77 ずっと一緒よ
「このっ……大馬鹿野郎!」
椅子から立ち上がりそう怒鳴るアロイスに、シュゼットとユベールはびくりと肩を揺らしてしまった。
二人で決めた通り、シュゼットとユベールは幼い兄妹に真実を話した。
もちろん、火事の原因については伏せてだが。
二人は取り乱すこともなく、ユベールが話し終わるまでは黙って聞いてくれていた。
だが話に区切りがついた途端、アロイスのこの怒号である。
やはりユベールが彼らの父親である兄を置いてきたのが許せなかったのだろうか。
ユベールもそう考えたのか、沈み込んだ顔で俯いてしまった。
せっかく間を取り持とうとしたのに、これでは逆に埋められない亀裂を生んでしまうかもしれない。
慌ててこの場を取り成そうと、シュゼットは口を開く。
「アロイス……。ユベール閣下はあなたのお父様の意志を尊重したのよ。だから――」
「そんなのはわかってんだよ! 俺が怒ってんのはそこじゃない!」
「えっ……?」
目を丸くしていると、アロイスがずんずん歩いてユベールの目の前までやってくる。
のろのろと顔を上げたユベールに、幼い少年ははっきりと告げた。
「俺が怒ってるのは、お前がずっと父上の最期を黙っていたことだ!」
「え…………?」
「父上は立派だった。最後まで母上を一人にしなかった。それは誇るべきことだろう!? なのに、なんで父上が間違ってたみたいにこそこそ秘密にしてたんだよ!!」
「っ……!」
アロイスの吐き出した言葉に、シュゼットは目の奥が熱くなるのを感じた。
(やっぱり、わかってくれた……)
ユベールの兄の行動も、兄の意志を尊重したユベールの行動も、アロイスはちゃんと受け止めることができたのだ。
「僕たちを侮るな! 父上が決断したことなら、ちゃんと受け止めるに決まってるだろ!」
そう啖呵を切ったアロイスの姿は立派だった。
ユベールが、そしてシュゼットが考えていたよりもずっと、彼は成長していたのかもしれない。
「わたしも、だいじょうぶだよ」
今まで黙っていたコレットの声が聞こえ、シュゼットは慌ててそちらに視線をやる。
幼い少女は毅然と背筋を伸ばし、まっすぐにこちらを見ていた。
その目は潤み、声も震えていたが、彼女はそれでも思いを伝えようとしてくれているのだ。
「お父様とお母様がいなくなっちゃったの、さみしいけど……。お母様が一人だったらもっとさみしかっただろうから。お父様が一緒にいてくれてよかった。わたしには、お兄さまと……それに、おじさまとシュゼットがいてくれるんだもの」
そう言って、コレットは微笑む。
「だから、さみしくないって言ったら嘘になるけど……だいじょうぶなの」
……なんて強い子たちだろう。
シュゼットはそう感銘を受けずにはいられなかった。
「……えぇ、ずっと一緒よ」
単なる慰めではなく、心からそう口にしてシュゼットはコレットを抱きしめる。
これからは、四人で一緒に生きて行こう。
うまくいかないことも、躓くことも、時には喧嘩をすることもあるだろう。
だが、きっと大丈夫だ。
感情が昂ったのか涙目でぎゃんぎゃんとユベールに突っかかるアロイスを見ながら、シュゼットはそう心に誓った。
◇◇◇
「……メラニー・ラヴェルの処遇が決まりました。ここから遠く離れた地方の療養所で養生命令です」
「…………そうですか」
ユベールのもたらした報告に、シュゼットは大きなため息をついた。
メラニーの仕出かしたことについては、ユベールが全面的に対処しシュゼットはほとんど関わらせてもらえなかった。
放火、殺人未遂……こうして挙げてみるととんでもない罪状だ。
ユベールは何度も「もっと過酷な罰を与えることもできる」と念押したが、シュゼットは首を縦に振らなかった。
医師は彼女が心の病を抱えていると診断したそうだ。
だったら、その判断に従うまでだ。
(今の状態で罰を受けても、メラニーがそれを理解できるとは思わない)
これは推測に過ぎないが、メラニーは悪意があってシュゼットを陥れたのではない。
心から「そうすることが正しい」と信じ切っているのだ。
まず彼女に必要なのは、静かな環境で療養し、己と向き合うことだろう。
効果があるのかはわからない。だが……いつかきっと、メラニーは己の抱える心の病に向き合い、罪を受け入れることができるとシュゼットは信じている。
