第11話 入団
スラムに帰還したアルハは、早速試験官のもとに向かう。待ち受けていた試験官はアルネステロのそばにいた部下の人であるようだ。
「ふむ。バッジと旗よし。蝋燭の状態も確認」
アルハがバッジ、旗、蝋燭の三つを揃えて試験官に提出すると試験官はそれを厳密に確認する。やがて受け取った物の吟味を終えると試験官は試験のクリアを告げる。
「よかろう。三次試験突破だ。暫し後ろで待機していろ」
試験官が淡々と述べるとアルハは、指示通り待機場所に向かう。するとそこには、いつもの面々がすでに揃っていた。
「おかえり」
聞き馴染みのあるその声を聞いたアルハは、仲間たちの元へ赴く。
「もう全員揃ってるみたいだね」
「私もここに着いたばかりだから、そんな待ってたわけじゃないよ」
「1人も欠けなくて良かったぜ。私も運良くアキナと出くわさなかったら、危うかったかもな」
「どっちかの火が消えてもズルできたもんね。試験官に見せた時は問題なさそうな反応だったけど、違反とかになってないかな?」
「良いんじゃねえか?こういう戦略も臨機応変さに含まれてるだろ」
不安を感じるアキナと対照的にリーノは、無問題と笑い飛ばす。能天気な気質のリーノの言葉は気休めにもならず、より一層不安が高まるアキナだったがそこにタリマがフォローを入れる。
「実際大丈夫だと思うぜ?俺も何も言われなかったし、こういう行為は試験の範疇として罷り通ってるはずだ」
「タリマも誰かと協力したのか?」
「いや、河川敷に火打石があるからな。再点火にはそう困らなかったな。同じ考えのやつも何人かいたはずだ」
この辺の地形情報や特性がからっきしであるアルハとアキナはそんな方法もあったのかと感心する。
「私も同じ」
ファノが同意するとだよなとタリマが共感する。
「へー。僕は考え付かなかったや。2人はやっぱ賢いね」
アトルが褒め称えるとタリマが何度も頷き、さらなる称賛を渇望するかのように鼻を高々と掲げる。
「まぁ、俺レベルともなれば突如カルネスト組の組員が現れてもその窮地を切り抜けることができる頭脳があるからな」
「組員が?」
「そうだ。浮浪者側の特権で組員を一時的に味方にできる制度があったらしい」
「そんなものが……どうやって切り抜けたの?」
アトルが尊敬の眼差しでタリマを見る。あそこまで豪語したのだから、さぞ奇想天外で予想もできないような駆け引きがあったのだろうと予想するが期待を下回るようにタリマは、あっけらかんと言う。
「賄賂を渡したら見逃してくれたぜ」
「わ、賄賂?」
「一次試験でアルハから貰った金で買収したら快く退避していった。流石に肝を冷やしたが上手くいったみてェだった」
「そうなんだ。いや、すごいけど……やっぱタリマだしね」
期待はずれの事実であったがアトルは、誇示している本人の手前落胆した様子を見せるわけにもいかず苦笑を浮かべる。
皆で和気藹々と談笑してきたところ、ふと試験官のそばにあった蝋燭の火が消える。蝋が溶け切ったようだ。時を同じくして今までこの場にいなかったアルネステロが悠然と現れる。
「失礼。書類を取りに行くために一時席を外させてもらっていた。さて、今この場にいる人物たちが三次試験の突破者だな」
試験を突破したと思われるか人物は、アルハ達を含めて20人程。アキナは最初期と比べて随分減ったものだと感慨に浸る。
「題目では三次試験だが、この試験は事実上の最終試験だ」
その言葉にこの場いる者達の心臓が期待に跳ねる。
「つまり三次試験終了と同時に諸君らは、たった今入団資格を得た。まずは諸君らにとって記念すべきこの日に祝福を。快く迎えよう同胞達よ」
アルネステロとそばに控えている付き人達が鷹揚に拍手を送る。そして受験者達も皆、破顔して胸を躍らせた。歓喜のあまり涙ぐむ者も現れる程だ。
