3.はくちょう座 デネブの向こう、アルビレオ
第3話目です。
最近寒くなりましたが、この二人はまだまだ熱いです。
あの頃の自分は本当にアホだったなぁ、と今更ながらに思う。一人で勝手に勘違いしてうじゃうじゃと悩んで…
でもそれが青春の醍醐味じゃないの!
なんて開き直ってみる。
いつかあの時のことを彼に言ってみようか。もしかしたら私でも口で勝てるかもしれない。
☆
「せんぱ…佑さん。」
「なに?千代ちゃん。」
未だ彼を「佑さん」と呼ぶのに慣れない私を、彼は可笑しそうに目を細めて笑う。
「…笑わないでください。」
「いやー、いつ「タスキさん」と呼んでくれるのかと…。」
「呼びませんよ!」
以前彼を「タスキさん」と呼んだことをまだ根に持っているらしい。こうして隙あらば私をからかうのだから、全くもって迷惑な話である。
「そんなことよりですね、」
「うわ、バッサリ切られちゃった。」
いちいち話の腰を折る佑さんに、盛大にため息を吐いてやった。
「ごめんごめん。それで?」
仕切りなおして、ゆっくりといかにも怒ってます、という雰囲気を最大限に出して言ってやった。
「なぜ、私以外の入部者が現れないのでしょうか?」
そう来たかぁ、と佑さんは頭を掻いた。
「聞きましたよ?二名以下だと、廃部させられるって。」
「そうなんだー。」
「…知らなかったんですか?」
「いや、知ってた。」
「だったら…!」
「いいんだよ。俺と千代ちゃんで二人だろ?とりあえず廃部にはならないんだから。」
「でも、あと二年すれば、先輩卒業しちゃうじゃないですか…。」
「あ、今「先輩」って言ったよね?今日は千代ちゃんが餃子奢って。」
「人の上げ足取るような人に餃子は奢りません。」
きっぱりと告げると、佑さんは拗ねたように先ほどまで読んでいた本をまた開いた。
「ちょっと!人の話を真面目に聞いてください!」
無理やり本を取り上げる。
「佑さん、いい加減腰上げて下さいよ!」
「千代ちゃん、眉間に皺寄ってる。」
人差し指で眉間を突かれ、慌てて両手で押さえた。
「なにすんですか!」
「そんなに皺寄ってちゃダメでしょ。女の子は笑顔が大事なの。それに千代ちゃん可愛いんだから」
そんな顔してたらもったいないよ、とサラリと言い放つ。
ずるい。そんなこと言われたらもう何にも言えないじゃんよ。
「…もういいです!そうですよね!私の時だって全然やる気なさそうだったし!」
半ば投げやりにどんどん言葉をぶつけた。
それでも、佑さんは怯むことなく、「そうそう。」と頷く。
私はいつになったらこの人に勝てるのだろうか…。
それにしても、さっきは危なかった。突然触られたとはいえ、少し挙動不審だったのではないかと、心配になる。
この頃の私は少しおかしい。
彼を見ると、嬉しくなって、それでいて苦しくなる。こんな複雑な気持ちになったのは初めてで、この気持ちを自分で理解することが出来ない。
一体全体どうしてしまったのだろう、私は。
答えの出ない押し問答は約一ヵ月間続いた。そして、私は答えへと辿り着くきっかけと遭遇する。
「あ、佑さんだ。」
誰にも聞かれないよう、一人心の中で呟く。
大学内を歩いていると、少し離れた所に佑さんを見つけた。
彼は白衣を着ていて、サークル棟でしか会わない私には新鮮な姿であったが、当の本人は着慣れているようだ。颯爽と歩く姿は、極度の天体オタクとは思えないほどのカッコよさである。
「千代、あの人カッコいい。」
隣で目を爛々と輝かせる友人に言ってやりたい、
「あの人、私の先輩なんだよ!」
でもそんなことを言ったら、「どこのサークル!?」「学年は!?」「名前は!?」とキリのない質問の嵐に押しつぶされること請け合いだ。口が裂けても言えやしない。
「そうだね。」
適当に相槌を打ってその場をやり過ごす。これが正解。
が、やはり運命の女神というのはいるもので、必ずしも笑ってくれるわけではないことを、私はその時悟った。
「やっぱりイイ男には女がいるもんだなー。」
「なに?」
「アレ。見てみなよ。」
そこには、先ほどまでいなかった同じく白衣を着た女が、佑さんの横を楽しそうに、彼との会話を楽しみながら歩いていた。
「レベル高いのには、やっぱりそれなりの女が付くもんだ。」
最後の友人の言葉がグサリ、と私の心を突いた。
その後自分が何をしたのか、友人が何を言ったのか全く覚えていない。
