女騎士「そこを小休止の場とする」
アンネリーゼとボグロゥが村の軍出張所前に到着したのは、祭りに来ていた軍人たちが列をなして駐屯地へ戻っていった直後だった。
それでも出張所前にはたくさんのひとびとが集っていた。
ついでに鉄と木でできた棒のようなものを担いだ兵員も、10名ほどは残って整列待機している。
見渡せばエレーナも居る。ボグロゥがちょっと手を上げるとそれに気づき、近寄ってきた。
ボグロゥが顔見知りのトロル男性を捕まえて何があったのかと聞くと、「怪異が出たらしいが、どうもそれだけじゃないようだ」とのことであった。
ちなみに聖法王国ではヒト族以外の知恵あるものもすべて怪物扱いにしているが、魔王領では本能のままに動く、言葉も通じず、敵対的で凶暴な怪物のみを怪異と呼んでいる。
「それで?退役兵や予備役ばっかりこんなに集めてどうすんだ」
とボグロゥは言ったが、件のトロルには「まだ説明されてないからわかりませんよ、軍曹」と言われてしまった。
「退役兵?予備役ってなんです?」
とアンネリーゼ。
どうやら魔王軍と聖法王国軍の軍事制度がだいぶ違うらしいことに気づいたようだ。
「退役兵ってのはそのとおり、軍を務め上げて除隊した連中のことだ。見ての通り年寄りが多い。あとは傷病除隊した連中だ。予備役は現役部隊には属していないが、月に2回程度は軍の訓練に出頭して練度を維持してる連中のこと。いざとなれば軍籍に復帰することになる。俺も予備役軍曹だよ。まぁそのへんのややこしい話はあとにしようや。トマスが出てきたぞ」
ボグロゥの言葉通り、トマスが出張所の扉から出てきた。
書類ばさみを眺めながら、集まった群衆に状況説明を行う。
「退役将兵、予備役将兵、村役場の皆さん、お集まり頂きご苦労さまです。駐屯司令部付中尉のトマス・エリクソンです。先ほど、駐屯地より連絡がありました。国境警備任務の偵察分隊が『断絶の壁』中腹に怪異9体の出現を確認。うち3体は旧街道に向かって東進中、敵本隊はこちらに接近中です。中隊は総力を上げてこれの撃滅に向かいました」
昨日までアンネリーゼに見せていた朴訥のんびりとした田舎軍人ではなく、真面目でありつつも肩の力が抜けた現役将校としての態度でトマスは語った。
見渡せば、動揺しているものは非常に少ない。
「今回皆さんにお集まりいただいたのは、万一我が中隊が敵を撃ち漏らした場合の後詰、ならびに避難誘導をお願いするためです。今50人ほどお集まりいただいていますから、予備役士官、予備役下士官を中心に端数小隊2個からなる中隊を編成、任務にあたってください。武装はこちらから貸与します。概略は以上です。質問は」
トマスの言葉に、白髪まじりのハーフエルフらしい紳士がいち早く反応した。
上等な生地を用いたカーキ色のジャケットと乗馬ズボン、顔が映り込むほど磨き上げられた革靴を街道の埃にさらして平気な顔をしている。
「エリクソン中尉。ジョン・マケイン予備役大尉だ。スラッカの街から来ている。敵の戦力について、より詳しく知りたい」
「はっ、予備役大尉殿。敵はデミ・タウルスA型が3、B型が6。敵本隊はA型2体とB型4体、東進中の部隊はA型1体とB型2体となっています」
トマスは背筋を伸ばして答え、それを見てアンネリーゼは兵隊稼業はどこも大して変わらんなと思った。魔王軍の階級制度はアンネリーゼの教会騎士団や聖法王国軍のそれとは大いに異なるが、予備役大尉のほうが中尉よりは階級が高いらしいのはわかった。
「デミ・タウルスって?」
彼女は小声でオークに聞いた。
「ケンタウルスやミノタウロスを掛けあわせたような見かけの化物だ。火水風の魔法は通じねぇ。頑丈さと怪力が武器だ。ヒトも魔族も動物も、動くものならなんでも食う。取り逃すと面倒だが、幸いそこまで賢くない」
ボグロゥも小声で返す。馬鹿にしたような口調だが、馬鹿にしているのはアンネリーゼのことではない。
それに口調とは裏腹に、目元はとても真剣だ。
「我が方の構想は」
「はい。8524中隊のうち、第3小隊と中隊重火器分隊は『遺跡』南西2kmの原野に展開。第1中隊と中隊重魔法分隊は丘の裏から東西に薄く展開、4kmほど山を登ったのち西に旋回。敵主力を第3小隊前面に誘引、撃滅します。第2小隊は中隊本部管理班とともに丘の反斜面で待機、予備戦力とします」
