第10話 閉幕
雑木林を抜けたアルハは、男を哨戒兼囮として前に歩かせてその後ろを歩く。蝋の溶けた量を確認したアルハは、そろそろ旗を発見したい頃合いだと迫る制限時間に危機を覚える。
丁度その頃だった。山岳地帯を歩いていると岩陰から男が顔を出す。
「何だお前?」
「あ、いや、自分は何処かに待ち伏せにいいスポットはないかどうか探している者で。決して怪しい者では」
「ここはもう俺の縄張りだ。どっか行け」
アルハは、先行させた男が何者かと接触しているのを山道の岩陰から眺める。必死に弁明する男は旗の情報を引き出そうとさりげなく質問をする。
「すいません、すぐ場所変えますんで。あの……もしかすると、旗がこの先にあったりするんですかね」
「ああ?何でお前に言わなきゃなんねぇ」
アルハは、男が謙った態度と間延びした口調で時間を稼いでくれている間に岩陰に隠れていた男の元へ近づいていく。
「自分もバッジ欲しいですからね。そうだ!ここはお互い協力し合うなんてどうでしょうか?」
「お前みたいなヒョロい奴なんて何の役にたつってんだ?いいから早く消えろよ」
岩陰に隠れていた男は、目の前の男の鈍臭さと胡散臭い話術のペースに乗せられだんだんと苛立ちが見え始める。アルハは、男の気がこちらから逸れていることを確認して近距離へと背後から忍び寄った。
「でも自分、この辺の知識や地理情報に詳しくてですね。きっと意外にも役に立つと……」
「うるせぇ!サッサと消えろっつってんだろ────」
アルハは、質量のありそうな石を拾うと激昂した男の後頭部に叩きつけた。怒りのままに捲し立てていた男の言葉は、途絶しそのまま地面に倒れ伏す。
もしかしたらこの騒ぎを嗅ぎつけてこいつの仲間や新手が出現するかもしれないと警戒する。しかし依然として音沙汰なく目に映る人物は、激昂した男の威勢に萎縮して尻餅をついた男の姿だけであった。
「ありがとう。同志とはいえ正直ちょっとビビったよ」
「状況を見るに仲間が出てくる気配はない。あの男の反応がこの先に旗が設置されていることを示唆しているのかどうかだけど……アンタはどう思う?」
男は、嘘をつくわけでもなく明言したわけでもない。ただ威張り散らかすだけの威圧的な態度で質問の返答を誤魔化していた。アルハは、この先に旗がある可能性を感じつつも念の為男の見解も聞いておくことにする。
「そうだね……コイツの否定とも肯定とも取れないあやふやな回答からするに僕的には、この先に旗がある気はしてるよ」
「そっか。じゃあこんなとこに座ってないで早く前に進んで」
山道の緩やかな坂道を越えて台地に辿り着く。短く生え揃った草は過疎的で大地の黄土色が火に照らされて目に映る。
そして水の流れる音。流動的な水流に星々の煌めきが反射されている。どうやら川もあるらしい。
「この先に滝がある。隠すにはうってつけだし行ってみる価値はあると思うよ」
男の後ろを歩き滝の元までやってくる。滝といっても瀑布のような大規模なようなものではなく、何処か風情を感じる水簾であった。
渓流のさざれが心地よく夜風に溶け込むように響く。
「あっ!旗あるよ」
男が指を刺して言う。その言うとおり確かにその方向に旗が見える。暗くて分かりづらいが浅瀬から旗の布の部分が顔を出している。
「ホントだ。見張りいるかもしれないし偵察行ってきて」
「人使い荒いな……」
男は、コソッとアルハに聞こえないように愚痴を吐く。ここで反抗しても仕方がないので素直に従いはするが不承不承と面倒くさそうな表情を浮かべる。
すると男が旗に近づいたところで一人の伏兵が木の枝から飛び降りて襲いかかるように踊り出る。
「おわ!」
