ぶっかけ!
「諸君、私はメイドさんが好きだ。
諸君、私はメイドさんが好きだ。
諸君、私はメイドさんが大好きだ。
ホワイトブリムが好きだ。エプロンドレスが好きだ。フレンチメイドが好きだ。ヴィクトリアンメイドが好きだ。ゴスロリが好きだ。フリフリが好きだ。
屋敷で、書斎で、厨房で、客間で、子供部屋で、玄関で、庭で、カフェで、街角で、この地上で行われるありとあらゆる給仕行動が大好きだ。
メイドさんが淹れてくれた紅茶を飲むのが好きだ。
箒で床を掃くメイドさんの後ろ姿が好きだ。
メイドさんがメーキングしてくれたベッドで寝るのが好きだ。
アキバでチラシを配るメイドさんが好きだ。
仕事で疲れた私を笑顔で迎えてくれるメイドさんを見ると心が躍る。
諸君、私はメイドさんを、天使のようなメイドさんを望んでいる。
諸君、私に付き従う級友諸君、君達は一体何を望んでいる?
更なるメイドさんを望むか?
圧倒的なメイドさんを望むか?
百花繚乱、千紫万紅ときらめくメイドさん達を望むか?」
「「「メイドさん! メイドさん! メイドさん!」」」
「――ちょっと男子~、そこまで言うならメイド喫茶に賛成しなさいよ~」
「だが断る。我々男子一同は、断固として漫画喫茶を支持する!」
級友・立花橘花の宣言に、今まで黙然と聞いていた女子たちが罵声を送る。もちろん男子たちも黙っているはずがなく、互いに怒号が飛び交い、教室は一瞬にして猿園と化した。
「み、みんな、お願いだから静かに、静かにして……」
学級委員の副長・高梨小鳥さんが何とかこの場を制そうとするが、一度燃え上がった熱が簡単に鎮火するはずもなく、男女間で罵詈雑言が飛ぶ。
「愛葉くん……」
高梨さんは涙目になって隣にいる俺を見つめる。
童女のように大きな目といい、小学生のように低い身長といい、まるで小動物のようだ。実際、毬のようにふくらんだ胸が無ければ小学生に見えかねない。
俺――愛葉真也は改めてクラスを見まわし、腕を組む。確かに学級委員長として、この喧騒を沈めなければならない。
――そもそもどうしてこうなったのか。
二学期が始まったばかりの九月上旬、一ノ宮中学三年A組の我らは、来月に控えた文化祭の出し物について話し合っていた。
この騒ぎを見れば分かるように、出し物は中々決まらなかった。女子一同がメイド喫茶を希望したのに対し、男子一同が漫画喫茶――もとい数人のスタッフを置くだけの休憩所を提案したからだ。
「――諸君!」
檀上に立つ橘花が台パンをしてクラスを黙らせる。橘花は声変わりしてない力強い声でいった。
「女子一同の言い分は尤もだ。なるほど、メイド喫茶。確かにすばらしい。すばらしいが、どうか今一度考え直してくれたまえ。美女が集いし我らA組がメイド喫茶を開けば、大繁盛間違いなし、ホールもてんやわんやだ。そんなに忙しいと、他のクラスの出し物を見物する時間が取れない。だから僕ら男子一同は、家から持ち出した漫画を置いて、それを管理するだけという、最少人数で経営が可能な出し物を考案した。どうかご理解していただきたい」
「何が理解よ、白々しい!」
「他のクラスの出し物が見たいっていってるけど、どうせ同じ日にある女子高の文化祭に行きたいだけなんでしょ!」
「うわ、サイテー……」
図星と見えて、橘花は言葉を詰まらせた。他の男子も声を上げるのを止めて下を向く。
そう、これこそ男子たちの本音だ。メイド喫茶に反対するのは楽をしたいからではなく、同日に開かれる隣町の文化祭――付属中のお嬢様を間近で観賞したいからだ。
しかしこれで退く橘花ではない。ふふんと鼻を鳴らして黒板をドンと叩く。
「しかし女子諸君、神聖なる投票の結果、20対19で漫画喫茶が選ばれた。つまりこれがクラスの総意だ。どうかこのことを理解していただきたい」
「そんな出来レース認めるわけないでしょ!」
「そもそもうちのクラスは男子が一人多いんだから、投票なんかしたら負けるに決まってるじゃない!」
女子のいう通り、うちのクラスは男子が21人なのに対し、女子は20人と一人足りないのだ。だから男子が結束してしまえば、投票で女子が敵うはずがない。
ちなみに俺と高梨さんは投票に参加してない。級長として公平な立場に回ったからだ。
橘花は再び黒板を叩いて皆を黙らせる。――ドン! と、隣のクラスから壁ドンが返ってきた。
「うるさい! 数は正義で、力だ! たとえ一票の差だろうと、クラスの総意なのだよ」
「うるさいのはそっちよ! ――高梨さん、男子がバカなこといってるけど、本当にそれでいいの!?」
「え? いや、あたしはその、メイドさんとか恥ずかしい……」
消え失せそうな声でいったかと思うと、慌てて高梨さんは口を覆う。どうやら本音らしい。
高梨さんではダメだと思ったのか、今度は俺に近づいて、上目使いにいった。
「バカな男子たちとは違って、会長は女子の意見に賛成でしょ? だからお願い、メイド喫茶に投票して」
俺は級長であると同時に春まで生徒会長を務めていたので、今でも皆から会長と呼ばれている。ちなみに橘花も元役員だ。
俺が女子に懐柔されていると見て、男子たちが騒ぎ立てる。
「てめー、同じ男子のくせに裏切るつもりか!」
「イケメンだからって生意気だぞ!」
「睾丸もげろ!」
なぜか意味のわからない罵声まで浴びせられる。
教室は再び動物園と化した。男子と女子の間で激しい罵倒が続く。普段から仲がよいだけに、一度対立するとホント容赦がない。
「愛葉くん……」
おっかなびっくりにクラスをながめていた高梨さんが、目許に涙をためて俺を見つめる。
俺は仕方なく椅子から立ち上がって、壇上で騒ぎをはやし立てる橘花をつまみ出した。
「――黙れ」
俺の低い声に一瞬でクラスがしんとなる。生徒会長時代に身に付けたスキルの内の一つだ。