「では、入団登録の前に最終確認を行う。名を呼ばれた者から前に出よ」
住民票と試験を突破した際のサインを照合して確認を執り行う。
嬉々として前に出る者を見て微笑ましく思うアキナだったがあることに気づき途端に顔を青くする。
「そう言えば私たち住民登録してなくない?」
「あ」
その言葉にアルハが思い出したかのように声を漏らす。
「失念してた」
「だよね。どうしよう」
「今この場で住民登録も行えたりしないかな?」
次々と名前を呼ばれ、確認を取れた者達が増え続ける。やがてファノ達の確認も終わり2人が取り残された。
「おや?これは……」
アルネステロの手が止まる。戸籍に載ってない者の名前の署名に戸惑っているように見える。アキナは、意を決してアルネステロに話しかける。
「あのー、すみません。私たち住民登録の手続きの前に入団試験を受けてしまったんですけど……今からでも間に合いますか?」
「2人分の個人情報が戸籍謄本に記録されていないと困っていたが、君らか」
「本当は今日の昼頃に届出する予定だったんでけど、試験を優先してしまって」
「ふむ。難しい事案だな……私の裁量では判断しかねる。一旦法務課に連絡を取るから待っていてくれ。一先ず名前はアキナ、そしてアルハで間違いないな」
「そうです」
「このスラムに立ち会った時の状況も併せて聞かせてもらおう」
「時間帯は昨日の夕方。それで友人に仕事の関係者として保証人になってもらってこの街に来ました」
「保証人となった友人というのは?」
「私」
ファノが控えめに挙手してアルネステロの前に出る。
「時間帯はアキナの言う通り。その時勤務していた門番の人にファノという名義で申請した」
試験官は片手に達筆なメモを取る。忙しなく動かしていた筆を休ませるとメモを懐にしまう。
「……了解した。少し待っていてくれ」
小走りで去っていくアルネステロを待つこと10分程。なにやら書類を持って帰ってきた。
「確認が取れた。入団手続きの前に住民登録を先にやってもらおう」
そう言って2人に差し出された書類と滑らかな流線型の万年筆。受け取った2人は街灯に照らされた木箱の上で各項目欄を埋めていく。氏名や生年月日、家族構成、続柄、住所または仮住まい住居などを記入していく。
「これで良いですか?」
アルネステロは、2人から返却された書類の筆記要項を視線を左から右へと動かしながら記入漏れがないかしっかり確認する。
「一旦預かろう。あの頑固な司令部の連中が受理してくれるか分からないが……できるだけ口添えはしておく」
明日の朝迎えを向かわせるから帰って良いぞと言伝を残しアルネステロは、去っていった。
「これで良いんだよね?」
「さぁ?」
アルネステロの不穏な言葉に恐々としながらも2人は、待ってくれていたファノ達と共に家に帰った。
帰ってすぐ深夜帯まで活動していたこともあって皆は、疲れから就寝してしまっていた。
そして夜が更けた翌日。
皆が今か今かと組員の来訪を待ち構えていると、どこか聞き覚えのあるリズムで扉をノックされた。
「俺だ。ザイニルだ」
「はい。少し待って」
ファノが軽く返事をして扉を開けるとそこには、紛れもない取り立て屋のザイニルが立っていた。
「もしかして組からの迎えというのは……」
「そうだ。俺だ」
ザイニルは気さくに笑って白い歯を見せる。
「いやー、まさかお前らが試験に受かるとはな。朝突然上司がここの宅に迎えに行けって命じてきて驚いたぜ」
「舐めてもらっちゃ困るぜ。俺たちゃかなりの実力派だって自負してるんだからよ。そこいらの大人なんかに負けないさ」
「言うじゃないか。しっかし昔から付き合いの長い可愛げのあるガキ共が今じゃ後輩だ。嬉しいような心配なような複雑な気分だ」
感傷に浸っているのか腕を組み空を見上げて遠くに目線を向ける。