衝撃で尻餅をつく男。そしてそのまま器用に手と足を動かし這うようにして後退りする。
「まんまとかかったな!生きて帰りたきゃバッジをよこしな!」
「ま、待ってください!僕貧民街の者じゃありません!ほら!バッジも持ってないでしょ!?」
そう言って身振り手振りで丸腰であることをアピールする男。
「あぁ……?確かに覇気のない奴だな?だったら何だよお前は?」
「何だってそりゃ、旗のあるスポットで待ち伏せしようとしてたら貴方がいきなり飛び出してきたんですよ」
「そうか……まぁ、同胞のよしみだ。早く行けよ」
男は、ホッと胸を撫で下ろし急いでこの場から立ち去ろうと踵を返す。が、襲撃者の女がそれを制止するように男の肩に手を置いた。
「とでも言うと思ったか?頭の良い私は気づいたぜ。ライバルは一人でも減らす方が得策だろうがよ」
一瞬で男に緊張感が張り詰める。言葉の意味と女がこれからする行動に察しがついた男は肩に置かれた手を払いのけるように、トップスピードで走り出した。
「おら!待てよ!」
男は自分だけで太刀打ち出来るわけがないと、アルハに助けを乞いに必死に目を凝らし探すが見つからない。
「何処行ったんだよ。アイツ……!」
監視もなく野放しにする少年とは思えない。自分を偵察に向かわせて何処かこの周辺に隠れているはずと当たりをつけ男は、同じ場所を周回するように逃げ回る。
「チョコマカと!サッサと降参しろよ!」
「ヒェ〜!勘弁してくれ」
男にとって今の状況は、狩人に追いかけ回される兎のような気持ちだった。女の暗闇の中で垣間見える嗜虐的な笑みが余計そうさせるのかもしれない。
丁度振り返りながら逃げていた男は、目の前の何かに衝突する。
「って!」
よそ見をしていたせいで木にでもぶつかったのかと思った男。しかし、衝撃と質感は固くざらついたものではなくむしろ、弾力のある肉質なものだったような……と、男が嫌な予感を胸に前に向き直す。
「なんだお前らは?」
頭上から聞こえる底冷えする野太い響き。視線を上に泳がせるとそこには、自分を見下す厳つい顔面があった。
「……!」
後ろには追いかけてくる女。目の前にはいかめしい男。絶望のあまりに言葉を失う男をよそに目の前の男は、女を睨みつける。
「騒がしいと思って駆けつけて見れば、両方ともバッジ保持者じゃないのか。こんなところで一体何を戯れている?」
「戯れねぇ〜……まぁ、ずっと待ち伏せしてても暇だったからさ。コイツのことちょっとからかってやったんだよ」
戯れで追いかけ回されていたなんて冗談じゃないと思いつつも、男はこの状況に一息つく。
両者に面識はないらしく赤の他人であることは間違いない。目の前の男はか弱い男など眼中にない様子で、女は屈強な男の登場に動揺している。このまま強者同士で潰しあってくれれば万々歳だと男は心の中でお祈りする。
「それよりここの場所は私が最初に目をつけたんだぜ?」
武力行使での消耗は避けるべきだと女は、穏便にこの場から立ち去るよう諭す。
「俺の知らない間に新たなルールが追加されたわけでもあるまい。それはお前の都合だろう?」
「おいおい、勘弁してくれ。物分かりが悪いな。ここで私ら同士が軋轢を作るより後にきたアンタが別の場所を探す方が建設的だろ?」
「競争の目的を履き違えているな。俺たちが必要としているのはバッジだ。旗はそれを得るための手段に過ぎない。お前にとって旗はそんなに重要か?」
どちらも譲らない論争。腰のひけた男は、発言の主へと視線を右往左往させる。即刻この火花が飛び散る場から立ち去りたいが、変にこちらに気を向かせたくないため下手に動くことができない。
「はぁ……この会話自体が無駄か。バッジの所持者がいないことに変わりがないのであれば、どうでもいい」
