1 ピンク髪男爵と勇者の子孫
マナアクシス国の王都中央区、フリザーリュ公爵邸。
2人の貴族が、タウンハウスとしては広い車寄せで馬車を降り、大陸東域風の柱が並ぶ玄関ポーチに向かっている。
「はあ……」
「まぁそう暗い顔をするもんじゃないよ、コジュリー君。もっと堂々としたまえ」
ため息をついた青年の肩を、ピンクの髪色をした男性が軽い口調で励ましながら、ぽんぽんと叩いた。
青年貴族は、ハーグンシェ子爵の次男コジュリー。
ハーグンシェ一族は、かつて邪神を封印した勇者の1人、『聖剣の創り手』カリテュオンを祖としており、伝統と栄誉ある血統として知られている。
とはいえそれから800年。勇者以降は特に武勇に秀でた者が出たわけでもなく、一族は国が滅んだり興ったり併合したりした中を渡り歩き、今ではマナアクシス王国のごく普通の子爵家におさまっていた。
──ほんの数日前に大事件が起きて、注目の的になってはいるが。
もう1人の貴族は、オスビエル男爵。
30代の特徴的なダスティピンクの髪に、柔らかな茶色の洒脱な服装。その声も表情も、髪色と同じく陽気で軽い。
趣味人、特に美術品の造詣に深く、自らも何人もの芸術家のパトロンになっている。また美術品の収集や名品の鑑賞のために世界中を飛び回る関係上、異様に顔が広いことでも知られていた。
父であるハーグンシェ子爵も、屋敷に置く絵画の入手を彼に頼んだことがあって知り合いとなったのだが。
「やあ、先祖代々伝わる聖剣を盗まれたんだって? 災難だったねぇ!
だがそう暗い顔をしても始まらない。いい酒に美味い料理、それにお日様に当たっていれば気持ちも上を向くというものだよ!
どうだい、今夜、公爵家開催のサロンにお邪魔するというのは? あそこの料理人は最高だよ?
え、子爵も兄君もそれどころじゃない? じゃ、君だけでも来たまえ、コジュリー君。
お偉方が、そりゃもう興味深々で聖剣盗難の話を聞きたがっているんだからね!」
という次第で、コジュリーは子爵家の大失態について、高位貴族の面々に説明に向かうことになったのだった。
別にオスビエル男爵が意地悪なのではない。むしろ、比較的穏健で理性的な貴族が集まる場を選んで説明、あるいは言い訳の場を設けてくれたのだから、感謝するべきではあった。
さてコジュリーは自らのことを中肉中背、茶色の髪に青い瞳、容姿も能力も平均の極みと認識している。まあ平凡は平凡なりに真面目に生きているつもりだ。
だがそんな訳で、コジュリーは今、知り合いのオスビエル男爵に連れられて来た屋敷の扉の前で、かつてなく深刻な顔をしているのだった。
(絶対皆に責められる……)
「ハーグンシェ卿」
立ち止まったままのコジュリーに、再びオスビエル男爵が声をかける。玄関ドアの横に控える従僕が怪訝そうに見ていた。
「ああすまない、開けてくれ」
「いやあ、今夜は目当てのゲストがいるかな? 楽しみだねぇ〜」
彼は重い足取りで、オスビエル男爵は軽やかに、サロンに足を踏み入れた。
フリザーリュ公爵のタウンハウス。
ここで開催されるサロンには、上流階級の人間や知識人が集い、政治や経済、学問に芸術といった『高尚な』議論が交わされるのが常だ。
しかし今や、この場において──いや世界中で、上は王族から下は平民流民に至るまで──人々の間で語られることなど、ただ1つしかない。
『先日聖王国にて、800年前に封印された邪神が復活した。
しかしその直後、神の御力によって新たなる勇者が誕生し、邪神は即座に討伐され再封印された』
これに尽きた。
広間には、すでに20人近い人間がいた。いずれもサロンの主催者である公爵夫人のお眼鏡に叶った、知性と品格に秀でた貴族や知識人である。
豪奢だが派手すぎない、しっとりと落ち着いた調度。あちこちにテーブルと椅子が用意され、サイドテーブルやワゴンにはオードブルが供され、酒瓶とグラスを銀盆に載せた給仕が行き来している。
客は数人ずつが、いくつかのグループに分かれて会話に熱中している。といっても、話題は共通していた。
「まず、世界中の神官や加護持ちに、神の啓示が下されたらしい。【邪神が復活せんとしている。急ぎ聖域に入り、我が力を通せ】と」
「聖域?」