「双方に譲れない言い分があることはよくわかった。なるほど、女子の意見は尤もだし、男子の言い分もクラスの総意に違いない。この際、俺が鶴の一声で決定してもよいとは思うが、クラスで行う最後のイベントだ。できれば皆が納得した形で行いたい。皆もそう思うだろ?」
「…………」
俺の主張にクラスの皆は押し黙る。俺は力をこめて告げた。
「投票がダメな以上、皆には別の形で決を採ってもらうしかない。そこで俺は、――サバイバルゲームを提案する!」
静まり返っていた教室に、妙な空気が流れる。
ややあって、クラスの誰かがいった。
「……は?」
「ルールは単純明快だ。明後日の日曜日、男女双方十名の代表を選出して、いわゆるサバゲーを行ってもらう。先に相手を殲滅させた方を勝者とし、文化祭の出し物を決定してもらう。――ふふ、我ながら妙案だな」
俺の提案にクラスの皆は目を点にしている。俺の後ろで橘花が裸踊りでもしているのかと思って振り返ったが、誰の姿もなかった。
「あの……愛葉くん?」
隣にいる高梨さんがおそるおそる手を上げる。
「サバゲーって、どういうことですか?」
小首を傾げて高梨さんは尋ねる。俺はあえてため息をついた。
「君はまるで分かってないな。それだからクラスの皆をまとめることができないんだ」
「ええ!?」
「――橘花、アレを持ってこい。GWにグラウンドで遊んだアレだ」
ピンと来たらしく、橘花はうっすらと笑ってロッカーからある物を持って来る。
高梨さんは不思議そうな目でそれを見ていった。
「水鉄砲と……ポイ?」
「そうだ、金魚すくいに使うアレ――ポイだ」
俺はポイをくるくるとまわしながら続ける。
「生徒会の引き継ぎ時に生徒会一同でサバゲーをした。武器は水鉄砲で、的はポイ。帽子にポイを固定して、それを的に射撃を行った。最初は皆笑っていたが、途中から真剣になって、想像以上によい交流になった。今の生徒会が仲よしなのも、このイベントが契機といってもよい」
「その……愛葉くん?」
俺は高梨さんを無視して続ける。
「投票がダメな以上、スポーツマンシップ以上に公平なものはない。しかし普通のスポーツでは、経験者によって差が出るし、どうしても性差がある。しかし水鉄砲ならその差は少ない。皆、どうだろう? 子供だましと思って笑うのは勝手だが、――盛り上がるぞ」
「…………」
しばしの沈黙の後、クラスの皆はきょろきょろと辺りをうかがう。
ややあって、一人の女子がぽつりといった。
「おもしろそう」
それが契機だった。男子たちも次々と声を上げる。
「よっしゃー、受けて立つぜ!」
「毎晩シコシコと鍛えたピストン運動を見せつけてやんよ!」
橘花を始め、うちのクラスの男子は皆バカなので、この通りすぐに調子に乗る。よし、これなら男子が負けても、素直にメイド喫茶を受け入れるだろう。
「――ひとついい?」
女子の一人が手を上げる。クラスの女子の中心的な存在――七瀬燈子だ。やや色黒なのはテニス部に所属していたからで、ダブルスで全中に出場したこともある実力者だ。
「確かに水鉄砲なら経験も何もないだろうけど、やはり男女では体力に差があるわ。このゲーム、明らかに女子に不利よ」
俺はクラスの男子を改めて見まわす。
うちのクラスの男子は帰宅部ばかりで、どれも色白で、脚も棒のように細い。たぶんケンカをしたら七瀬が勝つだろう。
おそらく七瀬は、それを分かって上で問題提起をしている。
だから俺もそれを理解した上で答える。
「ならハンデをつけよう。女子はあと二人加えてもよいことにする。10対に12ならよい勝負になるはずだ。――橘花、それでいいだろ?」
「え? あ、うん」
いきなり言われて橘花は目を点にする。俺は橘花と七瀬の二人に告げた。
「俺と高梨は審判に回る。だからリーダーは橘花と七瀬、お前たち二人が務めろ。――それで構わないな?」
「ええ、構わないわ」
七瀬は笑みを浮かべて即答する。男子たちはこの意味をわかっていないようでヘラヘラとしていた。
「ルールの詳細はラインで送る。だから各リーダーはメンバーを選出し、俺に名簿を提出しろ。――以上、これをもってクラス会議は終了する」
「――会長、どういうつもりだ?」
放課後、生徒玄関で橘花に捕まる。橘花は顔をしかめて続けた。
「何がハンデだ。うちのクラスの貧弱男子と比べたら、運動部バリバリの女子が勝つに決まってるじゃないか」
「お、気づいていたか」
どうやらうちのクラスには、俺以外にも頭が働く男子がいるらしい。
「俺を責めるのは筋違いだ。大体、お前らの意見はまともじゃなかった。女子に一蹴され、卒業まで軽蔑の眼差しを受けて当然の行為だ。だから俺はお前らを救ってやろうとサバゲーで話をごまかし、あまつさえお前らの要望が通るチャンスまで与えてやった。むしろ感謝されて然るべきだ。そうだろ?」
「はい、おっしゃる通りです。ありがとうございます」
すぐに折れる橘花だった。相変わらずわかりやすい。
「でも勝つチャンスといってもさあ、うちの男子は雑魚ばかりだよ。これで勝てって無理ゲーすぎない?」
確かにA組の男子は帰宅部、あるいは文化部員ばかりだ。一方、女子はテニス部元部長の七瀬を始め、運動部の実力者が揃っている。性差を抜いても、体力差は歴然だ。
「いや、勝つ方法はある」
「え?」
「俺も男子の一員だ。審判の分を越えない範疇で協力してやる」
〇三年A組サバイバル水鉄砲ゲーム・ルール説明
・男子は代表十名、女子は代表十二名を選出する。
・相手を先に殲滅させた方が勝ち。
・武器となる水鉄砲は、審判が用意した各12丁を使用する。
・ポイを固定した帽子を被る。ゲーム中、脱帽してはならない。
・ポイに水で穴を空けられた場合、即座にゲームから退場する。
・水以外の手段でポイを破損してはならない。
・直接手でポイを覆ったり物で隠したりしてはならない。
・ゲームは学校敷地内で行い、校外に出てはならない。
・相手にケガを負わしてはならない。
・必ずゴーグルを着用すること。
・時間は無制限。ただし、長引くとダレるからさっさと決着をつけろ!
