1.ポラリス 北斗七星とカシオペア座に挟まれて
記念すべき第1作目です。
どうぞよろしくお願いします。
大学の卒業式とは、一体全体どうしてこうつまらないのか。
いや、正確には大学の卒業式にある、学長の話である。
今まで名前も知らなかったオッサンから長々と話をされて、「面白い!」と言う者がいるか?私は断言しよう。
絶対いない。
かと言って、「つまんねーぞ!」なんて野次を飛ばすつもりもない。結局は我慢なのだ、そう我慢。
「えー、最後に。みなさん、卒業おめでとうございます。これで終わります。」
最初に言った言葉をもう一度繰り返し、やっとのことで終わった。
「やっと終わったねー。」
拍手をしながら、隣の友人が言った。どうやら彼女も退屈だと感じていたらしい。
「いい加減長かったよね。」
パチパチと疎らな拍手をしながら答えた。
式典が終わり、その足で大学へ戻ると、研究室の後輩や教授達とささやかなパーティが行われた。
「先輩方から一言ずつどうぞ。」
右端から一人ずつ「これから大学生活頑張って下さい。」など、ありきたりの挨拶を言っていく。私の順番は最後だ。
「最初入学した時は、どうなることかと思いましたが…」
三番目くらいの男が入学当時のことを話していた。
『君さ、ポラリスって知ってる?』
ふと彼の言葉を思い出す。
『なんですか、それ。』
思わず笑みが零れる。
あの時の私は何にも知らなかったなぁ。
なんて思っていたら、いつの間にか私の番になっていた。
「先輩?あの、一言いいですか?」
「あ、はいはい。」
椅子から立ち上がり、一息ついた。
「そうですねー、誰か天文サークルに入って下さい。」
ドッと笑いが起こる。
「ひどいなぁ、これでも真面目に言ってんですよ。今二年生の女の子一人だけなんで、サークル存続の危機なんです!」
今、彼女一人残して私は大学を卒業してしまう。彼女を一人残すのも心配ではあるが、人数が少ないという理由でサークルがなくなってしまうことが嫌だった。
そう、彼が作った天文サークル「ホシバナの会」が。
最初はなんてネーミングセンスのないサークル名なんだ、と思った。
『ホシバナの会?なにそれ。』
それが私の最初の感想。
だって「ホシバナの会」て、何?天文サークルでいいじゃない。わざわざ名前をつけるよりもよっぽど分かりやすいじゃん。
それでも彼は敢えて「ホシバナの会」と名付けた。
きっとそれだけ好きなんだと思う。
星が。
☆
ちょうど四年前の春に、私はこの大学に入学した。
国立大学で、家からは多少離れているので近くに部屋を借りた。私立は親にダメと口を酸っぱくして言われており、国立を受ける代わりに一人暮らしをさせてもらえる条件を得た。一人暮らしという憧れの為に、猛勉強をしたのは言うまでもないだろう。
見事合格し、念願かなって一人暮らしの城へ引っ越しも済ませ、いよいよ私の大学生活が始まる。
入学式の後にガイダンスを聞く為大学に行くと、校門から校舎までずらっと人が並んでいた。この季節よく見られる「サークル勧誘」である。
「野球部!初心者大歓迎!」
「チア部で楽しいキャンパスライフ!」
とか書いてある看板を持って、口々に「○○サークルに!」とか「君、ウチのサークル来ない?」としきりに叫んでいた。
その中で、一人。全く勧誘する気のない男が目に入った。
それは、勧誘者の列の一番後ろ右側。ちょうど校舎の真ん前。青い字で何か書かれたタスキを掛けた男が、突っ立ったまま本を読んでいた。
この男、勧誘する気がさらさらないのか、なんて思いつつも、その男の前を通り過ぎようとした時、タスキの文字が目に入った。
『ホシバナの会・会長』
ホシバナの会?なにそれ。
少し気になったが、話しかけることもせずそそくさと校舎へと入った。
ガイダンスが終了し、家に帰ろうと外に出ると、終了時間を見計らって出てきたサークル勧誘がどっと私の方に近寄って来た。
「ねぇ、君。野球部のマネージャーやらない?」
「バトミントンやろうよ!」
それぞれのサークルの名前を告げ、勢いよく迫ってくる先輩達がとにかく恐かった。
先輩達の目には、私のことは罠にかかった獲物にしか見えてないようだ。とにかくその今にも、狩るぞ!という目はやめて欲しい。
「私、いいんで。」
おどおどしながらそう断り続け、ようやく校門の前まで辿り着く。その頃には、他の新入生も校舎から出てきたので、先輩達の標的はそっちに移っていったようだった。
ようやくホッとして、校門をくぐろうとした時、
「君。」
誰かに呼び止められた。
「そう、そこの君。」
声を掛けたのは、先ほどのタスキ男。
「サークル勧誘ですか?」
「そうだね。」
さっきはやる気なさそうだったじゃん!と言いたい。
「私、サークルとか興味ないんで。」
「そっか。」
「はい。」
それじゃあ、と言ってその場を立ち去ろうとしたが、先に「じゃあ、」と言われた。
「君さ、ポラリスって知ってる?」
ポラリス?何だポラリス、て。
「何ですか、それ。」
「教えない。」
「はあ?」
なに?なんなの?
