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15話 涙の誓い

 夜の静寂がラナスの居城を包み込んでいた。

 

 月光が差し込む執務室。机の上のろうそくの炎が静かに揺らめいている。

 その淡い光の下、シードは無言で引き出しを開き、一振りの短剣を取り出した。

 

 ――神殺しの剣。

 

 かつて神界から送り込まれた刺客がレジスタンスの少女を誑かし、シードへ向けた凶器だった。

 その刃は青白く光り、神という存在そのものを確実に抹消する鋭い殺意を湛えていた。

 

(これなら……)

 

 シードは剣を握り、刃先を指でなぞる。

 指先に伝わる冷たさは、彼の胸の奥底に沈む絶望と同じ色をしていた。


「神を殺す力、か」


 低く響く声が、無人の部屋の静寂に溶けていく。

 彼は何度も死の淵を超え、無の力さえも跳ね退けてきた。

 

 だが、この小さな短剣だけは違う。


 この刃ならば、不死である自分を終わらせることができる。

 二度と生まれ変わることなく、魂の欠片すら残らずに――。


「僕がいなくなれば、ラナスの人々も、そしてラナスオルも……きっと自由になれるのかもしれない」

 

 そんな思考が、無感情を装う胸の奥に絡みつく。

 それは自己犠牲などではなく、ただの論理的な結論だった。

 

 自分が存在することが、ラナスの秩序を乱し、彼女を苦しめる原因になっているのなら――。


(ラナスオル……これであなたは僕の影に怯えずに、自由に生きられる)

 

 シードは静かに刃を胸元へと向け、目を閉じた。

 ほんの僅かに手に力を込めれば、すべては終わる。

 

 切先が月光に煌めき、肌に触れようとした。

 

 その時――

 

 ――バンッ!!


 扉が勢いよく開かれ、冷たい風が執務室に吹き込んだ。

 振り返る間もなく、シードは耳元で怒りに震える声を聞いた。


「何をバカなことをしているッッ!」


 その瞬間、乾いた音が室内に響き渡る。

 ラナスオルの右手が彼の頬を打ちつけた音だった。

 

 予想外の衝撃にシードはよろめき、手から滑り落ちた短剣が床にカラカラと転がっていった。


 目の前に立つ彼女の顔は、怒りと悲しみで歪んでいる。

 紫色の瞳には涙が滲み、今にも零れ落ちそうだった。

 

 彼女は全身を震わせるようにして叫んだ。


「君が……君がこんなにバカな男だと思わなかった……!」

 

 感情を抑えきれず、声が嗚咽で掠れる。

 シードが体勢を立て直す間もなく、ラナスオルは膝をつき、彼の肩を掴んで激しく訴えかける。

 

「どうしてッ……! なぜそんなことをしようとする! 君がいなくなれば、誰がこの世界を守るんだ! 誰が……私を守るんだ!!」

 

 彼女の声は、痛みと愛の全てを込めた悲鳴だった。


 シードは何も言えず、ただ彼女を見つめることしかできなかった。

 ラナスオルがこれほどまでに取り乱し、涙を流す姿など一度も想像したことがなかった。


 ――自分が消えることで彼女が解放されると思っていた。

 しかし、目の前にいる彼女はまるで魂を引き裂かれたかのように泣いている。


 自分を失うことで、ラナスオルがこんなにも壊れてしまうという現実に彼は初めて気付かされ、言葉を失っていた。


「……すまない」

 

 シードはようやく掠れた声を絞り出し、震える手で彼女をそっと抱き締めた。

 その腕は弱々しく、今にも折れてしまいそうなほど頼りなかった。

 

「僕は……あなたの想いを軽んじていた」

 

 ゆっくりと腕に力を込め、強く抱き締める。


「あなたを悲しませるつもりはなかった。こんな愚かな考えを抱いたことを……謝罪します」


 彼の胸に顔を埋めたまま、ラナスオルは震えた声で叫び続ける。


「君がいなくなれば、私はもう一人で背負うなんてできない……君が私を信じて支えてくれるから、私はここにいられるんだ。君が私を……この世界を捨てるなんて、そんなこと……絶対に許さない……!」

 

 彼女の涙がシードの胸に落ちるたび、その温かさが冷え切った彼の心に沁み込んでいく。

 それは、何度も何度も、彼が自分に許さなかった「救済」の感触だった。


 シードはゆっくりと目を閉じ、深く息をつく。


「……わかりました」

 

 彼は低く囁き、ラナスオルの背中にそっと手を添えるように抱き直した。


「もう二度と……こんなことはしません」

 

 ラナスオルは涙に濡れた顔を上げた。


「絶対だ。私は、君を独りにはさせない。君がどれほど愚かだろうと……君を救うのが私の使命だ……!」


 彼女の決意のこもった言葉に、シードは目を細め、深く頷いた。

 床に転がった短剣は光を失い、ただの無機質な鉄片に戻っていた。

 

 夜の静寂が再び部屋を包む中、二人は互いの体温を確かめるように抱きしめ合う。

 孤独を断ち切るように。共に背負うべき罪も痛みも、分かち合うように。


 月明かりが静かに降り注ぎ、二人の影を優しく照らしていた。

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