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現の逸話  作者: 面沢銀
6/13

水の記憶 その6

「開けてくれたまえ!」


 男は激しくドアを叩きながら叫んでいた。

 その一心不乱な様子は貴族の装いでなければ借金取りか何かの類と周囲は勘違いしてしまうだろう、とはいえ周囲の人々は彼の事を認知できないでいるため、彼が一目を引くような事はない。

 男のただならぬ様子を耳にしながらもドアは優しく開かれ、そしてドアから覗く寝不足顔の東洋人女性は憮然な様子で答えた。


「どうした貴族? ノックのマナーを忘れたか?」


「ノリコ、ついに結婚する事になった! 彼女を起こす手伝いをしてくれ!!」


「断る」


 ノリコは簡潔に述べるとドアを閉じた。


「ノリコ、ちょっと待ちたまえ! ジャストモーメントだ! 私が君に何か恨みを買った覚えはないぞ!」


「覚えはないだと? 貴様がどこぞへ消えるから魔術師協会への説明は私がしたのだぞ、本来ならばお前の死を選ぶところだが友のよしみと残った借りで不問にしてやったんだ」


「ならば友として借りを作ろう! それでどうだろう!?」


「お前に命を救われた借りと、魔術を教わった借りは返した。つまり新たな借りでいいんだな?」


「ああ、構わない!」


「よし、それならばいいだろう」


 再びドアが開かれる。

 ノリコは頭を掻きむしりながらハンフリーの抱きかかえた女の死体を目にする。


「ふむ、病死か。綺麗な死体でよかったな、私としてもお前の力がないと報酬をどうすればいいのかわからなくてな」


 そう言うノリコの奥のベッドに横たわる姿を見て、ハンフリーはそれでなくとも慌てている様子をさらに慌てさせた。


「ムーサ!? どうして!?」


「魔術協会に異端者として連中の死体を引き渡したんだがな、すでに腐って使いものにならん三体目までは不問、四と五は引き渡した。ただな、連中は死体って言っていたからな。死は生を謳歌して初めて死だ。だから生まれていないコイツは引き渡す必要はないと思ってな」


