4.秋の四辺形 予測のつかないペガスス座
更新が遅くなりました。
―――両想い
片思いの時期が一番楽しい、なんて昔誰かが言ってたけど、ハッキリと断言してやる。
両想いが断然いい!
佑さんはいつだって余裕そうで、一つ年下の私はいつだって彼が大人に見えた。会う度にドキドキさせられて、挙動不審になる私を彼はいつも可笑しそうに笑っていた。時たま見せる子どもっぽい所にまたドキドキさせられて、本当にこの人が好きなんだなと思ったんだ。
つまりは、私は彼が大好きで(自分で言うのは恥ずかしいが)初めての恋にこれでもかというほど溺れていた。
そんな彼とのエピソードで忘れられないのがペガスス座と、ペルセウス座とアンドロメダ座のラブロマンスである。
☆
―――駅前
彼とのデートの待ち合わせ場所で、私はソワソワと何度も腕時計で時間を確認していた。
季節はもう夏で、大学は二ヵ月の長い長ーい夏休みへと突入していた。
駅前の街路樹はもうすっかり濃い緑色で、燃えるような暑さに私は緊張かも分からぬ汗を流していた。
「あれ、もう来てたの?」
ハンカチで汗を拭っている最中、待ち人がやって来た。
なんてタイミングが悪いのかしら…
「汗だくじゃん!ごめん、俺のせいだよね?」
「そんなことないですよ。」
慌てて誤解を解こうとするが、当の本人はしゅんとしてゴメン、と繰り返した。
実は、待ち合わせ時間を間違えて早く来ちゃったんです…、と素直に言えればなんの問題もない。しかし、相も変わらず素直になれない私は全く成長してない。
「汗だくにさせてごめんね。」
「先輩のせいじゃないです。」
それだけ言うのが精一杯。
そんな私に佑さんは可笑しそうに「はいはい」と言って汗だくの私の頭の上に手を置いた。
「本当に千代ちゃんって可愛いよね。」
「あ、汗だくなんで。」
可愛いと言われたのももちろん嬉しいけど、今はそれどころじゃない。
女子としては、汗だくの自分の頭を触られているなんてとんでもないこと。慌てて手から頭を避ける。
「そんな気にしなくていいのに。」
口を尖らせて言う時は拗ねている時だ。そういう時彼を見ていると、可愛いと思う反面ちょっとマズッたかな、と思う。
「頭じゃなくてこっちにして下さい。」
半ば投げやりに手を出したら、佑さんは私の意図をくんでくれたらしい。「喜んで」と手を繋いでくれた。
手を繋ぎながら街中を歩く。それがこんなに恥ずかしいことだなんて知らなかった。いちいち神経が手に集中するし、佑さんの話だって半分は耳に入ってこない。一方佑さんの方は慣れているのか、気にも留めずにどんどん話題を振ってくる。
佑さんの話と、繋いでいる手で私の頭はいっぱいいっぱいだ。
「千代ちゃん、大丈夫?」
ふいに上から佑さんの声が降りてくる。
「俺、喋りすぎた?」
違うと言う代わりに首を振った。
「手を…」
「手?」
わざわざ私と繋いだ方の手を上げた。
「手を…繋いだの、初めてなんで…」
そういうこと、と佑さんは納得したみたいだ。その後、会話は減ったけど佑さんは何故かご機嫌で、鼻歌まで歌うくらいだった。
「あの、どこに行くんですか?」
そういえば全く行き先など決めてないのに、佑さんはどんどん歩いている。
「ヒミツ。」
どうやら目的地は決まっているみたいだ。
ヒミツと言われたらきっと彼は頑として言わないだろうと思ったので、私は黙って着いていくことにした。
「はい到着。」
到着した場所は、紛れもなく彼の大好きな場所だろう。
「もしかして初めて来た?」
私は黙って頷いた。
「じゃ、入ろう。」
彼に手を引かれ、私は人生初の天文台を訪れた。
☆
彼に手を引かれて入った天文台は、想像していたものよりも楽しい場所だった。
「佑さん!オーロラ発生機だって!」
「えー、これ隕石なの!?」
展示物はどれも面白くて、いつもは素通りする説明文も全て読み切る勢いだった。今思えばあれはちょっとはしゃぎ過ぎだ。
「千代ちゃん楽しそうだよね。」
「楽しいですよ!」
「それは良かった。」
彼が嬉しそうに笑ったので、私もつられて笑った。
「でも佑さん、私天文台ってもっとこう…山の中とかにあると思ってたんですけど。」
ああ、と彼が答えた。
「もちろんそういう天文台もあるけど、どっちかって言うと空が広く見える所がいいからね。街中でも天文台がある場所はあるよ。」
「そうなんですか。」
「それよりさ、お楽しみ中悪いけどそろそろプラネタリウムが始まる時間なんだよね。」
「プラネタリウムですか!」
天文台が初の私は、もちろんプラネタリウムも初、だ。
スクリーンが全面にあるこの不思議な空間は、まるで友だちだけで来たキャンプのテントの中みたいにわくわくした。
中心にはなにやら仰々しい機械が鎮座し、その周りを囲むように座席が配置されている。私達は機械よりも後ろの真ん中の席に座った。
「なんだか鳥籠みたい。」
呟いた私の言葉に、佑さんは聞き返した。
「だってほら、スクリーンの所に線があるでしょ?アレを見ていると鳥籠に入ってる気分。」
「なるほどね。」
佑さんも納得したようだ。
スクリーンには天頂から八方に線が延びており、その下を横線が走っている。それが私には鳥籠を連想させてならない。
「千代ちゃんってやっぱ面白いよね。」
それは褒め言葉なのか?
