12 イザベラ
リサリー=リリーベルは、その日、ある人物に会うために、その建物を訪れていた。
それは、貴族の囚人を捕えるための建物だ。
森の奥の石造りの塔で、物理的魔法的に、何重にも鍵がかけられている。
昔は、飛び降りるのは自由にしろとばかりに、窓だけは開け放たれていたようだけれども、最近は空を飛ぶ魔法が開発されたため、一応格子がはめられ、魔法的な鍵もかけられているらしい。
そこに足を踏み入れるのは、ある種の勇気を要する。
人を閉じ込めるための施設の、奥へを進んでいく恐怖。
しかも、そこにいる人物達は皆、隔離される必要のある者ばかりなのだ。
「小鳥の声が聞こえる。建物の意味を知らなかったら、意外とロマンチックな場所なのかしら」
「カラスも居るみたいだけど、ロマンチックの一言でまとめていいの?」
「メルヘンチックに言い替えようかしら。魔女の塔って感じ」
「……お嬢、大丈夫?」
話し相手は、もちろん、ジルクリフだ。
長いまつげの奥で、淡い水色の瞳が心配そうにこちらを見ている。
彼はリサリーの怯えを見逃すような人ではないのだ。
「その格好でその呼び方は止めてよ」
今日の彼は、正装している。
虹色に煌めく銀髪、端正な顔立ちにふさわしい、金糸の刺繍が大量に施された豪奢な黒い騎士服を纏っているのだ。
とてもリサリーの従者には見えない。
リサリー自身も、いざと言うときに動きやすいよう、黒い女性用の騎士服を着ているので、どちらかというと従者はリサリーだろう。
はぐらかすようにそう告げたリサリーに、ジルクリフは肩をすくめた。
「リサリーをお嬢呼びするのにハマってるんだよね」
「ブームが長すぎるわ」
つい頬を緩めたリサリーに、ジルクリフは優し気に目じりを下げる。
その眩しさに、リサリーは思わず手で目元に陰を作った。
「なに?」
「顔がいいのをわかっていてやってる……」
「リサリーの心に刺さるよう、毎日研鑽しているんだ」
「ばかなの!?」
「自分でもそう思う」
顔を真っ赤にしたリサリーに、ジルクリフはくつくつと笑っている。そして、後ろに控えている護衛達も、なんだか生暖かい笑顔を浮かべている。
待ってほしい、違うのだ。
そういうやり取りをしに、ここに来たのではない。
護衛達の微笑みに、リサリーはさらに体温を上げていく。
「リサリー、ほら。あそこだ」
ジルクリフの低い声に、リサリーはピクリと反応した。
見えた扉には、幾重もの封印が施されている。
その奥に居るのは、黒髪の魔女。
イザベラ=イリーガルだ。
ー✿ー✿ー✿ー
イザベラ=イリーガルは、リサリー=リリーベルへの集団不法行為事件が世間に公表されてから時を置かず、このヴィクトリア王国の貴族牢に幽閉された。
実際には、第一王子ウィリアムが彼女を拳で殴りつけたところを、周囲の護衛達に保護され、謹慎の名の下、貴族牢へと入れられ、生家からも見放され、そのままになっているらしい。
「そのままなんてことがあるの」
「ヴィクトリア王国は政権交代で揉めていたからな。司法官僚も、事の発端である彼女を政権交代前に裁くことはできなかった。不用意に近づくのも危ないし、とりあえず放っておいたんだろう」
肩をすくめるジルクリフに、リサリーは眉根を寄せる。
ヴィクトリア国王を初めとする王族は、商取引停止の告知を受けた国際会議の後、一カ月ほど、玉座に居座っていた。
しかし、近隣十か国に取り引きを停止されてやっていけるほど、ヴィクトリア王国は豊かな国ではない。
結局、二週間ほどで周囲の官僚達に、取り押さえられ、王族は皆、貴族牢に幽閉されることとなった。
それから二週間、誰を王にするのかで揉めに揉めた挙句、政争になりそうな所で、ジルクリフの生国であるシルヴェスター王国が、ヴィクトリア王国を族国とする方向でことを納めたのである。
ヴィクトリア王国は二百年続いた王家で、その割と長い歴史を思うと、転覆にかかった時間が一カ月というのは、かなりあっけないものであったと言えるのだろう。
しかし、その一カ月の間、この貴族牢で放置されていた女は、どのように仕上がっているのだろうか。
「どうりで、私達の面会要求が通らないはずね」
嫌な想像をしながら、ため息を吐いたリサリーに、ジルクリフはニコリと笑うと、扉を見た。
「さあ、対決の時間だ」
案内の警備兵が、扉の鍵を開ける。
扉は一枚ではない。
一枚、二枚、そして、三枚目。
開けた扉を、閉めることも忘れない。中に居る人物を、逃がすことはできないのだ。