「何はともあれ困ったことがあったら頼ってくれよ」
アルハ達は、スラムの中で際立って大きな豪邸に案内された。鋼鉄製の門扉の前には、見張りが立っている。
「俺だ。新人達を連れてきた」
「ん?あぁ、お前か。入って良いぞ」
見張りは、変わり映えのない立ち仕事に茫然としていたのかザイニルが声をかけると目を擦りながら返事をする。
「おい。いくら暇だからって今日ぐらいは毅然としてろよ。門番の第一印象で組の威厳が決まるんだぞ」
「悪い悪い。昨日夜更かししちまったせいで眠くてよ」
悪びれもなく飄々と頭を掻いている門番。
「お前らが新人達か。そう身構えなくていい。カルネスト組はいいとこだぜ」
「はいはい。お前達はコイツみたいになるなよ」
ザイニルは門番を押し除けて門を開くと敷地内に入っていく。アルハ達も敷地内に踏み込み近場で見る巨大な豪邸に圧倒されながら、ザイニルについていく。
「今まで遠目でしか見れなかったけど扉まですごいでかいね」
玄関の前に立つとアトルは、建物だけでなく自分たちの倍以上ある観音開きの扉に息を呑む。また扉には左右対称の紋様が描かれていて意匠が凝らしてあることが分かる。
「昔の役所を丸ごと拠点としてリフォームしたからな。少し小綺麗なのもその名残だ」
皆が新天地への期待を胸にいざ扉が開けられると、まず目に飛び込んできたエントランスの広大さや見たことない程の華美な装飾に感嘆する。
誰もが言葉を失う中、慣れ親しんだザイニルだけが淡々と歩く。そうして案内されたのはある一室だった。
「失礼します」
簡素かつ清潔な部屋には、人事部の局長と名乗っていたアルネステロが山のような書類の向こうで事務作業をしていた。
「来たか」
アルネステロは作業机から接客用の長机へと移るとアルハ達を反対側の席に座るように促す。
「先ずは挨拶をしよう。ご存知の通り人事部の責任者であるアルネステロだ」
アルネステロは、人数分のカラスの紋様が描かれた青色のバッジを取り出すと丁寧に机に置いた。
「諸君らがカルネスト組の一員であることを証明するバッジだ。下から紫、青、赤、金、白金、黒と序列を表すためのものでもある。階級で言うと下っ端、エリート、リーダー、局長、幹部、若頭、組長と分かれる。この敷地内にいる間はそれをつけていろ」
アルハ達は、バッジを受け取ると肩口から下の方に身につける。
ファノは、受け取ったバッジと階級についての説明を照らし合わせて疑問が浮かぶ。
「私たちのバッジは青色みたいだけど、下っ端からじゃないのは何か理由が?」
「それについてなんだが、諸君らの配属先と序列を擦り合わせる必要があってな」
アルネステロは、膝を組んでその上に軽く両の指を絡ませた手を置く。
その時丁度支給係のような人が人数分のティーカップを配膳してきた。失礼のないように音を立てず持ち手の向きを揃えて机に並べていく。紅茶の品のある甘い香りが鼻腔をくすぐる。
新人の分まで並べ終えるとお盆を片手に抱えて恭しく一礼し去っていった。
「面接官でもある私が入団にあたっての説明担当を任されているが、今回は面接は免除とのことだ。その代わり役職や配置についての編成も我々が一任されている。諸君らも分かってることだろうが決戦は近いからな。今回の入団者の適正と人手が必要な部署を鑑みて大至急で割り当てを行わせてもらった。よって本人の希望通りにいかないこともあると思うが……それを踏まえて話を聞いてほしい」
ファノ達が頷いて了承を示すと、それを見たアルネステロは、一口ティーカップに口をつけてから話を続ける。
「諸君らが配属されるのは実働部隊だ。本来ならば数々の任務をこなし下積み時代を終えた者が、部隊に入るための訓練を受けて漸く配属される仕組みなのだが、如何せん精鋭ばかりを集めたがために人員が欠如していてな」