一瞬悩んだけど、褒め言葉として取っておくことにしよう。
プラネタリウムと言えば、やっぱりあの倒れる椅子だろう。二人で少し軋んだ音のする椅子に深く腰掛ければ、おのずと椅子は倒れ、否応なく天井を見上げる形になる。
横目でチラリと隣を見ると、佑さんもこっちを見ていて慌てて視線を外した。
「千代ちゃん、耳赤い。」
その言葉にさらに耳が熱くなる。
この人はいつだって反則技を使う。いつもドキドキさせられる私は息つく暇もないのだ。ちょっと仕返しみたいなことをしたくなる。
「あれ…」
仕返しと言っても大したことは出来ないので、そっぽを向いたまま佑さんの手を握った。
「ありがと。」
照れ隠しで「どう致しまして」とぶっきらぼうに答えた。
やがて場内アナウンスの後に辺りの照明は落とされ、暗闇が私達を包んだ。
最初に現れた星空に心を奪われ、その後は手を繋いでることさえも忘れて、私はプラネタリウムに見入っていた。
上映が終わり、手を繋いだまま天文台を後にする。
先ほどの感動が抜けず、ボーっと放心状態のまま佑さんに手を引かれていた。
「う、わっ!」
何もない所で躓いた。転びそうになり、慌てて佑さんの腕にすがる。
「ホラ、ボーっとしてるからそんなことになんの。しっかり歩く。」
「すみません…」
申し訳なさそうな顔をしていると、佑さんが訝しげな顔をして私を見た。
「俺さ…前から気になってたんだけど、敬語やめない?」
「そうですか?」
「ほら、また。」
口を尖らせて、拗ねた子どもみたいだ。
「でも、そんなこと言われても、一応先輩だし…」
「先輩とか言う前に彼氏、だろ?」
反論する私の口を、人差し指ひとつで黙らせてしまう。
「もう、ずるくないですか?」
「ん?」
それでもなお抵抗する私の顔に、彼は顔を近づける。
「ちょ、ちょっとここ。道路!」
人目のある場所でなおも顔を近づけようとする彼を手で制す。
「それが?」
「それがじゃない!」
必死に顔を遠ざけようとするが、やっぱり手を取られてしまって抵抗する術を奪われてしまう。
「わ、分かった!分かったから!敬語じゃなくするから!」
ヤケクソで叫んだ。
「ん。じゃ、やめる。」
佑さんは満足そうに顔を離した。ホッとするけど、なんだかそれはそれで寂しい気もする。でも往来でキスされることを考えたらこっちの方がいいでしょ。
「この後どうする?」
佑さんの声で頭がシャキッと入れ替わる。
「案外時間潰せたし、ちょっと早めの夕食にでも行く?」
「行く!」
「良いお返事で。」
ニッと笑い、手を握り直した。
夕食は天文台の近くにあった、ちょっと洒落たイタリアンレストランに決まった。
緊張気味で中に入ると、間接照明の灯りが大人っぽい雰囲気を醸し出していた。恋人なんてついぞいなかった私には程遠い場所である。
「佑さん、ここちょっと高いんじゃない?大丈夫?」
学生である身なのでやっぱり財布は軽い。こんな凝ったレストランじゃいくら取られるか分かったもんじゃない。結構気になる所である。
しかし、訊かれた当の本人はへらっと笑った。
「平気平気。実はなかなかリーズナブル。」
「うっそォ!」
席に着くと佑さんがメニューを渡してくれた。確認しろということなのだろう。早速メニューを開いてみた。
「…意外。」
「でしょ?」
確かに値段は意外だった。もちろんいつもよりはお高くつく。が、そんなにべらぼうに高いわけでもない。けれど、値段よりも佑さんがこの店が手が届く値段だということを知っていたことが意外だった。
