7話
フォンスマン戦後からも魔物は変わらず出現していたが、フォンスマンほど苦戦する相手は出てこず、ボスールも加護をもらったことからほとんど流れ作業のように魔物狩りの日々が続いていた。
そんな日々に変化が訪れたのは戦後5日目のことだ。前日の夜から魔物の数が少なかったが、5日目の午前中は6匹程度、午後はすでに昼食後2時間が経過しているが1匹も出現していない。
「……出ないな」
「……出ないですね」
泉の縁に立ちながらアッシュもボスールも手持ち無沙汰に泉を覗き込んでいる。元は澄んでいたはずの水は濁り、その奥に微かに人々が投げ込んだ色々な物の影が見えていた。魔物の気配はするので、時々動いている影は恐らく魔物だろうと予測が出来るが、上がってこないのではどうしようもない。
「うーーん、もしかしてなんですけど、最近ボワ様の加護で神力が上がったので、この辺りの表面が浄化されまくってるから出てこられないのかもしれないですね」
神力満ちる神聖な場所は神の領域、あるいは神の加護を与えられた領域。穢れた存在である魔物は立ち入ることも発生することも出来ない。本来であれば泉の中もその対象であるのだが、汚れ切ってしまっているためその限りではないようだ。
「一回泉全体に浄化の術をかけてみます? 魔物の気配が減るなら続けてやっていけばその内終わるかもしれませんよ」
いい案を閃いたとばかりにボスールは表情を明るくして提案する。それはいいかもしれない、とアッシュも同意したので、ボスールは両膝と横に広げた両手を地面についた。祈りを捧げれば、彼の中で徐々に神力が膨れ上がっていくのを感じ取れた。
しばしの後、泉の上に光の円が現れ、そこから降り注ぐように光が零れ落ちていく。泉の中を覗き込んでいたアッシュは、魔物の影と思しき存在の動きが鈍くなったのを、あるいは比較的浅い所にいた影が消滅したのを確認した。
「おっ、効果あったみたいだぞボスール。消えたやつがいた」
「ほんとですか? じゃあ俺このまま何回か頑張ってみます。もう少し範囲絞って深くまで落とした方がいいですか――ね……」
効果があると知ってボスールはさらにやる気を見せる。ここまで魔物が活発だったのもあり退治はアッシュに頼り切りだった。浄化で役に立っていた自覚はあるのだが、それはあくまで後片付け。ボスールも退治をしたいと密かに思っていたので、この機会は逃せない。
とはいえ、湖と見紛うほどに広く深い泉を一気に浄化するにはまだボスールも力不足だ。相談するような気持ちでアッシュを見上げ――絶句する。いつの間にかアッシュが上裸になり準備運動を始めていた。腰に下げた大きな網の袋が不安を煽る。
「…………アッシュさん、つかぬことを伺いますが何をやってるんでしょう?」
「お前が魔物を浄化してくれている間手持ち無沙汰だからな。湖に潜ってゴミでも拾ってこようかと」
「お忘れでしょうが投網は地上からゴミを集めるために持ってきました! 魔物捕縛用でも潜水用でもありません!」
喋りながらも飛び込もうとするアッシュの腰に抱き着き必死に止める。全力で締め付け全体重をかけているのに、「心配するな」とアッシュは暢気なままだ。この大樹に抱き着き引っ張ろうとしているような無謀感と無力感は一体何なのだろう。
「せっめってっ、神聖術受けてから行ってくだっ、さいっ!」
神聖術、と言われ、ようやくアッシュの動きが止まった。ボスールはアッシュを離し一息ついてから何をしたいかを説明した。
まずは空気の神に祈りを捧げて全身を覆う。呼吸もそうだが、この穢れた水の中で目を開けてしまったら失明の可能性があるのでそれを避けたい。次に大地の女神に祈りを捧げ足裏に安定感を与える。水中に間違いなくいる魔物に咄嗟に対処出来るようにしたい。音の女神に捧げる祈りは地上の音を届け地上に音を届けるために。最後に、光の男神に祈りを捧げ、恐らく暗いだろう水中でも周囲を見られるようにして完成だ。本来であれば更に水の男神に祈りを捧げ水中で動きやすくするところだが、アッシュはすでに泉の女神の加護を貰っているのでそれは不要である。
そこまで説明され、アッシュは少し驚いた顔をしたがすぐに了解を唱えてその前に跪いた。ボスールも向かい合い祈りを捧げ始める。宣言通りに空気の神力が術の形を取りアッシュの全身を包み込んだ。続けて、大地の神力が足元に宿り、アッシュはボスールが相当力をつけていることを改めて感じる。
神力を組み合わせることが出来るのはボスールはもちろんアッシュも知識としては知っているし、実際過去にボスールが組み合わせた神力を使用していた姿を見たこともあった。だが、これほど早くに祈りが届き神力が顕かになっているのは間違いなくボスールの神官としての力が強くなったおかげだろう。
負けていられない。アッシュは光の神力が身を包んだ光が消えると同時にかっと目を見開き勢いよく立ち上がった。
「感謝するボスール。お前の働きに負けないように俺も気合入れていかねぇとな」
「待ってくださいアッシュさんあなたが気合入れすぎると早い!」
釘をさすより早くに脳筋は水音を立てて泉の中に潜っていく。何事もないようにと願いながら、ボスールは先程よりも範囲を狭め、深い位置まで届くように調整して術を展開した。