13 エピローグ(終)
シルヴェスター王国の侯爵令嬢リサリー=リリーベルは、その日、シルヴェスター王国の自宅の居間で、ぐったりしながらソファの背もたれによりかかっていた。
目の前のテーブルには、大量の手紙が積まれている。
そして、居間のテーブルを一緒に囲んでいるのは、父リカルド=リリーベル侯爵と、婚約者のジルクリフ=シルヴェスター第七王子である。
「いやはや、これはすごい量の手紙だなぁ」
「信じられないわ。これ、本当に、全部私宛ての招待状なの?」
「そうだよ。リサリーがジルクリフ君と婚約していなかったら、ここに婚約の申込書が加わったわけだ」
「ほら、早めに婚約してよかっただろう?」
ニコニコ笑っているジルクリフから、リサリーはサッと目を逸らす。
リサリーは最近、ジルクリフの笑顔をみると、こう、息切れしてしまうのだ。
だから、早めに視界から追い出すに限る。
視界に居なければ居ないで、寂しくて心臓に負荷がかかってしまうので、それはそれで困るのだが、視界に居るほうが多分困るので、これでいいのだ。
「しかし、これだけ注目を浴びてしまっては、このシルヴェスター王国での家業は難しくなるかもしれないなあ」
父リカルドの言葉に、リサリーは、それはそうかもしれないと、机の上の大量の手紙を眺めた。
実は、リサリーの生家であるリリーベル家は、代々、密偵業をたしなんでいるのだ。
家業を継ぐ予定であったリサリーは、幼い頃から父の手伝いをしており、その結果、王族であるジルクリフと面識を得ることとなった。
ジルクリフのおかしなところは、家業を手伝う幼いリサリーに興味を持つだけでなく、自分も密偵業をやりたいと言い出したところだ。
第七王子という、権力に程よく近くて遠い彼の、「リリーベル家で修行をしたいんです」というおねだりを、お得意先であるシルヴェスター王国の国王は快く承諾した。してしまった!
そして、彼がめでたくリリーベル家に弟子入りしたというのが、冒頭、リサリーの入学前のあの日だったのである。
「いやでも、早々にヴィクトリア学園に侵入していてよかったよ」
「……いつから学園内でうろついていたの?」
「お義父さんの仕事を一件だけ手伝って、その後は学園内に執事のジェイコブと一緒に毎日入り浸ってたよ」
「お義父さんって言うのやめてよ!」
「リサリーそれをお前が言うのかい」
真っ赤になって顔を覆ったリサリーに、父リカルドは呆れ、ジルクリフはけらけらと笑っている。
こんなふうに笑っていられることは、とても幸せなことだ。
リサリーはドドドドドと打楽器のような音を奏でる心臓を抑えながらも、ちらりとジルクリフの顔を見る。
ジルクリフは、今でこそこんなふうに穏やかに笑っているが、実際のところ、毎日いじめられているリサリーを見ていた時期は、脳の血管が千切れそうになるくらい常に怒髪天だったらしい。
「お嬢様。ジルクリフ様の調査手帳を見ましたか?」
そう言ってこっそり執事ジェイコブが見せてくれた(いいの?)新米密偵ジルクリフの調査手帳。
その左ページにはリサリーがされたことが日付と時間付きで記録されていた。
そして、その右ページには。犯人の名前――だけでなく、家系図と、その名前の隣に「殺す」「抹殺」「なぜか失踪」「婚約に亀裂」「借金を背負わせる」「取引停止」などという処刑の予定が記されている……。
「怖い」
「人の手帳を覗き見ておいて、そのセリフはひどいんじゃないかな」
「復讐の方法にリアリティがありすぎるのよ」
「あの二人の心をぽっきり折った人に言われるとはね」
くつくつ笑っているジルクリフに、リサリーはまたしてもそっぽを向く。
「――おや、リサリー様。そんな顔をなさっては、ジルクリフ殿下を喜ばせるだけですよ?」
後ろからそう言って、声をかけてきたのは、赤毛に緑色の瞳の、三十代後半くらいの女性。
ダリア=ダイナーだ。
侍女服をまとった彼女は、熱い紅茶を注いだカップを、三人に差し出してくれる。
「ダリアさん」
「はい、お茶ですよ。リサリー様」
優しい笑顔で差し出してくれたお茶に、リサリーはすぐさま手を付ける。
舌をやけどしない程度に熱いそのお茶は、口の中で程よく香り、体の緊張を解きほぐしてくれる。