きっと前に誰かと来たことがあるのだろう。
でもそんなことをいちいち気にしていたらキリがないことも知っている。だからそこで思考を止めた。
「そういやさあ、この前千代ちゃんが大学の図書館で本を借りたのを見たんだけど、何借りてたの?」
ちょうどいい所で話を変えてくれた。嬉々として私は答えた。
「天体の本を借りたの。ちょっと自分でも色々知りたくなって。」
「へぇ。じゃあその成果を聞かせてもらってもいい?」
もちろんとばかりに一晩で身に付けたにわか知恵を披露した。
「まあ、佑さんはもう知ってると思うけど。」
最初に断っておく。
「前に、夏の大三角形の話をしたじゃないですか。」
ああ、アルビレオに発展してったヤツね、と相槌が来る。
「そうです。その後、大三角形って夏しかないのかなーと思って調べてみたんです。」
「それでそれで?」
「そうしたら、春にも冬にもあったんですよ!大三角形。秋は四辺形でしたけど。」
上手い相槌に乗せられ、それはそれは気持ちよく話した。
「秋の四辺形って他のみたいに、別々の星座の明るい星を繋げたものなのかなぁと最初思ってたけど、違うのね。秋の四辺形はペガスス座だけで出来てるのね。それもお腹の部分。」
でも、ちょっとだけ疑問がある。
「でも…疑問がね、あるのよ。なんで四角形じゃなくて四辺形なんだろ?ついでにペガススってペガサスのことよね。なんでペガサスじゃなくてペガススなんだろ?」
この疑問に関し、佑さんは腕組みをして眉間に皺を寄せた。
「ペガススってのはラテン語読みするとそうなるんだよ。ついでにギリシャ語ではペガソス。ペガサスという読みは多分後から作られたものだろうね、読みやすいように。」
「ふうん。じゃあ四辺形は?」
「分からない。」
「え?佑さんでも分からないことがあるの?」
驚きだ。この天体オタクに知らないことがあるとは。
「失礼だな。俺にだって分からないことくらいあるよ。」
「えー、思えない。全然思えない。だって一聞いたら百返ってくるもん。」
「俺、そんなにくどい!?」
「あはは。そんなことないよ。」
笑って誤魔化した。本当はちょっと思ってたりする。でも大抵は真剣に聞いてるからあながちウソではない。
「あとね、もう一つ思ったことがあるの。」
彼が皿の上の肉を切っていた手を止めてこっちを見た。
「私、星座っていつも後付けで描かれた絵付きのしか見たことなくて。今回初めて星座線だけのを見たの。それでペガスス座を見たんだけどね…」
星座線とは星座を形作る星と星を繋ぐ線の事である。
本だけでは物足りなくなってネットで星座を調べていた時のことだった。もちろん、星座線はその時に調べた。
天文台のホームページを転々とした後、個人の趣味サイトに行き着いた私は面白い星座の画像を見つけたのだ。それは、星座線だけの画像だったのが、マウスを乗せると絵が星座の上に現れるという代物である。一度見ると楽しくて、片っ端から紹介してある星座をクリックし、画面に映し出される星を眺めながら、一つ一つ想像しては答え合わせをしていった。
夢中になっていく最中、私はペガスス座のページを開いた。
「え?何?コレ。」
思わず独り言が出た。それほどコイツは難題なのだ。
秋の四辺形と呼ばれる四角形と、その右にヒョロヒョロヒョロと三本の線が出てるだけ。
ペガサスって馬だよね、一応。なんで足が四本ないの?