「……私も白けたぜ。持ち場に戻るかぁ」
凍りついた空気が和らぐ。両者の板挟みにあっていた男は、肩の力を抜きさり気無くこの場から離れる。
「あ!」
女の突然の大声に安堵していた男は、ビクッと肩を震わせる。
「は、旗がなくなってる!」
浅瀬を見れば確かにそこに刺さっていたはずの旗が抜き取られている。
女が恐ろしい剣幕で気弱な男に詰め寄ると、矢継ぎ早に問答する。
「おいまさかテメェがとったんじゃないだろうな!この場には私たちしかいねぇし!お前さっき旗に近づいてて怪しかったし!テメェだろ!テメェがやったんだな!?」
「まさか!貴女に追いかけられていたのに、いつそんな暇があったと言うんです!?」
男は、そんなはずがないと即座に否定する。しかし、少し考えれば分かることだ。この場で詰め寄られる男にだけ心当たりがある。
それは、自分が女の気を逸らしているうちにアルハが持ち去ったと言う至極当然の発想。
その肝心の張本人は旗を入手した後、もうこの場から立ち去っていることだろう。男はやり場のない理不尽に思わず叫ばずにはいられなかった。
「と、とばっちりだぁ!!」
諍いに巻き込まれた男など意に介さず旗を回収するという目的を達したアルハは、コッソリと迂回してこの場を立ち去る。そのままスラムへと直行すれば、蝋燭の火も絶えることなく無事試験はクリアとなるだろう。
しかし物事はそう上手くは進まないとでも言うように、前方から人の気配を感じた。
「……」
アルハは、面倒だと思いつつも木の枝に垂直に跳躍して片手で掴むとそのまま片手の腕力で枝によじ登ってその場をやり過ごす。
アルハは、この大人の動向が気になり暫く見守る。
「俺じゃない第三者に奪われたことを少しは、考慮してほしくてですね」
未だに嫌疑をかけられている男は、必死に説得を試みている最中のようだ。しかしここで自分と行動を共にしていた少年のことを具体的に示唆してしまうと、自分もその一味だと誤解されてまた話が湾曲しかねないので彼のことは話せない。そんなもどかしさにヤキモキしているところに先程の3人組が訪れる。
「なにやら興味深い話をしているようですね」
「あ?誰だよアンタ?」
「私は、ラノットという者です。貴女たちと同じしがない浮浪者ですよ。盗み聞きするつもりはなかったのですが……あなた方の話が偶然耳に入ってきましてね」
ラノットと名乗った男は浮浪者にしては珍しい紳士的な口調で言い争いを仲裁する。
「と言ってもこんな所で騒ぎ合うあなた方もどうかとは思いますがね」
「いや、私はなぁ」
その言葉を聞いた女が自分の正当性を主張しようとするが、それをぶつ切りにするようにラノットが口を開く。
「言い訳は結構ですよ。それより今の話が本当に第三者の介入があったのだとしたら、早く探したほうがいいです。今ならそう遠く行ってないはずですから。ここは二組になり手分けして探すのはどうでしょうか?」
「妙な行動をしないかお互いに監視しつつ第三者とやらを探すってことか?」
厳しい面の男が腕を組みながら確認する。
「飲み込みがいいですね。その通りです。それでそのものを捕まえた者がバッジを取得する。どうでしょうか?」
「シンプルだな。私はそれでいいと思うぜ」
「僕もそれでいいかと思います。これで容疑も晴らしたいことですし」
突如現れた男の提案に皆が賛同していく。厳しい男も3人組の内二人も頷き、最終的に全会一致にまとめ上げる。
そして迅速に行動を開始する浮浪者たち。
結託して自分を見つけ出そうとしていると知ったアルハは、彼らをせせら笑うように逃亡する。上った時の映像を逆再生するように枝から地面に着地すると蝋燭を懐に隠して台地から去る。このまま順調にことを運べる……筈であった。
