78 きちんとお別れしてきましたので
メラニーが表舞台を去り、シュゼットの汚名は回復された。
その途端、今までシュゼットを「とんでもない悪女」だとヒソヒソしていた者たちまで一斉に近づいてくるようになってしまった。
アッシュヴィル侯爵の婚約者であるシュゼットの目の敵にされてはたまらない。
あわよくばすり寄って甘い蜜を吸いたいというところだろう。
(まったく、よくやるわ……)
寄ってくる者たちを笑顔でいなしながら、シュゼットは今日も内心呆れかえっていた。
それでも、公の場での振る舞いもだいぶ慣れたものである。
今日も、ユベールとは別の話の輪に入ってうまく振舞うことができた。
いったん休憩を……と人の輪から離れたシュゼットの前に、見慣れた人影が立ちふさがる。
「シュゼット……」
声を掛けられ、シュゼットは固まってしまった。
「ニコル……」
そこにいたのはシュゼットのかつての婚約者で、シュゼットを裏切りメラニーを選んだニコルだった。
最後に見た時よりも、彼はずっとやつれていた。
その変貌にシュゼットは驚いてしまう。
「よかった……。ずっと話したかったんだ」
ニコルがこちらへ近づいてくる。
シュゼットは思わず身構えてしまった。
(……大丈夫。周りにはたくさんの人がいるし、ニコルだって過激な手には出られないはずよ)
そう自分に言い聞かせ、シュゼットはニコルと対峙する。
ニコルはシュゼットが逃げないのを悟ったのか、ほっとしたように表情を緩めた。
「シュゼット、会えてよかった……」
(私は、会いたくなかったわ)
シュゼットは既にアッシュヴィル家の者たちと新しい人生を歩み始めているのだ。
今更ニコルと再会したところで、思い出話をする気にすらなれない。
黙ったままのシュゼットに焦れたのか、ニコルは更に追いすがってくる。
「僕が間違っていたんだ、シュゼット! メラニーの……あの性悪女の口車に乗せられて、君にひどいことをしてしまった……。どうか許してくれ……!」
哀れに懇願するニコルの姿を見ても、存外シュゼットの心は凪いでいた。
これが裏切られた直後だったら、もっと心が搔き乱されていたのかもしれない。
だが、そうならなかったのは……。
(私にはもう、別の居場所があるからね)
シュゼットが帰るのはニコルの隣ではない。
ユベールやアロイスやコレット、皆が待つアッシュヴィル侯爵邸なのだから。
「顔を上げて、ニコル」
そう声をかけると、ニコルはぱっと顔を上げる。
そんなニコルに、シュゼットはにっこりと微笑みかけた。
「私、もう怒ってないわ」
「……! じゃあ、もう一度僕とやり直――」
「そんなわけないじゃない」
シュゼットは微笑みを崩さないままにそう口にする。
その途端、ニコルの顔に絶望が浮かんだ。
「私たち、もう終わったのよ。お互いに別の人生を歩む……それでいいじゃない」
「そんな、シュゼット……! 僕は――」
「メラニーのことは残念だったわね。でも、一度は愛した女性をそんな風に悪く言うものじゃないわ。そんなんじゃ新しい恋人ができないわよ」
「待ってくれシュゼット! 僕はまだ君のことが――」
「ご存じでしょうけど、私はアッシュヴィル侯爵と婚約しているの。これ以上しつこくするのなら、それなりの対処も覚悟して」
そう言い放つと、ニコルはがっくりと項垂れた。
ニコルに背を向け、シュゼットは歩き出す。
(さようなら、ニコル)
もう、振り返らない。
少し歩くと、柱の陰からするりとユベールが現れた。
何か言いたげなその表情を見て、シュゼットはピンとくる。
「……もしかして、見てました?」
「婚約者に過去の男が近づいてきたら、どんな男でも心穏やかではいられませんよ」
どうやらシュゼットのことが心配でこっそりと見守っていたようだ。
そんなユベールに、シュゼットはくすりと笑う。
「大丈夫ですよ。きちんとお別れしてきましたので」
あれはシュゼットの最後通告だ。
シュゼットはもう個人としてニコルに関わる気はない。
「アッシュヴィル侯爵の婚約者」として顔を合わせる機会はあるかもしれないが、あくまでニコルは他人。
そうやって、生きていくことを決めた。
ユベールに手を差し出し、シュゼットは挑戦的に告げる。
「心配なさるのなら、離さないで捕まえておいてくださいね」
シュゼットの意図を察したユベールは、珍しく柔らかな微笑みを浮かべた。
「えぇ、もちろん」
そのまま、二人は手を取って歩き出す。
この先、二人で歩む未来へと。