14 犯人と聖剣の行方
シーズリー男爵は淡々と話し続ける。
「煤のことは移動の途中で気づいたでしょう。壁に手を押しつけて進むと、手袋が黒くなったのですから。
実行犯は大いに困ったはずです。本来なら鍵のかかった箱から聖剣だけが消えている、という不思議な事件になるはずでした。なのに煤の跡があちこちについてしまっては犯行の手口が察せられますし、そこから自分が犯人だと暴かれるかもしれません。
そこで彼は考えます。
まず奥の飾り棚にたどり着いた時点で、右手の汚れた手袋を裏返して嵌めます。煤の跡が棚に付いては困りますし、まして素手で指紋を残すわけにはいきませんから。
とりあえず手袋の汚れは何とかしました。それから棚を伝って下に降り、箱から聖剣を取り出して鍵をかけ直します。
その後再び天井近くまで上がり、壁に今度は左手をつけて空中を移動。この時壁の手をついた部分を何度も擦り、消しながら進みます。手形が残ると、その形から自分が犯人だと特定されかねませんから。
汚れていない、裏返した手袋を着けた右手で扉を開け、廊下に出ます。ここでやっと『飛行』を解除します。
さて、聖剣は盗めたものの、お仕着せの手袋が煤で汚れてしまいました。何とかしなければなりません。
手袋を裏返して嵌めたせいで、素手にも煤が付着しました。汚れた手袋を外し、手の煤を洗い場の水で落とします。汲み置きの水が減っていたのはこのせいです。
新しい手袋を地下の倉庫から調達します。これは手を洗う後でも先でも構いませんが、それまではドアノブなどに触れる際には、ハンカチなどを使って指紋を残さないようにしなければなりません。合鍵は持っています。
汚れた手袋を洗って乾かす時間はありません。新しいものを取ってきて、古い手袋は処分する必要があります。しかしどうやって?
屋敷の外にいる、共犯の魔術師です。
犯行時は新月、しかも曇り空で星明かりもありませんでした。街灯の光は高いところにまで届きません。もし誰かが通りがかっても、魔術師が宙に浮いていることに気づきません。この日に犯行を行った理由の1つです。
彼とは──便宜的に彼と呼称しますが──互いに対になる通信具を持ち、適宜連絡を取り合っていました。さもないと、受け渡しのタイミングが計れませんから。
魔術師は『飛行』で外の結界を飛び越え、屋敷のすぐ外まで移動します。
警備員は打ち合わせた位置に行き──3階は子爵のご家族の部屋ですから、街灯の明かりが届かない2階の窓か、1階の道路に面していない目立たない場所がいいですね──魔術師と合流します。
そこで窓か扉を開けます。この時結界は反応しますが、鐘は魔力切れで動きません。
ここで聖剣を渡します。ついでに汚れた手袋や、共犯と連絡を取るための通信具、すり替えに使った巾着錠と鍵、巡回の前に外した『防音』の魔道具、そういった証拠となる品々も。魔道具は巡回の際に、鐘から回収しておきます。
煤というトラブルはありましたが、犯人たちは首尾よく聖剣を奪取できました」
シーズリーはいったん言葉を切り、周囲を見回した。
サロンは静まり返っている。
どこからも異論が出ないことを確認すると、再び口を開いた。
「それから警備員は詰所に戻り、警報の鐘に魔力を充填しておきます。
あとは、魔術師が聖剣を持って逃げるだけ。黄金ずくめの剣は袋にでも入れて隠し、『飛行』で家々の上を突っ切るのも良し、歩いて遠ざかるのも良し。発覚まで時間はあるのです、どこへなりとも行けます。
説明は以上です」
皆が驚愕と感嘆の面持ちで注目する中、シーズリーは悠然とお茶を飲んだ。
「……よろしいでしょうか。犯人たちは夜中の、結界と鍵で厳重に守られた屋敷から聖剣を奪いました。
何故、彼らはこのような不可解な、かつ屋敷内の人間の容疑を深める状況を、わざわざ作り出したのでしょうか」
ややあって、クリフォス卿が口を開いた。
「意図的なものではなかったと思います。
鉄の箱の蓋を閉めて施錠したのは、事件の発覚を遅らせるため。また、蓋を開けっぱなしにしておくと、子爵が蓋を開けた隙に錠をすり替えた手口を、誰かが連想するかもしれません。
犯人の予想としては、盗難が発覚するのは子爵が箱の鍵を開けて聖剣の確認をした時。普段なら昼間かそれ以降でしょう。犯行は鎧戸や窓を開いている時間帯と判断されます。夜間では聖剣を持ち出せないはずですから。
そうなれば、犯人は昼間に召使いや出入りの業者に紛れて侵入、という可能性が広がります。
ところがこの日、子爵は夜が明ける前にコレクション室に行き、聖剣の盗難に気づきました。これは犯人にも予想外だったでしょう。
おかげで、犯行時刻は屋敷の鎧戸を締め切った時間帯でしかあり得ないと判明。
結果的に事件の不可能性が強調されてしまったのです」
「……なるほど……。納得いたしました」
「……すごい」
この世には、こんなことがあるのか。
話を聞いただけで、何もかも言い当てるなんて。
コジュリーは興奮のあまり立ち上がっていた。
「すごい……!
