンネリーゼは担がれたまま思わず漆黒の兜に抱きつきそうになり、慌てて身をよじらせた。激戦で衣服がかなり過激に破れてしまっているのに気がついたからだ。
ボグロゥは逆らわず、そっと彼女を地面に下ろした。
アンネリーゼは顔どころか首まで真っ赤だ。
「アンネ、お主、なんとも無鉄砲なものよの。ザボス公が気に入るのも道理なり」
「シャンテ?」
「応。よくぞここまで持ちこたえた」
白と紺、シャンテが爽やかな笑みを返した。
水筒をアンネリーゼに投げてよこす。
アンネリーゼはありがたく中身を一口、口に含んだ。
と、疲労が急激に失せてゆくのがわかった。
魔法を帯びた薬か何からしい。
気がつけばいつの間にか傷も閉じている。
「さて教会騎士殿、先ほどの戦働きまずは御見事。願わくはもう一合戦付き合い候え。あれなる怪異の屠り方、教えてしんぜよう。如何?」
シャンテが警戒して立ち止まったままの怪異どもを顎でしゃくる。
怪異ども。
打ちのめされて逃げてきた者どもを喰らおうとした、ヒトならざる化け物ども。
アンネリーゼの脳髄が再び沸騰しかけるが、ある段階から急激に冷えてゆく。
しかし身体は、意識は熱さを失わない。
長剣をしっかりと握り直し、シャンテの横に並び立つ。
アンネリーゼも武士としての態度でシャンテに返答した。
「誠にかたじけなし。して如何に?」
「まずは合わせよ。百聞は一見に如かず也」
「委細承知。難民たちは?」
「モニカがおる故」
振り返れば、モニカと他何名かの予備役兵が難民たちをかばって誘導し始めたところだった。
それを見てアンネリーゼは緩みかけた心を引き締めるため、裂けた上衣の裾を胸の下で引き結んだ。
一歩進み出てくるりと振り返り、大げさな所作でスカートを持ち上げ礼をする。
「ならば是非もありませぬ。皆様よくよくお引き立ての程を」
「はぁ、ったく。今日びの娘っ子どもは揃いもそろって無茶しやがるよなぁ、ほんと」
ボグロゥが左太ももに括りつけた太く薄い鉄の筒を取り出しながら、心底呆れた声で繰り返す。
「しゃあねぇ。おっさんも付き合ってやるよ」
つるつるとしたバイザーの奥で、オークが苦笑しているようにアンネリーゼには思えた。