つまり敵本隊を村の西南西の原野へ誘導し、包囲殲滅する構えである。
それならば祭りに来ている人々への付随被害は局限できると思われ、周囲から明らかな安堵の溜息が漏れた。
予備役大尉の質問はまだ続く。
「これが一番大事かもしれない。東進中の敵部隊の目的はなんだろうか?」
「現在確認中であります。じきに」
そこまでトマスが答えたその時、出張所の上にそびえたつ見張り塔から声が聞こえた。
見れば緑色の服を着たハイエルフの青年(少年かもしれない)が、見張り台の胸壁から身を乗り出して叫んでいた。
「報告、報告!旧街道上、標高1200m地点にて老人、子どもを含む40人ほどの集団!距離目測約8300!旧街道を下ってきています!東進中の敵部隊の目標と思われます!敵部隊との直線距離、約9000!敵速早い!」
南にそびえ立つ『断絶の壁』のなかの旧街道をこちらに向かって下ってくる、家族連れの集団。
聖法王国からの難民だ。
見張りの兵の叫びを聞いて、見物人たちも色めき立った。
少なくない数のものたちが駆け出し、あるいは出張所へと駆け寄ってきた。
「わかった!伍長、直ちに本部へ状況を報告。エリクソン中尉は予備役将兵お呼び民間の志願者を用いて応急防御部隊を編成、村役場裏手を中心に防御線を構築。マケイン予備役大尉と協同してこれの指揮に当たる。マケイン予備役大尉殿、よろしくお願い致します。ボグロゥ予備役軍曹!」
野戦将校の顔つきになったトマスが手近な部下に指示を出し、最後にボグロゥへ声をかけた。
「はっ、中尉殿」
ボグロゥはのっそりと背筋を伸ばした。
口調こそ丁寧になっているが、態度そのものはいつもどおりだ。
「毎度のことで申し訳ないが、斥候を頼む。今いる連中で一番脚が速いのは軍曹だ。まず難民と思われる集団と接触、難民であると確認できたら彼らをうまくこちらへ誘導してくれ。そうでなければ帰って来い。援護の部隊はすぐに用意するが、これはと思う人材は自由に連れていけ。これは要望ではなく命令だ。責任は僕が持つ」
「了解。ボグロゥ予備役軍曹は可及的速やかに装備を整え、野戦が可能な人材とともに出発。所属不明集団と接触し、難民であれば保護します」
たのむ、とトマスが言いかけた時、けたたましい音を立てながら、アンネリーゼを載せたハンターカブが村の広場を飛び出していった。
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『断絶の壁』は標高3000m級の山々が連なる山脈である。
東は大東洋から始まり、西は500kmに渡って大陸を走り、南北を走るレパゾ山脈とぶつかる。レパゾ山脈は聖法王国では『西の盾』と呼ばれ、ゆるやかにカーブした大陸南岸まで達する堂々たる大山脈だ。この二つの山脈と大東洋が異民族の流入を防ぎ、聖法王国の鎖国政策を可能としてきた。
いまアンネリーゼがハンターカブを走らせている旧街道は、その『断絶の壁』にあって数少ない大軍の移動が可能なレンサル峠に続く道である。
往時はここを数万の軍が行き来したものだが、現在は草蒸す山道に過ぎない。
レンサル峠に至っては聖法王国軍・魔王軍双方が行った破壊工作により馬一頭がようやく通り切れるかどうかという細い断崖の道になってしまった。標高が最高点で1900m、つまりは6230フィートと低いことと、湧き水豊富であることが救いである。
往路のアンネリーゼは峠になぜ両軍の見張りすらいないのかといぶかしんだが、今こそその理由がわかった気がした。
つまりは野獣や怪異の存在が越境を困難にしているのだ。
そのようなところに信徒を放り出されて黙っていられるほど、アンネリーゼは薄情にはなれなかった。
路地裏に生まれ、あまり裕福ではない修道院に引き取られたが、であるからこそ慈愛に満ちた人となるように彼女は教育されたのだ。
4年間の従軍生活で見た異教徒による信徒への虐殺行為と、2年間の派遣騎士業務で見聞きした一般信徒の困窮した生活が、しつけによって植え付けられた慈愛という他者救済の感情を更に強くもさせている。
彼女は習い覚えたばかりのバイクに乗って、旧街道をひた走った。
それにしても驚くべきはこのバイク、と言うよりハンターカブという乗り物である。
