[OP-3] BOY MEETS GIRL?
「きゃああああああ!?」
子供特有の甲高い悲鳴が通路の彼方から聞こえてきた。
「――っ!!」
聞き覚えのある声を耳にして、私は『探知』で得た位置情報を頼りに通路を小走りに進んだ。
途中で2、3箇所分岐があったけれど、幸い目的地はさほど離れた位置ではなかったようで、ほぼ迷うことなく、5分ほど進んだところでエルと合流することができた。
ハーフ・エルフと言っていたが、おそらく私と違って『夜目』のような種族スキルがないのだろう。
最初、薄暗い通路のこちら側から走ってきた私の姿に怯えた顔を向けたエルだったけれど、近づいたところで私だと確認できたのだろう。まさに迷子が保護者を見つけた顔で、弾かれたように走り寄ってきた。
「神音お姉ちゃん!!」
本来なら抱きとめて、頭の一つも撫でながら優しい言葉の一つも掛けるべきところ。
だけど、私の視線はエルの背後――通路をずるりと這い寄ってくる、『白い何か』に釘付けになっていた。
息を呑む。
エルを追い駆けて現れたのは、真っ白い四足の怪物だった。
トカゲ? サンショウウオ?
幸か不幸か私の半吸血鬼としての種族スキル『夜目』は、通路のところどころにはめ込まれた光る岩が照らし出す薄闇の中でも、はっきりとそれを視認することができた。できてしまった。
それは一言で言うなら、目も鼻もない、どこか人間の輪郭を思わせるのっぺりした顔に巨大な口だけが開いた、全身真っ白いサンショウウオかイモリのような巨大な生物だった。
皮膚はぬらぬらしていて鱗はない。その代わりに頭部から背中に掛けて、真っ白い毛が鬣のように伸びている。
まるで人間と爬虫類とを混ぜ合わせたような生理的嫌悪を抱く怪物が、通路の奥からやってきたのだ。
サイズは2mほど、さらに尻尾が1.5mほどもあるだろうか。
そいつが両手足を床に叩きつけるようにして、かなりの速度で迫ってくる。
そんな、あまりにも非現実過ぎる光景を目の当たりにして、一瞬にして感覚が麻痺してしまった。
目が離せない。
頭が働かない。
足がすくんで動かない。
あの『神』はこれを「ゲーム」だと告げたけれど、目の当たりにする脅威はあまりにも「リアル」で、ゲーム画面越しや立体映像の虚像とは違う、本物の恐怖がそこにはあった。
体感としては随分と長いこと凝視していた気がしたが、呆然としていたのは実際には数秒ほどだったようだ。
「お姉ちゃん!」
私に取りすがるエルの切迫した叫びと、近づくにつれ臭ってくるソレの生臭い臭い――本能的な嫌悪感が、一周回って私に理性を取り戻してくれた。
おそらくこれが『神』の言っていたこの階に出現するモンスターの『ルコサイト』だろう。
ゲームでは、こうしたチュートリアルでの討伐対象のモンスターは、自発的に攻撃してこない所謂『非好戦的モンスター』なのが通例なのだが、こいつは名前からして体内に入った病原菌を攻撃するフランス語の『白血球』。しかも、『神』がクリア条件に「死なないこと」と明言しているのだから、こちらを殺す気で襲い掛かってくるのは想像に難くない。
涎を垂らしながら10mほどまで迫ってきたソレを前に、私は決断を迫られた。
ここから逃げるか戦うか。
本能的にはここから逃げ出したい……けれど、逃げても無駄だろうと理性が告げる。
これはゲーム。すでに私達は籠の鳥として囚われているのだ。逃げ道は塞がれている。戦って切り抜けるしかない。
第一、この階に現れるモンスターは1種類だけと『神』は言ったが、1匹だけとは言っていない。逃げたところで別のルコサイトに遭遇したら、前後を挟まれ嬲り殺しにされるのがオチだろう。
ならば、まだコイツが1匹だけのうちに戦って、戦いを覚えるのがベスト。
