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19話 白い花が揺れる夜に

 居城の広間は、月の光に染まる静寂の世界だった。

 銀色の光が石畳の隙間に淡く差し込み、澄んだ空気が張り詰めるように部屋を満たしている。

 

 シードは息を潜めるようにじっと立ち尽くしていた。

 視線の先には、窓辺に置かれた花瓶。

 その中で、一輪の小さな白い花が夜風に揺れていた。

 

 それは、先日街の少女から受け取った花だった。

 怯えながらも震える手で差し出し、勇気を振り絞った「ありがとう」という言葉。

 その素朴な一言が彼の耳に蘇る。


「……ありがとう、か……」

 

 彼はぽつりと呟いた。

 その声は広間に吸い込まれ、花に届く前に溶けて消えていった。


 脳裏には、大岩を召喚した神界の死客の顔が浮かぶ。

 命を捨ててなお、最後まで屈しなかった神。

 己の誇りを燃やし、二神を打倒することだけに身を捧げた、狂気にも似た信念――。

 

 自分にどれ程の力があっても、相手の意志や信念を力でねじ伏せることが必ずしも正しいとは限らない。

 それが本当に守ることになるのか――そう考えるたびに、シードの心には漠然とした疑念が広がる。


「僕ができることは、ただ敵を滅ぼすことだけなのか……」

 

 溢れ落ちた言葉は問いの形をしていたが、答えは得られなかった。

 沈黙だけが返り、再び静寂が部屋を満たすはずだった。


「考えごとか?」


 不意に背後から優しい声が響いた。

 

 シードが振り返ると、ラナスオルが立っていた。

 月明かりが白い髪を柔らかく照らし、まるで彼女自身が光そのもののようだ。

 

 ラナスオルは彼の隣に歩み寄り、同じように花瓶の白い花に視線を落とした。

 

「あなたはラナスの女神、ラナスオルです」

 

 シードは自嘲を含ませた声で口火を切った。

 

「僕ができることは、あなたに比べてあまりに限られているのかもしれません」


 彼はそう言いながらも、花から視線を外さなかった。

 目を離せば、自分の存在が無意味になってしまうかのように思えた。


 ラナスオルはその言葉にふっと微笑むと、そっと彼の手を取った。

 彼女の手は柔らかく、驚くほど温かかった。

 

「そんなことはない。私は君が必要だ。そして、ラナスの世界の人々にとっても……君の存在は、これからもっと意味を持っていくはずだ」

 

 シードの瞳が僅かに揺れる。

 まるで、彼の中に生まれつつある感情の波紋が小さく揺らいでいるかのようだった。


 しかし、彼はすぐには応えられなかった。

 ただ、指先で彼女の手の温もりを確かめるように握り返すだけだった。


 ラナスオルは、そんな彼の迷いをすべて受け止めるように微笑み、花瓶にそっと手を伸ばす。

 指先が白い花びらを優しく撫でた。


「私たちは、夫婦としても神としても、まだまだ未熟だ。それは君も私も同じことさ」

 

 花を慈しみながら優しく溢れ落ちる言葉は、シードの内側の張り詰めた何かを少しずつ溶かしていく。


「でも、焦る必要はない。時間はたっぷりある。この花が、いつか私たちが見つける答えを教えてくれるかもしれない」

 

 彼女の手が花瓶から離れると、花はふわりと震えた。

 二人の会話に相槌を打つかのように、月明かりの中で静かに踊る。

 

「少しずつ進めばいいのだ」

 

 その言葉はどこまでも優しく、穏やかな風のようにシードの胸に染み渡る。

 彼はしばらく無言だったが、やがてゆっくりと、ほんの僅かに口元を緩めた。


「……そうですね」

 

 彼の声は掠れていたが、その一言には確かに小さな希望の欠片が宿っていた。

 

 

   * * *

   


 その後、二人は広間の大きな窓から夜空を見上げた。

 無数の星々が輝き、光となってラナスの大地を柔らかく包み込んでいる。

 どこか遠くで精霊たちの囁きが聞こえるような、平和な夜だった。


 二人の手は自然と繋がれていた。その温もりは言葉以上のものを伝え合っている。


 ラナスオルが、繋いだままの手に少し力を込めて呟いた。

 

「さあ、もう少しだけ花を見守ってみようか。きっと何かを教えてくれるよ」


 彼女の瞳に映るのは、白い花、そして星空の下でともにある夫の姿。

 シードは彼女の言葉に頷き、再び花瓶に目を向けた。


 白い花は夜風にそよぎ、彼らの心に静かで揺るぎない光を灯していた。

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