困ったように眉間に皺を寄せるアルネステロ。人事部としての苦悩が思い起こされたのだろうか。
「そこで特殊精鋭部隊とは別にある工作部隊を新設したのだ。諸君らの着任する部隊は、第二独立遊撃部隊と言う。言ってしまえば統率力や結束力は欠落しているが、腕に覚えのある者を掻き集めた烏合の衆だな」
酷い物言いだなと紅茶を啜りながらアキナが心の中で呟く。
「しかしいくら腕に覚えがあると言っても、基準を設けず主観で判断してもらっては困る。故に着任条件に序列が青色以上であることを義務付けたのだ。諸君らが新人でありながら下っ端からのスタートではないのはそう言うわけだ」
「では、俺たちが所属する部隊は何名で構成されているのですか?」
「8人だ。規模としては分隊程度だな。任務や指令は、実働部隊を取りまとめる隊長から下るはずだ。分隊のリーダーに指定はないからそこは諸君らが話し合って好きに決めるといい。他に質問はあるか?」
「いえ」
タリマが皆の様子を見ながら首を横に振る。
「詳しいことは現地で聞くといい。エンバー」
「はい」
先程の給仕係の名が呼ばれると、返事をしてアルネステロの側に立つ。
「彼らの案内を頼んだ」
「お任せください。どうぞこちらに」
ファノ達は立ち上がり案内に従って退室した。その時鋭い目つきでアルハ達を品定めするように睨んでいたのをアルハは見逃さなかった。
空間の角まで掃除が行き届いているのか埃が一切積もっていない清潔な廊下を歩く。連れてこられた場所は、廊下の奥の方の部屋だった。
「こちらが皆様方の活動拠点です。集合や会議の際にお使いください。部屋には同僚となる人を既に案内してあるので、まずは顔合わせをすると良いと思いますよ」
丁寧な口調で説明すると組員は、役目を終えたとばかりに一礼をしてこの場を後にする。
ファノは、ドアノブを握りそっと扉を開ける。
「失礼しまーす……」
アトルが緊張からか腰を低くして室内に足を踏み入れる。
「やっとお仲間が来たかと思ったらなんだこのガキ共は?実はここは子守部隊だったのか?」
軽薄そうな青年が腰に手を当ててニヒルな笑みを浮かべている。その離れた場所には、物静かに佇む青年と同じ背丈の女の姿があり、どのような感情か判断の付かぬ瞳でアルハ達を見ている。
「出会い頭になんだよ!私らとやろうってのか!?」
「リーノ。落ち着いて」
青年の売り言葉に憤慨するリーノをファノは、左手で制する。
「ハッハッハ!威勢は良いみたいだな!やっとこさこの組織に入れたんだ。邪魔だけはしてくれるなよ」
哄笑と煽りに部屋の空気が一変し、一触即発の雰囲気となる。リーノ達の青年に対する初対面での印象は最悪であった。
その凍りついた空気に罅を入れるようにドアが開かれる。そこから顔を見せたのは、青年よりも更に背丈が高く顎に無精髭を生やした貫禄のある大男だった。年は40代半ばほどだろうか。金色のバッジを身につけた隊服のコートをマントのように羽織り新米である部屋の一同を見下ろす。
「喧しいな」
青年は、途端に萎縮し先程までの高笑いは鳴りを潜める。
「俺は、実働舞台の隊長を務めるブロッサムだ。この部隊に入ったからには、これからは敬意と規律を重んじろ」
腹の底から響くようなダンディーな声。ブロッサムの冷たくも威圧的な言葉に部屋が鎮まりかえる。
「今日は俺が赴いてやったが任務の依頼の際は、俺の補佐官が連絡を入れに来るはずだ。任務がない時は好きに行動してくれて構わないが、秩序を乱す真似はするな。部隊の風紀を壊さぬよう、最低限の礼節を持って振る舞いを心がけろ」
ブロッサムは返事を待たず同じ素材、色、柄の作業服を床に放り投げる。
「これがお前らの隊服だ。サイズは適当に見繕ってあるから、もし合わなかったら俺に言え。着替えたら5分以内に建物を回って裏庭に集合しろ。以上だ」
