9話 罪の絆
ラナスの居城に突如響き渡る轟音。
壁や天井が軋み、柱が振動に揺れる。
精霊たちが逃げ惑い、二神が住まう神域は一瞬にして怒号と殺意に染まった。
神界からの死客たち――。
彼らは静穏な空気を切り裂き、歪んだ空間の裂け目から次々と現れた。
武器を携え、白銀の鎧を纏った姿、氷の翼を持つ鳥人の姿、多頭の白い獣の姿――いずれも人智を超えた覇気を帯び、無数の戦いを繰り返してきたことを物語っている。
彼らの瞳には、破壊と創造の女神と異形の神への狂信的な憎悪が宿っていた。
「神を殺し、神界の秩序を乱す者よ! これ以上の不埒な行いは許されない。ここで終わりを迎えるがいい!」
死客の神々の力が光の槍となって一斉に降り注ぎ、居城全体を揺るがした。
シードは徐に立ち上がり、銀の瞳に冷徹な光を宿す。
異形の魔力が膨れ上がり、身の毛のよだつ殺気が死客の神々の元へ届いた。
「……またか。性懲りもない」
異形の神の氷のように冷たく無感情な声が響く。
シードが短く呪文を唱えると、指先から濃密な闇が広がり、神々の放った攻撃は虚無に飲まれるように霧散していく。
砕けた光の粒を瞳に映しながら、死客たちは絶望の声を漏らす。
「魔術……!? 人間ごときの魔法が我らの神術を打ち砕いたと言うのか!?」
「……これが、無を超越した神の力だと……?」
シードの銀色の瞳が淡々と死客たちを見下ろす。
まるで、相手が神であろうと何の感情も抱いていないかのように。
「愚かな選択の代償だ」
シードが軽く指を弾くと、死客たちの肉体は砂のように崩れ始めた。
魂が抜き取られ、黒い霧となってシードの掌へ吸い込まれていく。
神々の悲鳴が居城を埋め尽くし、彼らの存在は二度と輪廻へ戻れない牢獄へと閉じ込められた。
こうして戦いは一瞬で終わった。
あまりにも静かで、あまりにも残酷だった。
* * *
静寂が戻った居城の廊下を、シードの重い足音が響く。
彼の背後から立ち昇る黒い霧は、つい先程まで「生きて」存在していたはずの神々の亡霊たち。
彼の周囲の空気はひどく冷たく、まるで死そのものが寄り添っているかのようだった。
死霊術師である彼にとって、こうして命を奪って自らの力とすることはごく日常的なことだ。
それを一万年以上繰り返してきた。今更何の感慨も湧くはずがない。
しかし――
部屋の扉を開けると、ラナスオルが待っていた。
彼の姿を捉えると、紫色の瞳に影が差す。
「また命を奪ったのか……?」
そう問いかけるラナスオルの表情は暗く沈んでいる。
止まらないことを知りながらも、それでもなお止めたいと願うような声だった。
シードは一瞬だけ視線をそらすが、すぐに顔を上げ冷静な声で答えた。
「あなたもわかっているはずです。神界の使いが現れる限り、彼らを放置するわけにはいきません。ラナスの世界を守るためには、彼らを殺し、再誕せぬよう魂を束縛する」
彼の言葉には迷いがなかった。殺すことには慣れきっていた。
そしてそれが自分に課せられた義務であるかのようだった。
「……それに、僕がこうすることで、あなたが手を汚す必要もない」
その一言に、ラナスオルの肩が震えた。
「それで君の心はどうなる? 君の中に縛り付けられた魂の悲鳴が、君を侵食しているのではないか?」
彼女はゆっくりと歩み寄り、そっとシードの頬に手を添えた。
彼の冷たい肌に触れた瞬間、ラナスオルの指先が強張る。
シードの中には無数の魂が渦巻き、死者たちの終わらぬ嘆きが絶えず響いていた。
しかし、彼はその声を振り払うこともせず、ただ黙って受け入れてきた。
それが、ラナスオルを穢さないための彼の選んだやり方だったのだ。
「君がそうやって全てを引き受ければいいと言うのなら、私は何のために隣にいるのだ……?」
シードは彼女の手の温もりを感じながら、静かに答えた。
「……あなたに罪を背負わせたくない。それが答えです」
まっすぐな銀の瞳が彼女を見据えた。
その光の中には、一万年の罪と孤独に苛まれた記憶が宿る。
「あなたが生まれ変わった時から、この世界を守るのは僕の役割だと決めていました。あなたを穢す必要はない」
彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ラナスオルは黙って彼を抱きしめた。
背中にそっと手を回し、その存在を確かめるように強く抱きしめる。
「君の考えはわかった。けれど、私はそれを許すことができない……君を愛しているからだ」
ラナスオルの声は震え、涙がシードの肩に染み込んでいく。
「私は君の隣にいる。そして君が背負う罪も、共に背負う。それが私の意思だ。たとえその道が血塗られていようとも、君とともに進む」
「ラナスオル……」
シードは目を閉じ、胸の奥で渦巻く痛みと葛藤を押し殺すように呼吸を整えた。
(ともに……歩き続ける……)
ラナスオルの言葉を反芻する。
そして長く深い沈黙の後――小さく頷いた。
「……わかりました。僕が選んだ道を、あなたがともに歩むと言うのなら……」
そう言いながら、彼もまたそっと抱き返す。
その手の震えがラナスオルの肩に伝わった時、ラナスオルの瞳から再び涙が零れ落ちた。
(君のこの痛み……どうか君一人で背負わないでくれ……)
彼女は再び強く抱きしめた。
自分の体温が、この胸の鼓動が、彼の痛みを少しでも和らげてくれることを願って。
「……ですが、この世界を守るという意思は変えません。あなたが隣にいる限り、僕はこの道を歩み続けるでしょう」
シードの決意を聞き届けたラナスオルは、泣き顔の上に僅かに微笑みを浮かべた。
抱き合う二人の薬指には、絆を象徴する銀色の指輪が柔らかな光を放っている。
その銀の輝きは、どれ程傷つき、どれ程血に濡れようとも、決して消えることはないだろう。
たとえこれから先の道が闇に覆われ、どんなに残酷な戦いが待っていたとしても。