アルハは、木々を抜けた先に複数の大人達を発見する。来た時は囮役がいたお陰で人気のない場所を選んでスムーズに移動することができたが、今はそうはいかない。この先は身を潜められる障害物が少なく、もしこのまま進めば見つかってしまう可能性が高い。
あの男を見限るのは早まったか……いつ大人達と遭遇するかもわからない。なんとか一掃したいな。
旗を持っている者を捜索している大人達が脳裏に浮かぶ。そこでアルハは、機転を効かせることにした。
アルハは、木に身を潜めながら蝋燭だけを晒し出す。
蝋燭の発光に気付いた者達が獲物を見つけたとばかりに距離を詰めてくる。
そのまま身を隠して大人達を川辺へと誘導していく。捜索メンバーがこの近辺にいることを確認したアルハは、旗とバッジを置いて蝋燭を隠し自身の存在を隠した。
「光が消えた……?」
不可解な現象に困惑する大人達。一人の男が先んじて忽然と光源が消えたその場所に向かうと無造作に旗とバッジが置かれているではないか。嬉々としてバッジを拾う男の元に先程の伏兵の女とアルハと行動を共にしていた男が現れる。こうして計画通り引き合わせたアルハ。
「いたぞ!お前か!」
「な、なんだ急に!おわっ!」
女は出会い頭に問答無用と言わんばかりに無実の男に襲いかかる。
「おいおい!バッジも持ってるぜ!本当にクロだったみたいだな」
「え?」
事情を知っている男は、バッジを持っている人物が少年のはずではないのかと混乱する。
思わぬ所でバッジを手に入れ舞い上がる女に先程アルハが引き連れてきた者達が飛びつく。
「寄越せ!」
「どけ!それは俺のだ!」
「な、なんだ!?どこから!?近寄るなよ!」
大人達がもつれ込み、たった一つのバッジを懸けてひしめき合う。
その様子を窺っているだけの大人も熱に当てられ、先を越されてはたまらないと騒動に便乗していく。
思い切ってバッジと旗の両方を餌にして彼らを争わせる事に成功したアルハ。作戦通り共倒れを誘発していく。バッジだけを狙う者、旗を盗んだ輩を探す者、あるいはその両方。陣営ごとに抱えている事情を知らないが為に誘導も濡れ衣を着せることもアルハにとって容易であった。
バタバタと人が倒れ伏す中、バッジの所在だけは見失わないようにアルハは必死に目を凝らす。混戦の拍子にバッジが紛失しては困る。しかし、バッジ目掛けて戦いあう大人達を見る限り今の所その心配はなさそうだと判断する。
仮に見失った上で紛失したとしても誰かが見つけ出し拾い上げたところをまた奪うこともできると割り切るアルハ。
「ハァハァ……守り切ったぞ……」
結果としてバッジの紛失は杞憂に終わった。
一人勝ち残った女は全身泥に塗れ、薄汚れた様相をしながらもどこか誇らし気な表情であった。
「これで私は───」
アルハは、頃合いを見計らい木の枝から用心深く飛び降りると、女の背後に回って石を頭に思いっきり叩きつけた。頭から全身に駆け巡るような激痛に呻き声を上げ女は気絶する。
アルハは、石を適当に放り投げてバッジを回収する。続いて旗を収集しようとした所で一人の男が先に拾い上げる。
「お前か。この騒ぎの元凶は」
先程臆病な男が脇見をして衝突した男。どこかで様子見に徹する者もいるだろうと予想していたアルハは、特段驚くことはなかったようだ。
「子供相手に手荒な真似はしたくない。バッジを手渡してくれれば見逃してやる」
「どういう考え?」
子供相手に暴力を払いたくないと言う建前とバッジを譲渡すると言う条件。何を対価として釣り合わせるつもりなのかとアルハは、疑問で仕方なかった。
しかしそれ以上に伏兵の存在の有無が気になるアルハは、開けた場所に移動することを提案する。
