3 聖剣と公爵夫人
「皆様ご存じの通り、1ヶ月前に勇者が誕生し、邪神が再封印されました。
それを祝って神殿は新たな祭日を制定し、恵まれない民にお守りを配り食事を振る舞う。
貴族はその神殿に喜捨するために、チャリティーパーティーを開いています。今は初夏ですが、おそらく社交シーズンは延長されることでしょう。
あの出来事によって、世界的に新たな勇者と英雄への機運が高まり、過去の勇者たちも再注目されるようになりました。そしてその聖遺物も。
わがハーグンシェ家は、勇者カリテュオンをその嚆矢としており、未だいくつかの聖遺物を受け継いでおります。
その1つにして最高の品、勇者の創造した聖剣。
これをタウンハウスのチャリティーパーティーで展示しようと、父子爵は考えました」
「何という名前の聖剣でしたかな。通称は『黄金の曲刀』ですが、正式には不思議な長い名前の……異世界の剣を模ったものだと聞いておりますが」
周りにいた貴族の質問に、コジュリーが即答する。
「金地螺鈿毛抜形太刀といいます」
「キンジ……? タチ?」
「キンジ・ラデン・ケヌキガタ・タチ、です」
聞き慣れない語感の長い名称に、一度に覚えきれない人々の呟きが上がる。
だがハーグンシェ一族にとっては先祖代々伝わる至宝。幼児の頃から名前も言葉の意味も叩き込まれている。
コジュリーはすらすらと説明を始めた。
「カリテュオンはいわゆる異世界転生者、他の世界の知識を持っておりました。
勇者の武具創造は、勇者の漠然としたイメージに応じて、神が過去に存在した武具を再構成し実体化させるものです。
ですが彼は、勇者となる前は武器職人であり、この世に存在しない武具についても素材や構造を詳細にイメージし、神に創造していただくことができました。黄金の曲刀もその1つです。
この聖剣の名は『金箔に虹色の貝片を装飾した、毛抜きの形をした曲刀』という意味です」
「毛抜きの形?」
「柄に楕円形の大きな透かし、つまり穴が空いていまして、これが異世界の毛抜きに似ているらしいのです。
金箔は、漆という黒く美しい塗料の上に貼られて剣の拵えをくまなく覆い、鞘には金地に貝片や貴石が象嵌され動植物が描かれています。また柄には金箔に細やかな彫刻が施されるなど、技巧の限りが尽くされているのも特徴です」
ちなみにこの『漆』に相当する植物は、両方の世界に存在しており、こちらでは大陸西域の一部で利用されている。
この世界に存在しない物質は、さすがに聖剣の素材として創造できない。
「この剣が、最も美しい聖剣の1つと謳われているのは皆さまもご存知でしょう。
鞘の、鍔近くと半ばあたりの2箇所に紐を通す黄金の金具が付いており、腰帯からほぼ水平に下げるようになっております」
「黄金細工が施されている上に、柄に透かしがある。実用とは思えませんが、モデルとなった曲刀は儀仗(儀礼用の武器)ですか?」
シーズリー男爵が尋ねた。
給仕がテーブルにやって来て、うやうやしくお茶の準備を始めた。シーズリーとクリフォス卿の前に茶器を置き、等分に紅茶を注ぐ。
「そのようです。無論これは聖剣ですから、破壊不能属性を持っております。繊細な細工は決して欠けも剥がれもしませんし、刃の切れ味も申し分ありません。充分実用に耐えます。
とはいえ、勇者カリテュオンはこれを儀礼用の副武器とし、邪神との戦いには持っていきませんでした。
ちなみに彼の主武器は、これも異世界に存在したという、『偃月刀』という名の竿状武器でした」
しかし、破壊不能属性を持つ武具を平然と破壊してくるのが邪神である。
カリテュオンはほとんどの勇者たちと同じように、愛用の武器・偃月刀と共に邪神に滅ぼされた。
数十年かけて邪神は倒され封印されたが、それは何百人もの勇者の命と引き換えにもたらされたものだったのだ。
「たしか勇者カリテュオンは、特に武器を創造する力に優れていたとか?」
「さようです、侯爵。武器職人であったことが影響したのでしょう。
通常の勇者は、創造し維持できる聖剣聖鎧はせいぜい5種類ほど。しかし彼は、20種類以上の聖剣を同時に創り出せたそうです。ゆえに、その死後も比較的多くの聖剣が遺されています」
「その聖剣は、現在も魔物討伐に使われたりするのですか?」
ほとんど無邪気と言っていい口調で、シーズリーが質問した。
その場の全員が、狂人を見る目で彼を見た。
横でお茶を飲んでいたクリフォスでさえ、無表情のまま彼を二度見した。
「はい? 使う?」
「ええ。聖剣はそのために創造された物ですよね?
特に今は、邪神が復活しかけたせいで魔物が活性化していると聞きます。使えるものは使うべきかと思いまして」
「ばば馬鹿なことを言うな! 実戦に聖剣を使うだと!? どうかしておるぞ!! そりゃ壊れはせんが、そんなことを考える奴がおるか!」
「まあ落ち着いて、お身体にさわりますぞ」
オヴィトリン侯爵が全身と顎肉をぷるぷるさせながら叫んだ。横のリーガッタ伯爵がなだめるが、その顔も引きつっている。
先ほどシーズリーを笑った若い貴族が、失笑まじりに言う。
「君の住んでいたところには文化がなかったのか?