煤とか、鍵とか、そんなことから……どうして、そこまでお分かりになるんですか!?」
「考えたのです」
いや、考えたからってそんな。
いやいや今はそれどころではない。
「ありがとうございます!
すいません、シーズリー男爵、オスビエル男爵。僕は失礼させていただきます。早くこのことを警察に言わなければなりません」
「そうですね。今は警察が屋敷で捜査しているでしょうが、ほとぼりが冷めたら実行犯の警備員が逐電するか、あるいは犯人グループに口封じされるかもしれません。早く確保した方がいい」
「そうだね、早く帰って父君を安心させてやりたまえ」
「はい、ありがとうございます、オスビエル男爵。
シーズリー男爵、この御礼は必ずいたします!」
「ええ。いつか卿の領地にお邪魔させてもらいます。
またお会いしましょう」
「さあ行った行った」
コジュリーは2人と順番に握手し、来た時とは正反対の晴々とした顔で扉へ向かった。
扉近くの公爵夫人と二言三言話をして、最後にまたシーズリーたちを振り返り、軽く手を挙げる。
シーズリーが微笑みながら会釈し、オスビエルがひらひらと手を振りながら、出ていく彼を見送った。
コジュリーが帰った後も、サロンは盗難事件の話で盛り上がっていた。
「いや、鮮やかな謎解きであった」
「シーズリー男爵、ですか。お若いのに大したものだ」
「シーズリー男爵、シーズン中は王都におられるのでしょう? 是非我が家のパーティーで、今のお話をしていただきたい」
「ありがとうございます。ですが多忙でして、また学院に戻らねばなりません。お誘いは考えておきます」
何人かの貴族が声をかけてきたが、シーズリーはやんわりと断っている。
周囲に集まった者たちは三々五々に散り、コジュリーのいたあたりにオヴィトリンとリーガッタが椅子を移動させ、テーブルには5人が座っていた。机上の捜査資料は回収され、新たにお茶が用意されている。
「大したものだ。正直新参者と見てみくびっておった」
オヴィトリンが、熱いお茶を飲みながらしみじみと感嘆した。
「恐れ入ります」
「でも、シーズリー男爵」
「はい」
オスビエルが腕を組んで視線をさまよわせ、それからシーズリーを見た。
「警備員を逮捕したら、聖剣が見つかると思います?」
「いいえ」
「何ですと?」
同じくお茶を飲んでいたリーガッタが、怪訝そうに2人を見た。
「警備員は、あくまで犯人グループの誘いによって寝返った実行犯。末端に過ぎません。果たして、主犯といえるグループの長、黒幕までたどり着けるかどうか」
「ですよねえ。例えば実行犯の警備員は、運び役の魔術師の顔は知っているだろうけど、じゃあそいつの本名や居所を知っているかとなると」
「知らされていないでしょう。子爵家のものに似た巾着錠を購入した者も、その場で現金払いをすれば素性も分かりません。まさか貴族のように自宅に請求させないでしょうし」
リーガッタが、何かを思い出したように口を開いた。
「では、最初に困ったとおっしゃっていたのは」
「はい。盗んだ手口が分かっただけでは、肝心の聖剣の奪還には繋がらないのです。
そういう意味では、ハーグンシェ卿の助けにはなっていません」
「ぬか喜びという訳ですか」
「一刻も早く警備員を押さえる必要はあります。ですから引き止めませんでした。
……ですが、まだ疑問はあります。
黒幕は何のために聖剣を盗んだのでしょうか」
オヴィトリンが呆れたように答える。
「なんだと? それは聖剣が世界有数の聖遺物にして芸術品だからだろう」
「いえ、そちらの意味ではありません。
黒幕が聖遺物の蒐集家で、自分のものにするために盗んだのか。
それとも売って大金を得るために盗んだのか、ということです」
「ああ、なるほど」
リーガッタが眉間にシワを寄せ、カップを机上のソーサーに置いた。
「確かに、犯人は複数人で構成されていて、組織だった動きをしているようです。犯罪組織が利益目的で盗んだと見るべきですな。
ならば聖剣を人質として、子爵家に身代金を要求する、ということですかな?」
「いやいや、悪いけど子爵家に支払える金額はたかが知れている。受け取りの段階で警察に捕まるリスクもある。
闇社会の美術品、いや聖遺物市場か、そういう故買品ルートで売った方がよほど儲かるし、足もつかない。金に換えるならそっちでしょう」