「話し合いがしたいなら場所を移そう」
相手の返事を待たずアルハは、相手に背を向けて歩き出す。
それを欺瞞か、挑発か。自分が舐められていると感じた男は背後からアルハに不意打ちをする。
先程の慈悲をかける発言は何だったのかとアルハは、踏み込む際の地面と靴の擦れる音で相手が仕掛けてくると分かるとステップを踏むように軽快に振り返る。
「警告はしたぞ」
しかし目と鼻の先まで既に繰り出されている拳。男は当たると確信。拳が頰に触れアルハの首が捩れる。
「!」
しかし男の表情は芳しくはない。確かに相手に触れたと思った。だが、まさに紙一重触れただけの感触。自分が直撃を与えたと言う手応えを感じられなかった。
スリッピングアウェーの要領で先行して首を捻り衝撃を受け流すことでアルハは、被弾のダメージを実質ゼロに抑える。
相手は動揺している。そこにすかさずノールックで左フックを相手の顎に叩き込む。
予想外の反撃に男は全く反応することができず衝撃をモロに受ける。意識を失いかけ膝が曲がったところにアルハは、相手の懐に入りボディに左フック、返す刀でガラ空きの顎に左アッパーと目にも留まらぬ速さで繰り出す。
アルハが芯を捉える手応えを感じて相手から距離を取ったところで男は前に倒れ伏した。
周囲を確認し伏兵が忍んでないか警戒したのちアルハは、旗を回収しようとしゃがみ込む。
「ま……待て」
旗を拾う寸前、先程豪快に崩れ落ちた男が、意識を手放すまいと歯を食いしばりアルハに話しかける。
「まだ意識あったんだ」
自身の詰めの甘さを反省すると共に、相手の強靭な精神に感嘆する。
視界がぼやけるほどの眩暈と倦怠感に襲われているであろう中、確かにその眼光の失われていない瞳はアルハに向けられている。
「まさか俺が……こんな子供に。何が起こったか全く分からなかった」
男は、立ちあがろうと腕に力を込めるが上手く体を起こすことができず苦心している。
「立とうとしなくていいよ」
「なにを……!」
自身の未熟さに忸怩たる想いで拳を握りしめる男。
アルハは、悲嘆に暮れる男を見下ろすように片膝をついて旗を回収する。それに並行して男に小声で耳打ちをする。
「────」
男は、その内容に驚いたように目を見開く。
「じゃ、旗は貰ってくよ」
「トドメは刺さないんだな」
「今のあんたは脅威じゃないから」
アルハは、吐き捨てるように言うと、悠々とそのまま立ち去っていった。
「行ったか」
男は、アルハに囁かれた内容を反芻するように何かを含んだ声音で呟く。アルハの背中が夜闇に紛れて消えると、背後に今まで倒れていた筈の誰かの気配を感じた。
「ご無事でしたか」
「あぁ。心配なら無用だ」
先程の言い争いの仲裁と打診をしてくれたラノットと名乗った男だ。男は差し出されたラノットの手を拝借してなんとか立ちあがる。
「バッジを巡って争い合う愚か者に混ざり、気を失ったフリをして漁夫の利を狙っていたのですが、まさか貴方がいとも容易くあしらわれるとは思いもよりませんでしたよ」
「バカにしにきたのか?」
「そんな恐れ多い。貴方の判断力と戦闘力を過小評価してるわけではありません。貧民街の出身者は狡猾で、実力も私のような貧相な者と違って折り紙つきですからね。しかし、あんな成熟もしてない子供ですらあの技量とは末恐ろしいですね」
クックと喉を鳴らしてその呼気に余裕を含ませる。
「ここでどうでしょう。協同してあの子供に一泡吹かせると言うのは?彼は蝋燭のせいで片手は塞がり走って逃げることもできない。おまけにこちらからは位置が簡単に把握できると言う三重苦。いくらあの少年が実力者と言えども、私たちが2人がかりで仕掛ければ、あちらが苦戦を強いるのは必至です」