そんな風に言われると余計気になるじゃない!
「答え、気になる?」
気になる、すごく気になる。
「はい。」
素直に、欲望のまま答えた。
「残念だけど、ここでは教えられない。」
「えっ?」
至極真面目そうな顔で男は残念だ、と言った。
「…どうしたら教えてくれるんですか。」
ちょっとむくれた顔で言った。すると、男はニッと笑って、
「ここへ来たら教えてあげる。」
そう言って一枚の紙を私に差し出した。
そこには、こう書いてあった。
ホシバナの会
場所:サークル棟○○号室
活動日時:毎週火曜日 一六時三〇分
たったこれだけ。
「あの、」
「なに?」
「『ホシバナ』て何ですか?」
「来たら教えてあげる。」
そう言ってまたニッと笑い、彼は何も言わずに去って行った。
取り残された私は、答えを教えてもらえないもどかしさと、何が何だかよく分からないので、呆然とその場に立ち尽くしていた。でも、その時確かに思ったことがある。それだけは、ハッキリと覚えている。
確か…
あんな変な人じゃなきゃ、普通にかっこいいのに。
だったと思う。
その日は月曜日だったので、答えは翌日に聞ける。
インターネットでその日のうちに答えを知ることも出来たけど、しなかった。どうせ明日答えを聞けるんだし、と思ったから。
それとちょっとだけ、本当にほんのちょっとだけど、昨日のタスキ男に会えるのを楽しみにしていたから…かもしれない。
翌日、サークル棟の前へ私は来た。
中に入って紙に書いてあった番号を探す。部屋は入り口から一番遠い、6畳ほどの部屋。中に一人、昨日のタスキ男が椅子に座って本を読んでいた。
「あ、君来たの。」
あんたが来い、て言ったんじゃないの。
「はい。答えが知りたくて。」
「ふうん。とりあえずさ、入口に突っ立ってないで入んなよ。」
「失礼します…。」
部屋に入ると、タスキ男はどこから出してきたのか、パイプ椅子を一脚広げた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「さて、何だったけか。」
昨日あれだけ引っ張っておいて「何だったけか。」はないだろう!
思わず口を開きそうになったが、ぐっと我慢した。
相手はまだ出会ったばかりの男だ。それで「それはないだろう!」なんて言うもんじゃない。いや、言える訳がない。
「ポラリス、です。」
落ち着いた口調で返す。
タスキ男の方は、「そうだったそうだった。」なんて呑気に本を閉じている。
「ポラリス。日本では北極星の方がメジャーだね。」
ポラリスって北極星のことだったの!?
