16話 月光
夜の闇が居城を包み込んでいた。
光の精霊たちの集まり――月光が窓辺から差し込み、シードの銀髪を淡く照らしている。
彼はベッドに横たわりながら、ただじっと天井を見つめていた。
部屋には静寂しかなく、耳に届くのは隣で眠るラナスオルの微かな呼吸音と、遠くで揺れる炎が小さく爆ぜる音だけ。
眠気が訪れる気配はない。
休もうと瞼を閉じると、脳裏には次々と記憶が蘇る。
途切れることなく押し寄せるのは、遥か昔の残酷な光景だった。
彼がまだ人間であり、死霊術師として数多の命を奪い、ラナスに無数の恐怖を生み出していた頃のこと。
逃げ惑い、引き攣る人々の顔。
死を告げる亡霊が、人間を生きたまま貪り食う音。
自分の魔術によって散っていく命――。
シードは、かつて何も感じなかった。
他者の痛みも、喪失の悲しみも、彼にはただの雑音でしかなかった。
力だけがすべてであり、命を侵すことに何の躊躇いもなかった。
そうして最後には女神ラナスオルの怒りを買い、粛清を受けて命を絶たれた。
しかし、今――。
(あの頃の自分が、今の僕を見たらどう思うだろう)
なぜこんなにも胸が痛むのか。
なぜ、奪った命の記憶が今になって心を蝕むのか。
――答えはわかっている。
ラナスオルの存在が、彼を変えた。
彼女が彼を信じ、愛を注いでくれたからこそ、シードの心には「痛み」が芽生えた。
それは罰のようでいて、同時に人間であることを思い出させる救いでもあった。
「今さら、何を思い返しているんだ」
枕に顔を埋める。独り言が虚空に溶けていく。だが、思考は止まらない。
彼が背負う「死と恐怖の神」という忌まわしい名。それを人々に植え付ける恐れ。
かつては気にも留めなかったその事実が、今では胸の奥に鈍い痛みを生む。
ラナスオルのことを考える。
あの「神殺しの剣」を手に自ら命を絶とうとしたのも、彼なりの愛の形だった。
自分がいることで、彼女に負担をかけている。
自分が存在しなければ、世界はもっと平和かもしれない。
ラナスオルも、こんなにも彼を案じて苦しむことはないのかもしれない。
「僕は、何をしているんだろう……」
掠れた声が闇に落ち、絶望的な思考が心を侵食していく――。
その問いに答える者はいないはずだった。
ふいに背後から温かな手が伸びてくる。
驚く暇もなく、耳元に優しく響く声。
「眠れないのだろう」
――ラナスオルだった。
彼女はそっと彼の背中に腕を回して抱き締めた。
彼女の体温が、冷たい孤独に蝕まれていた彼の身体をじんわりと温めていく。
「君の心が痛むのは、君が少しずつ人間性を取り戻しているからかもしれない」
人間性――それはシードが最も遠ざけたはずのもの。
かつて自分から切り捨て、異形の神と成り果て、二度と取り戻すことはないと思っていたもの。
しかし、彼女とともにいるうちに、忘れたはずのものが胸の内で再び芽吹いている。
苦しい程の罪悪感も、何かを守りたいと願う気持ちも。
彼はゆっくりと目を閉じ、消え入りそうな声で問いかけた。
「ラナスオル、あなたは……僕を許すのですか」
その声に滲み出る不安と脆さは、彼自身すら気づいていないだろう。
許されるはずがない。
無数の命を奪い、神々の魂さえも死霊術で縛った彼が。
どれだけ償おうと、奪った命は戻らない。
「私は君を許す」
彼女は何の迷いもなく、きっぱりと言い切った。
「君は罪を背負い、今も自分と戦っている。それは容易なことではない。だからこそ……私は君を信じるし、許す。何があっても、私は君の隣にいる」
その言葉は何よりも強く、彼を救済する力を持っていた。
シードは胸が軋み、喉の奥が疼くようだった。
これ程までに傷だらけで、歪んだ存在でしかない自分を彼女はためらいなく受け入れてくれるのだ。
(僕は……救われていいのか……?)
何度も自問しながらも、彼女の温もりから離れられなかった。
そして、気づけば瞼が少しずつ重くなっていく。
彼女の穏やかな心音が、冷たく閉ざされた彼の心を優しく包み込み、静かに癒していく。
「……ありがとう……」
彼が最後に呟いた言葉は、深い眠りの中に溶け込んでいった。
月明かりが二人を包み込み、夜は静かに更けていく。
夜の静寂はそのままに、彼らの間には一層深い絆が紡がれていた。