だが、どう戦う? 確かに武器としてナイフを与えられているが、刃物など包丁くらいしか使ったことはない。素手など論外だ。
ならば、現状使えるモノを出し惜しみすべきではないだろう。
私は右手でナイフを構えながら、左手でウェストポーチを探った。
利き手でないせいか、なかなか目当てのものが見つけられない。
「ど、どうしたの神音お姉ちゃん?」
いや。認めよう。私はいま怯えている。迫り来るルコサイトが気になって集中できない。
「――エルちゃん。悪いけど私のポーチの中から畳んだ紙を取り出してくれないかな」
唾を飲み、からからに乾いた喉を湿らせ……なるべく落ち着いた口調を心がけながら、エルにお願いして手伝ってもらうことにした。
「う、うん…………お姉ちゃん、これ?『ヒール(Lv1)』?」
ポーチから取り出した紙片を振りかざして確認するエルだけど。
――違う、それじゃない。
そう言おうとしたところで、エルが急に狐につままれた様な顔で、キョロキョロと周囲に目を走らせた。
「あ、あれ? なんか頭の中で『スキル:ヒール(Lv1)を習得します。』って言われたよ。い、イエスでいいのかな?――っ。きゃ!」
その途端、エルの手の中にあった紙片が一瞬にして灰となって消えた。
「どうやらエルちゃんには『ヒール』を覚えられる適性があったみたいだね。使い方は多分ゲームと同じで「ヒール」って唱えると、自分か他人を治癒できるかと思うんだけど、わかる?」
「うん! ゲームでもボクよく神官やってるんだ! ……とと、お姉ちゃんもう一枚『ショートソード・マスタリー(初級)』ってのがあったけど……?」
どうやらこちらは逆に彼女のJOBには適性がなかったか、スキルスロットが埋まったせいかで反応がないらしい、怪訝な表情で差し出された。
その紙片を素早く受け取る。
「ありがとう。こっちは私が覚えるので、エルちゃんは後ろに下がって、私が怪我した時にヒールをかけてね」
それから大急ぎで、「ショートソード・マスタリー(初級)」と読み込んだ。
『スキル:ショートソード・マスタリー(初級)を習得します。YES/NO』
「YES」
同時に、エルの時と同じように手の中の紙片が灰になって消え去った。
スキルと念じながら頭の中で、いま覚えたスキルを確認する。
『短剣スキル:ショートソード・マスタリー(初級)[パッシブ]』
なるほど、常時補正が掛かるタイプのスキルなわけね。
「――お、お姉ちゃん。アイツと戦うの!? 危ないよ!」
「大丈夫。これはまだチュートリアルだからね。アイツ見た目はグロいけど、私でも勝てる程度の相手の筈だよ」
不安げなエルに向かって、作り笑いを浮かべて答える。
まあ、半分は希望的観測だけどね。いままでの『神』の手口から考えて、多分、ルコサイトの強さはプレーヤーが斃せるかどうかギリギリだろう。
だけど、スキルの補正とエルの補助があれば、序盤のここならかなり勝率は上がっていると思う。いや、思いたい。
ほとんど目の前まできたルコサイトを前に、そう信じて私は大振りのナイフの柄を両手で持って、自分から前に進んだ。
「――!!」
後ろでエルがなにか叫んでいたようだけれど、極度の緊張と恐怖とで耳に入らない。
ルコサイトが大きく口を開けて――牙でなく人間のような歯並びが逆に気持ち悪さを助長している――迎え撃とうとしたところで、フェイントをかけて左に跳んで側面に回った。
鈍い。反応できていない。
意を決し、えいっ、とナイフを振るうと、武器に引っ張られるように――これがスキルによる補正なのだろう――鋭い太刀筋となった。
ルコサイトの背中がぱっくりと裂け、そこから紫色の体液が流れ出した。
思わず腰が引けたところで、怒り狂ったルコサイトの尾が跳ね回り、私の胸を強く叩いた。
「――うっ」
痛みで一瞬息が詰まる。
