幽世 1-2
篤志が固まっていると、肩に手を回される。視界の端に探していた金色の髪が揺れた。
名前を呼ぼうとした篤志はぴょこぴょこと動く人間の耳ではない耳を見つけて目を見開く。
「それとも、俺とやり合うか?」
不敵に笑う彼を見て、ダンは両手をあげて首を横に振る。
「いいや、お狐様の手つきのものなら、手を出したりしないさ」
「いい判断だな。世渡りがうまそうだ」
ダンとやりとりをしていた彼は篤志の視線に今気がついたように力なく笑った。そして篤志の肩を抱いたままダンの店から離れるように大通りを歩き始める。
「無事で良かったよ。ここじゃ、人間はいいカモでしかないからさ」
「……銀、だよな?」
「あー、うん。そうだよ、篤志の一番の親友の銀ちゃんだよ」
ニパっと揶揄うように笑った銀の顔は篤志の知っている彼のものだったのに、頭に見える獣の耳に篤志の体を撫でるように動いている尾が銀が人間ではないことを示している。心なしか、銀の瞳孔も細く、鋭さが増しているようだった。
「お前、人間じゃないのか……?」
「見ての通りさ。でも、お前を騙したかったわけじゃないんだ。ただ、こんな姿見たら、篤志が気持ち悪いっていうんじゃないかと思って……」
「いや、綺麗だ」
「…………は?」
「だから、綺麗だって言ってるんだ。この際、人間かそうじゃないかはあまり気にしない。正直、この景色を見るまでそういうのは全部空想上のものだと思っていたけど……銀の耳もふわふわなしっぽも、初めて見るのに、懐かしくて、すごく綺麗だと思う」
まっすぐな篤志の言葉に銀は言葉を失ったようにぽかんと口を開けている。そして、遅れて顔を真っ赤に染めて、それを隠すようにそっぽを向く。ちょっとしたその仕草ですら、見覚えがあるように感じた。
「お前、相変わらず恥ずかしいやつだな」
「思ったことをそのまま伝えただけだ。何も変なことは言ってないだろ」
当たり前のように篤志はいうが、銀にしてみればそれは当たり前のことではなかった。だから銀は嬉しそうに鼻を掻くと、いつもの調子で気が抜けたように口元を綻ばせる。
「あらぁ? あらあらぁ?」
その時、通りの喧騒にも負けないくらい大きな声が二人の耳に届いた。その声を聞いた瞬間、銀の顔が歪み、大きなため息を吐く。篤志はあまり見たことのない銀の表情に新鮮さを感じながらも、声のした方に振り返る。
振り返った先にいたのは、白い虎の耳に、細い尻尾をしならせた男だった。男は真っ白な毛並みに合わせた白を基調とした着物を着ていた。純白の地に淡い金糸が走り、繊細な花模様が浮かんでいる。控えめに織り込まれた刺繍が、きらりと瞬くたびに、彼の格の高さを物語っていた。
「こんなところで、あなたに出会うなんて……一体何年ぶりかしらぁ?」
頬に手を添えて、妖艶に笑いながら楽しそうに目を細める。虎の男は優雅にゆっくりとした足取りで、二人に近づくと、じっと篤志の顔をくまなく観察する。そして、何かを思い出したように数回瞬きをすると、懐かしい人と再会した時のように篤志の肩を叩く。
「あら、やだぁ! あなた、もしかして……」
「百燐、お前こそこんなところで何をしてるんだよ」
百燐と呼ばれた虎の男の言葉を遮るように銀が口を開く。牽制するかのような鋭い瞳に百燐は先ほどよりもさらに目を細める。二人の間にだけ通じる何かに、疎外感を覚え篤志は少しだけ口を尖らせる。
「そう、そうなのねぇ。銀、あなたがそれを選ぶなら、アタシが口出すことはできないわねぇ」
口元に手を添えて、くすくすと笑う百燐に銀は機嫌が悪そうに舌打ちをする。仲の良さそうな様子に、置いていかれていた篤志は銀の服の袖をクイっと引っ張る。小さな訴えだったが、銀はすぐに百燐から視線を篤志に移すと気まずそうに頭を掻き回す。
「この人は誰なんだ? 銀の知り合いなのか?」
「あー……そうだよ、俺の知り合い。俺ってば、ここではちょっと有名だからさ」
「たしかに、あなたはここではとーっても有名よねぇ。ちょっとでも気に食わないことがあると、すぐに手が出てたものねぇ」
「昔の話を掘り返すなよ……お前のクソみたいな話もこっちは知ってるんだからな」
「あら、やだぁ。そんな大昔の話で今更アタシが狼狽えるとでも思ってるの? そういうところが幼くて、可愛いんだからぁ」
おそらく相性が悪いのだろう。銀は百燐の言葉に拳を強く握りながら体を震わせる。ここに篤志がいなければ、乱闘騒ぎでも起こしていそうだった。
「……いつか絶対に、ぶん殴ってやる」
いつもヘラヘラと笑っている銀とは違い、腹の底から出た低い声に篤志は目を見開く。百燐は子供の反抗期を前にした親のように、余裕のある笑みを浮かべる。
「それよりも、あなたのお名前を聞かせてくれるかしらぁ?」
銀を揶揄うのをやめた百燐が篤志の方を見る。色素を失った灰色の瞳が懐かしいものに触れたように揺れた。隣では銀が百燐を威嚇しながら、「こいつに教える必要ねぇよ」とまだ睨みつけていた。
篤志は銀の言葉に苦笑を漏らしながら、百燐に向き合う。初めて会うのに旧知の仲のように、篤志も彼に対して懐かしさを感じていた。その記憶は硬い蓋に閉じ込められた井戸のように、深いところに仕舞われていて思い出すことはできなかった。
だから、篤志は百燐に手を差し出した。過去に会ったことがあるのかもしれないが、今、目の前にいる百燐と友達になるために頬を緩める。
「俺は藤原篤志。あんたの名前は?」
「アタシは百燐よぉ。見ての通り、白虎の化け物よ」