「この奥に、居ます」
最後の扉の鍵を解除し終えた警備兵は、中に向かって声をかけた。
「ご令嬢、入りますよ」
声掛けと共に、扉が開かれる。
そこに居たのは、美しい黒髪の令嬢だった。
服はみすぼらしい。
頭と腕の部分に穴の開いた一枚の布地をかぶっただけのようにも見える。
長い黒髪は丁寧に櫛を通されているものの、この環境で高級な美容品を用意できるはずもなく、艶を失っている。
しかし、穏やかな微笑み、背筋が伸びたその様は、彼女の凛とした美しさを保たせていた。
婚約者に顔を殴られたという話だが、一カ月の時を経て、傷は無事、跡を残すことなく消えたようだ。
「いらっしゃいませ。……ようやく、助けに来てくださったのですね。私の王子様」
黒髪の令嬢はジルクリフを見ると目を輝かせ、ふわりと立ち上がり、彼に向かって駆け寄ろうとする。
しかし、警備兵と彼の護衛の阻まれ、それは叶わなかった。
周囲を取り囲む無骨な兵士達を見て、黒髪の令嬢は悲し気に目を伏せる。
その仕草の、優雅なこと。
「まあ、なんてひどいこと。運命の出会いを邪魔するなんて」
「……お掛けください、ご令嬢」
「あなた様が言うならば、是非もありませんわ、素敵な方」
ジルクリフの言葉に、令嬢は頷き、そして元々掛けていた長椅子に戻って行った。
その向かいにある長椅子に、ジルクリフのエスコートで、リサリーも腰を下ろす。
ここでようやく、令嬢の視界に、リサリーが入ったらしい。
「とうとうここまで来てしまったのね。ピンク髪の、ヒロイン……」
「お初にお目にかかります、イリーガル様。私は」
「知っているわ。リサリー=リリーベルでしょう。私は、あなたに会う前から、あなたのことを知っている」
穏やかにほほ笑む令嬢の目は、笑っていない。
その姿を見たリサリーは、はあと、ため息を吐いた。
「私は、あなたは何も知らない人だと思っています」
目を見開く令嬢に、リサリーは冷たい視線を送る。
そして、視線をジルクリフに視線を移すと、彼は心得たとばかりに頷いた。
「ご令嬢。改めて、あなたの名をお聞きしても?」
「イザベラ=イリーガルと申します。私、あなたのお名前を知りたいわ。妹様のことは知っていますが、あなたのことはまだ思い出せなくて」
「……妹」
「ジルベルタ様のことですわ」
ゆっくりと、笑みを深める黒髪の令嬢に、ジルクリフは目を軽く瞬いた後、ふわりとほほ笑んだ。
「なるほど。いいですね、お話を聞きたいです」
「ふふ。興味を持っていただけて、嬉しいですわ」
「それで、『妹』のことはどこまで?」
「……お隣の彼女の、侍女をなさっておいでですよね? 私、ヴィクトリア学園内のことを基軸に、未来を夢に見るんです。学園を舞台とした、ゲームの登場人物として……」
「学園の外のことは、わからない?」
「王宮の情報や大きな世情については、ゲーム情報として入ってきます。そして、あの学園は将来重役になるであろう子ども達が学ぶ場です」
「だから、その情報を有益に使えと?」
「頭の良い方なのですね。話が早くて助かりますわ」
ニコリと笑みを浮かべた令嬢の目は、自信できらめいていた。
なるほど、彼女は自分の利用価値を信じているのだ。
だから、婚約者に殴られ、一カ月もの間、この塔に閉じ込められ、家族が誰も面会に来なくても、折れることがない。
「しかし、あなたのその予知夢。この塔に入ってからは、途絶えているのではありませんか」
ジルクリフが、ピクリと震えた令嬢のまつげを見逃すことはなかった。
「あなたが未来予測を始めたのは、カラスにバケツの水をぶちまけられてからだとか」
「そうです」
「前世が、おありだとか?」
「はい。私は前世で、日本という国に生まれた平民でした」
「そのお話、詳しくお聞きしたい」
「もちろんですわ」
「あなたの前世のご両親の名前は?」
「え?」
虚を突かれたように、黒髪の令嬢は目を見開く。
「ご両親の、お名前です。フルネームでお願いします」
「ええと……御影……、苗字は、御影、で……」
「それ以上は、わからない?」
「……」
「どのような方でしたか?」
「…………優しい、人達で」
「見た目は?」
「……く、黒髪…………」
「ご兄弟姉妹はいらっしゃいましたか」
「……一人っ子です」
「小学校の名前は?」
「えっ」
「中学校、高校の名前は」
「こ、高校は、ジオラルタ清新女学園です!」