 横たわるムーサは本来は六番目に目覚めるはずだったムーサの体。

 その肉体は確かに死体には見えず、ただ安らかに眠っているようだった。


「元は神の一部とやらを使った高性能な魔術の塊だ。起こしてみる価値はあると思ってるんだが、心霊関係は私は知らんからな」


「だから私が教えると言ったのに」


「馬鹿言え、霊だぞ? ゴーストだぞ? 恐ろしいじゃないか」


 しれっとノリコは言うとさじを投げるような仕草を見せた。

 それから程なく復活。

 いや、再誕と誕生の儀式は始まった。

 まずは再誕、先ほど病でその命を散らしたムーサの体に術式をほどこす。


「ノリコ、理屈は覚えているね」


「うむ、人体の大部分は水。だから水を魔力で活性化させ実働させる機能を持たせる。機能を動かす指令は電気信号だから電力を魔力に分子レベルで置き換える」


「その通り。人は水で基盤を作り、電気仕掛けで動く。蛋白質といった構成物質は表面上のものだよ」


 言いながら彼等はハンフリーが連れてきた方のムーサを水槽めいた棺に入れ、特殊な水に浸した。

 その水槽にハンフリーは手を入れると、優しい手つきでそっと水の中のムーサの頬に触れた。


「お前は体が既に魔力で出来てるから便利でいいな」


 そのハンフリーの背にノリコは左を当て、右手に持った筆で術式を描く。

 電気に例えるならば+と-。

 その循環が巡り、水槽を駆け巡りムーサの血液を魔力の回路へと作り変える。

 伴う魔力の稲光たるや、地から天へと伸びる稲光だった。


「う……うん……」


「どうだい気分は、我が后?」


「ああ、なんという事でしょう……私の本当の願いがようやく叶うのだ」


 零れ落ちる涙は水なのか、それとも魔力を帯びた何かなのか。そんな事はもうどうでも良く、彼は彼女を抱きしめた。


「私の孤独もようやく終わる。嗚呼私のミューズ、なんという幸せか」


「さて、目覚めたところでこっちに行くよ」


 彼の感動に水を差すようにノリコが答えた。


「あ、ああ。そうだなすまない」


 言ってハンフリーはムーサを抱き起こし、水槽から引き上げると彼女にバスタオルで包んだ。

 そして、再び水槽に先程の特殊な水を浸し。その中に六番目のムーサを入れる。


「私もこのように目覚めたのですか?」


「その通りだが、この娘は少し違う。人を魔術の塊にするのではなく。魔術の塊を人とする。その上魂という電気メモリーの引継ぎができない。同じ器は既にないのだから」


「おっしゃっている意味がよくわかりません」


 ムーサはまだおぼつかない体を椅子に下ろすと尋ねた。

 作業の手を休めずにハンフリーは彼女と話せるという喜びを噛み締めるように説明を続けた。


「人の機能の中に魂に刻む記憶がある。記憶は電気信号として肉体を動かすためのプログラムの一部だ、いわゆる経験というものだな。メモリがなければ一からやり直しというわけだよ。同じ肉体を造り、その記憶というメモリーを他の本体に移す。それが今までのこの子の形だ。しかし、生命活動があるならともかく。同じ肉体でない移動だからメモリーにバグが生じる。だからそれを私とノリコの魔力で強制的に補完して起動させる。今までとは違いかなり記憶の劣化があるだろうが、それは仕方あるまい。では、我が妻よ。お手をどうぞ」


 ムーサは彼女の頬に手を添える。

 そしてハンフリーとノリコが六番目のムーサの手を取った。


「これでいいのですか?」


「うむ、君は記憶を共有していたといった。だからその共有していた記憶だけを考えてくれたまえ。それを彼女に移植する。共有できちない、君だけの記憶はできるだけ考えないでくれ」