それからタスキ男は語り始めた。
「ついでに北極星の位置だけど、常に真北の方角にあるんだ。」
「それは…知ってます。」
「うん。常に真北の方角にあって、大体地平から三五度位の高さにあるんだ。そうだね、俺達の目線でこれくらいの高さかな。これは観測する場所の緯度と同じ数値なんだよ。」
タスキ男は、星を見上げるように顔を上げた。
「そうなんですか…。」
「そうだよ。」
「分かりました。」
そうかそうか、ポラリスは北極星のこと。ここでは緯度が三五度位だから、少し見上げるぐらいの所に、北極星が見える。
一人で反芻していると、またタスキ男は続けた。
「北極星の探し方、知ってる?」
「北斗七星とカシオペア座の間にあるんですよね?」
「そうそう。」
それは確か小学校で習った気がする。北斗七星とカシオペア座が書かれているワークシートで、北極星の位置はどこか?なんてのをやった覚えがある。
「北斗七星のひしゃくの部分、」
タスキ男は右手の人差し指を鉤バリのように曲げ、
「ちょうどこの辺ね。」
左手の人差し指で、右手人差し指の先から第一関節までをなぞる。
「この長さの五倍の位置に北極星があるんだよ」
指の先から少し離れた、北極星の位置の所に丸を描き、
「で、その大体同じ距離の反対側にあるのが、カシオペア座。」
北極星を挟んで、鉤バリの反対側にWを描く。
まるでそこに、本当に星空があるみたいだ。
「へぇー。」
感心している私に、タスキ男は不思議そうに聞いてきた。
「面白い?」
「面白いです。」
「そう、良かった。」
タスキ男は、ふわりと笑った。
「大体ここまで話すと、みんな苦笑いするからさ。」
ぽろっと言った彼の顔は、すごく大真面目だった。
「そうですか?私は面白いと思いますけど。」
「ならいいや。」
彼は満足したようだ。
「これで答えはおしまい。」
なんだ、もう終わりか、とその時思った。でも、これ以上何を聞けばいいのか分からないし、結局私は帰ることにした。
「えーと、ありがとうございました。」
「いーえ。」
部屋を出ようとして、最後に一言だけタスキ男に言った。
「あの、ポラリスって名前、びっくりしました。北極星って言うより、なんか可愛いくていいです。」
そして私はタスキ男の顔も見ずに「ホシバナの会」の扉を閉めた。
その帰り道、あることに気づく。
「なんで「ホシバナの会」て言うのか聞くの忘れた!」
☆
インターネットで、「ホシバナ」を検索する。
出てくるのは、ブログサイトの名前だとか、花の名前だとか、どれも私の知りたいものではない。
「ネットでも分かんないことってあるんだぁ…。」
この部屋に自分以外人がいないことをいいことに、盛大に独り言を呟いてみる。
最近パソコンの使い方を覚えて、インターネットを調べものに使うようになった。
ネットってなんて便利なものなの!
そう喜んでいたのは数日前の私。今は、
ネットでも分からないことってあるんだぁ…
と、パソコンの前で肘をつく。
きっとこれ以上「ホシバナの会」を探しても、私の知りたいことなんて出てこないだろう。絶対の自信がある。結局は、来週の火曜日まで我慢するしかないのだ。
そして迎えた火曜日。私は一目散にサークル棟へ向かった。
「こんにちはー…」
恐る恐るドアを開けると、一週間前と同じ所、同じ姿勢で本を読んでるタスキ男がいた。
「あれ?また来たの?」
ドアから顔だけ出す私を、男は不思議そうに見た。
「実は、まだ一つ聞いてない答えがありまして…。」
「答え?まだあったっけか。」
「アレです、ホシバナの…」
「ああ!なんでホシバナの会って言うのかだっけ。」
「ソレです!」
勢いに任せてタスキ男に指を差してしまった。
彼はというと、目をパチクリさせている。
「うん…教えてあげるからさ。そんなとこに突っ立ってないで入ったら?」
「えっ…あ、すみません…」
へこへこしながら部屋に入った。
そして例のごとく、どこからともなく男はパイプ椅子を出して広げた。
「どうぞ。」
「どうも…」
椅子に腰かけると、タスキ男は足を組んで椅子に深く座った。
「あれ、俺が考えたんだよね。」
「ホシバナの会?」
「そう。「星の話がしたい人の為の会」略してホシバナの会。」
なんてネーミングセンスのない…。
「今ネーミングセンスないって思ったでしょ。」
「え、えーとぉ…」
「いいよ、正直に言って。」
「…じゃあ、言います。ないです、全く、全然、欠片も。」
「うわ。ぐさっときた。」
ぐさっときた割には楽しそうに笑っているじゃないの。
「他に答えてないの、ある?」
「…ないですね。」
「そ。なら良かった。」
「ないですけど、質問いいですか?」
「どうぞ。」
「あの、何で略したんですか?」
「あー…」
何か言い辛いことでもあるのだろうか、苦い顔をしている。
「言いにくいのならいいですよ?」
「いや、別に何も嫌なことはないんだけどさ、ただ…」
「ただ?」
「ちょっと、恥ずかしいんだよね。」
恥ずかしい?「星の話がしたい人の為の会、略してホシバナの会」なんて、サラッと言ったあなたが何を恥ずかしがることがあるんですか、と言いたい。
「ほら、恋の話をさ、恋バナっていうでしょ。」
私は黙って頷いた。
「あんな感じで、ホシバナ。」
じゃあせめてホシバナじゃなくて、星バナにしろよ。その方がまだ分かりやすいわ!