これからどういう顔で佑さんに会えばいいんだろう。
悶々と頭の中で、この一文が無限ループよろしく頭を横断する。今は講義中であるというのに、そんなのもお構いなし。
「やっぱ、彼女かなぁ。」
彼女がいるからどうというのだ。元々私と彼はそんな関係ではない。ただの先輩後輩。サークルが一緒、それだけ。そう、それだけ。
それだけの関係の私が何故、こんな思いをしているというのだ。ちゃんちゃらおかしい話である。
そうよ、何で私が悩むことあるのよ
何も悩むことはない。先輩には彼女がいた、それだけだ。それだけなのに、何故涙が出そうなほど苦しいのだろう。訳が分からない。分からない…
「君、恋をしてるね。」
言ったのは先ほど一緒に佑さんを見た友人。講義中呆けている私を見かねて掛けた一言だった。
彼女の言葉に、すとんと胸をつかえていたものが落ちた。
そうか、好きだったのか。佑さんのこと。
☆
「好き」というのを自覚してからというもの、格段にため息の回数が増えた。
好きだからといって、彼に何かアクションを起こすのかというと、そうでもない。どっかのベタな少女マンガか!と自分に突っ込みたくなる。
こういう時、ベタな少女マンガだとハプニングが起きて、それがきっかけで意中の相手と付き合うことになる、というのが相場だ。しかし、現実はそうではない。何もしなければ何も起きないし、ましてや自分が望むような結果にだって転がるはずがない。
すっかりやる気を失った私は、大学の附属図書館で星座の本を漁っていた。
不本意ながら、彼の星座の話にすっかりハマってしまった私は、思い切って自分でも調べてみようと図書館を訪れたのだ。
「星座のおはなし」というタイトルそのままの本を手に取る。適当に開いたページには「七夕伝説」の話が書かれていた。
これなら私も知っている。
織姫と彦星が天の川を挟んで、年に一度だけ会えるというラブロマンスだ。これを昔の人間が、今よりは膨大な数が見えていたであろう夜空の星から、この二つを選んで話を作ったのだ。きっと相当なロマンチストに違いない。
パラパラとページをめくると「夏の大三角」が現れた。
先ほどの織姫星のベガ、彦星のアルタイル、そしてはくちょう座のデネブを繋げたのが、夏の大三角だ。
はくちょう座のデネブ
何故だかデネブだけが仲間はずれな気がしてしょうがない。他の二つの星は立派な伝説まで拵えてあるというのに、デネブのこのぞんざいな扱いはなんだろうか。
ベガとアルタイルについては細かい記述があるものの、デネブだけはそこまで詳しい記述はなかった。
所詮、世間はメジャーな方を選ぶのだ。その時、ふとこの前の佑さんと一緒にいた女性を思い出した。きっとあの二人はベガとアルタイルよろしく立派な恋愛話があるのだろう。それに引き換え、未だ恋も知らない私はなんなのだろう。
きっとデネブは迷惑に思うに違いない。でも仲間意識を持たずにはいられなかった。
☆
「お嬢ちゃん、恋の病かい?」
盛大に咳き込んだ。
「おじさん!何言ってんの!」
「いやぁ、上の空でラーメン食ってりゃ誰だって思うがなぁ。」
ケタケタと笑いながら禿げた頭を掻くおじさんは、全く悪びれた様子がない。
星と同じく、彼に教えてもらったこのラーメン屋も最近の私のお気に入りで、よく一人でラーメンを食べに来る。もう、ラーメン屋のおじさんとはすっかり仲良しだ。
「あの兄ちゃんかい?」
「何で分かったんですか!?」
「ありゃあ誰でも分かるって。みえみえだもんな。」
「マジスか…」
彼とこのラーメン屋へ来たのはあの時一回きり。あの時はまだ好きということを自覚していなかった筈だ。それなのにみえみえって…
「嬢ちゃんが何を悩んでんのかはよく知らんが、少なくとも、あの兄ちゃんが女連れでここ来たのは初めてだったぜ?」
「後輩、ですからね。」
それ以上は望めないですよ、と憎まれ口を叩く。
「それはどうだろうなぁ。」
おじさんは意味あり気な目をして笑う。またまたぁ、期待させるようなこと言っちゃって!と突っ込んだ。
そういえば…
私は昼間のあの話をおじさんに切り出そうとした。
「おじさん、天体詳しいんですよね。」
「好きと言って欲しいね。」
どうやらこの手の類のものが好きな人間は、それぞれに譲れないこだわりがあるらしい。
「すんごく好きなんですよね。」
おじさんの言う通りに念を押した。
力強く頷くのを見て、私は疑問をぶつけた。