「……あんな記憶、言われずともこの子には送りません」


「いいからさっさと創めようぜ」


 ノリコの身も蓋もない言葉に後押しされるように、再び光が放たれる。


「やはり人造人間とは勝手が違うな」


「無駄口を叩くな、体の機能の記憶を私達で補完してやらなければ白雉になるぞ」


 ノリコの言葉を受けてというわけではないが、ハンフリーはその集中させた魔力をムーサに向ける。

 逆行してくる彼女の記憶や精神、心象世界。

 言葉に出来ないそれらを共有し、返還し、そして使い物にならない記憶というプログラムを改竄したり新たに作って六番目のムーサに送り続ける。


「ハンフリー様、この子の髪が!」


 本来は流れる筈のない魔力に肉体が拒否反応を起こし、彼女の赤茶色の髪は紫に変色していった。

 それでも、その症状が出たとほぼ同時に施術は終了した。


「さて、どうなるかな?」


 興味津々といったノリコと、まるで我が子に会うような眼差しを送るハンフリーとムーサ。

 その期待に応えるように、ゆっくりとその新たなムーサは目をさました。


「お、おぅう」


 自分を覗き込む三人の視線に驚いたように新たなムーサは眼を覚ますと、なんと自ら起き上がり。おぼつかない足取りながらもその足で椅子に腰掛けた。

 どう声をかけようとあぐねている三人の様子を察するように、その娘は自ら声をかけた。


「えーと、おはようございます? んー、なんて言えばいいんだろ。ってか熱いねココ。私だけ?」


 その飄々とした様子があまりにも意外だったのか、三人はまたしても声を駆けるタイミングを失う。

 しかし、せっかく会話を振ったというのに返事の返ってこない事に些細な苛立ちを感じたようにその新たなムーサはジト目で三人を見ながら続けた。


「あー、だいぶ記憶が劣化しちゃって朧気なんだけどね。大体のいきさつはわかってるよ。んでも、細かい話は説明しなくていいよ。正直なとこあんまり興味ないから」


「そ、そうかね」


 そのムーサのようすに戸惑いながら、ハンフリーは肘でノリコを突付きながら耳打ちした。


「ど、どういう事かね? あの可憐な様子はどこへ行った?」


「さぁな、知らん。私とお前で補完した記憶が私達のデータも持っていったんじゃないか? 詳しい事はお前のが想像がつくんじゃないのか、重ねて言うが私は知らん」


「どちらかというならば君の性格のが多めに乗り移っているようだが……」


「さぁな、知らん。だが、個人的な感想を言うなら。前よりもよっぽど話しやすいな」


「私は少々、話しがたいと思うのだが……」


「知らん」


 二人のやりとりは六番目のムーサの耳にもしっかりと届いていた。

 むしろ、ハンフリーは敢えてそれを言う事によって劣化してしまったムーサの部分を呼び起こそうとしたつもりだったのだが、それは彼の思惑とは裏腹に新たなムーサにある決心をさせた。


「えっと、現状はムーサが二人いてややこしいね。あれ、そういや私の下の名前は……えーと……駄目だ劣化してる、いいや名前なんて記号みたいなもんだし。ってかさ、同じムーサとして使い続けるの微妙じゃない?」


 ムーサは彼女で言うところのオリジナルのムーサに気さくな様子で話しかける。


「え……確かにそうですね……では、私は今日よりハンフリー様の呼ぶようにミューズと名乗りましょう」


「あー、そもそもムーサって名前も知恵だか祭りの神様だっけ? ミューズも何かの神さまだよね? そういうの柄じゃないしなー、じゃあテキトーにもじって私はニーズでいいや」


 ニーズはあっけらかんに自分の名前を決めると首を回してコキコキと鳴らした。

 そんなニーズの様子や性格を気に入ったのか、ノリコは満足気に笑いながらハンフリーに言った。


「おいハンフリー、お前はこれから少数の幸せを魔法にするのだろう。ならば先程の貸しを使って頼むとするよ、私が自分の世界を魔法にする間の助手としてコイツを使いたいから最低限の魔術の知識をコイツに教えてやってくれ」


「あー、それは私からもお願い。代変の体がないと私って動かなくなっちゃうんでしょ。自分でも稼働率あげたいし。それにミューズが本来の姿ならその姿に近づけてみたいしね。ムーサ的に考えて」









「起き……起きて……起きてください!」


「ん、んあー。何だ敦也か」


 ニーズは惰眠から目覚めて伸びをしながら、その雇った従業員の顔を眺める。

 その表情はいつもの少し困ったような表情であり、気苦労が絶えないのだろうなと。

 自身が彼の気苦労の種の一つと自覚しながらも、改善する気を起こさない決意を新たに固めた。


「なんだじゃないですよ、こんな事務所の机に足を放り出して。行儀が悪いですよ、それにもうすぐ夏だからって寒い日もあるんですから風邪ひきますよ」


「で、何? そんな事を叱るためにわざわざ起こしたの?」


「違いますよ、電話があったんです」


「ふーん、誰から?」


人形屋敷(ドールハウス)ってとこから、こっちに来るようにって。詳しい話を聞こうと思ったんですけど。そう言えばわかるって」


 ニーズは先程の敦也よりも困ったような。

 むしろ嫌悪に近い表情を見せる。


「ありゃ、懐かしい。ふーむ、沖縄旅行に行った呪詛返しに行ってこようかな。敦也、ワシントン行きの飛行機の手配しといて。なるたけ早く、出来れば明日で」


「え? あ、はいわかりました」


 彼女の日々はあれから忙しく進んで行く。

 幾たびの記憶の移動をへて、覚醒している際は忘却の彼方に閉まわれてしまう自身の体を構築した水の記憶。


 それは彼女のものでは無いのかもしれないが、確かに彼女を築いた記憶。 

 大切ではないが、掛け替えのない記録。

 常に意識するわけでもないし、過去に執着する彼女の性格ではないが。

 その記憶が心のどこかにあるからこそ、彼女は迷わず明日へと考えを巡らせる。

 願わくば、彼女の明日が少しでも楽しくある事を。





 現の原点 水の記憶

      了



時系列 現の証拠以前、現の責任の間。

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