九月上旬某日曜日。
俺と高梨さんの二人は、学校の警備室にいた。
学校には無数のカメラとマイクが設置されていて、生徒を防犯――もとい監視している。
元生徒会長の肩書を利用して、警備室にお邪魔した。このカメラの映像でもって審判を行うというわけだ。
ゲーム開始は十三時丁度。あと五分でスタートだ。皆、水鉄砲を手にして、学校中に散らばっている。
ふいにケータイが震える。女子のリーダー・七瀬からの着信だった。
「どういうこと?」
電話に出るなり、七瀬が声を張り上げる。
「名簿を見たわ。話が違うのだけれど、どういうこと?」
「話が違う? 何がいいたい」
「とぼけないで。こんな話は聞いていない。失格よ、失格!」
「いや、失格にはならない。男子たちはあくまでルールに則って行動している」
「A組以外の男子をメンバーに加えるのが合法ですって? ふざけないで!」
七瀬の訴えを聞きつつ、五分前に送られてきた名簿を改めてながめる。――橘花の奴、本気で勝ちに来たな。
立花橘花(帰宅部) 七瀬燈子(テニス部)
辻内久治(野球部) 南雲桃花(吹奏楽部)
長谷川祐二(サッカー部) 早乙女七海(バドミントン部)
新垣汀(バスケ部) 荊木玲奈(体操部)
河野忠邦(料理部) 倉見明美(バレーボール部)
岩男一郎(卓球部) 白瀬愛美(チアリーディング部)
藤堂成明(剣道部) 薮崎千雨(勇者部)
佐波康平(水泳部) 小保方萌子(科学部)
秦紀夫(陸上部) 進藤彩音(写真部)
下呂葵(演劇部) 来栖千景(空手部)
広橋撫子(茶道部)
野間口凛(ラクロス部)
男子運動部七人の内六人が他のクラスの生徒――それも運動部の実力者だ。
俺は窓の向こう――グラウンドをながめる。その内の五人が水鉄砲を構え、襲撃に備えていた。
――中学生ながら一五〇キロの直球を放つ黄金左腕、中坊のダルビッシュ・辻内久治!
――スタミナと瞬発力を兼ね備えたサッカー部キャプテン、韋駄天・長谷川祐二!
――弱小バスケ部を全中にまで導いたチームの知将、精密機械・新垣汀!
――徹底的なディフェンスから必殺の一撃を放つ剣道部主将、双頭の蛇・藤堂成明!
――短距離から長距離、ハードルまでこなす陸上部のオールラウンダー、器用貧乏・秦紀夫!
七瀬が訴えるのも尤もだ。いくらうちのクラスの女子がスポーツに優れているとはいえ、彼らの相手が務まるはずがない。
おそらく校舎のなかにいる女子をグラウンドに追いこんで、運動部連中と挟み撃ちをする腹なのだろう。バカなりにちゃんと考えてやがる。
「――ちょっと聞いてるの? 勝負は中止よ、中止!」
相も変わらず七瀬が叫ぶ。俺はケータイを置いて、校内放送のスイッチを入れた。
「はーい、三年A組の皆さん、ゲーム開始の時間が近づいて参りました。カウントダウンに入ります。――五、四、三、二、一、スタート。皆さん、スポーツマンシップに則って頑張ってください」
「ちょっと!――」
俺は通話ボタンを切る。――よし、たっぷり見物させてもらうか。
何十にも分割されたモニターをながめる。男子の面子に恐れをなしたのか、女子たちはみな震えていた。
「俺は男子の位置を確認するから、高梨は女子の位置を確認してくれ」
「あ、はい」
男子五人はグラウンドにいて、残りの四人は校舎に固まっている。――あれ、一人足りない。
俺は改めてモニターの隅々をながめる。しかし中々見当たらない。
「あ、愛葉くん」
ふいに高梨さんが俺の袖を引いてきたので、顔をそっちに向ける。
「どうかしたか?」
「一人足りません」
「え?」
「はい。萌子ちゃんの姿がありません」
「……萌子?」
度忘れしたのか、誰のことかわからなかった。もう一度名簿に目を向ける。
――その時、校舎の上の方から轟音が上がった。
「っ!?」
俺は慌てて窓の方に駈け、空を見上げる。グラウンドにいる男子五人も同じく顔を上げていた。
「お、おぼちゃん!?」
校舎の屋上で人影を見つけて、思わず俺は叫ぶ。彼女は我が校始まって以来の才媛――分解と自爆装置が大好きなマッドサイエンティスト・小保方萌子――通称おぼちゃんだ!
「おぼちゃんいうな!」
屋上から怒号が聞こえてくる。どうやら聞こえたらしい。
見ると、おぼちゃんの背から上空にかけて飛行機雲のような煙が上がっていた。
そういえば、おぼちゃんは昼休みになると毎日のように実験を繰り広げていた。――まさかまた何か打ち上げたのか?