オスビエル男爵が話を引き取った。
好事家だけあって、美術品売買の事情に詳しい。
「ハーグンシェ子爵に、犯罪者を満足させるほどの金品が出せぬと?」
「というより、子爵家以上の金額を積み上げる人間はいくらでもいます。
何しろ聖剣・金地螺鈿毛抜形太刀ですからねえ。非合法ルートであっても、帝国や旧王国なんかは大国ですからね、そのあたりが特別予算を組んででも競り落とすはずです。
そうしてこっそり入手して、適当なタイミングで公表。聖剣奪還に尽力したのは自国だと主張して、絶対に返還しない。そんなシナリオが今から見えますよ、いや全く」
「ぐぬぬ……! 何とか取り返せんものか……!」
「興奮するとお身体に障りますよ、侯爵。
とにかく今は故買品市場を注視して、聖剣が売りに出ないか見張るくらいしかできませんねえ」
オスビエルがお手上げという仕草で手を広げ、肩をすくめた。
「聖剣は、まだ王都にあるとお考えですか?」
シーズリーが、誰にともなく尋ねた。
「通報と同時に、王都を出る道は全て警察は検問を行っているはずです。ですが見つかったという話は聞きません。
それに、犯罪社会の故買ルートに出品するつもりなら、大都市で保管した方がいい。王都にとどまっていても不思議はありません」
クリフォスが発言したが、それにリーガッタが異をとなえる。
「しかし、盗まれてから時間が経っています。
犯人としては、少しでも王都から離れたいと思うのが自然ではありませんか?
王都は城郭都市ではありません。別に壁に囲まれているわけではありませんから、検問のないところから外に持ち出すことが可能なのでは」
「確かに。犯人がどちらの判断をしたかなんて分かりっこない」
「確かめる方法があります」
皆は、本日何度目かになるシーズリーへの二度見をした。
「今度はどんな知恵を見せてくれるんですか?」
「知恵と言えば知恵ですが、オスビエル男爵。
私は賢者の学院で学んでおりましたが、ある研究者が開発中だった補助魔術を知る機会がありました。
複数人の儀式による魔術効果の増幅なのですが、これを使えば、探知魔術の範囲を劇的に広げることができます。
子爵家の魔術師2名は、探知魔術の対象に聖剣・金地螺鈿毛抜形太刀を指定できます。現物を見て、触れていますから。
彼らの『探知』を儀式魔術で拡大すれば、王都全体を一気に調べることができます」
「なあるほど、反応があればそこを捜索、なければ他の都市を総当たりすればいいわけだ」
リーガッタが眉をひそめる。
「しかし、許可なしに貴族本人や所有物の『探知』は禁じられておりますぞ?」
「それを言っておる場合ではないぞ。
それに特定の貴族を『探知』するのではない。都市全体だ、探知禁止には当たるまい。盗まれた聖剣だけを探すのだから、プライバシー云々の話でもない。
我が国の至宝である聖剣の国外流出を防ぐためだ、よもや反対する貴族などおるまい」
「それもそうですな」
鼻息荒くオヴィトリンが言い、リーガッタも納得した様子でうなずいた。
「警察は、まだこの儀式魔術の存在を知らないのでしょう。
私が警察と学院の研究チームとの間を取り持って、聖剣の広域探知のお膳立てをいたします。
詐欺師への『隷属』の使用許可の早さを考えれば、数日で実現できるのではないでしょうか。
……失礼」
シーズリーが立ち上がった。
「そうと決まれば、早速ですが警察へ参ります。
夜も遅いですが、話を聞いてもらえるでしょう」
「ならば私もお供いたしましょう」
クリフォスも立ち上がった。
「実に有意義な夜だった。卿のおかげだ、シーズリー男爵。
またサロンに来て欲しい。公爵夫人もお喜びだろう」
「また機会がありましたら」
「お見事でした。クリフォス卿、男爵はこうおっしゃっておいでですが、是非またこちらにお連れして下さい」
「鋭意努力いたします」
2人はオヴィトリンとリーガッタに別れを告げ、公爵夫人や他の出席者に挨拶しながら広間を出た。
従僕が重厚な扉を閉め、捜査資料を配った中年メイドが先導して玄関へと向かう。
シーズリーはさりげなく周囲を見回した。
メイド以外に聞く者がいないことを確認する。
「クリフォス卿」
ごく小さな声で囁いた。
「はい」
「リーガッタ伯爵が、聖剣盗難の黒幕です」