「なんか言いたそうだね。」
「そうですか。」
「いいよ、言っても。」
「じゃあ、言いますけど…。なんでそこで恋バナなんですか?」
「そう来たかぁ。」
タスキ男は呑気そうにケラケラ笑う。
「君さ、星座の話って知ってる?」
「星座の話?」
「有名なのだと…天の川を挟んだ、彦星と織姫星の話とか。」
「聞いたことありますね。」
「あれみたいに、星座にも星座になった話があるんだよ。」
「へぇー。」
「話の中に恋とか色々な要素が入ってるから、ホシバナにしたの。」
「恋、ですか。」
「そう、恋。」
そうだなぁ、とタスキ男は宙を見た。
「例えば、この前話したポラリスだけど…」
ポラリス、と聞いて何故だか私の心臓がドキッと跳ねた。
「あの星はこぐま座のしっぽの部分なんだ。北斗七星がこぐま座の母親の、おおくま座の一部。」
「親子、なんですか。」
「そう。昔ね、カリストというそりゃあ美人の妖精がいたんだよ。その評判を聞いて、神様の親玉であるゼウスが、変装してカリストに近づいた。身分を隠す為にね。」
私の頭の中では、有名美人女優がカリストに扮し、オッサンが変身して若手俳優並みのイケメンになったゼウスに口説かれている様子が描かれた。
「それで、カリストに自分の子どもを産ませちゃったんだよ。」
「ええ!」
「それを知ったゼウスの妻、ヘラが怒ってカリストを熊に変えたんだ。」
「えー…。」
「もちろん親子は離れ離れさ。それから数年経って、カリストとゼウスの間に産まれたアルカスは、立派な狩人に成長した。」
アルカスももちろん例によってイケメン若手俳優に脳内変換する。
「ある時、カリストが森を歩いていると、狩りに来ていたアルカスを偶然見かけたんだ。カリストは何年も離れ離れになっていた息子の姿を見て、嬉しさのあまり自分が今熊になっていることも忘れて、そばへ近寄ろうとした。が、しかし、」
ごくり、と息を飲む。
「アルカスは、熊が自分を襲おうとしていると勘違いし、弓を引いたんだ。それが自分の母親とも知らずに。」
私の頭の中では、未だ俳優達が動き回っている。
ダメだよ!それはアンタのお母さんだよ!
「その時、それを空から見ていたゼウスが、さすがに息子が母親を殺すなんてあっちゃイカンだろ、とアルカスを熊の姿に変え、二人を空へ上げた。」
最後に未だイケメンのゼウスが、二匹の熊をひっつかんで空に放り投げた。
「これが、こぐま座とおおくま座のお話。」
パン!と目の前で手を叩かれた。その瞬間、熊も何もかも消えて私の目の前に、タスキ男の顔が見えた。
「随分熱心に聞き入ってたね。想像でもしてた?」
「えーと…脳内変換してました。」
それぞれに扮した俳優達の名前を挙げると、タスキ男は感心したように言った。
「…イイ線いってんね。」
カリストがねぇ、とギシギシと椅子の音を立てながらタスキ男は伸びをした。
「でも、これって恋バナというより、親子愛の話ですよね。」
「そうだね。」
でもさ、と彼は続けた。
「カリストとゼウスの恋はあった訳だろ。ヘラの嫉妬もあるし、立派な恋バナさ。」
「そうですか?」
「恋バナって一口で言っても、色々あるじゃん。惚気話だけじゃなくて、失恋話だったり、恋人との喧嘩話だったりさ。」
「そうですね…。」
「そ。だから、ホシバナ。」
「納得しました。」
それにしても、と続ける。
「神様って意外と人間臭いんですね。なんか、昼ドラみたい。」
随分豪華な俳優使ってる昼ドラだね、と突っ込まれた。
「ギリシャ神話なんてそんなもんさ。」
ところでさ、とタスキ男は話を切り替えた。
「二週も続けて来たから、これは入部と考えていいの?俺。」
―――入部
そんなこと微塵も考えてなかった。そうだ、あくまでここはサークル室で、ホシバナの会はサークルなのだ。元々サークルに入ることを考えてなかった私は、怪訝そうな顔をしたと思う。
「そのつもりじゃないならいいよ。」
ちょっと残念そうに笑ってタスキ男は言った。
「ちょっと、考えさせて下さい。」
「そう。じゃ、一応入部届け渡しとくね。」
それだけ受け取って、その日は帰った。
しかし、その一週間後、「入部します。」と私は、タスキ男に私の名前が書かれた入部届けを渡した。