空を見上げていると、快晴だった空に雲が差した。辺りが見る見る内に暗くなっていく。
――まさか。
と見るや、バケツでもひっくり返したような雨が学校周辺を襲った。
「スコール!?」
俺は目を見開いて声を上げる。亜熱帯化しつつある日本では珍しくない光景だが、あまりにもタイミングがよすぎる。
運動部の精鋭たちは慌てて屋内に逃げこむが、薄っぺらな紙で出来たポイが無事であるはずもなく、非難した時にはすでに破れていた。
「オーホホホホホホッ!」
屋上から下品な高笑いが響き渡る。
「女子のメンバーに私がいるのに外に出るだなんて、まぬけにもほどがある。人工降雨ミサイルを打ち上げて、全員ヴァルハラに送ってやったわ!」
「人工降雨だと!? バカな!? いくら金がかかると思っていやがる!? てか効果が現れるのが早すぎないか!?」
「天才科学者たる私にしてみれば、それくらい朝飯前よ!」
「さすがおぼちゃん!」
「だからおぼちゃんいうな!」
「――辻内さん、長谷川さん、新垣さん、藤堂さん、秦さん、アウトです。速やかに退場してください」
モニターを見ながら高梨さんがアナウンスを入れる。彼女は続けていった。
「萌子ちゃんもアウトです」
モニターの端に目を向けると、屋上で雨に打たれているおぼちゃんがいた。
実験の成功に酔っているのか、両手を広げて恍惚とした表情でスコールを浴びている。――あ、ブラの色は黒なんですね。
ふいにおぼちゃんを映していた映像が消える。高梨さんは頬を赤らめて、わざとらしく咳払いをした。
立花橘花(帰宅部) 七瀬燈子(テニス部)
南雲桃花(吹奏楽部)
早乙女七海(バドミントン部)
荊木玲奈(体操部)
河野忠邦(料理部) 倉見明美(バレーボール部)
岩男一郎(卓球部) 白瀬愛美(チアリーディング部)
薮崎千雨(勇者部)
進藤彩音(写真部)
下呂葵(演劇部) 来栖千景(空手部)
広橋撫子(茶道部)
野間口凛(ラクロス部)
残り4対11。
ゲームが始まって五分も経っていないが、もはや勝敗は決したに等しい。
「――会長、助けてくれ。このままだと男子一同は全滅だ」
橘花からの着信だった。マイクでこっそりとしゃべっているのか、モニター越しでは電話をしているようには見えない。
俺は高梨さんが苦手な英語で答える。
「何ずれたこといってんだ。俺はクラスの委員長――公正公平な審判だ。どうしてお前らに肩入れしなければならない?」
「そんな冷たいこといわないでよ。この前助けてくれるっていったじゃないか! てか英語で話すのやめろ!」
「英語だけで受験を乗り切ろうとしているお前ならこれくらい余裕だろ? ともかく、これ以上の手助けは道義に反する。運動部連中を上手く使えなかったお前のミスだ。素直に負けを認めろ」
「――会長、実は手許に日替わりランチ定食の食券が十枚あるんだけど、これでどうかな?」
「よし、乗った。これより俺は、男子一同を全面的にバックアップする」
思わず俺はガタッと椅子から立ち上がる。人間、誰しも食欲には勝てない。
「さすが会長、話が分かる」
「何をいってるんだ。俺達はクラスの仲間――親友だ。見す見すお前らを女子連中に売るわけないだろ?」
「とりあえず僕らは何をすればいい? いま生徒会室に隠れてるんだけど……」
「ああ、分かってる。お前らの位置は警備室のモニターで逐一確認している。――そうそう、さっきから水泳部の佐波の姿が見えないが、奴はどこに行った?」
「え? ああ、あのホモなら『俺はフリーしか泳げない、キリッ』とかいって屋内プールで泳いで、ゲーム開始早々にリタイアしたけど」
「…………」
「――佐波くん、アウトです」
佐波の姿を確認した高梨さんが脱落を告げる。サバゲーを鯖ゲーと勘違いしてたんだろうなあ……。
「とりあえず今ある戦力を確認する」
俺はモニターに映る男子四人を見つめる。
――河野忠邦、料理部。戦力外!
――岩男一郎、卓球部。戦力外!
――下呂葵、演劇部。戦力外!
――立花橘花、帰宅部。クズ!
「――諦めろ。お前たち軟弱男子では、女子たちには勝てない」
「ええ!?」
耳元で大声が響くので、たまらずケータイを遠ざける。
「よくよく考えてみろ。見ての通り、女子連中は一ヶ月前までバリバリスポーツをしていたのに対し、お前らは家に帰って受験勉強もしないでゲームばっかりだ。そんな貧弱な身体で勝てるわけがない」
「い、一応男子にもまだ運動部がい、いるから……」
「運動部といっても、吹奏楽部より体力がない卓球部じゃないか。話にならない」
「う、うぐ……」
何も言い返せないのか、橘花はいいよどむ。――いや、仲間のために弁護してやれよ。
ともかく、女子との交流目当てに料理部に入った河野(なお現在部員は河野一人)や、発育がよろしくない橘花や葵では、戦力として明らかに乏しい。
俺はため息をついてから続ける。
「銃はいくつある? 運動部連中が使っていたのはちゃんと回収したか?」
「もちろん回収するつもりだったけど、先に女子たちに取られた。こっちにあるのはただ水を飛ばすおもちゃだけだ」
用意した水鉄砲の各12丁の内の5つは、圧縮空気や電動型などの強力な物だ。つまり火力の面でも相当な開きが生まれた。
正直、残っている四人が運動部の精鋭だったとしてもきついといわざるをえない。俺が女子の居場所を教えたところで、橘花たちに勝ち目があるとも思えない。
「――調理室の在庫を確認しろ」
「え?」
「男女双方すでに非常識な戦いぶりをしてるんだ。だったらとことん非常識に応戦しろ」
十三時三十分。
女子は三つの班に分かれて行動していた。不測の事態に対し、全滅を防ぐためだろう。
その内の一つの班が、文化部の部室を集めた校舎――文化棟の三階を歩いている。男子たちを探しているのだ。
俺はケータイをいじって、彼女たちの位置情報を橘花に送る。
「このままだと鉢合わせになりますね」
何も知らない高梨さんがつぶやくようにいう。
女子たちは文化棟を調べつくし、下の階に降りているところだ。
一方、料理部の河野は一階にいて、階段を上ろうとしている。このままだと二階で遭遇するだろう。
河野が一人であるのに対し、女子は四名。内二人は元運動部員だ。まともに戦っては結果は見えている。
