8 奥様!?
「……奥様、少しよろしいでしょうか」
初めは、それが自分に対する言葉だと理解できなかった。
数秒遅れて、やっと自分が「奥様」と呼ばれていることに気づいたシュゼットは、慌ててひっくり返った声で返事をする。
「はっ、はい!」
見れば、そこには妙齢のメイドとシュゼットとそう年の変わらないメイド。
二人のメイドがこちらを見ているではないか。
慌てて姿勢を正すシュゼットに、妙齢の女性は落ち着き払った口調で告げる。
「申し遅れました。メイド長のイレーヌと申します。こちらは新たに奥様付きのメイドとなる――」
「レアと申します。奥様のように可愛らしい方にお仕え出来て光栄です!」
「何かご不便がございましたら、遠慮なく我々に申し付けください」
「ありがとう、イレーヌ、レア。まだわからないことばかりだから、迷惑をかけることもあるだろうけどよろしくね」
どうやらユベールはシュゼットのために必要な人員の手配をしてくれていたようだ。
イレーヌの方はそのきっちりした見た目や所作から少しとっつきにくい印象を受けるが、その分きちんと仕事は遂行してくれそうだ。
対照的に、レアの方は明らかにシュゼットに対する抑えきれない興味が表情や視線に現れている。
だが、それも嫌なものではなく、どちらかというと好意的な視線のようだった。
完璧な使用人に徹するのはイレーヌの方が得意そうだが、話しやすいのはきっとレアの方だろう。
案外、二人そろうとバランスがいいのかもしれない。
「まずは奥様のお部屋へご案内いたします。その後、特に問題がなければ屋敷内の案内へ移らせて頂きますが」
「えぇ、お願いするわ」
イレーヌに案内されるままに、屋敷内を進む。
埃一つ落ちていない、美しく清潔に保たれた空間だ。
だが、やはり――。
(何とも言えない寂しさを感じるわね……)
変な言い方になるかもしれないが、「屋敷が生きていない」ように感じられるのだ。
こんなに綺麗なのに、どこか廃墟のような雰囲気が漂っている。
(……確か一気に当主夫妻と、その長男夫婦が亡くなったのよね。この屋敷自体も、まだ喪に服しているのかもしれないわ)
そんな感傷を覚えながら、シュゼットは足を進める。
辿り着いたのは、奥まった場所にある大きな部屋だった。
「わぁ……!」
扉が開いた途端、シュゼットは感嘆の声を上げてしまった。
白を基調とした美しく洗練された空間だ。
美しくきらめくシャンデリアに、ゆったりとした寝台。
大きな窓からは陽光が差し込み、室内を明るく照らしている。
(こ、これが私の私室……!? 前の私の部屋の何倍かしら……!)
シュゼットは内心で大騒ぎしながらも、努めて落ち着いた雰囲気を醸し出し微笑んでみせる。
「とても素敵な空間ね。ここなら気持ちよく過ごせそうよ」
そう声をかけると、キリッと引き締まっていたイレーヌの表情が少しだけ緩んだような気がした。
「お気に召されたようで何よりです。わたくしは晩餐の準備のため一度席を外しますので、何かございましたらレアにお申し付けください」
「えぇ、ありがとう、イレーヌ。晩餐も楽しみにしているわ」
隙の無い所作で一礼し、イレーヌは去っていく。
扉が閉まる音がした途端、シュゼットとレアは同時に大きく息を吐いていた。
思わず顔を見合わせ……次の瞬間、同時にくすりと笑う。
「ふふ、あなたも緊張していたの?」
「そうなんですよ、イレーヌさんってすごく厳しくて。奥様の前で粗相をしたらどうしようかと……あっ、これはイレーヌさんには内緒にしてくださいね?」
急にぺらぺらと饒舌になるレアに、シュゼットはほっと安堵に胸をなでおろした。
(よかった、話しやすそうな人で)
彼女を見ていると、実家のメイドのマノンを思い出す。
レアが傍にいてくれれば、楽しく過ごせそうだ。
「屋敷の他の場所も見てみたいわ。案内してもらえる?」
「えぇ、お任せください、奥様!」
誇らしげに胸を張るレアを見て、シュゼットはくすりと笑った。