10話
そんな人間たちの様子をフォンテーヌの領域で眺め、ボワは腹を抱えて笑い転げていた。加護を与えたボスールが苦労するのは少しばかり可哀相だが、彼は苦労している姿が似合う気がしているのでボワとしては満足だ。
「せんぱぁい、見ないんですかー? 先輩の愛しの騎士様が大暴れですよー?」
目の端に浮かんだ涙を拭いながらボワが声をかけると、ベッドの上で悶えに悶えて転がり回っている領域の主はぴたりと止まる。真っ赤になり両目に涙を浮かべている姿がボワにはまた楽しい。
のそりのそりとベッドの端まで来ると、水鏡をひとつ作り、ボスールを引きずりながら暴れ回っているアッシュを映し出した。じっと見ていたかと思うと、フォンテーヌは頬を緩ませ足をパタパタとさせ始める。
「えへへへへ、私のためだよねこれ? 私のために怒ってくれてるんだよね? うふふふふふふふふ」
「わー嬉しそー。そんなに好きならさっさと神使として連れてきちゃえばいいんじゃないですか?」
神使、とは、言葉通り神の使いであり、側仕え、小間使い、使者などの役割を担う者のことを言う。格の下の神であったり精霊であったりすることが多いが、中には人間を召し上げ神使としている神もいる。「我が騎士」もこの一端で、神使の役割の中でも特に警護がメインとなる者がそう呼ばれるのだ。
ボワの質問に、フォンテーヌはさらに顔を赤くした。
「ずっ、ずっと一緒なんて心臓止まっちゃう……っ! 今はまだ外にいてくれていいかなって。それに――」
はにかんで言葉が止まったので、ボワは「それに?」と続きを促す。何度か視線を行き来させ、フォンテーヌは人差し指同士を合わせながら乙女の顔をした。
「…………私の騎士だって、色んな神に知ってもらいたいし……?」
「うわぁ執着女神」
――かなり重い類の乙女の顔を。
だが、実際に彼女の思惑は成功することだろう。アッシュが自ら喧伝する必要はない。無意識だったのだろうが、あの最後の祝福で、女神の存在という名の残り香はかなり強くアッシュについていた。そう、彼が今まで通り他の神に祈りを捧げる度に、その後ろにフォンテーヌの神気がまとわりつくことが安易に予測できる程度にはべったりと。
「でもあんまりほっとくと先輩の覚悟決まる前に死んじゃいますよ」
神界に住まう神使にするということは、イコール人間としての死を迎えることではあるのだが、召し上げは死ぬ前に行わなくてはいけない。人間が死んでからは魂の管轄が完全に生命と死の双子神に移る。神々の中で最も厳格な彼らは、相手がどんな神であろうと、魂の管理を乱す真似は絶対に許さない。なので、その時になって「その人間は神使にしたかった」と言っても不可能なのだ。
もちろん人界で人として生きる間だけ騎士として認め、死後は自由にする、という選択をしている神もいる。だがこれだけ「私の」アピールをしておきながら結局失敗した、とあっては、その先のフォンテーヌの様子を想像するだに流石に目も当てられない。そんな心配を見せるボワにフォンテーヌは心外そうな顔をした。
「しっ、死んじゃう前には絶対召し上げるもん!」
どこからその自信が湧いてくるのか。アッシュの身体能力的に事故などで即死することはないだろうが、この箱入り女神は人間の寿命が神からすれば一瞬だということを分かっているのか。
言いたいことは山ほどあるが、うーむと唸った結果ボワは
「そうですか、じゃあ大丈夫ですね」
素直にその主張を受け入れる。しかし胸中の結論は「どうせ間に合わないから自分が覚えておいて死ぬ前に無理やり出ていかせよう」だった。死ぬ前でさえあれば、肉体がどれだけ老いていようと魂が覚えている姿になれる。好みの年齢で楽しめる、という点を考えればそっちの方がお得かもしれない、程度の認識で、ボワはアッシュが死ぬ間際くらいにフォンテーヌを向かわせることを心に決めた。
世間知らずの箱入り女神を先輩に持つと後輩は苦労する。そんなことを一人考えながら、ボワは地上の様子をはしゃいで見ているフォンテーヌを眺めた。
誰に守られるでもなく沸き上がった泉で生まれたファンテーヌ。その周囲に動物が集まり、彼らの持ち寄った種から木々が芽生え林になる頃ボワが生まれる。その頃のフォンテーヌは大人しく控えめで、喜怒哀楽の表現もひそやかなものだった。
段々と木々が増え林が森になった頃、フォンテーヌの泉はボワの森で守られる形になり、そうしてようやく拠り所を見つけたのか、今のように無邪気な女神になっていった。
ボワが生まれた時から側にいるフォンテーヌは、彼女にとって姉であり先輩であり庇護対象でもある。そんな女神がこうして大はしゃぎしているのが、ボワには何とも言えない喜びだった。
守りたい笑顔の理由が水鏡の向こうで進撃を続ける神の騎士だ、ということは、この際無視をする。神というのは元来身勝手。人間より親しい女神が幸せな方が優先であるとも。