「――女子チーム、河野くんを見つけました!」
高梨さんがモニターをながめながら叫ぶ。俺もモニターに目を向けた。
「見つけた!」
マイクが現場の音声を拾う。空手部の来栖の声だ。
中学生にしては背が高く、四肢もモデルのように長い。とりわけ彼女のハイキックは芸術的で、幾多の強敵を沈め、昨年は県大会で準優勝を収めた。
鉢合うや否や、階段の先にいる来栖に向かって、河野が2丁の水鉄砲を乱射する。俺が事前に位置情報を教えたので、河野が奇襲を取った恰好だ。
と同時に、来栖は駈けた。
「なっ!?」
モニター越しに俺と高梨さんは目をむき出しにする。
まるで蛇だ。迫り来る水弾に対し、来栖は蛇行しながら階段を下りた。
水弾は来栖の影を捉えるばかりで、尽く壁や階段にぶち当たる。変わらず来栖は背から黒い尾を引いて、河野との距離を一息に詰めた。
一閃、抜刀のごときハイキックが河野に炸裂する。河野の水鉄砲は2丁とも粉々になり、宙に舞った。
「に、人間業じゃねえ……」
思わず口から声がもれる。――あ、ハイキックの拍子にぱんつ見えた。
「――河野!」
階下からの声に河野と来栖が視線を向ける。
橘花だ。橘花は手にしていた水袋――厚さ0.02ミリのゴム袋を来栖に投げつけた。
来栖はすぐさま片手でガードするが、予め切れ目を入れておいたそれは、衝突と同時に破け、中身をさらけ出す。
その瞬間、来栖は後ろからずっこけた。
「見たか、劣化ローションの威力を!」
河野がニンマリと口角を上げる。ゴム袋の中身は、片栗粉と水で造った即席の粘液だ。
これこそ俺が与えた指示だ。この数分の間に河野は調理室に走り、鍋を温めて粘液を造ったのだ。
ゴム袋は橘花ら四人の財布に入っていた物を使った。最初はゴム袋の提供を渋った彼らだが、「どうせ使い道なんてないだろ」と指摘すると、黙ってそれを差し出した。
ともかく、廊下に劣化ローションをぶちまけた結果、来栖は足をすべらせて転倒した。
「――きゃっ!」
何も知らず階段を下りてきた女子も足をすべらせ、一斉に尻餅をつく。
同時に河野は来栖から水鉄砲を奪い取り、銃を構えながらすべりこむ。もちろん向かったのは下りてきた女子たちの前だ。
「――チェックメイト!」
橘花と河野が同時に声を張る。水鉄砲から放たれた水弾は、見事女子たちのポイを撃ち抜いた。
「――来栖さん、薮崎さん、桃花さん、アウトです」
高梨さんが脱落を告げる。
ちなみに河野はというと、勢い余って転倒した女子のスカートのなかに頭から突っ込んでいた。
「きゃあああああああっ!」
吹奏楽部の南雲だった。最初は事態が呑みこめず呆然としていたが、急に声を上げて両方の拳を振り下ろす。衝撃音が集音マイク越しに鳴り響いた。
「――あ、ごめんなさい。河野くん、大丈夫!?」
南雲は慌ててスカートを持ち上げ、彼女自身の真っ白な太ももに挟まれた河野を確認する。河野は頭にたんこぶをつくって完全にのびていた。
どの段階で破れたのかは知らないが、頭から外れた帽子のポイにも穴が開いている。
「……河野くん、アウトです」
河野にも脱落判定が出る。うん、反則かどうかはともかく、間違いなくアウトだ。
当の河野はというと、やはり満足そうな表情を浮かべて失神していた。
立花橘花(帰宅部) 七瀬燈子(テニス部)
早乙女七海(バドミントン部)
荊木玲奈(体操部)
倉見明美(バレーボール部)
岩男一郎(卓球部) 白瀬愛美(チアリーディング部)
進藤彩音(写真部)
下呂葵(演劇部)
広橋撫子(茶道部)
野間口凛(■クロス部)
残るは3対8。――
一気に差を詰めたといえなくもないが、男子は三人しか残っていない。変わらず男子が不利だ。
「――皆、聞いて」
本校舎三階の隅にいた女子の班に、進藤彩音が駈けて来る。進藤は先ほどの班の生き残りだ。
「男子が廊下にローションをぶちまけた。そのせいで私たちの班は、私以外全滅した」
「はあ!?」
一同は声を上げて驚くが、すぐに普段の表情に戻る。進藤の制服はカピカピで、シルクのような黒髪にも白濁とした粘液が付着していた。
「七瀬さんにもこのことを伝えに行ってくる。――あ、よかったらこれ使って。大きすぎて私じゃ扱えないの」
進藤は大柄の女子――倉見に水鉄砲を押しつけ、校舎の向こうに去って行く。
進藤が渡した水鉄砲はライフルタイプ――俺が用意した中で一番高火力の物だ。
ピストンで水圧を高め、大量の水を一気に放出する。的を射抜くよりも相手の動きを止めるのに有効だ。
戦術としては、誰かがライフルタイプのそれを敵に放ち、ひるんだその隙を仲間が衝く――それが尤も効果的だろう。
重量が五キロ近くあるので、確かに普通の女子では扱いづらい。しかし身長が一八〇センチオーバーで、肩幅も足腰もしっかりしている倉見なら余裕だろう。
倉見はシリンダーを鷲掴み、シコシコとピストン運動を始めようとするが、シリンダーはビクともしない。すでに限界まで圧縮されているのだ。
ふいに倉見は辺りを見まわす。おそらく戦力の確認だろう。
――バレーボール部センター・倉見明美。
――バドミントン部元部長・早乙女七海。
――茶道部・広橋撫子。
茶道部の広橋が戦力になるかは分からないが、運動神経が断裂しているとしか思えない橘花よりはマシだろう。
次いで倉見はケータイのモニターをタップする。リーダーの七瀬と情報交換を行っているのだろう。
「――文化棟には近づかないことで燈子と意見が一致した。人数的にはこっちが圧倒してるけど、わざわざ敵地で戦う必要はないわ」
「残りの男子は立花と岩男くんと葵くんの三人。――三人で固まってると思う?」
「普通なら固まるけど、相手はゲームにローションを持ち出すバカよ。決めかかって動いたら絶対に負けるわ」
「確かにあのバカのことだから、まだ何か企んでいると見た方がいいよね」
二人は何度もうなずき合う。いや、ローションを持ち出そうといったのは俺なんですけど……。
「ともかく」と倉見。「たとえ男子を見つけても深追いは止めましょ。曲がり角でローションをぶちまけられたらたまったものじゃないし、もしかしたら何かトラップをしかけているかもしれない」