「バッジの所有権は、どうするんだ?」
「苦渋の決断ですが……貴方に差し上げます。恐らく私が戦闘に寄与できるのは、ほんの僅かの筈です。その代わりサポートには徹するつもりですよ」
「条件は?お前の分のバッジ探しの手助けをしてやればいいのか?」
「そこまで貴方の手を煩わせるようなことはしませんよ。とっておきの秘策があるので」
何処か高慢かつ自信気に胸を張り秘策があると断言するラノット。しかし男は秘策について深く言及することなく差し当たりないように質問をする。
「そうか。ところでお前は、この試験の参加にあたって何の権利をもらったんだ?」
ほんの一瞬だがラノットの瞳が揺らぐ。
「……そうですね。協力するのだから話した方がいいですよね。私は旗の位置が事前に知れる権利を貰いましたよ」
「そうか。仮に組織員の助力を要請できる権利だったらより確実だったと思うのだが……無い物ねだりをしても仕方がないか。それに、自分たちの実績が試験の最終評価を決めるらしいからな。組員の手を借りてしまっては評価点が下がりかねない」
「そんなルールがあったのですね。ちゃんと聞いてませんでしたよ」
「聞く?ルールの概要は書面に記載されていただけのはずだが……」
「おっと失礼。言葉の綾というものです。正しくは読み込んでいなかったですね」
「意外と杜撰なところもあるんだな」
「お恥ずかしい限りです」
男は、額の汗を拭い苦笑いを浮かべる。男の話題が終わると、どこか安堵したように肩の力を抜いた。
「では、そろそろ向かいましょうか」
ラノットが痺れを切らして急かすように言う。
「そうだな。……ん?」
「どうかしました?」
男の閉じた口から不意に漏れた疑問符に、ラノットが過剰に反応する。
「お前の肩に白い粉のようなものがついているぞ」
「え?」
「落としてやるから、少しじっとしていろ」
自身の肩を念入りに確認するラノットに男が近づく。
「ありがとうござ───」
言葉を紡ぎ終わるまで待たず、男はラノットの肩を掴むとそのまま木の幹に体を突き飛ばし押し付けた。
「ぐっ!何をするんです!?」
「墓穴を掘ったな。ルール説明は口頭で合っていた。書類なんて真っ赤な嘘だ」
ラノットに誘導尋問を仕掛けた男は、目の前の男の正体について一つの確信を得た。
「何のつもりですか!?」
「お前、貧民街の受験者だろ?」
男が胸の底に確証を秘め、怯えて挙動不審になっているラノットを鋭い双眸で射抜く。
「それ以外にもお前の曖昧な回答からして、浮浪者側の特別ルールを完全に把握しきれていないはずだ」
ラノットは、激しく動揺した後自身の正体を見破られたと認識するや、すぐに両手をあげて降参の意思を示す。
「そうです。隠していたことは謝りますよ」
深呼吸をして、自信の冷静さを取り戻しながら相手との対話を試みる。交渉の余地ならまだあると、ラノットは震える口の端を無理やり押さえつける。
「しかし、そちらに対する害悪は微塵もありません。現に作戦が終了次第遺恨の残らないよう、正体を明かすつもりでした」
「本当にそうか?」
「ええ、もちろんですとも。よく考えてください。貴方が欲しいものはバッジ。私が欲しいものは旗。そしてその両方をあの少年が持っているのですから、お互い争うことなく譲り合うことができるはずでしょう」
「何故最初から正体を打ち明けなかった?」
「私と貴方は試験上敵対関係にあるでしょう。信頼もない相手にいきなり正直に腹を割って話すより、私自身が味方であると言う体で対話を望んだ方が作戦の遂行が滞りなく進むと思ったからです」
「一理あるな」
「なら」
男の説得に希望を見出して、ラノットが雄弁に交渉を改めて開始しようとしたところで男は、半ば強引にラノットの懐を漁る。