「神が創造された特殊なダンジョンでして、中に邪神を封じた小瓶が安置されているそうです。無論一般人は立ち入り禁止ですから、詳細は不明ですがね」
「神は、霊的資質を持つ人間を通してのみ奇跡のお力を振るうことができるからな。
聖域の近くに居合わせた者や、啓示を聞いて駆けつけた者が数人、中に入ったらしい」
「邪神が復活してしまえば、その者たちは確実に死ぬ。それが分かっていながら……いやはや大変な勇気だ」
「彼らの決死の突入なくては、勇者の聖域への召喚もあり得なかった。まこと英雄と称えるに相応しい!」
「まさに。それからどうなりました?」
「神は、大陸のどこかにいた相応しき者を勇者とし、聖域内の神官たちのお力を通してその場に転移させたという。
勇者は速やかに己の使命を果たした。
勇者の加護の1つ『聖剣聖鎧の創造』によって武器と鎧を創り出し、本来の力を取り戻していない邪神を倒したそうだ。
現在は無事、小瓶に再封印されている」
「まあそうでなければ、今我々はこうやって呑気に酒など飲んでおれませんからなぁ。勇者と英雄にはいくら感謝しても足りませぬ」
そうですね。
おかげで世界中に勇者ブームが起こって、うちの家宝の聖剣が再注目されるようになったんですけどね。
盗まれたよ。
コジュリーは心の中で相槌を打った。
「で、今代の勇者はどのような方なのか?
是非とも誼を結びたいものだが」
「確かに。だが、どこの何者なのか公表されておらんのではいかんともしがたい。
最初に聖域に突入した者たちについてもしかり」
「いや、身元が分かっている方がおられますぞ。
我が国の誇るべき賢者、魔術学院の創始者にして理事長であるスレイマン様。賢者様とその従者が聖域に入ったことは確認されております。
ただし、邪神再封印後に従者は学院に帰ったものの、賢者様はずっと聖王国にとどまったまま音信不通、とのこと。
賢者様は実は死亡している、という噂も……」
「事実だとすれば由々しきこと」
それは本当に由々しい。
ここマナアクシス王国の繁栄は、世界初の魔術大学──通称賢者の学院──によるところが大きい。
しかも創設者である賢者スレイマンは【不老】の加護を持ち、その知性と名声で300年以上に渡って大学と、そして間接的に王国を支えてきた。
その創設者が亡くなったのなら、王国は大きな舵取りを迫られることになるだろう。どうなるのか想像もつかない。
そんな伝説の人よりも、コジュリーは盗まれた聖剣の方が一大事なのだが。
「賢者の従者や他の英雄について、身分や所在をご存じの方は?」
「残念ながら。世間では、封神の英雄と呼ばれ始めているようですが……いや、勇者は勿論のこと、英雄たる彼らにも、何とかしてお近づきになりたいものです」
「しかし身元も人数も、スレイマン殿を含め生死さえ不明とあっては、そうもいきません。もう1ヶ月も経ちますのになぁ」
「私も学院に問い合わせましたが、『スレイマンや邪神再封印の経緯については答えられない』の一点張り、何ともガードの固いことです」
「勇者ですが、一説によると平民ではないかと」
「まあ、単純な人口比率から言ってもその可能性は高い」
「故に、聖王国にて礼儀作法や教養といった教育を施している最中だと言われております。何せ正式なお披露目の後は、各国への表敬訪問をするはず。王への謁見があるのですから、そのための準備は必要ですなぁ」
「確かに。それにまだ神殿の、英雄への処遇も決まっておらんのだろう。勇者の披露と同時かその後に素性を明らかにすると、わしは予測しておる。まったく、ギリギリまで情報公開をしないのが神殿の悪い癖だ」
「勇者は聖王国の所属となるが、たとえ平民出身であっても世界的な重要人物だ。
婚姻を結ぶことができれば、配偶者やその実家は勇者に対して強い影響力を持つことができる。あわよくば……」
「年齢も性別も、独身か既婚者かも分からないのにですかな?」
「だが各国の王族は、既に適齢期の男女の選定に入っているらしいぞ。なに、勇者が駄目なら英雄にという手もある」
どこもかしこも勇者と英雄の噂話。
……いや、ここマナアクシス王国の貴族間においては、もう一つ大きな話題があった。
「勇者と言えば、お聞きになりましたか?」
「2日前、ハーグンシェ家に代々伝わる聖剣が何者かによって盗まれたそうですな」
