3話
フォンテーヌは自身の領域に設置した寝台の上でごろりごろりと寝転がる。女神の領域の外には今日も魔物の気配が増えていた。最初の頃ならちょっと本気を出せばこの程度すぐに浄化出来たのだが、ここまでくると穢れが強すぎ、いくら神格の高い水系の女神でも何も出来ない。もういっそこの場を捨ててしまってもいいのだが、神殿や教会経由で毎日届く謝罪の祈りに背くのがあまりに心苦しくそれも出来ない。
「はぁーあーー。こんなつもりじゃなかったのになぁ」
「だーから人間に期待し過ぎだっていったじゃないですか」
独り言に応えたのは壁にかけた水鏡――ではなく、そこから出てきた森の女神ボワだ。
「ボワちゃんいらっしゃーい」
「神格高い女神が寝転がったまま来客対応しないでくださいよ先輩」
「だってー、もうやる気でないよぉ。誰も泉片付けてくれないしさー」
「水の魔物生じちゃってますからね。人間じゃ中々相手出来ないですよ」
ボスン、とボワがベッドに腰掛けると、フォンテーヌはその腰に縋りつく。鼻をくすぐる森林の匂いは荒んだ心を少し落ち着かせてくれた。
「あ、でも先輩、なんかようやく教会から聖騎士が派遣されてきたみたいですよ。さっき森の中通ってました」
それ報せに来たんです、とボワが言うが早いか、フォンテーヌは手を軽く振って正面に水鏡を生じさせる。その目は期待にキラキラしていた。
「聖騎士ってあれよね? 教会所属の騎士たち。この間神父の護衛で来た人間たちカッコよかったよねー。花の男神みたいに華やかな人も鋼の男神みたいに精悍な人もいたし。わー、どんな人だろー」
ウキウキしながら泉の周辺を写そうしているフォンテーヌの上では、ボワが視線を逸らして苦笑いをしている。
「あ、写った。えーっと」
映し出された姿に、フォンテーヌは笑顔のまま絶句した。そこにいたのは聖騎士の制服の上にパーツの少ない軽装鎧を身に着けた一人の男。平均的な身長よりは高いが大柄すぎることもない。筋肉質なのが見て取れるのは、制服を思いきり腕まくりして肩まで露わにしているからだ。特筆して醜くも麗しくもない顔なのにごつさが目立つのは、きりっとした太い眉と意志の強そうな眼差しのせいだろうか。
聖騎士というにはあまりに野性味溢れる立ち姿に、麗しい精悍な騎士を描いていたフォンテーヌの理想はガラガラと崩れ落ちる。
「あー……先輩? えっと、ほら、騎士は見た目じゃなくて能力ですし。ね?」
「――はっ、そ、そうだね。あ、あはは。ごめんちょっと、その、期待しちゃて……ほら、その、加護、とか、与えちゃったり……とか?」
ぽぽぽと赤くなった両頬に両手を添えてフォンテーヌは恥ずかしそうに足をパタパタさせる。勇敢な人間に加護を与えるのは、そしてその人間が活躍してくれるのは、神々にとってはちょっとした憧れなのだ。
「まあ、まだ期待しといていいんじゃないですか? 一人後輩は連れてきてるみたいですけど、道中の話聞いてる感じだとメインはこの岩男でもう一人は侍従的な感じみたいですし。これだけ魔物蔓延ってる場所に実質一人で寄こされてるなら強いんじゃないですかね。それに……ああ、これは後で分かるから後で話します」
もう少し広げられます? と言われ、フォンテーヌは水鏡を広げる。ボワの言う通り、件の聖騎士の横にはとても大きな荷物と、それよりは小さいがそれでも十分大きな荷物を背負ったツンツン髪の少し若い聖騎士が四肢をついてぜえぜえと息を切らせていた。後輩の方はどうしたのか、とボワに問おうとしたところ、水鏡の中で人間たちが喋りだす。
『ここが例の泉か……酷い有様だな。よし、ボスール。すぐにテントを張って拠点を作るぞ』
『ちょ、アッシュさん、ま、てくださっ、ちょっと、きゅっ、休憩を』
『聖騎士が甘っちょろいこと言ってんな。ここまで緩めに走ってきただけだろうが』
『アッシュさんには緩めかもしれませんが俺には全力疾走なんですよ! げほげほっ』
渾身のツッコミを入れて結局若い聖騎士――ボスールというらしい――は咳き込んでその場に倒れこむ。その様に、フォンテーヌは彼の方だけ息切れしている理由を察した。まだ若いから体力がないのだろうか、と一人予測する隣では、彼らの行程の様子を見ていたボワがボスールに憐れみの視線を向けている。
『筋トレと走り込みが足らねぇんだよ。――ったく。じゃあ俺がテント立てるからその間休憩しとけ』
体力差は理解しているらしく、アッシュは下ろしていた荷物に手を伸ばし――途中で留めて改めて泉と向き合った。そして、両膝を泉の縁につけ、祈りを捧げる姿勢をとる。
『泉の女神・フォンテーヌに祈りと謝意を。必ずや、あなたの美しい泉をお返しいたします』
直後、フォンテーヌは強い光包まれた。ぶわりと身の内から溢れたような風が吹くと、フォンテーヌの金の長い髪もボワの肩の高さで切り揃えられた紅葉色の髪も大きく揺れる。フォンテーヌの呆気にとられた顔を見下ろし、ボワはニヤリと笑った。