いいかい新参の一代男爵様、辺境で開拓に励む連中なら、鍬と聖剣の区別もつかないかもしれない。
だが我々は違う。真に価値のある物を尊重する知性がある。
君は賢者の学院に通っていたそうだけど、それも疑わしい──」
「あらあら、楽しそうなお話ですわね?」
玉を転がすような女性の声が、サロンに響いた。
声の主に気づいた出席者たちが、彼女のために道を空ける。
このサロンの女主人、フリザーリュ公爵夫人。
一男一女の母とは思えないほど若くたおやかな美女。結い上げた銀髪には碧玉の髪飾りをあしらい、刺繍も美しいシックなフォーマルガウンをまとっている。
彼女はその微笑みと視線だけで、あっという間にこの場を支配していた。
「何の話だったのか、わたくしにもお聞かせ願えませんこと?」
微笑みながら、シーズリーを侮蔑していた貴族に流眄をくれる。その一瞥に、当人だけでなく周囲で同調していた者たちも震え上がった。
「い、いえ、それは──」
「ご機嫌よう、公爵夫人。我々は聖剣の適切な運用方法について議論を交わしていたところです。残念ながら、私の意見は少数派だったようですが……ところでこれは?」
夫人の威圧に気づいた風もなく、普通に答えるシーズリー。
話している間に、夫人に付き従っていた年配のメイドが、ワゴンに載せていた数皿の料理をテーブルの海老料理とテキパキと交換していた。軽い卵料理や温野菜などが並べられていく。
「新しいお夜食です。
シーズリー男爵に、公爵家の料理人は海老料理しか作れないと思われては心外ですもの。
それに偏った食事は健康によろしくなくてよ。色々な料理を満遍なく召し上がれ」
母親のようなことを言い出した。
先ほどシーズリーを一代男爵と知って侮った笑いを浮かべていた者たちが、『公爵夫人にそれほど目をかけられているのか?』と驚きの表情を浮かべる。
「ありがとうございます。しかしそろそろ満腹でして……」
「はい? 何かおっしゃいまして?」
燦然と輝く公爵夫人の笑顔。
その笑顔はとてもエレガントかつ美しかったが、そばで見ていたコジュリーは再び戦慄した。やばい。これは逆らっちゃ駄目なやつだ。
(夫人が笑っているうちに言うことを聞け!)
皆の心が1つになった瞬間だった。
「……いえ、海老以外のものも食べたいと思っていたところです。ありがとうございます」
シーズリーは賢明だった。サロンにほっとした空気が流れる。
夫人とシーズリーがやり取りしている隙に、クリフォス卿が銀のフォークで料理をひょいひょいと刺し、つまみ食いしていた。
あのフォーク、公爵家のものじゃなくて卿のマイフォークでは。どれだけ食いしん坊なんだよ。食べたければ自分用の料理を頼めよ。
貴族社会のカオスな人間関係を見て、コジュリーはしばし盗難事件のことを忘れて引いてしまった。
「それではわたくしはこれで。皆様、わたくしのサロンでは、知的で品格のある会話をお楽しみくださいませ。よろしいですわね?」
再び魅惑と威嚇に満ちた眼差しで、一同をずずいと見回した。
「それはもう心得ております、公爵夫人。
かの賢者の学院の公開討論場のように、一同知性の限りを尽くした議論をいたしますとも!」
オスビエル男爵がいつものように、調子良く答えた。彼も彼で怖い物知らずだが、こういう時はありがたい。
鷹揚にうなずくと、サロンの女主人はメイドを従えて部屋の隅に戻っていった。
シーズリーも夫人に食べると言ったからか、あまり乗り気でない様子で温野菜を口にして……食べる手がちょっとスピードアップした。これはこれでお気に召したらしい。一息ついて、お茶を飲み始めた。
「ええっと……。話を戻しますと、聖剣とは言っても単に絶対壊れないだけで、他に特別な力はありません。実戦での使用には、そんなにメリットはないと思います。
それに貴重な聖遺物を戦闘中に紛失したら、そちらの方が世界の損失です。
現代において聖剣聖鎧は、武具というより宝物という認識かなぁ、と」
コジュリーが説明した。
確かに、聖剣は折れも錆びもしないから、使い続ける分には便利だろうが、とにかく紛失と盗難が怖い。そもそも戦場に持っていくという発想がない。シーズリー男爵の発想力が凄い。悪い意味で。
「男爵なら世界最高の聖遺物、邪神を封じているという青銅の小瓶も素手で触ったりしちゃうんでしょうねえ……」
「そうですね」
「えっ?」
「冗談です」
何故か冗談に聞こえなかった。
『エラーが発生しました
ルビは10字以内で入力して下さい』
って何やねぇぇぇん!!
普通に金地螺鈿毛抜形太刀の読み仮名が打てないぃぃぃぃ!!
仕方ないから「金地螺鈿」と「毛抜形太刀」に分けてルビを打ちました。何この仕様。