「わかった。――これからどこに移動する? 文化棟はダメとして、特別教室棟は燈子たちがいるから、私たちはこの際グラウンドで男子たちを待ち構える? グラウンドなら見通しもよいし、ローションを撒かれても影響は少ないよ」
「そうね、雨も晴れたし……。この際女子全員でグラウンドに行くのもよいかも」
すでにスコールは止んでいる。人工降雨で無理やり雨を降らしたから、しばらく雨が降ることはない。
女子たちがいうように、女子たちが揃ってグラウンドに移動したら、人数で劣る男子に勝ち目はない。
倉見が電話をかけようと、再びケータイに手をかける。
よし、チャンスだ。俺は男子に合図――空メールを送る。
次の瞬間、廊下の角から二人の男子――岩男と葵が現れた。
女子たちはハッとなるが、すでに時は遅し。二人は女子から奪った強力水鉄砲を構えていた。
圧縮された水弾が女子たちを襲う。彼らは十メートル近い距離を置いていたが、水弾は矢のごとく宙を駈け、女子たちの不意を完全に衝いた。
狙いが甘かったのか、水弾は頭ではなく胸やスカートにぶっかかる。もちろん夏服なのでブラは透け透けだ。倉見に至っては体躯が丸わかりになり、肌色まで透けて見える。
しかしそれを気にする倉見ではなかった。狙いが甘いと見るや、倉見は放水を逆らうように直進し、進藤が渡した銃のトリガーを引く。
――その瞬間、爆発でも起きたように銃全体から水が噴出した。
「えっ!?」
暴発だ。圧縮された中の水が容器をぶち壊し、倉見自身を襲ったのだ。
ポイ自体は無事のようだが、身体中白濁とした粘液塗れだ。たまらず倉見は座りこむ。
「ちょっとこれ何よ!」
「ハハ、かかったな!」
男子の一人――岩男が哄笑する。
「進藤が俺達からパクった銃は、予めヒビを入れた不良品だ。しかも中身は劣化ローションに練乳を加えた特製粘液! フハハハ、気持ち悪いだろ!」
「サイテー!」
倉見の罵倒を嬉々と聞きながら、岩男は懐からノーマルタイプの水鉄砲を取り出し、倉見のポイを撃ち抜く。これ3対7だ。
「二人とも逃げて!」
倉見の叫び声を聞いて、残る二人の女子が踵を返して駈け出す。この距離で撃ち合えば勝負は五分――下手をすれば一方的に負けるおそれもある。
「廊下は走るべからず!」
と葵はいって、劣化ローションが詰まったゴム袋を投げつける。ゴム袋は女子を通り越し、その先の床に中身をぶちまけた。
慌てて女子二人は振り返るが、続いて岩男が劣化ローションをぶちまけて、女子二人の逃げ道をふさぐ。身動きの取れない女子二人は圧倒的に不利だ。
「ちょっと男子、こんなことして許されると思ってるの!?」
「いいや、思ってない。だから開き直ることにした!」
「死ね!」
女子の罵声を歯牙にもかけず、岩男は水鉄砲を構える。葵もそれに続いた。
「七海!」
女子の一人・茶道部の広橋が手にしていた水鉄砲を、岩男の顔面にブン投げる。岩男は慌ててそれを避けようとした。
その隙とばかりに、七海こと早乙女が走り出す。早乙女は足からすべりこんで、男子との距離を一気に詰めた。
すかさず葵が水弾を飛ばすが、動く的に当たるはずもなく、早乙女の接近を許す。
早乙女が手にしているのは大型の水鉄砲だ。仮に的を撃ち抜けなくとも、顔に当てるだけで相当のダメージを与えられる。
「ごめん、葵くん!」
早乙女が容赦なく葵の顔面にぶっかける。こりゃあ最初から的を撃つ気がなかったな。
顔面に放水をもろに受けた葵は、そのままぶっ倒れる。
「く、くそ!」
体勢を立て直した岩男が再び銃を構えようとするが、岩男の顔面に大型水鉄砲が食いこむ。――人のことはいえないが、女子たちもなりふり構ってないな。
もう一人の女子、広橋が放った一撃が、ようやく葵のポイを撃ち抜く。
一方の早乙女は、岩男にタックルをすると、ぶっ倒れた岩男に馬乗りになって、予備の水鉄砲をポイではなく鼻に突っこんだ。
「これは明美の分!」
「や、やめろ――ほげっ!?」
早乙女は容赦なくトリガーを引く。岩男は鼻の奥底に水弾を食らい、アヘ顔を晒した。きめえ。
「これは広橋さんの分! これは私の分! これも私の分! とにかく私の分!」
「お前の分ばかりじゃねーか! ――ふぎゃっ!?」
「――七海ちゃん、アウトです」
度重なる暴力行為にとうとうアウト判定が出る。――あ、岩男が暴れた拍子に帽子が外れたから、岩男もアウトね。
「――明美ちゃん、葵くん、岩男くんもアウトです」
高梨さんが改めて三人のアウトを告げる。結局、男子は二人を消費して一人しか倒せていない。最悪の展開だ。
これで男子は橘花が一人。一方、女子は七人も残っている。もはや小細工が利く戦力差ではない。
「――みんな!」
その声に二人は振り返る。しかし彼女の顔を見て、二人とも安堵の表情を浮かべた。
「よかった、あなたね。てっきり立花かと――っ!?」
二人の前に現れたそいつは、仲間であるはずの二人に向かって銃を構えた。
立花橘花(帰宅部) 七瀬燈子(テニス部)
荊木玲奈(体操部)
白瀬愛美(チアリーディング部)
進藤彩音(写真部)
野間口凛(ラクロス部)
――残るは1対5。
「上の階に立花が逃げたのね?」
七瀬の問いに進藤がうなずく。
女子たち五人は本校舎二階にいた。
「それにしても、明美たちが立花や岩男ごときに負けるなんて……」
「立花くんが劣化ローションを投げたからよ。しかも立花くん、ローションに練乳まで混ぜて……」
「最低ね」
「きもい」
「クズ」
「死ね」
「そ、そこまでいわなくても……」
なぜか進藤は涙目になる。ともかく、女子一同は三階に上がった。
片付けはまだしてないので、まだ廊下はローション塗れだ。しかも練乳が混じっているので、床も壁も白濁と汚れ、空気を吸うだけでのどが粘つくような錯覚を抱くだろう。
「立花はたぶん上ね」と七瀬。「この先は階段がないから袋小路。一人しか残ってない立花には不利すぎる状況だし、そもそも私自身、この先に足を踏み入れたくない」
女子たちは揃ってうなずく。誰だって進藤のように粘液塗れにはなりたくない。
「みんなが来るまで階段前で見張ってたから、立花くんは上の階にいると思う」
「じゃあ皆で上に行くわよ。――ローションには気をつけて」