「さっき言いかけたのこれです。この人間、祈りの深度が凄いんですよね。大層な信仰心で、私も森に入る時祈られたんですけど、めちゃくちゃ力が注がれたんです。……今の先輩みたいに。あ、私はそんな乙女な顔してませんけどね?」
「しししっ、してないけど!? ちょっ、ちょっとびっくりしただけだもん! 一人の人間からこんなに祈りが注がれることなんて滅多に……っていうか、全然なかったから……」
人間からの信仰、そしてそれの含まれた祈りは神々の力の源だ。超常的な存在であると共に概念的な要素も多くもつ神々は、人間にその存在の一端を握られていると言ってもいい。原初の神々はその限りではないが、人の信心が消えればそうでない神は消えるのではないか、という説は、人間が発展するごとに神々の間で真実味を帯びていた。
フォンテーヌの力が落ちているのもそれが原因のひとつだ。「泉に物を投げ入れたら女神が出てくる」という噂で訪れる人間たちは、フォンテーヌがボイコットして姿を現さなくなった結果「女神なんていないじゃないか」と思ってしまう。結果、信心が揺らぎ注がれる力は落ちてしまう。フォンテーヌの泉は森のほぼ中央にあるので、元々人々の祈りが直接注がれることが滅多にない分余計に落胆が力に影響を与えてしまったのだろう。
さらに悪い連鎖として、この近辺で一番神格が高いフォンテーヌが力を落とすとボワ達周辺の神々にも影響が出てしまうのだ。そのことで怒る神もいたが、結局全員「人間が悪い」で話がまとまって今はボワくらいしかここには訪れない。まだ行く先があるのが幸いしたのだろう。神々は最悪この土地を捨ててもいいと思っているためそこまでフォンテーヌに批判的ではないのだ。
けれどフォンテーヌだって、この状況を良しとしているわけではない。人の祈りが注がれるなら、この泉を綺麗にしてくれるなら、まだ――。
『よし出来た』
『早っ!?』
「「早っ!?」」
少し考え事をしている間にアッシュはテントを二つ分立て終わったらしい。陸の上と泉の底で同じツッコミが同時に放たれた。
『さっきまで祈ってたのにどうやって組んだんですか!?』
『あ? そんなもん、こう、がさっとやってバババっとしてドカンとやったんだよ』
『色々疑問がありますがテント立てるのにドカンって工程出てきます!? そして俺は隣にいたのにそのドカンに気付かなかったんです!?』
『そんなに疲れてんのかボスール……睡眠は大事だぞ』
そっとテントの入口を空けるアッシュ。ボスールは「優しさは嬉しいけど色々違います!」とツッコミが止まらない。
果たしてこの聖騎士たちに任せて本当に大丈夫なのだろうか。フォンテーヌは疑わしい目つきで水鏡に視線を向け、先ほど少しときめいたことに軽い悔しさを覚える。
「あっ、大変!」
不意に感じた気配にフォンテーヌは両手でベッドを押して咄嗟に半身を起き上がらせた。何事か、とボワが問うより早く、水鏡の中で泉が大きく揺れる。直後、水が轟音と共に盛り上がり、飛沫を上げる不定形の山の中から魚の姿をした巨大な生物が飛び出してきた。泉に発生した水棲の魔物だ。
問答の末アッシュに文字通りテントに投げ入れられていたボスールが、入口から頭を出しながらその種族を叫ぶ。魔物の狙いはより近くにいるアッシュのようで、鋭い牙が過たず狙いをつけてきた。だが
『女神の泉で』
大きく開かれた口の上下を、アッシュはがしりと両手で掴む。直後筋肉が大きく膨らみ、勢いよく体が捻られた。
『魔物如きがデケェ面してんじゃねぇぇぇぇぇ!!』
『「投げたぁぁぁぁぁ!?」』
投げた。そう、投げたのだ。ボスールとボワの叫び通り。アッシュは自分の身の丈よりも大きな魚型の魔物を見事に投げ飛ばし地面に叩きつけたのだ。地震のように揺れた地面と叩きつけられた時の音の大きさに、魔物の重さとアッシュの投げつけた勢いが知れる。
「……はぁーーー、とんでもない人間が来ました……ね……んん?」
口を開いて呆気に取られていたボワは、自分の視界に入ったものが一瞬理解出来ずに違う意味で目を瞠った。だが見間違いでない。アッシュの体に水色の光が降り注いでいる。これが何を意味するか、この場に分からぬ者は神の領域にも陸の上にもいない。ボスールが大興奮で「アッシュさんアッシュさんヤバいですそれうわ俺初めて見ました」と叫び、アッシュも自身の体に降り注ぐ正常な光を見て目を見開いていた。
「……せんぱぁい……」
苦笑しながら、ボワは視線を斜め下に降ろす。
「流石にこの短時間で加護与えちゃうのはちょろすぎません?」
「……んんん~~~うるさぁいぃぃ、ちょろくないもんんん……」
視界の中には耳まで真っ赤になり顔を両手で隠す泉の女神。箱入り女神には刺激が強すぎたか、とボワはひとり呆れたように笑った。