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現の逸話  作者: 面沢銀
4/13

水の記憶 その4

「……お父様」


「もはやお前は娘ではない、娘はこれからも生まれ続ける! 永遠に!」


「人形のように這いずりまわる彼女達を娘と思うとはなんと哀れな男よ、それで真の魂を持った娘を捨てるとは愚の骨頂。それだから貴殿は妻に捨てられたのだ」


「黙れ! もはや誤魔化しなどいらん!」


 ムセイオンの言葉と同時に聖堂が崩れ去った。

 幻の城はもはや幻ではなくなり、老朽化した石材へと姿を変えた、宙に浮かんでいたバラバラになった城と大蛇は重力に引かれベネツィアの街へと降り注ぐ。

 水の都に飛沫と悲鳴が玉散り、宙に浮かぶムセイオンを守るように一部の石材が巨大な人型に組み立てられていった。


「城のゴーレム、キャッスルゴーレムとでも形容すればいいのか? 果て、幻の城は実態を持っていた。では城を隠していたのは誰だ? あの海賊か?」


 疑問を口にしながら、ハンフリーは落下しながらヴェネツィアを流れる水路の水をその魔術で引っ張り、自分の乗っていたゴンドラを自分の場所へと引き上げる。

 天に昇る滝のようなその光景は、ヴェネツィア市民が混乱を忘れるほどに美しく。

 ゴンドラの先端に着地し、堂々と巨人を睨みつけるハンフリーを天からの使いと錯覚させるにはあまりにも説得力のある光景だった。


 引き上げられた滝は空中に水面を作り、あたかもゴンドラを宙に浮かせているように見えるほどに広域に水面を作った。

 その足元には大蛇がうなり声をあげていた。

 大蛇に掴り、地面に着地するとゼールビスと退治するノリコ。

 その大蛇には人としての間接機構を無視した動きと、人とは思えない筋力を有したムーサの一団が群がっていた。

 閉所で戦う事を想定していたノリコにとって、この状況は予想外だった。

 住居の瓦礫といった死角から飛び掛ってくる、命知らずな少女の兵。それだけで小回りの利かぬ大蛇が不利だというのに、ゼールビスの行使する魔術はノリコの予想通り。


「さぁ、行け不死の軍団よ」


 この混乱に巻き込まれて死亡したヴェネツィアの全ての民がゼールビスの戦力となった。

 ゼールビスの能力は不死者を操るネクロマンス技術、話を察するにヴィランが言っていたテスカトリポカの秘法の力によって、無からムーサを作り出していたのだろう。


 その力の時間制限が三年という期間。

 大蛇が暴れれば暴れるほどに兵を増やしていくゼールビスの私設軍隊。

 いや、死設軍隊の絶え間ない攻撃は大蛇といえども多勢に無勢だった。

 ほどなく、大蛇が取り殺されると地面に着地したノリコに矛先を変えて死体が群がりノリコの画材を破壊した。

 ここで勝利を確信したのかゼールビスは攻撃の命令を中止する。


「驚嘆すべき能力だったがこれまでだな」


「はぁ……人形屋、何故すぐに殺そうとしない?」


「殺す必要など無いのだよ、ヴィオラのように洗脳し子飼の魔術師とする。お前は強力だろうからあの男の力を借りる事になるが、お前達ともうすぐ秘法なしでも完成する無限の死者の軍隊さえあればあの男といえ恐れるに足りん」


 ゼールビスの言葉をノリコは黙って聞いていた。

 その様子はゼールビスに取ってはノリコの諦めに映っていたが、ノリコは違っていた。

 ノリコにとってはただの余裕、それなりの狂気を見せてくれたムセイオンと違い目の前のゼールビスにはこれといった物はなく、ただ人が十分に持ちえる野心しか持ちえていない。


 この瞬間、ゼールビスはノリコの興味の対象から外れた。

 ノリコにとってはゼールビスは名も知らない存在であり、その名前にさえ興味の対象ではなくなったという事になる。


「なる程ね、三流な上に下種の類か。私の美意識の邪魔意外の何物でもない」


「知っているぞ芸術家あがりの魔術師ノリコ・アカイワ。描いた物を即座に具現化するとは思った以上の使い手だ、だが絵を描こうにも道具はもうないだろう? 大人しく我が軍門に下れ」


 ゼールビスの言葉をノリコは鼻で笑う。


「お前は間違えている事が三つある、私はあくまで芸術家であって魔術師と名乗った事なんてない。次にお前の手駒になるなんて面倒な事になるなら自分の死を選ぶ、だがそうはならないからお前の死を選ぶ。そして三つ、私から画材を取り上げ(・・・・・・・・・・)るなど不可能だ(・・・・・・・)


