6話 甘い論争とプリンの行方【前編】
ラナスの居城に午後の日差しが差し込み、柔らかな光が石畳の廊下を彩っていた。
風がカーテンを揺らし、微かな花の香りが室内に漂う。
その一室、キッチンのカウンターには空になったプリンの容器がぽつんと置かれている。
そこへ現れたシードは、疑念の眼で容器を見つめていた。
死霊術師である彼には、それがまるで「食べられた者の無念」を代弁しているかのように映った。
「……ラナスオル、確認したいことがあるのですが」
彼は容器に目を落とし、背を向けたまま隣の部屋のラナスオルに問いかけた。
その声音には怒りこそ滲んでいなかったが、彼の静かな不満が確かに含まれている。
「冷蔵庫にあった僕のプリンがなくなっています。まさかと思いますが、あなたが食べたのですか?」
居間のソファでくつろいでいたラナスオルが、軽く顔を上げた。
「ああ、あれか。確かに君の名前が書いてあったが、少し甘いものが欲しくなってね。まさかあそこまでこだわりがあるとは思わなかった。私が食べてしまったよ」
ラナスオルは悪びれた様子もなく、あくび混じりの声で答えた。
その飄々とした態度にシードの視線が微かに鋭くなる。
「名前が書いてあったのに、どうして食べようと思ったのですか? あれは明らかに僕のものでした」
冷静で抑揚の少ない声だが、よく聞けば僅かな苛立ちが滲んでいる。
彼の中ではきっと、長年の秩序と理論が脆くも崩れ去った瞬間だったのだろう。
ラナスオルは顔をしかめ、少しばかり不機嫌そうに答える。
「君がそこまで気にするとは思わなかった。君はいつも『神らしく効率を重んじる』と言っているだろう? プリンごときでそんな目くじらを立てるのかね?」
「そのプリンは、特別に取り寄せたものです。効率を重んじるからこそ、楽しみの一つを台無しにされたことが問題なのです」
シードは淡々とそう言いながらも、拗ねたような気配が垣間見える。
「楽しみ」という言葉が彼口から漏れた瞬間、ラナスオルの口元にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。
「楽しみ……? 君にそんな感情があったのか? いや、これは驚きだな」
軽く茶化したような態度だが、その裏には、シードが何かを「楽しみ」にしていたという事実への新鮮な驚きと嬉しさが含まれていた。
「冗談を言っている場合ではありません」
シードは一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
冷たい瞳の奥に薄らと困惑を漂わせながら反撃の狼煙をあげる。
「あなたの行動は、他者の所有物を尊重するという観点から、大いに問題があると言わざるを得ません。こうした無秩序な振る舞いは、統治者としての威厳にも関わるのではないですか?」
その理屈っぽい言い分にとうとう頭に来たのか、ラナスオルは素早くソファから立ち上がり、シードを睨みつけた。
「君はまるで裁判官のように理屈ばかり並べ立てるな! そんなことで大袈裟に言われる筋合いはない! それに、私は君が買ってきたプリンを毎回美味しいと言っているではないか。それを君はまったく喜ばない!」
ラナスオルの声には苛立ちだけでなく、僅かな寂しさが滲んでいた。
きっと彼女は、シードが買ってくるものに小さな愛情を感じていて、それを伝えたかっただけなのだろう。
シードはラナスオルの言葉を冷静に受け止め、淡々と答える。
「それは僕が作ったものではなく、購入したものですので、感想を求める必要性を感じませんでした。それとこの問題は無関係です」
シードはそう返すものの、どこか視線が揺らいでいる。
「美味しい」と言われて喜ぶべきなのだと、彼も心のどこかでは理解していた。
ラナスオルは頭を押さえて深くため息をついた。
「はぁ……全く君という男は……! ならばこうしよう。次回の取り寄せ分から、君が三つ、私が一つ。それでいいか?」
「公平さを考慮すれば、最初からそのようにすべきでした。しかし、今回の件であなたが食べた分は……」
ラナスオルはシードの理屈が延々続くことを察し、手をひらひらと振って遮る。
「わかった、わかった! 君が許してくれるなら、君の分のプリンを作る努力をしよう。だが保証はしないぞ。ティラミスなら完璧に作れるが、プリンは……未知の領域だ」
シードはその予想外の申し出に少しだけ驚いた様子を見せる。
「……あなたがプリンを?」
「ああ、君の大切な『楽しみ』を奪った責任は取らねばならないだろう? ただし、私が食べた分だけだ。それ以上は期待するな」
シードは短く息をつくと、淡々とした口調で応じる。
「わかりました。次回からは事前に確認していただければ、こうした問題は回避できるでしょう」
ラナスオルは苦笑しながら肩をすくめる。
「やれやれ、これほど話が長くなるとは思わなかったよ。君はやはり手強いな、シード」
「理屈を述べているだけです。手強いのは、むしろあなたの自由奔放さではありませんか?」
ラナスオルは小さく笑い、にやりとした表情で答える。
「それが私の魅力というものさ。まぁ、君がそれでいいなら、私も満足だよ」
「……魅力かどうかはさておき、少なくともあなたが再び勝手に手を出さなければ、このようなやりとりは不要になります」
ラナスオルは悪戯っぽく笑みを浮かべ、最後にこう言い残した。
「了解だ。だが、君も覚悟しておきたまえ。私が作るプリンが、君の理想と違う味だったとしても、君の反応次第では……次回のプリンをまた横取りしてしまうかもしれないからね」
シードは怪訝な表情を浮かべながら問い返した。
「それは、脅しということでしょうか?」
「さて、どうかな?」
険悪に見えたやり取りは、最終的に穏やかな空気へと変わり、二人の間に微妙な笑みが浮かんでいた。
テーブルの上の空になったプリン容器が、なおも静かにその存在を主張していた。