「なんで同じ夏の大三角でも、デネブはそんなに注目されないんですか?」
おじさんは一瞬きょとん、として豪快に笑い始めた。
「そんなこと訊いてきたのはお嬢ちゃんが二人目だ。」
もう一人は誰なんだろう…
「日本は七夕伝説が主流だからな、自ずとはくちょう座からは離れていくんだろうさ。」
「そうですか。」
やっぱり人はラブロマンスが好きなのか、とため息をつく。
「お嬢ちゃん、確かに日本では七夕のベガとアルタイルがメジャーだが、おっちゃんみてーな奴らはきっと、はくちょう座が一番好きだ、て奴が多いと思うぜ?」
「どういうことですか?」
「はくちょう座の尾の星がデネブなんだが、そっちよりも嘴の星がいいんだ。」
「嘴の星?」
オウム返しに頷くおじさん。
「アルビレオっつう星な。」
これがまたいいんだ、と一人悦に浸る。
自分は分かるからってずるいよなぁ。
「後は兄ちゃんにでも訊きな。」
「そんなぁ!」
結局ラーメン屋の天体大好きおじさんからは何も聞き出せず、私は悶々とした気持ちで講義を受けていた。
アルビレオ…アルビレオ…
名前を忘れないようにずっと頭の中で繰り返した。
「では、この本の感想と、読んでいて感じたこと、他にも言葉から感じられる作者の思いなどをA4サイズに六百字で。」
次の講義までのレポートを出され、心の中で「オニ!」と叫ぶ。今週は他に四つもレポートがあるのだ。もういっぱいいっぱいで余裕など露ほどにもない。
「六百字かぁ…」
課題図書はあまり長いものではないが、なかなか工夫が凝らしてあってその意図を読み取るのは難しい。
「やる気が全然起きない…」
独り言を言って盛大にため息をつく。本当はこんなんじゃなくて図鑑が見たい。星の図鑑を見てアルビレオがどんな星なのかを知りたい。
しかし、あれからレポートに追われている私にはそんな時間はなかった。
こういう時こそ、佑さんに訊けばいいのかもしれない。だが本人を目の前にすると緊張して上手く喋れない。
自分がこんなに憶病なんて知らなかった。
恋を目の前にして、私はどうすることも出来ないほど子どもだった。
☆
その日はサークルの日だった。
佑さんを目撃し、好きと自覚してから初めてのサークル。今私はとてつもなく緊張している。彼に自分の想いがバレやしないか、ヒヤヒヤして心臓が口から出そうだった。
「千代ちゃんさあ、ラーメン屋のオヤジにアルビレオのこと聞いたんだって?」
サークル中、いつも通り真剣に本を読んでいた佑さんが、突然口を開いた。
なんで佑さんがそんなことを知ってるんだろう、おじさんに聞いたのかな?
「なんで俺に聞かなかったの?」
佑さんは恐かった。
真っすぐにじっと私の目を見られていると、私の気持ちも何もかもお見通しじゃないかと思えてくる。
「なんでって言われても…」
「ふーん。俺に聞けない理由があるわけ?」
「そんなことは…」
いじわるだ。なんで彼はこんないじわるを私に吹っかけてくるんだ。
「ないなら教えてよ。なんで俺に聞かなかったの。」
「~~!なんなんですか!?一体!!」
息つく暇さえも与えない彼の攻撃に、私はついに音をあげる。
「おじさんに聞いちゃいけない理由があるんですか!?」
「大アリだよ!千代ちゃんに星の話をするのは俺の特権なの!」
「そんな子どもみたいな理由…」
彼の言葉に半ばあきれてため息をつく。そんなのもお構いなしに彼はとんでもない一言を言い放った。
「しょうがないだろ。俺、千代ちゃん好きなんだからさ。」
「はい?」
今なんておっしゃいました?
ゆっくりと言われたことを咀嚼する。その言葉を頭の中で繰り返す。
佑さんは!?
…ケロッとした顔をしている。
「ごめん、ちょっと困らせた。」
あまりに突然のこと過ぎて、あたふたと混乱している私に気遣いの言葉を掛けてくれた。
「いえ、う、嬉しいんですけど…佑さん、彼女いるんじゃないんですか?」
「いないけど。」
あれ?おかしいな…
「でも、この前女の人と二人で歩いてましたよね?」
「この前?同じ学科のヤツかなぁ。」
どうやら自分自身も覚えていないほど気にならない人だったみたいで、誰だろ、と眉間に皺を寄せて考え込んでいる。でもその内思い出すのを諦めて、それよりも、と私に向き直った。
「返事、聞かせてもらってもいい?」
ここまで来て「うん」と言わない人がいるのだろうか。
返事はもちろん、
―――イエス
でしょう?