「ダリアさん、ありがとう」
「ふふ。お礼を言いたいのは、私のほうです」
「いつもそう言うのね。私のほうだって、いつだってお礼を言いたいのに」
くすくす笑いながら、リサリーは、ヴィクトリア学園でダリアと話した夜のことを思い出す。
✿
リサリーが男子生徒達に襲われたあの日。
ダリアは、親に連絡をしたいといったリサリーに対して、皆の前でこう言っていた。
――そうね、もちろんよ。でも、あなたのご家族は商取引のため、あまり自国に居ないのでしょう。男爵家で、伝手も少ないはず。……今日すぐに、この場に来られるのかしら。
あれは、父リカルドがリサリーへ送った手紙の内容を、学園側が知っていること。そして、リサリーから父への連絡は取りつがれないことを、彼女に暗に伝えていたのだ。
そして、当直室でダリアと話をしていたあのとき。
彼女は持っていたバインダーの上の紙に、メモを書きながら話していた。
メモの内容はこうだ。
『私はおどされています。この話も、扉の外の事務員に聞かれています。このままだと、あなたのお父様に、あなたからの知らせは届きません』
それを見せてきたダリアの緑色の瞳からは、怯えと、決意が見て取れた。
『学園側が、あんなことをするだなんて……私がなんとしても、あなたを逃がします。誰に連絡するのが、確実ですか』
こうして、リサリーは、事務員ダリアと警備兵クリスの助けを元に、夜の間に、ヴィクトリア王国内のリリーベル男爵邸に滞在していた執事ジェイコブに連絡を取ることができた。
その連絡を受けた執事ジェイコブは、密偵業に携わる従業員を何人か、夜中のうちにリサリーの護衛として派遣し、翌朝には、ジルクリフをしてリサリーの迎えに行かせた。
ダリアとクリスの助力があったおかげで、リサリーは翌朝、最速で学園から脱出することができたのだ。
翌日もジルクリフは学園に侵入予定で、リサリーの救助要請は、翌日中にはリリーベル家に伝わったことだろう。
しかし、この半日が、あの日のリサリーにはとてもありがたかった。
✿
「結局、そんなに役に立てなかったわ。なのに、こんなにも厚遇していただいて」
ダリアは恥ずかしそうに目を伏せる。
彼女は難病を抱える妹を養うために働いていた。そして、今回の件に際し、ウィリアム達に、妹の命を質に取られていたのだ。妹の治療継続と引き換えに、リサリーに取り入り、悪魔の力を指示どおりに行使させるようにとの使命を与えられていた。
けれども彼女は、決死の覚悟で、その命に反した。
だからリサリーは、彼女の妹の命を、聖魔法で救うことについて、躊躇わなかった。
「妹の命を救っていただいて、親族ともども保護していただいて。私も、こんなふうに雇っていただけるなんて」
「あら。優秀な人材を放っておくほど、私の父は甘くないんですよ?」
「本当に、リサリー様は、お上手ですね。なのにどうして、ジルクリフ様には素直になれないんです?」
「!?」
その言葉に、リサリーは一気に体温を上げ、次いで、横に座って涼しい顔でお茶を飲んでいるジルクリフを見た。
ニヤリと笑った彼を見て、気が付いた。
ダリアが、ジルクリフの味方になっている。
「なに!? ちょっと、なにをしたの、私のダリアさんに!」
「なにをいってるんだリサリー。あの元王子の夢の中で、元公爵令嬢が言っていたんだろう?」
リサリーはその言葉で気が付いた。
ダリア=ダイナーは、妹を人質に取れば、なんでも言うことを聞く……。
「先日はありがとうございました、ジルクリフ様。六歳の妹チェルシーに、素敵なおもちゃを頂きまして」
「いえいえ、可愛い同僚の妹御ですからね、当然ですよ」
「ず、ずるい! ジル、チェルシーちゃんに会ったの!? 私だって会いたかったのに!」
涙目で肩を揺さぶるリサリーに、ジルクリフはされるがままでニコニコ笑っていた。
そんな最中、物寂し気な声が、割って入った。
「……仲のいいところ、悪いんだが、話を聞いてもらえるかな?」
もちろん、声の主は、父リカルドだ。
我に返ったリサリーとジルクリフは、目の置き場に困っている父リカルドの様子に、流石にきまりが悪くなり、赤い顔をして居住まいを正す。