 ノリコの言葉と同時に水路から水が舞い上がり空中に模様を描く、その模様は夜の闇に儚く瞬く光に照らされ絵である事を認識させる。


「私にとってはこの惑星の全てが画材でありキャンバスだ。さぁ、お前の望んだ無限の軍隊が相手になってやろう」


 その飛沫で描かれた画から飛び出てくるように現れた東洋の軍隊がノリコを捉えていた死者の兵士をなぎ払う。

 ノリコが一瞬で描いたのは戦国時代の侍の多勢の軍。

 未だに画から続々と現れ出でるその軍勢の数はもはや視角だけではどれだけいるのかさえもわからない。

 対比するなら千対一か万対一か、確定的なのは圧倒的な戦力差が確定的に明らかである事だけだった。


 ゼールビスは絶句する。

 自身が相手にしたのは魔術的な思考で考えたとしても、自身では想像もできないスケールだったのだ。

 そして自身が魔術師だからこそ、あがきようがないほどの絶望に捕らわれていた。

 ノリコは勝ち誇る様子もなく、無限の軍の先頭に立ち笑顔を見せるも。その笑顔にはつまらないという感情が誰の目に見ても色濃く表れていた。


「やれ」


 無感情にノリコが言うと、法螺貝の音が瓦礫の山の戦場に響き渡り。ゼールビスの望んだ戦闘が始まった。

 ただ、ゼールビスが望んだ戦闘と違うのは。

 それは戦闘というよりも駆逐という表現の方が正しいほど一方的だったという事だ。


 一方、ムセイオンとハンフリーの戦いは未だに決定的な戦況の変化は無かった。

 それは実力が伯仲しているというわけではなく、ハンフリーが攻めに回らないからである。

 理由は単に妻の悲しい顔を見たくないという事である。

 彼自身としても、自らの妻の父をその手にかけてしまうのはいかがなものかという感覚が根底にある。


 自らの腕の中で、今起きている事柄の全てを目の当たりにして震えている少女にこれ以上の刺激を与えるべきではないと考えていたからだ。

 もし、これで夫が自分の父を殺してしまうのを目撃し心が壊れてしまってはハンフリーにとっては嬉しくはないのだから。


「お前はムーサなどではない、ムーサの姿をした化け物め!」


 狂ったムセイオンの操るキャッスルゴーレムがハンフリー達の乗るゴンドラを叩き潰そうと手を振り下ろす。

 しかし、その緩慢な動きはハンフリーのゴンドラを捉える事はできない。

 ハンフリーの魔術によって天空の水面を滑るゴンドラはハンフリーの意志次第で自在にスピードを変えるのだ。

 ハンフリーの水面を破らない限り、ムセイオンはどうする事もできないだろう。


「さてミューズ、君のお父上は君を怪物扱いするわけだが。私はどうしたらいいと思う?」 


 ハンフリーの言葉にムーサは答えない。

 そもそも答える気力などもう彼女には残っていないのだ。


「うぅむ、戦うと言ったものの。この打開策はあるのだろうか?」


 ハンフリーが頭を抱えていると、その目が疑う光景を捉えた。


「なんと、確かに生死の確認はしなかったが。だが、これはどういう状況なのだ?」


 ハンフリーの言葉にムーサがわずかに反応し、ハンフリーと同じ方向を目にする。

 そこには裏庭で絶命したはずのニコライがキャッスルゴーレムの体を昇り、肩に乗った狂えるムセイオンの下へと向かっているのだ。


「ニコライ!」


「お譲様!」


 ニコライは一心不乱にキャッスルゴーレムを昇る。

 その驚異的な速度から察するに、ハンフリーと対峙した時よりもさらに身体能力が向上しているのは明らかだった。

 ハンフリーとムーサの様子を見て、ムセイオンもニコライの存在に気がつく。


「ニコライ!?」


「夢の終わりだムセイオン!」


 ハンフリーとムーサはニコライがムセイオンの助太刀に来たと考えていたが、そのニコライの形相やムセイオンの狼狽した様子にその考えは間違いである事はわかったのだが、どうしてこの反旗を翻す行動に出たのかがわからなかった。

 ムセイオンの操るキャッスルゴーレムは身を捩じらせたり、その身を自ら崩すように叩いてニコライを払い落とそうとするも、ニコライはその全てを掻い潜りムセイオンの下へと辿りついた。