七瀬が先頭に立って、先をうかがいながら階段を上って行く。
階段を折り返ろうとしたその直後、七瀬は足を止めて目を見張った。
四階に入ってすぐのところに、一人の生徒が背を向けて体育座りをしていた。
ジャージを着ているので運動部の生徒かと思ったが、ポイが付いた帽子を頭に被っている。最後の男子――橘花に違いなかった。
七瀬は足許を確認するや、一気に階段を駆け上がって、一発で相手のポイを撃ち抜く。
それを見て、高梨さんがアウトを告げた。
「(進藤)彩音ちゃん、アウトです」
「……え?」
七瀬を始め、女子一同は目を点にする。
ポイを破られた生徒は、うめき声を発しながら首だけ振り返った。
「っ!?」
女子一同に驚愕が走る。口にハンカチを突っこまれて紐で縛られた進藤がそこにいた。
「ど、どういうこと!?」
七瀬は叫んで、慌てて階下を顧みる。
七瀬たちが進藤だと思っていた彼女――いや、彼はふいに微笑んだ。
「ふふふ、ふふふふ、フハハハハハハハハ!」
進藤の顔をした彼が下品な笑みを発する。彼はおもむろに自分の頬をつかんで、横に引っ張った。
脱皮のように彼の顔面がはがれる。彼は皆に素顔を晒した。
「た、立花っ!?」
その声を耳にして、橘花はニンマリとほくそ笑む。――まさか橘花が進藤に扮していたとは!(棒読み)
「ど、どういうこと!?」
目の前の現実を受け入れられないのか、女子たちの瞳が揺れに揺れる。
それを見て、橘花は嘲笑った。
「ふふふ、葵のハリウッド顔負けのメイク技術で進藤さんに変装したのさ! そう、倉見さんに不良品の水鉄砲を渡したのも僕で、進藤さんの振りをして早乙女さんや広橋さんを騙し討ちしたのだよ!」
「そ、そんな、バーローとか金田二とかじゃあるまいし……!?」
「うるさい! そっちだっておぼちゃんとかいう卑怯な手を使っただろ! お相子だ!」
橘花は水鉄砲を乱射する。泡を食っている女子たちはもろにそれを受けた。
「きゃー!」
「――白瀬さん、アウトです」
完全に不意を衝いたにもかかわらず、橘花が撃ち抜いたのは、白瀬のポイだけだった。というか、橘花は途中から水鉄砲を捨てて、ポケットからケータイを取り出した。
「夏服に水鉄砲とか、まったく、けしからんですな! 食らえ、橘花フラッシュ!」
「死ねーっ!」
橘花は嬉しそうに笑いながら、濡れ濡れの彼女らに向かってカメラを連射する。
ともかく、これで残るは1対3。どうにかするほかない。
橘花はバカの一つ覚えのように懐からゴム袋を取り出し、足許に叩きつけた。
「食らえ、劣化ローション!」
足場にお手製の粘液をぶちまけて、橘花は即座に階段を下る。敵前逃亡だ。
女子たちは慎重にローションの湖を渡ると、靴を脱いで橘花を追いかけ始める。
――よし、それでいい。まともに撃ち合っては、橘花に勝ち目はない。敵前逃亡といったが、正確には戦略的撤退だ。
一人しかいない橘花では、グラウンドのように広い場所では不利だ。だから自分の優位な場所に誘いこむ必要がある。
いくら足の遅い橘花でも、靴を抜いた相手に追いつかれるはずがない。それにお互い走った状態では、ポイを撃ち抜くのもまず無理だ。
そのまま橘花は渡り廊下を抜けて、旧校舎のなかへと入って行く。女子たちもそれに続いた。
「――そこまでよ」
旧校舎の奥底――多目的室に橘花は逃げこむ。もっとも、出入口は一つしかないので、橘花はあっという間に壁際に追いこまれた。
「こんな密室に逃げこむなんてバカじゃないの?」
女子たちはうっすらと笑みを浮かべ、三方からすり足で橘花に詰め寄る。
――ああ、橘花は確かにバカだ。でも、
「それは俺の作戦だ!」
思わず口から声が出る。隣に座る高梨さんがビクッと肩を震わせた。
と同時に、橘花がカメラから消える。しかし指示を与えている俺には、橘花の行動が手に取るようにわかる。
カメラから消えた橘花は、おそらくニンマリとほくそ笑んで、手にしている水鉄砲を――天井にブン投げた。
「え?」
橘花の奇行に驚いた女子たちは目を点にする。
――直後、その目が驚愕に見開いた。
「なっ!?」
天井から響く轟音に、女子たちは視線を上げる。しかしその時にはもう遅い。
――屋内の教室に、雨が降った。
「スプリンクラー!?」
そう、雨ではない、天井に設置された防火用の散水機だ!
我が校の教室にはすべて防火設備が設置されているが、この旧校舎に設置されているそれは旧式――外部衝撃で簡単に装置が発動してしまう安物だ。橘花が水鉄砲をぶつけたことで誤作動を引き起こしたのだ。
天井からスコールのごとく降り注ぐ放水を避けられるはずもなく、橘花を含め、女子たちのポイが全て破れてしまう。
これで0対0。
男女水鉄砲対決はドローで終結した。
「――で、どう落とし前をつけるというの?」
「…………」
体操着に着替えた女子たちの前に、男子四人――劣化ローションを使った四人が正座をさせられている。グラウンドの上だが関係ない。
七瀬は目を怒らせた。
「あんた達のせいで制服も髪もベタベタ、練乳のせいで肌も激荒れ、今日の星座占いの結果も悪かった。どう責任を取るつもり?」
「いや、最後のは関係ないんじゃあ――」
「うるさい!」
七瀬の怒号に橘花たちはひるむ。おお、怖い怖い。
「ゲームも男子たちの負けよ。あんな反則許せるはずが――」
「――七瀬」
途中で俺は口を挟む。いま七瀬はいってはならないことを口にしようとした。
「今回のゲームで不正は一切なかった。確かにけしからんことは多々あったが、それはお互い様だ」
「そうだそうだ、おぼちゃん使うとかずるいぞ」
「お前は黙ってろ」
橘花がまた調子に乗り始めたので、俺は奴の背中を蹴って黙らせる。
「確かにローション塗れは酷いが、審判たる俺にいわせれば人工降雨も同レベル――いや、環境に影響を与えた点を考えればむしろそれ以上だ。反省しろ」
「てへぺろ」
おぼちゃんがぺこちゃんのように舌を出す。てか着替えがないからって割烹着を着るな。
「それと七瀬、改めていうが、不正は何もなかった。そうだろ?」
「…………」
七瀬は何かいいたげだが、拳を握りしめて目を逸らす。
スプリンクラーの誤作動の誘発は、明らかにやり過ぎだ。現に警備員は色めき立ち、消防署にも連絡がまわった。
