9 犯人
ヴィクトリア王国の王太子である第一王子ウィリアムは、両親が年を取ってからようやくできた男児として、蝶よ花よと育てられた。
能力もさほど低くなく、何をしても褒められる日々。
順風満帆の生活は悪くはなかった。
しかし、刺激が足りなかった。
ある日、彼には婚約者ができた。
公爵令嬢であるイザベラ=イリーガルだ。
黒髪に、吊り目がちの淡い水色の瞳をした、顔だちの整った令嬢である。
ウィリアムが彼女と出会ったのは、八歳の頃だ。
彼女はウィリアムを見てもいつも冷たい顔をしていて、高慢で、腹が立つほど優秀であった。そして、なにかにつけウィリアムよりもできる自分を誇示してくる、とても嫌な人間であった。
ウィリアムは、これほど人に腹が立つことはあるのかと、自分に驚いていた。
彼の周りには、彼を蝶よ花よと誉めそやす人間しかおらず、対して彼の婚約者は、彼のことを常々見下してくる。
こんな刺激は要らない。
そのように思い、婚約破棄を願い出ようと思っていた十四歳の在る日のことだ。
来年はヴィクトリア貴族学園に入学するというその年、十五歳のヴィクトリアの誕生日の日に、異変は起こった。
彼女が、カラスにバケツの水を頭からぶちまけられ、そして気絶したというのだ。
「カラス? なんの冗談だ?」
「わかりません」
「……とりあえず、見舞いに行く」
げんなりした気持ちで見舞いに行った先に居た女は、ウィリアムの知っているイザベラとは思えなかった。
「……今まで、すみませんでした」
女は、寝台の上で、正座し、頭を下げている。
ウィリアムは内心引いていた。
本当に、この女は頭を打ったのだろう。
そして、根本的におかしくなってしまった……。
「ちょっと、失礼なことを言わないでください!」
どうやら、ウィリアムの心の声は、思わず口から漏れ出ていたらしい。
それにしても不思議なことに、怒りに震える彼女は、なんだかとても庶民的な様子を見せていた。
感情もすぐに露わにするし、以前のイザベラのように、ウィリアムのことをいちいち馬鹿にしてこない。
なんというか、ただの『面白い女』だったのである。
そしてなにより、この女は変なことを言い出した。
「私、前世の記憶を思い出したんです」
おそらく、本当におかしくなってしまったのだろう。
「前世では、日本で生まれた、しがない民の一人でした」
別の世界の平民の記憶。
そんなものは、さほど役には立つものではあるまい。
そう思ったウィリアムは、頭を打っておかしくなったイザベラのことを内心馬鹿にしていたのだが、意外なことに、彼女の知識は興味深いものが多かった。
魔法の普及したこの国と違い、ボタン一つで利便性を生み出す、電気を使った機械の数々。
民一人一人の教育水準も、わが国のものよりも高く、ヴィクトリア貴族学園のような学園が定食屋のごとく各地に存在し、民は強制的に通わされているのだとか。
まあ、とはいえ、外国の話を聞くのと同じで、その知識があったからとて、なにかすぐに具体的な便利さが手に入るわけではない。
それに、彼女の知識の中で、実現させやすいものは、おおよそがすでに実現されているものだった。マヨネーズ、フライドポテトなどの、料理の類がそうだ。
ただ、彼女はそのうち、預言のような発言をするようになった。
「この世界は、私が嗜んでいた乙女ゲームの世界にそっくりなんです」
(どうやら我が婚約者の妄想は、止まるところを知らないらしい)
イザベラの乙女ゲーム語りを聞いたウィリアムは、初め、頭痛の種が増えたと思った。
しかし、段々と、彼女は未来や隠された事実を言い当てるようになっていく。
豪雨でお茶会が中止になることを予言した。
頑なな態度を取るクラスメートの、心の枷を知っていた。
ウィリアムのやろうとしていたことを言い当てた。
女教師メリンダは金に弱いことを教えてくれた。
教師ザックスは権力に弱いと教えてくれた。
校長ナゼルフィードは手を下さないなら見て見ぬふりをする、事務員ダリアは人に取り入るのが上手く、妹を人質に取ればなんでも言うことを聞く、教師ロードリックは視野が狭く愚昧ですぐに叫ぶ、近衛騎士長の息子は、伯爵令嬢は、庭師は、清掃員は――。
イザベラは、見ていないはずのことを、『乙女ゲームの登場人物』に関する知識として、ウィリアムに対し、得意げに話し続ける。
そうして、ウィリアムが、『もしかしたらこの女は、真に力ある占い師なのでは?』と信じ始めた頃に、彼女は言い出したのだ。
「貴族学園に入学したら、ゲームが始まります。そして、私は悪者にされてしまうんです……私は『悪役令嬢』だから」
彼女は泣きながら、ウィリアムにすがるように、それをねだってきた。
「ウィリアム様、助けてください。ヒロインから……リサリー=リリーベルから、私を守ってくださいませんか」