彼女がバランス感覚に優れており、馬術も一通り習い覚えたことが幸いしているのも確かだが、頼りなげな見かけによらず本当のロバのように粘り強いところを見せている。
手元をちょいとひねり、左足のレバーの前後を踏みかえるだけで、ときおり村民が山仕事に使う程度でろくに手入れもされない旧街道をグイグイと登っていくのだ。
もちろん馬のように自分で判断して岩を避けたりジャンプしたりはしてくれないが、細いながらもしっかりと地面をつかむ車輪のおかげでガレ場やぬかるみもほとんど下車することなく踏破できる。
横倒しになった倒木に出くわした時は流石にハンドルや荷台を持ち上げて乗り越えさせてやる必要があったが、それほど重くもない上に(甲冑を着込んだ同僚のほうがよほど重かったことを思い出した)、そもそも彼女は騎士としてかなり鍛えていたからそれほどの苦労は感じなかった。
ボグロゥが「ガソリン」と呼んだ刺激臭の強い燃料もなかなか減らず、本当はやはり魔法で走っているのではないかと訝しんだほどだ。
そうして1時間ほども走ったところで、彼女は疲労困憊した集団と合流することが出来た。
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それに気づいたのは集団の先頭付近に居た少女、クロエだった。
「……ーい……おーい!」
女性の声と、バタタタタタ、というリネンを布団たたきで連続して叩くような音がする。
疲労と栄養不足でぼんやりとしながらも、何事かと声のする方を見やると、果たして草むした山道の下の方から長い金髪をきらめかせながら白いドレス(のように彼女には思えた)を着た女性が恐ろしい速さのロバで登ってくるところだった。
女性が乗っているロバはひとつ目で、それの大きな目はらんらんと光り輝いている。
「おとうさん……あれ……」
とクロエが手を引く父親に注意を促すと、傍らを歩く父親、ラウルもそれに気がついた。
後に続くものたち――老若男女合わせて40人ほどの集団も間もなく近づいてくるそれに気づき、みなおののいて足を止める。
ここが魔王領となれば近づいてくるものは魔族に決まっており、あのような格好で、あのような速さで近づいてくるものは騎士に相違なく、となれば一同は皆殺しにされかねない。
普段であれば散り散りになって逃げ出すところだが、それが出来なかったのは積み重なった疲労で判断力が鈍っていた、というよりもみなその瞬間に自分の命を諦めてしまったからであった。
ラウルが腰を抜かさずにすんだのは、彼はゴドフロワ子爵の郎党として異教徒との戦争に参加したことがあるからだった。騎兵突撃に晒されたことすらある。それに比べれば単騎の、それもロバのような大きさの相手であれば随分と気楽な話に思えたのだ。
ラウルは娘の手を放し、手近な木の影に隠れるように言うと、杖代わりにしていた木の棒をショートスピアのように構え10歩ほど歩み出た。
程なくしてロバの化物に乗った女性が20歩ほど離れたところで止まった。
「おい!大丈夫か!?諸君はどこからきた!」
金髪の女性はロバの化物から降り、集団に声をかけた。
思ったよりも可憐な声に集団の者たちは顔を見合わせる。自分たちにもはっきりと分かる聖法王国語、それも騎士訛りのそれに気がついたのだ。あからさまに気を抜いた表情もチラホラと見える。
しかし先頭に立ったラウルは警戒を解かず誰何した。
「誰何!我々は聖法王国ゴドフロワ子爵領トマゾ村のものである!我はゴドフロワ子爵郎党ラウル!まずは御身が御名を頂戴したい!」
それを聞くと女性ははっと立ち止まり、直立した。
腰の長剣を胸に回し、いったん僅かに抜き、音を立てて収める。
「失礼した、ラウル殿。私は元教会騎士団アンネリーゼ・エラ。皆が国境を越えこちらに向かっているとの話を聞き、迎えに参った」
「アンネリーゼ……様?あの、恐れながら半年前に代官様を誅された、あの騎士様で?」
ラウルはようやく肩の力を抜いた。
よくよく見れば、目の前の女性はあの悪徳代官の不正を誅した女騎士ではないか。
「その節は迷惑をかけました」
アンネリーゼはペコリと頭を下げ、顔を上げるとはにかんだ。
その顔を見て老若男女の集団――トマゾ村からの難民たち――はほんとうに気を抜いた。その場にへたり込むもの、アンネリーゼに駆け寄るもの、抱き合って涙を流す者など様々である。