羽だってどこから生えてるかも想像出来ないんだけど。羽の付け根は?付け根。
ちょっと待って。まず、首が分かんないじゃん。
全く想像がつかない内に答えを見てしまうのは躊躇われたが、それ以上悩んでも無駄な気がしてさっさと答えを見た。
「えっ!何コレ!?」
その答えに私は心底驚いたのだった。
「全然分かんなかった!ペガススのぺも想像出来なかった!」
プッと吹き出された。
「そりゃあそうだろうなぁ。」
「でしょ?それで絵付きを見たらビックリ!体が半分しかない上に逆さまなのよ?分かる訳ないじゃない。」
その時の気持ちを思い出して乱暴に肉を頬張った。
こんなの想像出来る訳ないじゃない!
一人家で叫んだのを覚えている。無理難題な問題を出されたのも頭に来るが、それよりも、ペガサスの姿にすんなり納得してしまったのが一番気に食わなかった。
「俺も最初にあれを見たときは驚いたよ。」
「ちょっとした反則技よ、あれは。古代ギリシャ人ってどんだけ捻くれてんの!?て思った。」
「ハハ!そうかもな。」
可笑しそうに笑った佑さんは、未だにあの時のことを思い出してむくれている私の顔にそっとナプキンを差し出した。
「ソース、付いてる。」
そう言ってそっと口許を拭われ、今自分がされたことを理解してカアッと顔が熱くなるのを感じた。
「あのペガサスはさ、生まれた瞬間を現しているんだ。」
「生まれた瞬間?」
その口調からいつもの彼のオタ話が始まったのだと察し、ついでに抑えきれない好奇心にフォークとナイフを置いた。
「あのペガサスは、メドゥーサっていう魔女が首を切られた時に飛び散った血から生まれたんだよ。」
聞いた瞬間に食事中に聞くんじゃなかったと後悔する。
「そのメドゥーサっていうのがさ、すごいんだよ。髪の毛は蛇で、目が合うと石にされるんだぜ?」
「何その最強みたいな化物。今まで聞いて来た中で一番技持ってるよ?」
「そんな化物から生まれて来るんだよ。ペガサスは。」
「…イメージがかけ離れすぎて想像できない。」
「おっ。珍しいね。」
眉間にしわを寄せ、先ほど聞いた血飛沫が飛び交う中、バサバサーっとペガサスが現れる瞬間を想像している私の顔を見て、佑さんが面白そうに言った。
「このペガサスが生まれたのにもちゃんと話があるんだけど。」
そこから先は聞くまでもない。即答で「聞く。」と身を乗り出した。
「そうこなくっちゃね。」
楽しそうに佑さんがいつもの顔で笑った。
☆
「ペガサスの親?であるメドゥーサを倒しに行った男がいて、そいつの名前がペルセウスっていうんだ。」
早速私の頭の中で脳内変換が行われる。
「もちろん彼ももれなくゼウスの息子。」
「またそういう感じね。」
情報を仕入れた私の頭の中では、美形に変身したゼウスと若いイケメン俳優のペルセウスが現れる。
「このペルセウスの祖父がアクリシオスっていうギリシャ南部のアルゴスの王様で、ダナエって娘がいたんだけど、このダナエの息子にいずれ殺されるっていう予言が出たんだ。」
髭面の親父の隣に清純派若手女優が並ぶ。
「慌てたアクリシオスがダナエを塔に閉じ込めたんだけど、ゼウスが黄金の雨に化けて忍び込んで作っちゃったわけ。」
どうしようもねぇな、みたいな顔をする佑さんに私も大きく頷いた。
ゼウスのその呆れた執念には脱帽する。
そこまでしてヤりたいのか!?
「そうして出来た子供がペルセウス。」
「…つくづくヘラが可哀想に思えてくるわ。」
「これだけ浮気してりゃね。そういえば、ペルセウスはあのヘラクレスのひい祖父さんに当たる人なんだ。」
「そうなの!?そう考えると…ひいひいお祖父ちゃんと父親が同じってどんな心境なんだろう…。」
「それは…俺たちにはあり得ない話だから。」
「まあね。」
それにしてもゼウスってどうしようもないね、と笑い合って、話は続く。
「結局ペルセウスが生まれて、アクリシオスはダナエと赤ん坊のペルセウスを箱に閉じ込めて海へ流すんだ。」
それって一歩間違えれば死ぬんじゃないの?と疑問は湧くが、取りあえず置いておく。
「二人が流れ着いたのがセリポス島という島で、そこの王様が親切にしてくれてペルセウスはすくすくと育った。ところがその島の王の弟がダナエを好きになって、自分の物にしようとした。」
遂に悪役登場だ!