「大学受験はどこを受験しましたか。高卒ですか? お仕事は何にお就きに? ご結婚は?」
「だ、大学受験……?」
「あなたは前世で、何歳でお亡くなりになりましたか」
「……………………」
「知らないでしょう」
ジルクリフの言葉に、黒髪の令嬢はようやく、穏やかな笑みを消した。
「なにが言いたいのです」
「あなたの前世は、御影美鈴ではありません」
「……根拠もなくそのようなことをおっしゃるなんて。前世のこととはいえ、すべてを思い出せたわけではないだけで」
「前世が御影美鈴であったと主張する令嬢は、複数存在する」
時が止まったかと思った。
それくらい、令嬢は動かなくなった。
二分後、ジルクリフの言葉を咀嚼したのか、令嬢はゆっくりと口を開く。
「そのような、虚言を」
「信じられないのも無理はない。私も父から、この一カ月前に知らされたばかりの情報です。聖女の婚約者としてね」
そう言うと、ジルクリフはちらりとリサリーに視線を投げた。
リサリーは、取り合わなかった。
だって、別に、こんなときに、こんな相手に、そんなことを言わなくてもいいではないか。
真っ赤になってそっぽを向くリサリーに、ジルクリフは心底楽しそうにほほ笑んでいる。
「まあ、あなた様ともあろう方が、そのような危険な存在の隣に身を置かれるだなんて。私、放っておけませんわ」
一方的に寄り添ってくるその声に、ジルクリフは露骨に嫌そうな顔をして、声の主を見る。
「私にとっては、あなたのほうが危険な存在なのですがね」
「なにをおっしゃいます。私はあなたのお役に立てますわ」
「あなたという存在は、私にとって利にはなりえませんよ」
「どうしてそのように?」
「あなたの持つ情報は、さして役に立たないからです」
「……情報の価値は、随時私が教えて差し上げます」
「いえ、そうではなく。あなたの持つ情報は、あなたでなくても知りえるものばかりなのですよ」
「え?」
不意を打たれたような表情をする令嬢に構うことなく、ジルクリフは淡々と語り続ける。
「そうですね、あなたはウィリアム=ヴィクトリアのやりたいことを言い当てたとか……まあ、あのわかりやすい人物の考えを見抜くなど、多少傍に居れば簡単なことでしょう」
「他にもありますわ。女教師メリンダの弱点や、教師ザックス、校長ナゼルフィードの人格だって」
「そんなものは、人間観察をしていればたいてい見抜けるものです」
「豪雨でお茶会が中止になることを!」
「要するに天気予報ですね。……あなたは、誰かが探偵ごっこで手に入れた知識を、夢で見せられていただけなのですよ」
「前世の知識がありますわ!」
「御影美鈴を自称する令嬢達は、全員、そのように主張しました」
令嬢は、口をつぐんだ。
その顔には、焦りが窺える。
ようやく、自分の置かれた状況を理解し始めたのだろう。
「前世が御影美鈴だと主張する令嬢が、同時に複数存在する。根拠は、夢で見ただけ。彼女達全員が御影美鈴だと考えるより、誰かに御影美鈴の記憶を夢で見せられていたと考えたほうが理屈が通ります」
「夢で記憶を見せる? そのようなこと、できるはずが!」
「あなたは、人の精神に影響することのできる存在を、知っているではありませんか」
ここでようやく、令嬢は、リサリーを見た。
その淡い水色の瞳は、冷たく燃えるような、苛烈な炎を称えている。
リサリーはしかし、その視線に動じることはない。
「聖魔法……!」
「そう。聖魔法ならば、それを用いて精神に作用したならば、そう思い込ませることだってできる。調べた知識を、ゲーム仕立てで教えることもできる。そして、他人の記憶を、自分のものだと思い込ませることも」
「……そういう、理屈も、成り立つかもしれないけれど……」
「他の理屈がありますか?」
黒髪の令嬢は、震えながら、口元を抑え、目をきょどきょどと動かしている。
おそらく、自分の今までの記憶を探っているのだろう。
夢で見たもの。
得た知識。
前世の記憶。
ウィリアム=ヴィクトリアに伝えた情報。
イザベラ=イリーガルだけが、夢で知ることができたはずの、情報、は。
「違う」
ギラリと輝く水色の瞳が、リサリーとジルクリフを捕える。
「私は、本物よ。本当に、真実を見通す、予知夢を見ることができる」
「そうですか。ちなみに、私に妹はいません」
愕然とするその表情に、リサリーはある種の感情が胸の内に沸いてくるのを感じる。
「『妹』の真実の姿を、あなたは知らないようだ。そして私が誰なのか、それも知らないのですよね?」