「ヒール! 神音お姉ちゃん、大丈夫!?」
すかさずエルのヒールが飛んできて、たちまち痛みが癒えた。
けれど。
ルコサイトは不機嫌そうにエルの方を向いた。
まずい! 回復させるとターゲットが移動するゲームでお馴染みの仕様だ。こんなところまで準拠しなくても良いものを……。
エルも自分が狙われたことに気付いたのだろう。「ひっ」と悲鳴を上げて立ち竦んでしまった。
私は慌ててこちらに背を向けたルコサイトの背中に連続して斬撃を浴びせた。
1撃、2撃、3撃、4撃……紫色の体液が飛び散るが、構っていられない。
ナイフの大きさと私自身が非力なせいで致命傷こそ与えられないが、相手の動きが鈍いので面白いように当たる。
ルコサイトは斬られるたびに悶えて、呻き声を発しながら尻尾を振り回して反撃してくるが、パターンさえ覚えてしまえばこれは簡単に躱せる。
少しだけ余裕が生まれた。冷静に対処すれば思ったよりも弱い相手だ。これなら勝てる。
「つまり、雑魚を相手にして能力や戦い方を学習しろってことね」
チュートリアル戦闘の意図を汲んで、私は連続してナイフを振るった。
とは言え、ゲームと違ってHPバーが表示されないため、あとどのくらい攻撃すれば良いのかペースがつかめないところに、あの『神』の作為を感じる。「ゲーム」なら普通にそういう仕様にできただろうけど、大方、プレーヤーの意気を挫くためにわざわざ表示されないようにしているのだろう。
そんなことを考えていた私に油断があったのだろう。
「――お姉ちゃんっ、後ろ!!」
急に背中に一撃を受け、私の喉から「かはっ」と肺の中の空気が抜けた。
いつの間にか、もう1匹のルコサイトが、背後から襲ってきていた。
「しまった! リンクして――っ」
遅まきながら気が付いた。ルコサイトが攻撃のたびに発していた呻き声は悲鳴や威嚇の為ではなく、仲間を呼ぶ叫びだったことに。
私は呼吸を整えながら通路の壁に背中を預け、2匹のルコサイトに向き直った。
まずい。このままでは、負ける。
結局は私の攻撃力不足が決定的なのだろう。最初の1匹をもっと早めに斃していれば、リンクされることもなかった筈。手間取っている間に、最初に懸念した2対1の戦いになってしまった。
最初の1匹目はもう何撃か攻撃を入れれば斃せるとは思うけれど、もう1匹がそれを許すとは思えない。それに、仮に1匹斃したとしても、もう1匹を斃す間にまたリンクされる可能性が高い。
つまり、現状はすでに詰んでいる。
「ここで死ぬ……のかな」
理性が『是』と答えている。ダメだ、どうしようもない。
私は目をつぶって……。
「そのまま横に離れろっ」
エルの後方――通路の彼方から、男の声が響いた。
半ば反射的に壁伝いにジャンプして身を捻った。硬い石の床に倒れ込みながら見ると、咄嗟に動いたお陰で、突進してきたルコサイトたちが空振りして、壁に顔をぶつけて豚のような悲鳴をあげた。
大きな隙ができる。そこへ――。
「はあああっ!!」
赤いコートの下に革鎧を着込んだ背の高い少年が、文字通り跳び込んできた。
刀身だけで1.8mほどもある分厚い両手剣を頭上に振りかぶった姿勢のまま、走りこんで来た勢いをそのままに跳躍をする。
落下の勢いをそのままに、少年は両手剣を振り下ろした。
ダン!と石の床まで断ち切る勢いで、最初に私が相手をしていたルコサイトの頭部が両断された。
頭部を欠損したルコサイトは、その瞬間、灰色になったかと思うと、サラサラと砂人形のように崩れ落ちた。死体があった場所へはなぜか赤い色の液体が入った瓶が転がっている。
「お前の相手は俺だ!」
着地すると同時に素早く回り込んで、残ったもう1匹から、床にへたりこんでいる私を守るポジションに着いた少年は、そう言うや否や力強く踏み込み、巨大な両手剣を横に薙ぎ払った。