ダリアが頭を下げて退室したところで、リカルドは話を切り出した。
「わかっているだろうけれどね。御影美鈴のことだ」
神妙な顔をしたリカルドに、リサリーとジルクリフは頷く。
リサリー達が貴族牢に居るイザベラを訪問したあの日、本物の御影美鈴の使い魔と思しきカラスを捕獲することに成功した。
しかし、カラスにリサリーが近寄ったところ、カラスの爪が、急激に伸びて、カラス自身の体を貫き、息絶えてしまったのだ。
「あれは、リサリーへの意趣返しだね」
リカルドの言葉に、リサリーは唇をかむ。
リサリーは、ヴィクトリア学園で男子生徒に襲われた際、同じことをした。
通常の魔法が禁じられた女子寮内で、裸にガウンだけを着た状態、密偵業で使う仕込みも全て身に着けていなかったあのとき、リサリーに残されていたのは、秘匿していた聖魔法の力だけだった。
聖魔法は、直接人体に作用することができる。
それは、怪我を癒すということだけではなく、爪を鋭利に伸ばして武器として使うこともできるのだ。
「これがどういうことか、わかるかい」
「あの場に――女子寮に、御影美鈴の手の者が居た?」
「そう。そして、事務員が一人、失踪している。あの、ナターシャという事務員だ。おそらく彼女も、多くの『御影美鈴』の一人だったんだろう。あるいは、本人……いや、これはないか」
首を振るリカルドに、リサリーは思案する。
結局、黒幕は、一体なにがしたかったのだろう。
なにがしたいのだろう。
若い女に、自分の前世が日本人の女性であると信じ込ませる。
他の世界の知識を持つという優位性を与える。
見ていない事実を知ることができているという、特別感を与える。
そんな面倒なことをして、一体なにを得られるというのだろうか。
「カラスの消し方を見るに、とても自己顕示欲が強く、自身家で、優位性を示したがる人物のようだね。そのような人物が普段から平民として潜伏するとは考え難いところだが、ふむ」
静かに物を考え始めた父リカルドの様子を見て、リサリーとジルクリフは黙った。
こういうとき、リカルドの頭の中では、膨大な情報が渦巻いているのだ。
ありとあらゆる人脈、伝手、本人から聞いた情報から噂話まで、何か糸口がないか、思案の海に沈んでいる。
「うん。まだなにを言っても予想にすぎないから、やめておこう。ところで、リサリー」
「はい」
「もう一度、学園に通ってみるつもりはあるかい? シルヴェスター王国内のシルフ学園ではないのだが」
シルヴェスター王国の王子の婚約者であるリサリーが、シルヴェスター王国以外の国の学園に通う。
そこに含まれた意図に気が付かないほど、リサリーは愚鈍ではない。
「いるのね?」
少なくとも、自称『御影美鈴』が、そこには居るのだろう。
そして、『御影美鈴』に対抗するのであれば、聖女の力があるに越したことはない。
「そうだ。だが、このようなことがあったばかりだ。未来の第七王子妃殿下に心労をかけては、私がシルヴェスター国王に叱られてしまう」
「お父さんやめてよ!」
「そうですお義父さん。そんなことをしたら、結婚が遅くなるじゃないですか」
「お義父さんはやめてよ! ……え? 結婚?」
「うん。学園入学なんてやめにして、早急に俺と入籍しよう、リサリー」
「なんで!?」
「そりゃあ、リサリーが好きだからさ」
珍しく拗ねたような顔をしているジルクリフに、リサリーは石造のように固まる。
そして、真っ赤な顔をしてガクガクと震え始めたリサリーに、父リカルドは、呆れ顔をしたまま席を立った。
「まあ、二人でよく話し合うといい。結婚と通学は、両立できるからね」
「お父さん!?」
「お義父さん!!」
騒ぐ二人に、父は構わない。
そうして、散々話し合った結果、リサリーは学園にもう一度入学することにし、ついでに、ジルクリフとの結婚もすることにした。
ジルクリフに押されたからではない。
なんだかんだ、リサリーもジルクリフのことが好きなのだ。
――ヴィクトリア学園のいじめ話 終わり――
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