「ムーサ、お前はこの男の娘ではない!」


 ムセイオンを睨みつけながらニコライは吼えた。


「えっ……」


 ハンフリーの腕の中で動揺するムーサ、その様子をニコライは予想しつつも語るのを止めはしなかった。


「お前の母ウェンディは自らを犠牲にしたのだ、奴隷であった私達は愛し合った。奴隷として生きていた私達には許されない感情だ。死を覚悟していたし、それを恐れる事もなかった。そしてこの男が現れた、彼女を買うというこの男の出した金額は私達全員を買ってもまだ釣りが来るものだ。それから暫くして私達は自由の身になった。そして私は、ムーサお前を見守りたかった」


 ニコライの告白にムセイオンは自分を弁護するように答える。


「ニコライ……それを私が知らないと思っていたのか……私は全て知っていたのだ。お前が逃がした本物のムーサにも生活費を送っている。ムーサ、お前の記憶は偽りでも。本当のお前を抱き上げたのは私だ、お前は私の娘だなのだ!」


「そんな馬鹿げた話を……」


「「ムーサ!!」」


 父と名乗る二人の言葉に混乱するムーサ。

 その渦中において、ハンフリーが代わりに言葉を投げた。


「すると事実は?」


 ハンフリーの言葉にニコライは続ける。


「ウェンディは……ムーサを産むと同時に死んでいた……。そこに居たのはウェンディの姿をした人形だった。その造られた笑顔に私は心を痛め、怒りに震えた。十五年前、屋敷に火を放ちムーサを逃がした! それで終わったはずだった! だがこいつは一からムーサを作り出したのだ! だから私はムーサを見守ってきたのだ! ヴィランの力を借り、人の身さえも捨てて!」


 ニコライの告白を暗に認めるように、ムセイオンは反論する。


「……私は本当にウェンディを愛していた! 仮面を着けても金に群がってくる愚かな者と違い、彼女はただ私に私として笑顔を向けてくれたのだ! ウェンディの想いもニコライの想いも知っていてだ。私にはだから仮初めでもいい、永遠が欲しかった。そしてムーサ、お前もだ。お前も私に人として笑顔を向けてくれたんだ!」


「ムセイオン!」


 ムセイオンの告白にニコライは何を想ったのか。

 彼の顔に、剣幕の様相はなく。許せぬも理解したというべき表情だった。

 二人の父の狂気に駆られた愛、それはあまりに純粋であり。

 幼いムーサには受け止めきれないほど凶暴であり、重すぎた。

 そして事実を整理する余裕もなく、ラッパのような高らかな音と同時に実の父であるらしいニコライの胸に大穴が開いた。


 状況を理解する間もなく、音の方に目をやれば銃身の長いラッパ口のマスケット銃を肩に担いだドレス姿の骸骨が宙に浮かんでいた。


「ニコライ、約束が違うじゃないですか。行き場を無くした父性が出たのですか、それともあの男の口車にほだされましたか? 何にせよ約束を破るなんて海賊よりも酷いですね」


「ヴィ……ラン……」


 骸骨の女、ヴィランは銃の反動でズレた羽帽子と、髑髏から伸びた酷く痛んだ髪を掻き揚げながら言った。


「ムーサ、この二人の言った事は本当よ。あとの顛末はきっとあなたの知った通り。三流にはケッツァルクァトルの秘法は過ぎた玩具だった、それだけ。本当は全てが終わったら話す約束だったのにね、でもまぁいいわ、私の目的を果たすのは変らないし」


 ヴィランは髑髏の顔で確かに笑った。


「ゼールビスが死んでやっと秘法の在処が感じ取れたわ、というよりもあなたがゼールビスに秘法を預けていたというのが驚きです。普通の父親は娘のためなら盲目になるのですかね? 私の父親とは違うので理解できませんが。ま、仕事を果たしましょう」


 言いながらヴィランは今度は銃の矛先をムセイオンに向けた。


「駄目!」


 そのムーサの行動はヴィランもムセイオンも、そして抱きとめていたはずのハンフリーにとっても予想できない行動だった。




 そしてムーサは夢を見た。

 母が居て。

 父が二人。

 二人の父親はいつも喧嘩ばかりだったけど。

 本当に私を愛してくれていた。

 見た事の無いお花畑で。

 家族皆で笑って。

 これが夢なのは解っていたけれど。

 自分の意志で見た最初で最後の夢。


「ムー……サ……」


「ム……サ……」


 ムーサはムセイオンを庇ったが、ヴィランの弾丸はムーサの体を貫通しムセイオンもろとも撃ち抜いていた。

 三人に感覚が残っているかは不明だが、ムーサは二人の手を取り川の字になるようにキャッスルゴーレムの肩に寝転んだ。


「お……父……さ……ま……」


 二人の父に向けてムーサはそう言うと、キャッスルゴーレムは音を立てて倒壊し三人はヴェネツイアの街へと消えて行った。

 ここで彼女の記憶は一旦途切れる。

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