(あの子がただの悪意の塊だとは思わないわ。だって……)
――「初めまして! 私はメラニー・ラヴェルよ。あなたは?」
――「こういう場って緊張しちゃうわよね。シュゼットが一緒でよかった!」
社交界にデビューしたばかりの頃、メラニーは緊張で押しつぶされそうなシュゼットにそう声をかけてくれた。
あの時の天使のような笑顔を、今でもはっきりと思い出せる。
シュゼットはメラニーが好きだった。
ニコルを奪われ、裏切られたあの夜まで……彼女のことを親友だと信じ切っていた。
メラニーの仕出かした悪事が露見したとき、人々は手のひらを返し「悪魔のような女」だと彼女を罵った。
だが、シュゼットはそうは思わない。
(メラニーは、ある意味純粋すぎるのかもしれない)
悪魔というよりは、善悪のわからない天使に近いようにシュゼットには思える。
「あなたがそれでいいのならそうしますが……」
それでも納得がいっていないような様子のユベールに、シュゼットはくすりと笑う。
「いいんですよ、それで」
「彼女はあなたを殺そうとしたんですよ!? むしろ同じ目に遭うべきかと」
「……結構過激なお考えをお持ちなんですね」
急に恐ろしいことを言い始めたユベールに、シュゼットは苦笑いを浮かべた。
そんなシュゼットに、ユベールは何でもないことのように零す。
「他でもないあなたのことですから。……必死にもなります」
「っ……!」
シュゼットは思わず頬を染めて俯いてしまった。
正面から愛の言葉をささやかれるのも照れるが、何気ない場面で「大切にされている」と感じるのもなかなかくるものがある。
「……閣下って、結構なもの好きですよね」
照れ隠しにそう口にすると、ユベールはむっとしたような顔をした。
「そうは思いませんが」
「だって、いくら都合がいいからって私に結婚を申し込むのは相当変わってると思いますよ? あの時の私って『男をたぶらかす悪女』だって噂されてたし、その割に実物はこんなんですし……」
ユベールも切羽詰まった状況だったのかもしれない。
だがシュゼットは今でも、あの時のユベールはよく「あっ、やっぱりこの話はなかったことに」と回れ右しなかったものだと不思議に思っている。
(だって、「男をたぶらかす悪女」って言ったらもっと華やかな美人が出てくると思わない?)
素直にそう口にすると、ユベールは呆れたようにため息をついた。
「あなたはまたそんなことを……」
「だって事実じゃないですか」
「たとえそうだとしても……」
ユベールの視線がまっすぐにシュゼットを捕らえる。
思わずどきりとしたシュゼットに、彼は微笑んだ。
「僕はあの時良い選択をしたと自分を賞賛したいくらいですよ。それこそ一世一代の賭けに勝った気分です」
「っ……!」
それはつまり……彼はシュゼットと婚約したことを後悔するどころか、たいそう喜んでいるということで――。
頬を染めるシュゼットに、ユベールはにやりと笑った。
「少しはときめきましたか?」
「どっ、どうでしょうね!」
最近のユベールは、このようにシュゼットを翻弄するような言動が増えてきている。
――「……外に恋人や愛人を作っていいと言った件は撤回します。禁止です」
――「私、これから一生恋愛禁止ですか?」
――「…………目の前にいる男では不満ですか」
――「それはこれからのあなた次第ですね」
あの時の会話はただ単にシュゼットに屋敷から去ってほしくないというだけで、特に二人の関係は変わらないのかもしれない……とも思っていたが、どうやらそうでもないようだ。
(私ってチョロいのかしら……)
かつて婚約までしていた恋人に裏切られたこともあり、シュゼットは自分が恋愛に臆病になっているのを自覚していた。
だが……ユベールは人として信じられる相手だ。
きっともうすぐ……彼の想いを素直に受け止めることができるだろう。
ユベールは決して事を急いたりシュゼットに無理強いをしたりはしない。
それが、シュゼットには心地よかった。
(誠実な人なのよね、本当に)
シュゼットがくすりと笑うと、ユベールは少しだけ頬を染めて視線を逸らす。
「冷徹な死神侯爵」の仮面を脱いだ、これが彼の本当の姿なのだろう。
そう思うとなんだか愉快な気分になって、シュゼットは声を上げて笑ってしまった。