よく悪役をやっている性悪顔の俳優が清純派若手女優に言い寄る姿を想像する。
「ダナエは勿論応じるつもりもなく。その内ペルセウスが邪魔になって来て、そいつが祝宴の進物として怪物ゴルゴン姉妹の末妹のメドゥーサの首を取ってこいと命じた。」
そこまで一気に話した佑さんは、一息ついて水を飲んだ。
「そのゴルゴン姉妹のメドゥーサってのが、さっき話してたやつね。」
「そうそう。メドゥーサにはステンノ、エウリュアレという姉がいて、二人とも不死身なんだ。」
「メドゥーサは?」
「メドゥーサだけ不死身じゃない。」
「ふうん。」
「だから首を取ってこいって言われたのさ。」
「でも目が合ったら石にされちゃうでしょ。」
「それならそれで厄介払いができるじゃないか。」
「あ、そっか。」
「話の続きね。それで、ペルセウスは戦いの女神アテナと伝令の神ヘルメスから秘密道具を貰ってメドゥーサを退治しに行くんだ。」
秘密道具って…。ネコ型ロボットのなんでも出てくるポケットが浮かんだ。
「その顔はロクでもない想像してるだろ。すごいんだからな。鏡のような盾とか、首を入れる革袋だろ、それに翼のついたサンダルとかあるんだからな。」
「翼のついたサンダルって…。タケコプターの足版みたいな?」
「ま、そんなとこだな。他にも色々諸説はあるんだ。決して折れない剣とか、被ると姿が消える兜とか。」
「神様って凄いものを作れるのね。」
「神様だからな。」
それじゃあやっぱりあのネコ型ロボットは神の領域なのか?などと脱線している間に彼の話は続く。
「まあ、なんやかんやでペルセウスはメドゥーサ退治に成功するんだよ。ペガサスがメドゥーサの血から生まれて、ペガサスと帰っている途中、アンドロメダに出会うんだ。」
「アンドロメダ?アンドロメダ星雲のアンドロメダ?」
「そう。そのアンドロメダ。」
「神話の中の人だったんだ。」
「ああ。アンドロメダ座の星の特徴は置いといて、話の続き、いい?」
「もちろん。」
横に置いてある、水の入ったグラスを取り、少し水を口に含んだ。
「それじゃあ、続けるよ。ペルセウスがペガサスに乗って帰っている最中、エチオピアの王妃カシオペアが海の神ポセイドンを怒らせるという事件が起こったんだ。」
「何をして怒らせたの?」
「海の神の娘よりも、自分の方が美しいと言ったのさ。」
「うわっ。何そのちっさい戦い。」
「呆れて物も言えないだろ。」
「その王妃もどうかと思うけど、神様も神様よね。」
早速私の頭の中で変換が行われ、王妃カシオペアは大御所美人女優に、なんとなく海の神の娘は女性のお笑い芸人トリオの顔が浮かんだ。
「ポセイドンは怒って、エチオピアに怪物くじらを送ったんだ。」
「怪物くじら?どんなくじらなの?」
「もんの凄いでかいくじら。」
「へえ。」
「そのくじらがエチオピアに津波を起こして街を襲ったんだ。エチオピアの王は困って神様にどうすればいいか尋ねるんだけど、結局娘のアンドロメダを生贄にしろって言われて、泣く泣く海の岩へアンドロメダを縛り付けたんだ。」
「うわあ、とんだとばっちりだねぇ。」
「しょうがないよ。いつの世もそんなもんだ。」
風習というか、大昔は生贄やらそういうのが好きだよね、と佑さんは乾いた笑いを漏らした。
「アンドロメダが岩に縛り付けられ、くじらに食べられるぞ、という所でペガサスに乗ったペルセウスが登場するんだ。」
「ヒーローの登場だね。」
「まさに、ね。そして持っていたメドゥーサの首でくじらを石にしたんだ。」
「なんかあっけない気もするけど、お姫様救出ね。」
「うん。それでアンドロメダはペルセウスの妻になって、一緒にギリシャへと帰ったんだ。なかなかロマンチックだろ。」
「冒険活劇みたいだわ。」
「そうだね。俺的には夫婦一緒に星座になってるって所がポイント高いんだなあ。」
「…それは素敵だと思うけど、どうして?」
「なんかいいじゃん。お互い星座になってるってことは、二人が愛し合っていたのが周りもよく知ってたってことでしょ。」
「なるほどねー…。」