もちろんうちのクラスの関与が疑われたが、カメラが映らないところで事を行ったので、物証は何もない。だから元生徒会長の肩書きを利用し、俺が穏便に解決した。――まったく、我ながら白々しい。
ともかく、このことは口にしてはいけない話題だ。俺は男女双方に改めて告げる。
「スプリンクラーの誤作動は事故で、不正でも何でもない。だからゲームは何の問題もなく終了した。――みんな、分かるな?」
「…………」
女子たちは思うところがあるようだが、歯を食いしばってうつむくだけで何もいわない。どうやらわかってくれたらしい。
ふいに橘花が口を開いた。
「で、文化祭の出し物は何にするの?」
「……あ」
橘花を除いた皆が目を点にする。ゲームに夢中で忘れていたらしい。
男女間で話し合いになる前に俺は即答する。
「もちろん決着はつける。これより延長戦――いや、PKを行う」
「PK? どういうこと?」と七瀬。
「いや、PKという言葉自体に意味はない。むしろサドンデスとでもいうべきかな」
俺はポケットに突っこんだ水鉄砲を取り出す。
「これより各代表者一名による一騎打ちを行う。男子の代表は俺で、女子の代表は高梨だ」
「……え?」
疑問を口にしたのは高梨さんではなく、周りにいる女子たちだ。当の本人はぽかんと口を開けている。
しばしの間を置いて、高梨さんは叫んだ。
「えええええ!?」
高梨さんは急に涙目になって、嫌々をするようにいう。
「む、無理です。あたしが愛葉くんを……男子を倒すなんて無理です!」
「そうよ! 愛葉くんと高梨さんとでは、明らかにこっちが不利だわ!」
すかさず七瀬が抗議の声を上げる。
確かに俺と高梨さんとでは体格が違いすぎる。俺の身長が一八〇センチなのに対し、彼女の身長は一四〇センチ足らず――まるで大人と子供だ。
それに俺が剣術の道場に通っているのに対し、高梨さんは橘花と同じくらいの運動音痴だ。普通にやればまず俺が勝つ。
「ならハンデをつけよう。俺が使う水鉄砲は最低火力のおもちゃ1丁で、対する高梨さんは2丁――電動タイプと強力タイプの二つだ。それにライフを二つくれてやる。一つ目のポイが破れたら、予備のポイを頭に挿してよいことにする。それならよい勝負になるだろ?」
「……そうね。それなら――」
「ちょっと待て!」
今まで黙っていた橘花が声を上げる。
「それだと男子側が不利すぎる! まさか男子を裏切るつもりか!?」
「そうか。なら級長同士の代表選は中止だ。女子はこの場にいる12人――正確には運動部の精鋭から1人、そして男子は貧弱4人の中から1人を選んでくれ。俺は先に教室とか廊下の掃除をしているから、勝手に決着をつけてくれ。じゃあな」
「わかりました。会長に全てを託します」
男子一同が一斉に土下座をする。そう、男子は俺の提案に乗るほかないのだ。
そして男子側が不利だからこそ、女子側もこの提案を受け入れる。
「高梨、君も腹を決めろ。なあに、これはただのゲームだ。負けたところで誰も君を責めたりしない。というか、ぶっちゃけ俺が負ける確率の方が高い」
といって、苦笑でもするように俺は笑ってみせる。
ややあって、高梨さんは力強くうなずいた。
「わかりました。あたしも女子の一員です。ですから女子のみんなのために、愛葉くんを倒します!」
「ああ、受けて立つぜ」
俺と高梨さんの二人は、グラウンドの中央に移動し、五メートルほど距離を取る。
「高梨、前もってピストンしてもいいぞ。そうでないとハンデにならない」
「ピス……トン?」
ライフル型の水鉄砲を両手で持ちながら、高梨さんは小首を傾げる。
「側にある筒を上下にしごくんだ。そうすると中で空気が圧縮されて、勢いのある水を放つことができる」
高梨さんは筒をのぞきこむと、恐る恐るそれに繊手を伸ばした。彼女の処女雪のように真っ白な手と、黒光りする筒とのコントラストが妙に映える。
高梨さんの子供のように小さな手では、筒をしっかりと握りしめたところで、指がまわり切らない。それでも彼女は懸命に黒筒を上下に扱こうとする。
始めはどこかぎこちなかったが、次第にコツをつかんだのか、リズミカルにシコシコとしごき続ける。
反応をうかがうように時々上目づかいに――なることはないが、ともかく、限界まで空気を圧縮したと見えて、高梨さんは水鉄砲を構え直した。
「――橘花。勝負開始の合図を頼む」
「うん、わかった。――五」
橘花がカウントダウンを始める。俺は思わず微笑んだ。
――いや、ダメだ、まだ笑うな、こらえるんだ。ここで笑ったら全てがご破算だ。
だから俺は心の中で哄笑する。――計画通りだ!
「――四」
絵に描いた餅というが、まさか本当に実現するとは……。
いや、現実にするべく、できることはすべてやった。水鉄砲を提案したのも、他のクラスの運動部をメンバーに選んだのも、雑魚が四人しかいない男子陣に策を授けたのも、いざという時のために女子にも策を授ける準備をしていたのも、すべてはこの時のためだ!
「――三」
何を隠そう、俺は高梨さんに惚れている。
しかしどういうわけか、高梨さんを前にすると、ヘンに緊張して、つい素っ気ない態度を取ってしまう。他のクラスメイトと同様に呼び捨てにしているのもその表れ――照れ隠しだ。本音をいえば「小鳥たそ~」と下の名前で呼びたい。
「――二」
いや、そうじゃない。確かに俺は高梨さんのことが好きだが、それとこれとは別問題だ。こんなふざけたゲームを提案した真意は別にある。
「――一」
なぜ俺は橘花らを踏み台に、女子たちをローション塗れにし、スプリンクラーを作動させてまでこのゲームをドローにしたのか。
そう、これこそがその答えだ!
「スタート!」
橘花が合図を告げるや否や、高梨さんはトリガーを引いて、俺のポイめがけて水弾を飛ばす。
一方、俺は高梨さんのポイではなく、――彼女のはち切れんばかりにふくらんだ胸に水をほとばしらせた。
「きゃっ!?」
俺の飛ばした水が高梨さんの胸元にかかる。薄いブラウスは見る見ると水を吸い、毬のようにふくらんだ胸を支えるブラを透かして見せた。
「白、か……」
――高梨さんの放った水弾が、俺の顔面もろともポイを撃ち抜いた。