10 正義を振りかざす蜜の味
イザベラ曰く、リサリー=リリーベルは傲慢で、ヴィクトリア学園で奔放にふるまい、多数の男を落とし、その淫らな性根を『力』を振りかざすことで帳消しにしようとするとんでもない女性なのだとか。
「力?」
「はい。彼女には力があります。それを持つのは一億人に一人と言われる希少なもの。火、水、地、木、金の五属性の外側にある力なのです」
その力を使うと、人の体や精神に直接影響を及ぼすことができるらしい。
「そのような恐ろしい力が……!?」
「はい。……ですから、私はどのルートでも、いつも、無実の罪で処刑されることになるのです……」
そっと伏せられた水色の瞳を、ウィリアムはとても愛らしいと思った。
自分を頼っている、か弱く、特別な存在。
それはきっと、自分が特別だからに他ならないのだ。
なんという刺激だろう。
「僕がなんとかしよう、イザベラ」
ウィリアムの一言で、輝くその表情に、ウィリアムはこの上なく愉悦を感じた。
そうだ、これは正義のためなのだ。
国に害を及ぼす、精神操作を行うであろう、恐ろしい人物を、ウィリアムの力で退治する英雄物語。
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「……ああ、なるほど、そういうことでしたか」
ふと気が付くと、ウィリアムは真っ白な世界に一人、佇んでいた。
いや、一人ではない。
彼の背後には、もう一人、そこに立っている者がいる。
ピンクブロンドの髪に、海色の瞳が特徴的な、若い女だ。
そう、その人物のことを、ウィリアムは知っている。
名前は――。
「リ、リリーベル!」
「犯罪者に呼び捨てにされるほど、私は堕ちていないのですよ」
「は!? は、犯罪者……だと……」
醒めた目で、その海色で、彼女はウィリアムの心を貫こうとしてくる。
そうだ、この目は見たことがある。
あのとき、図書室で向き合ったのだ。
ウィリアムを裁こうとする、不遜で傲慢な目。
「なにを言うか、私は正義のために動いているのだ。犯罪者はお前のほうだろう!」
「正義、正義。正しい義。理、ですか」
「……そうだ。なにがおかしい!」
「いえ、ね。閉鎖的なヴィクトリア村の村長さんの因習を語るお姿は、なんとも面白いなあと思いまして」
「我が王国を侮辱するか!」
「王国を侮辱しているのはあなた方の行為ですよ」
ウィリアムの怒りは、目の前の女には響かないようだ。
特別で、正しいウィリアムの行為が、響かない。
その事実が、なによりも憎々しく、うとましい。
「ああ、いいですね、その表情。最低です」
ふわふわと笑いながら、女はくるくるとその場で楽しそうに回る。
白い世界で、彼女の白いスカートが、花弁のように揺れている。
「人は正義のために人を裁く行為に、快楽を感じるそうですよ」
空に伸ばされた彼女の手は、白い世界に溶け込んでしまいそうなくらい、白くて細い。
「私を追い詰めるのは、さぞかし気持ちが良かったでしょう。権力を使い、『正しい』ことのために、人を追い詰めていく。自分の力が影響し、私が追い込まれていく様を見るのは――とても、愉快だったのでしょう」
違う。
そう言いたいけれども、言葉にならない。
言われた言葉に、覚えがあるからだ。
あのとき、みじめに泣いているこの女を見て、心に芽生えていたのは、同情ではなく。
「本当にその目的は『正しい』ことなのか。その行為は、目的のために行為なのか。その行為自体に、正しさがあるのか。……目の前の快楽のためであれば、それはもう、考える必要のないことなのですよね。閉鎖村の村長さん」
考える必要がない?
……そうだ、そのとおりだ。
だって、ウィリアムの行為は正しいものなのだ。
悪を罰しなければならないのだ!
正しさのために、必要な権力を使い、人を飼いならす。
ともすれば理の外にある精神魔法を使うであろう『悪』の心を折り、国に仕える従順さを植え付ける。
相手が悪い人物なのだから、多少事を荒立てるのは仕方がない。
ウィリアムの行為は、とても素晴らしいことなのだから。
「あなた方にとっては、とても素晴らしいことなのでしょうね。とても恐ろしい因習村だこと」
「私達にとって、ではない。国にとって素晴らしいことだ!」
「多くの国は、多くの民は、そうは思わないのですよ。民はあなた方の行為による利だけでなく、追い詰められた人物にも共感するのです」
「……は?」
「いつ自分が、理不尽に虐げられるかわからないではありませんか」
ウィリアムを見つめる女の目には、冷えた怒りが浮かんでいる。
「だから皆、理不尽を、嫌うのです。被害に共感し、怒るのです。そして、あなた方のやったことは、理不尽に集団で私の権利を摘み取るものでした。あなたはみんなを怒らせた」
「……一個人の権利など、国の大義の前では!」
「それが『因習村』のやり方だと言うのですよ、お猿さん」
「それ以上の愚弄は許さんぞ!」
「そうですか。私も、許しません」
ウィリアムと女は、真っすぐに向き合っていた。
にらみ合う二人の間には、越えられないなにかがある。
「復讐は、蜜の味。仕返しをする正義の理を、私は手に入れましたよ、ウィリアム様」
無垢なほほ笑みを浮かべる女に、ウィリアムは自分が、手を固く握りしめていることに気が付いた。じっとりと手に汗がにじんでいる。
「あなたがした行為を、あなたに理解させてあげましょう。世界が認める正義に基づき、あなたは悪なのだと知らしめて差し上げます」
「ふん。クーデターでも起こす気か? 男爵令嬢ごときが!」
「いつまでその口が続くか、楽しみにしていますよ」
そうして、女は白い世界に溶け込むようにして消えてしまった。
そして、ウィリアムの意識も、世界に溶けて消えていく。