「スラッシュ!」
刀身から青い光の粒子が飛び、空中に剣線を描く。ルコサイトの胴体に、私のナイフの攻撃とは比較にならない傷が横に走った。
「凄い……」
エルが目を丸くして、思わずという感じで口に出した。
少年は相手の反撃を軽々と躱すと、返す刀で分厚い刀身をルコサイトの胴に叩き込んだ。
ほどなくして、2匹目のルコサイトも倒れた。
◆◇◆◇
「怪我はないかい?」
両手剣を背中の鞘に収めた少年が、長身を屈めて右手を差し出してきた。
……紳士なのだろうね。床に座ったままの私をエスコートしてくれる意図なのはわかる。
でも、この場面ってあれだね。ヒロインがモンスターに襲われて危機一髪のところに主人公が偶然遭遇して、たちまち敵を薙ぎ倒す……典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」の場面だよね。
いや、別に嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど……なんで、この場合のヒロイン役が私なんだろ。
最初はエルを守るヒーロー役のつもりだったんだけど、どこでボタンを掛け違ったんだろう……?
差し出されたその手を取るのに若干躊躇する。
なんか取ったが最後、このまま変な展開にズルズルと流されそうな予感がするんだけど。でも、これだけ強力な戦力だ。ここでしおらしく媚を売って、味方につけられるものなら味方にしたほうが絶対にお徳だろう。
「……すみません」
そう算盤を弾いた私は、お約束を守ってその手を借りることにした。
取りあえず右手に握ったままのナイフを太股のホルダーへ戻す。
反射的に私の動きを目で追って、視線を下に下げた少年の目がなぜか泳いで、頬のあたりが赤くなった。
はて? なにかあったかな? と思って自分の恰好を確認してみたけれど、特に変わったところは……そこでミニスカートで床に座ったまま、片膝を立てた自分の姿勢に気が付いた。
正面からだと、スカートの中がばっちり見えるよね、そりゃ。
う~~ん。ここは女子らしく悲鳴でもあげるべきかな? とか思ったけど、別に恥ずかしいとも思わないし、悲鳴のあげかたもイマイチわからないので、なかったことにして彼の右手を取った。
「ありがとうございます。助かりました」
お礼を言いながら立ち上がると、少年の方は照れながらも一応紳士的な手つきで、私がよろけないよう背中を支えてくれた。
ふむ。妙に日本人離れした手際の良さだね。
年齢は私と変わらないと思うんだけど、ひょっとして日本人じゃないのかも知れない。
ブラウンの髪に青い瞳、身長は高くて170cmそこそこの私より15cmは高いだろう。
精悍なスポーツマン体型で肉づきもよく、彫りの深い顔立ちをした、いかにもスポーツマンで爽やか系の好男子だ。
意図的に手を握ったまま、私は営業用の笑顔を浮かべて頭を下げた。
「本当に危ないところをありがとうございます。私は」
「神音さんだろう? さっきアイツに質問していた。――俺はレオ。よろしく」
『NAME:レオ
JOB:ダンディ・ライオン(Lv4)』
案の定、相手の情報が登録された。
これで万一同行を断られても、彼が露払いしている後をこっそりつけることで、安全マージンを確保することができるってものだね。
……それにしても、もうLv4とか! どんだけルコサイト斃してきたんだろう、彼。
取りあえず当初の目的は達成できたので、握っていた手を放そうとしたところで、逆に両手で力強く握られた。
「逢えてよかった。ずっと君を探していたんだっ」
真剣な顔でそんなことをいって、レオはぐいと身を乗り出してきた。
レオは純粋な日本人ですが、海外に行くことが多いので、感覚が欧米化してる部分もあります。