20話 神の手合わせ
居城の居間は静謐に包まれ、風の精霊が微かな夜風を運んでいた。
カーテンが月明かりの下で揺れる中、シードはソファに腰掛け、銀の瞳を伏せたまま遥か昔の記憶を辿っていた。
まだ彼が人間だった頃――
死霊術師として追われ、殺し、やがて女神の怒りを買い、命を燃やすようにして戦ったあの日々。
彼の脳裏には、血のように鮮烈な戦場の記憶が色濃く蘇る。
あの時のラナスオルは、破壊と創造――相反する二極の力を駆使し、圧倒的な威厳と神性を纏っていた。
破壊の右手セヴァストの一撃が大地を裂き、創造の左手フェルジアが瞬く間に傷を修復する。
その力強さと美しさに翻弄されながらも、彼はその全てを敵として受け止めた。
人間の力が神へ届きうるかを確かめる、命を賭けた挑戦だった。
そして、全力で彼女を追い詰めたはずだった。
しかし、最後の瞬間ラナスオルは命を賭して「無」を生み出し、彼を完全に葬った。
その無慈悲な結末は、今も彼の魂に焼き付いている。
「皮肉なものだ」
かつて全力で殺し合った相手が、今は隣でともに歩む伴侶だという奇妙な運命。
その残酷な巡り合わせに嘆息が漏れると同時に、ふと疑問が浮かぶ。
(今の彼女は、あの時と同じように戦えるのだろうか……)
「少し、手合わせをしませんか?」
不意に発せられた言葉が居間の静寂を破った。
ラナスオルはソファで本を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。
白髪を掻き上げ、興味と困惑が交錯したような瞳で彼を見やる。
「手合わせだと? ふむ……理由を聞いてもいいだろうか?」
シードは軽く肩をすくめ、無表情のまま答えた。
「あなたの戦いを見たくなったのです」
短く、それ以上でも以下でもない返答。
その一言の裏には、見えない答えと好奇心が渦巻いていた。
(あなたとの戦いで見出せる何かがあるはずだ)
ラナスオルはじっと彼を見つめた。シードの銀色の瞳は冷静で揺るがない。
しかし、その奥底はどこか懐かしむように遠い記憶を見つめている。
まるで、かつての死闘をもう一度確かめることで、自分の存在意義を測ろうとしているかのように――。
「……まあいいだろう」
ラナスオルは微笑みながらソファから立ち上がった。
滲み出る闘気で長い白髪がふわりと広がり、糸のようにたなびき出した。
そしてその紫の眼差しには、かつての戦いの女神の鋭さと威厳が戻り始めていた。
「君の思惑がどこにあるのかは知らないが、受けて立とう」
彼女のあっさりとした承諾とまんざらでもない様子に、シードは微かな笑みを浮かべていた。
* * *
夜のラナスの空は、驚く程澄み渡っていた。
空を彩る光の精霊たち――星々が煌めき、冷たい風が二神の間を吹き抜けていく。
静寂に包まれた居城の外庭は、今まさに戦場へと変わらんとしていた。
二人は向かい合い、無言で立つ。
かつて命を懸けて戦った時と同じように。
「それでは、始めようか」
ラナスオルの低い声とともに空気が一変する。
彼女の戦闘用のドレスは激しく揺れ、シードの黒衣が千切れんばかりにはためき出す。
ラナスオルがゆっくりと破壊の右手を掲げると、セヴァストに力が集約し、対峙するシードの足元に大地の精霊の微震が伝わる。
その動きには、かつて彼を翻弄した神術の恐怖と美しさが凝縮されていた。
シードは目を細め、僅かに口角を上げる。
「手加減は無用です」
その瞬間、二柱の神を隔てる空間が弾けるような音を上げた。
ラナスオルの一撃が振りかざされ、衝撃波が夜空に閃光のような痕を刻む。
破壊の女神の名にふさわしい力が容赦なく襲いかかった。