「……あなたが、学園内に居なかった、から」
「ちがいますよ。あなたが、この塔に入ってから一度も、その予知夢とやらを見ていないからです。この建物は、聖魔法を通さない」
「だから、なんだって言うの」
「あのカラスの力が、あなたに届かないということですよ」
それだけ告げると、ジルクリフは窓辺にいるカラスを目で指示した。
カラスはジルクリフの視線に驚いて、その場で羽ばたこうとする。
けれども、上から網が降ってきて、断末魔のような悲鳴を上げながら、地面に向かって落ちていった。
多少怪我はして居るかもしれないが、あの様子なら、無事に捕獲できたことだろう。
屋上で待機していた部隊が、やり遂げてくれたのだ。
「あのカラスが、なんだというのです」
「あなたに夢を見せる役割を果たしていた。本物の御影美鈴の、使い魔です」
ジルクリフの水色の瞳と、イザベラの水色の瞳が、交差する。
ふと、イザベラはその場で失笑した。
「あなたの話は、面白いですね。とても面白い。素敵な、魅力的な、創作です」
「まあ、どのように思われても構いません」
「予知夢が見られていたら、あなたの名前を知っているだなんて。とても自己評価が高いのですね」
「久方ぶりに見つかった聖女の、婚約者ですからね。私の名前と立場を知らない者は、新聞の届かない田舎住みの者と、牢に入った犯罪者ぐらいのものなのですよ」
ぎり、と歯噛みした令嬢を、ジルクリフはふっと鼻で笑う。
「行こうか、リサリー」
「待って」
意外にも制止の声を上げたリサリーに、ジルクリフは目を丸くした。
「うん? こんなところに、まだ用があるのかい?」
「私、この人に聞きたいことがあるのよ」
リサリーがイザベラに向き直ると、イザベラは怒りと、妬みとに塗れた顔でリサリーを見ていた。
「あなた、なぜこんなことをしたの?」
「……なぜ、ですって?」
「乙女ゲーム、だったかしら。イザベラ=イリーガルは、リサリー=リリーベルに陥れられる……それが本当だとして、ここまでのことをする必要はなかったでしょう?」
イザベラのなにがどのように陥れられるのかは、どうでもいい。
ただ、無実の罪で陥れられる、濡れ衣によって社会的評価を失う、と言うことなのであれば、リサリーを単純に排除するだけでよかったはずだ。
リサリーの入学を、拒めばよかった。
または、王太子であったウィリアム=ヴィクトリアの信用と信頼だけを勝ち取るだけでもよかった。
なのに、この令嬢は、その選択肢は選ばなかった。
「なぜ、私を入学させたの? 私を、いじめたの? 私を痛めつけて、言うことを聞かせようとしたの?」
「……私が指示したのではないわ。勝手に、ウィリアム殿下が行ったのです」
「でも、あなたも学園の生徒だった。それをずっと、見ていたわ。でも、止めなかった。それはなぜ?」
リサリーの静かな問いに、令嬢は答えない。
答えを、知らないからではない。
答えが、あまりにも、醜いから。
「人を黒塗りするのが、楽しかったんですよね」
ふふふ、と笑ったのは、リサリーだ。
「困っていると告げただけで、守ってもらえる。親に、教師に、婚約者に、王子に、国王に。みんなに守ってもらえて、それが、自分ではない女を排除する力になる。行われているのは、あまりにも理不尽な行為で、不合理なもので、だけどそれは、自分が愛されて尊重されているが故に行われているものなんですもの。理不尽と不合理が許される存在になる――とても、気持ちが良かったでしょう」
目を細めたリサリーに、イザベラは眉根を寄せた後、あざ笑うように吐き捨てた。
「どうかしら」
「私は、理不尽は嫌いです。あなたのお陰でね」
「そう」
「けれど、私はあなたに仕返しをする理を持っているのです」
目を見開くイザベラに、リサリーはためらわない。
「イザベラ=イリーガル。あなたがどれだけ、己が真の予言者だと信じたとしても――私が人生を通して、あなたを只人なのだと、世間において黒塗りして差し上げます」
リサリーは席を立った。
隣に居たジルクリフは、目を丸くして、自身の婚約者と、わなわなと震える黒髪の令嬢を交互に見た後、笑いながら立ち上がる。
そうして、二人は貴族牢を立ち去った。
彼女達が部屋を出ていくまで、部屋を出て行ってからも、黒髪のただの令嬢の意味不明な叫びが、貴族牢の中に響き渡っていたという。
あと一話でヴィクトリア学園のいじめ物語は完結です。