「待ちなさい!話を聞くのです!」
「その反応。どうやらバッジは、手元に所持しているようだな」
「私と貴方を手を組めば、間違いなく少年に雪辱を晴らせますよ!苔にされたことが悔しくはないのですか!」
「勿論辛酸を舐めさせられた気分だが、俺の本来の目的は、あの子供を打ち負かすことじゃあない。浮浪者の俺にも力負けする賢しいだけのお前と、知謀と戦力両方兼ね備えたアイツのどちらを敵に回すか。無論、お前も前者を選ぶだろう?」
「くっ!下衆が!」
ラノットの化けの皮が剥がれ落ち、その本性が垣間見える。しかし、抵抗も虚しくラノットの内ポケットに忍ばせていたバッジは、男に強奪されてしまう。
「礼を言おう。非力なお前が自身の人身掌握術を過信して俺の前に姿を現したことを」
「返せ!お前のような下劣で穢らわしい浮浪者風情が触れていいものではない!」
「見苦しいな。虚勢はよせ。俺がお前になぜ正体を明かさなかったのか問いかけた時、お前は信頼を理由に言い訳していたが、本当は自分の実力に自信がなかったからだろう。先程からそうだ。俺に協力関係を持ちかける前の時点で同士討ちと漁夫の利に期待して、自分だけ保身のために隠れていたんだ」
「貴様に何が分かる!?」
完璧に被っていた猫の皮を脱ぎ捨てた彼は、最早開き直ってしまったのだろう。隠して否定し続けてきた自身のコンプレックスを指摘され、最初出会った時からは考えられないほどの恐ろしい剣幕で、怒鳴り散らかす。
「大方、あの子供が俺に敗れると期待したのだろう?俺が目当てのバッジを持ち去った後、図々しく我が物顔で旗だけ持ち帰ろうとしたはずだ。だが急遽予定を変更して即席でこの茶番を思いついたことについては脱帽する」
男は、トドメの一撃とばかりに背後に言い放つ。
「お前程度の者でも貧民街は、生きていける場所だと知って安心した」
「この!先程から減らず口を!」
ラノットは、緩まった拘束から力づくで脱出すると、男の頰を怒りのまま殴りつけてそのまま脱兎の如く走り去っていった。男は、痛がる様子も赤く腫れ上がる心配も見せず、全力で走り去る男の背中を見守る。
その様子を見た男は、少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「言いすぎたか?まぁ、これであの少年が逃げ切る時間稼ぎは出来たはずだ。悪く思うなよ」
男は、入手したバッジを片手に握り締めこの場から立ち去っていった。
先程の騒動にかこつけて多くの大人が不在になってくれたおかげで、誰とも接敵する事なく山道を下ることができたアルハ。
道中の警戒を一切怠ることなく歩を進め、スラムの入り口に辿り着いた。
『あの丁寧語の男。スラムの受験者だよ。鎌でもかけてやれば勝手に自滅するはずだから、足止めしといて』
アルハは、ラノットが誰とも争う素振りを見せず1人でに蹲っていたのを見ていた。誰の目から見ても怪しい行為であり、極め付けにラノットはバッジに対して全くの関心を示さず転がる旗のある一点のみを見つめていた。女が勝ち取った時もアルハがバッジを拾った際もラノットはまるで動き出す気配がなかった。全ては旗の入手のために様子を伺っていたにすぎない。
つまりラノットは浮浪者のフリをしたスラムの受験者。そう結論づけたアルハは、最後まで残った男にその情報を与えて2人が自身を追う動機を喪失させ、逃げ切るまでの時間を稼いだのだ。
そこまで推理されているとも知らずラノットは三文芝居に興じていたわけだが、アルハにはあの場にいた2人の行く末など知る由もなく興味もなかった。
アルハは、凛とした背筋で必要な物を完備して試験官のもとに歩いていった。