ふうん、と思って聞いていたけれど、「愛し合っている」なんて言葉は少し私には刺激が強いようで、別に自分に言われているわけではないのに、顔が熱くなった。あまりにもストレートなその言葉は、聞いていると照れる。
「そういえばさ、この話には続きがあってさ…」
一人彼の何気ない言葉で赤面しているなど露知らず。佑さんはまた流暢にしゃべりだした。
「ペルセウスが島に戻ると、ダナエがあの言い寄ってた男に追い詰められて神殿に閉じこもっていたんだ。それを見て怒ったペルセウスがそいつにメドゥーサの首を見せてダナエを救出した。」
「やっぱりメドゥーサの首って物語をかなりはしょってしまうよね。」
「手っ取り早いからなあ。それで幸せに暮らしたんだけど。」
「だけどってことはまだ何かあるの?」
「十何年以上たったある日、ギリシャの競技大会に出たペルセウスが、円盤投げをしたところ、運悪く老人に当たって死んでしまったんだ。で、その老人というのがペルセウスの祖父のアクリシオスだったってわけ。」
「結局孫に殺されるっていう予言は当たっちゃったのね…。」
身重の娘を海に流した愚かな老人ではあるが、思いっきり投げた円盤に当たって死ぬというのはなかなか哀れな最期である。
思わず同情してしまうほどだ。
「以上がペルセウスとアンドロメダの物語でした。」
語り終えて満足そうな彼に、ささやかな拍手を送る。
しかし、話に夢中になっていたおかげで料理はすっかり冷めてしまった。それでも満足した気になっているのは、彼の星座の話のおかげだ。これがないと彼と居た気にならないのは、もう末期症状だろうか。
食後のコーヒーを飲み終えて店を出る頃には、午後八時を過ぎていた。
大学生にとってはまだまだこれから、という所だが、デートとなると一体全体ここからどうしたら良いものか。恋愛経験値ゼロの私には皆目見当がつかない。
ダラダラ歩きながら隣の佑さんが何か切り出さないか待っていた。
すると突然携帯の着信音が鳴りだした。
慌ててバックの中を探るけど、携帯が光っている様子はない。
「…はい、もしもし。」
なあんだ、鳴ってたのは彼の方か。
携帯電話のディスプレイの光で少し浮かび上がった彼の横顔を眺めがら、電話が終わるのを待っていた。大した会話もなく、「…はい…はい。」と返事をしていた。
やがて電話が終わったのか、通話を切ると佑さんがこっちを見た。
「…終わったの?」
「…うん。」
そのまま無言で歩き出した彼の歩調は速く、少し小走りになりながら付いて行った。
さっきまで合わせてくれてたのにどうしたんだろう…?
ちょっとした疑問が私の頭の中で回る。気のせいか、さっきよりも恐い顔をしている。
あれ?もしかして機嫌が悪い?
声を掛けようと思ったけれど、なんだか聞け出せないようなその雰囲気に、私は黙ったまま彼の足早な歩調に追いつこうと歩くことに集中することにした。
しかし、そうしている内に待ち合わせた駅に着き、彼はとんでもないことを口にした。
「じゃ、千代ちゃん。俺これから約束があるから。」
「………は?」
曲がりなりにも彼女とデートしてその後に他の約束があるって、どういうこと?
一応コレ、初デートなんですけど。
いろんな言葉が口から出かかって、飲み込んだ。
「じゃあまた大学で。」
爽やかな笑顔で改札口の向こうへと去っていく彼に、私は茫然とした顔で改札口の前に突っ立っていた。
☆
「信じられます!?よりにもよって初デートの後に他の約束って!!」
「分かった、分かったから嬢ちゃん。他にお客がいるってこと忘れないでね。」
「分かってます!!でも…信じらんない!!」
結局置いてかれた私はいつものラーメン屋に愚痴を零しに行った。
あの天体オタクは一体全体何を考えているのか。
彼女との初デートの後に他の約束を入れてるなんて、どんな神経が通ってやがんだ。
すっかりやさぐれた私に、店主のおじさんは困り果てていた。
「嬢ちゃん、あんまり考え過ぎんなよ。」
「無理!」
即答した私には「青春だなぁ。」とおじさんは呟いた。