ラウルの娘はアンネリーゼを「あのときのやさしい女騎士様」と認識するとタタタと駆け寄り、アンネリーゼの足にしがみついたほどだ。
それに気づき優しい微笑みとともに少女の頭を2、3度なでたアンネリーゼは、しかし騎士としての厳しい表情で難民たちに注意を促した。
「すまない、諸君。再会を喜びたいが、この場に留まるのは危険だ。もう少しいけば水場がある。まずはそこを小休止の場としたい。急いで移動だ。詳しくは道道で」
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合流地点から徒歩で10分ほども下ると、旧街道は渓流沿いの河原に出た。
ここから下は多少人通りもあるのか、路面にはびこる雑草や灌木も少なく、地面が見えるところさえある。
元気のあるものは河原に駆け下り、喉を潤すと水筒に水をくむなどしている。
アンネリーゼは長剣の鞘をはらうと警戒しながらしゃがみこんで、口を濯いだ。
ラウルも傍らで手で水をすくって飲んでいる。
周りは鬱蒼と生い茂る原生林で、谷がうねっているため下の村の様子もわかりづらい。
そういえばあの村の名前は何だったかな、と意識の片隅で思いながら、ラウルとともに警戒に立つ。
「それで?」
「はい。アンネリーゼ様があの代官を誅された後、ゴドフロワ様が直々にトマゾ村をお治めになるようになりました。ゴドフロワ様は戦地ぐらしがお長くあり、領地の端々まで目が行き届かなんだ、申し訳ないとおっしゃり、税もあるかなきかのところまで緩和してくださいました。ですが2ヶ月後、ゴドフロワ家はお取り潰しになりました」
「取り潰し?」
「理由はよくわかりません。ただ、新しく来た修道会の神官様と代官様は以前よりも厳しい税をお示しになり、嫌ならば出て行けと」
「……あなた達が追い出されてしまったのか。受け入れ先はなかったのか?」
「ありませんでした。代官が言うには、この先我々を受け入れる土地はない、ただ国境を越えれば別だと」
アンネリーセはほぞを噛んだ。
良かれと思ってやったことが仇となり、多くのものが故郷を追い出され放浪するというはめに陥ってしまった。
この分では、自分が育った修道院やその会派の立場も危ういのではないか。
そこまで思ったアンネリーゼは頭を振り、意識を切り替えた。
より良き騎士は、教会よりも信徒を安堵させるものである。
「誠に申し訳ないことをした」
「何をおっしゃいます。たしかに故郷を追われはしましたが、あのままあの土地に居たところで家畜並みの生活しか送れませんでしたよ、我々は」
「しかし、村長はじめ顔の見えぬものも居る、つまり、それは、そういうことではないか。申し訳が立たぬ」
「いえ、よいのです。村長は、父はアンネリーゼ様に感謝しておりましたよ。最後に良い景色の中で、孫達に希望を持たせてやりながら死ねると。すくなくともあの土地に縛り付けられたまま死ぬよりはよいと」
希望。
有るか無きかの希望。
それに賭けてかれらは故郷を捨てたという。
もともとトマゾ村の住民は130名ほどは居たはずだ。
それが僅かに40名。
「よくぞ……よくぞここまでたどり着かれた。この先を下れば村がある。魔族の村だが、ヒトも多く、みな仲良く暮らしているようだ。落ち着くまでは保護してもらえるだろう。魔王領の土地は痩せていると習ったが、なかなかどうしてそうではない。きっと入植できる土地があるだろう」
アンネリーゼは感情の昂ぶりをこらえながら言った。
「ありがとうございます」
「なに、私もつい昨日そこで目を覚ましたところだ。とりあえず、飯と酒は旨いよ」
そう言ってクスリと笑うと、ラウルも口元をほころばせた。
その直後に何かを思い出した顔をする。
「そうだ、ところで、峠を越える前に言伝を頂きました」
「ことづて?誰から」
「わかりません。黒尽くめの男でした」
ラウルは物入れから小さな包みを取り出さし、アンネリーゼに渡した。
「教会騎士を見つけたらこれを渡すようにと。誰にとは言われませんでしたが、いま思えば、あなたに渡せ、ということだったのだと思います」
包みを空けると、干しリンゴを飴で固めたものが入っていた。
種はついたままである。
ハンターカブとセローとKLXはオフロード走行の基本習うのに良いバイクだと思うんです私