はい。うちの屋敷から、家宝の聖剣が盗まれました。あの世界的に有名なやつ。
コジュリーは暗澹とした気持ちで、再び心の中で相槌を打った。
「まこと由々しきこと。警察の捜査はどうなっておるのか」
…………胃が痛い。
「あの『黄金の曲刀』が奪われるとは。
話によると、それは異世界の宝剣を模したものらしいが、詳細はご存じか、リーガッタ伯よ?」
「ええ無論。
精密画家が記録に残した絵を見たことがありますが、柄も鞘も黄金に覆われ、その表面に漆という異国の黒い塗料を散らし、数多の貴石と虹色の貝片を嵌め込んだ絢爛高雅な芸術品です。
……と、噂をすれば」
「おお、ハーグンシェ家の子息ではないか」
話しこんでいた2人の年配の貴族が、こちらに気づいて近づいてくる。
コジュリーはため息をおし殺し、彼らに笑顔を浮かべてみせた。
「ご無沙汰しております。オヴィトリン侯爵、リーガッタ伯爵」
中年太りの、いつにもまして不機嫌な顔のオヴィトリン侯爵。対照的に、痩身に片眼鏡、温和な微笑みを浮かべている老人、リーガッタ伯爵。この2人は外見も性格も正反対なのだが、馬が合うのかサロンでは大抵一緒にいる。
「おや、このサロンにご子息が来られるとは?」
「ご機嫌よう伯爵、このコジュリー君は僕の招待したゲストってことで来ていただいたんですよ」
「おやご機嫌よう、オスビエル男爵。なるほど男爵の招待か。それでお若いの、お父上はいかがされたのかな?」
「先日の盗難事件から対応に追われておりまして、心労もあってかなり憔悴しております。これでは身体が持たぬと兄が無理に休ませまして。こちらには、僭越ながら私が名代で参りました」
兄は言ったものだ。
コジュリー、お前ははっきり言って、そこまで優秀じゃない。ただ誠実で、良くも悪くもいい奴だというのが周囲にもはっきりと分かる。
だから善人はお前に目をかけてくれるし、悪人は舐めてかかるから手を抜くか、攻撃を後回しにしてくれる。
まあ、だからサロンのお歴々には、お前からよろしく頼むよ。
……おいこらちょっと待て兄貴。
「それはそれは、心配なことだ。だが聖剣の盗難を許すとはけしからん」
「……不徳の致すところでございます」
「あれは子爵家のみならず、王国の宝でもあるのだぞ? 全く、警備体制はどうなっておったのだ」
「いや、その」
「これほどの失態、どう責任を取ると──」
「オヴィトリン侯爵?」
陽気な声が割って入った。
コジュリーを連れて来た、オスビエル男爵。
「侯爵、若者を叱るのはいただけませんよ?
ここは公爵夫人のサロン。知的な議論を交わす場であって、犯罪の被害者を責める場ではありませんからね。
せめて彼に、酒で口を湿らせるくらいの時間は与えてやって欲しいものです」
オヴィトリン侯爵が決まり悪そうに咳払いをした。
「おお、確かに。儂としたことが失敬した。聖剣盗難の大事の前に、つい我を忘れてしもうたわ」
「いや全くその通り。ですがハーグンシェ子爵の御心痛は察するに余りあります。まずはお見舞い申し上げますぞ」
横にいたリーガッタ伯爵もうなずく。
「だが後で説明はしてもらう。詳細にな」
「かしこまりました」
釘を刺すと、お偉方2人は再び勇者談義の一団の中に入っていった。とりあえず、吊るし上げを食らうまでしばしの猶予を得たようだ。
あたりを見回していたオスビエル男爵が、お、いたいた、などと呟いてコジュリーを見た。
「君に是非とも紹介したいゲストがいるんだ。年齢も近いようだし、話が合うんじゃないかな。ほら、あそこの彼だよ」
男爵が示したのは、壁際の椅子に座る2人の青年貴族だった。
この作品は拙作『なんじは邪神なりや?』の後日談になります。
『なんじは〜』には邪神の復活と、のちに英雄と呼ばれる人たちの聖域への決死の突入、勇者誕生の経緯が書かれています。
この出来事によって勇者ブームが起こり、秘蔵されていた聖剣(この世界には多く遺されているのですが、その内の一振り)のご開帳と盗難が引き起こされた、というのが今回のお話です。
前作を読まなくても支障はありませんが、ネタバレを避けるため、この『聖剣盗難事件』では色々ぼかしております。興味のある方はぜひご一読ください(宣伝)。
それでは、よろしくお願いします。