☆
「なんか案外アッサリとした展開だったなぁ。」
突拍子もない告白から数日経ったサークル室でのこと。あのとんでもなく緊張した時のことはまだ記憶に新しい。
人生初の告白というイベントは、なんともあっけなく終わってしまったのだ。想像よりも展開に乏しいのは少しだけ寂しい所である。
「何か言った?」
「何でもないですよ。」
想像してたのよりも呆気なく終わっちゃったんで拍子抜けしたんです、なんて当の本人に面と向かって言えるだろうか。
「ふーん。言わないつもり。」
「そうです。」
「そういう子にはお仕置きだな。」
「キャー!」
突然背中から抱きつかれ、顔は真っ赤になってとにかく落ち着かない。けれど不思議な心地よさを感じていた。
―――前言撤回。
拍子抜けしたなんて思ってごめんなさい。本当はすんごく緊張したし、今もしてます。あれ以上の展開があったらきっと気絶してました!
「佑さん、」
腰に腕を回されたまま、バクバクとうるさい心臓を必死に落ち着かせようと話しかけた。
「アルビレオのこと教えて下さい。」
「もう店主に聞いたんじゃないの?」
拗ねたように口を尖らせる彼は、とても可愛い。けど同時にとても憎たらしい。
「聞いてないですよ、おじさんには佑さんに教えてもらいなさいって言われたんです。」
顔は見えないけど、確かに回されていた腕がぎゅっとなった。
「いいよ、教えてあげる。」
耳のすぐ近くで囁かれ、私の全身を甘いしびれが駆け巡った。
しかし余韻に浸る間もなく、佑さんは事も無げにアルビレオの説明を始めた。
「アルビレオははくちょう座の嘴の星で、望遠鏡で見ないとその本当の姿は分からないんだ。」
「どんな姿なんですか?」
「肉眼では普通の星なんだけど、望遠鏡で見ると二つに見えるんだよ。」
私に抱きついたまま、片手でごそごそと器用に何かを取り出し、私の目の前に携帯の画面を差し出した。
「これ、アルビレオ…?」
「そう。綺麗だろ?」
アルビレオは青い星と黄色い星だった。すぐ近くに隣り合った星は、寄り添った恋人同士みたいだ。
「ちょうど今の俺達みたいな感じだよな。」
慌てて振り向くと、彼は不敵な笑みを浮かべて、そっと首筋にキスを落とした。
「まだ慣れない?」
怯えるかのごとく、体を縮こませた私に優しく囁く。
ハッキリ言ってこんなの慣れるわけがないでしょ!
「無理です。」
真っ赤な顔でこれだけ答えるのが今の私の精一杯だ。そんな私を彼は「たまんないなあ。」と嬉しそうな声で笑う。
「千代ちゃん、星のこともっと知りたい?」
「知りたいです。」
自分勝手だけど、「俺のことを知りたい?」と聞かれているみたいで、自分でもがっついてんな、と思うほど力強く即答した。
「じゃあ、星座早見表作ってみる?」
星座早見表とは天球を紙面上に表したもので、月日とその時間帯の夜空が分かる代物である。もちろん佑さんに教わった。
「作りたいです。」
体の向きを変え、佑さんの目を見て答えた。佑さんはくすっと笑って、「作ってみようか。」と顔を近づけた。
「ま、待って!」
何をするつもりなのかを察した私は慌てて顔の前に両手で楯を作る。
「無理。待てない。」
あっさり楯は彼の手によって外され、なんとも情けない顔で私はファーストキスを迎えた。
☆
今思えばあの時の彼の行動は、まさに女たらしのキザ野郎と言っても過言ではない。
ラーメン屋の店主にアルビレオの話をしてもらったことは、店主から聞いて知ったのだろうと容易に想像出来る。
しかし、その後にあんな強引な持ってき方をするか?普通。
仮にも大学へ上がったばかりの初心な乙女に対して、だ。
今、あの時のことを彼に話したらきっと恥ずかしがって「やめてくれ。」と懇願するに違いない。強引だったことは本人も否定できない所だし、何よりも過去をほじくり返されるほど恥ずかしいことはない。
でも、あれから少しだけ年を取った今なら分かる。
その時の彼の気持ちを。
少し鼻声になったのを感じて、声を大きくした。