ブロッサムは、部屋中に沈黙を残して去っていく。彼が去ってから暫くして胸が圧迫されるような空気感から解放される。緊迫感が消え去り皆一息つく。
「ふぃー。おっかねぇな……あれが隊長か」
青年は、開口一番畏怖を込めて言葉を口にする。強がりなのか、痩せ我慢なのか。平然を取り繕う青年の言葉の節々が震えているがそれでも口角が上がっている。
一同は、人目を憚って隊服を貫頭衣の上から着ると急いで裏庭に向かう。建物から出て壁面を一周するようにいくとそこには、訓練場があった。木刀が何本か立てかけてあり、使い古された巻藁が側に置いてある。
集合場所には、他の班の人達が同じように浮き足立って密集している。
「こら!貴様ら!何を突っ立っている!サッサと班ごとに一列に並べ!」
どこからか年若い成人男性の声が響く。ここからでは見えにくいがアルハ達のある場所の奥の方から聞こえたみたいだ。声の発生源を起点としてそこから波及するように皆列を作っていく。
「前方に特殊部隊!そして後方に遊撃部隊!左から第一部隊、第二部隊、第三部隊と整列しろ!」
「はい!」
野太くも気合に満ちた返事が木霊すると、すかさず前方に足先一つ淀みのない綺麗な横隊が作られる。間違いなく彼らが熟練の特殊部隊なのだろう。
それを見た新米達もお互い声をかけながら辿々しく列を作る。
「なんかマフィアと言うより軍人みたいだな」
「シッ!静かにしろ。私語を慎まないと先輩方に怒られるぞ」
周りがごった返す中、第二部隊である彼らは急いで左翼に向かう。スルスルと人混みを避けて青年を先頭に並んでいく。
時間にして5分ほど。整列が完了し皆が姿勢を正して静止する。誰1人一言も話すことなく落ち着かない雰囲気にそわそわする者や、ボーと流れに身を任せて時が過ぎ去る者に分かれる。
そんな中ブロッサムが現れ、こちらに相対するように仁王立ちをする。
「実働部隊!整列完了しました!」
「ご苦労」
1人の代表者が前に立つブロッサムに報告すると無駄一つない洗練された動きで隊列に戻っていく。
「不慣れな中俺が来るまでに整列が完了していたことは、褒めてやろう。各自の立ち位置を記憶して次からは、30秒以内にこの形を作れ」
「はい!」
前方の隊列から空気を振るわせるほどの返事が轟く。その後出遅れたように後方の列からもまばらに返事が聞こえた。
「時間がないから余計な前置きはせん。今日は入りたての若造共が多いと聞く。その中には、異例の入団試験を突破した者もいるらしいな。しかし手取り足取り教えてはキリがない。今日は、合同演習にて実際の作戦行動に向けての訓練を行う。精鋭部隊の者共はいつも通りこなし新人らはその動きを見て学べ」
「はい!」
「まずは準備運動から。副隊長の指示に従うのだ」
ブロッサムは、練習風景全体を見渡せるように身を引く。先程から隊列の指示を出していたのは副隊長だったようで彼が声を張り上げて指揮を取る。
「基礎トレーニングを開始する!全員十分なスペースを保って散開しろ!」
副隊長の合図を皮切りに早速トレーニングが開始される。そこからが想像を絶する程の地獄であった。
手始めに筋力増強として腕立て、腹筋、背筋、スクワット。そこからプランクやレッグレイズなどの体幹トレーニング。何回何セットやったかも朧げな最中、更に追い込みをかけるかのようにランニング。まさに軍隊さながらの過剰とも言えるほどの練習量であった。
特殊部隊の組員達が粛々と取り組む中、後方の新人達は、そのペースについていけず次々と音を上げる。
手を抜いたり、休憩を挟んだり時間が経つにつれて脱落する者が増えていく。最初は食らいついていけた者も真面目にやり切ろうとした者も、己の筋肉が限界を迎えやはりダウンしてしまう。
「ゼェ……ハァ……」
これが……準備運動?
裏庭を周回するランニングが20週目に差し掛かる頃には、アキナの足が言うことを聞かなくなっていた。周りの仲間達も同様に足を引きずるように走り、周りの大人達も同様だ。
明らかに……度を越してる。
数々の新米達を追い越すベテランの組員達。自分たちを平然と抜き去っていくその様子に周回遅れが生じているのだと多くの者が自覚する。
「残り3周!」
永遠とも感じられる程の時間がようやく目前まで見えてきた。そう自己暗示して俄然やる気が湧出してきたアキナ達は、自分がここまで挫折しなかったことを讃えながら最後の最後まで走り切った。
「ゼェ……ゼェ……」
「やっとか……死ぬかと思った」
タリマが立っていられず膝をつく。走り終わった後の彼はいつもの負けず嫌いな気性や態度が鳴りを潜め、足が痙攣して生まれたての子鹿のようであった。気丈なアルハやファノでさえ膝に手をついて頭を下げながら過呼吸になっているのだ。他の仲間や大人達だって汗をとめどなく滴らせ倒れ伏している。この死屍累々の様子がどれほど過酷なトレーニングだったかを物語っているだろう。
しかし、仲間達は誰1人脱落することなく全員走り切ったのだ。思えば、仲間達が走り続けているのに自分は諦められないと言う競争心のようなものもあったかもしれないとアキナは、茹でられたように熱気が籠りジンジンと脈打つ頭で考える。
「基礎トレーニング終了!これより休憩に移る!」
精鋭部隊と銘打つだけあり、彼らはこのトレーニングを終えた後も極限まで疲弊し切った様子を見せていない。名ばかりの集団では決してないようだ。
指示を終えると副隊長がその風格を一切崩さず新米達のそばにやってくる。品評するように新米達を見渡すとアルハ達を指差す。
「ここからそこまでの奴。なかなか見込みがあるじゃあないか」
副隊長が指で囲むように範囲を指定する者の中には、アルハ達を含む僅かな者。その共通点は恐らく訓練を正規のペースでついていけた者達であろう。
「次の実践訓練はお前達も精鋭部隊と一緒に受けろ。他の連中は、帰ってもらって構わない。暫く肉体の強化に専念するか、遊び呆けるかお前達の主体性に従うがいい」
それだけ言い残すと副隊長は、踵を返して同僚達の元に向かっていく。組織の実態から実力主義の精神論じみた思想の持ち主かと思えば、自主性に任せる考えも共存しているというチグハグ具合に熱血なのか冷徹なのか分からなくなってしまう。
「くそ〜……こんな地獄みたいな訓練をまだ強いられるのか」
そう口にするのは、第二部隊の青年だ。意外にも浅慮で調子に乗りやすそうな彼だが、根気強く基礎トレーニングについてきていたらしい。
「うへ〜……こんな頑張ったのに……」
早く訓練を終わらせたかったアトルにとっては、一生懸命過酷な試練を乗り越えて気持ちよく終わりを迎えるつもりだったのに、その頑張りが裏目に出てしまった気分だろう。
「にしても性格悪いな」
「何がだ?」
「だってよ……まず初回にやることが合同練習だぜ?アイツら手っ取り早く実力を品定めするだけじゃなくて、俺たちに格の差を思い知らせるつもりだったんだ。つけ上がらせないようにな」
「確かに。見せつけてるんじゃないかってくらい余裕綽々としてんな。スパルタ指導かと思いきや、遅れを取る者に体罰も叱責もしない無干渉スタイル。私らのことなんて眼中にないみたいだった」
タリマの言葉にリーノは先輩らを焦点の定まらない白い目で見る。軽口を叩けるくらいに図太さは健在のようだ。
「休憩終了!続いて実践演習に移る!各自6人1班となり集合しろ!」
地獄の宣言に、期待されてしまった有望株達が回復し切ってない体に無理やり言い聞かせるように、千鳥足で演習の場に向かうのだった。




