73 教えてください、本当のあなたを
「シュゼット、お見舞いに来たよ!」
「なんだ、意外と元気そーじゃん」
顔をのぞかせた幼い兄妹の姿に、シュゼットは頬を緩ませた。
それと同時に、直前にレアから耳打ちされた内容を反芻する。
――「アロイス様とコレットお嬢様には、奥様は体調不良だと伝えてあります。……どうか、話を合わせていただくようお願いします」
レアの言葉に、シュゼットは神妙な顔で頷いた。
規模が違うとはいえ、あれは確かに「火事」だった。
「火事に巻き込まれて怪我を負った」などと話せば二人は否応にも両親を失った事故のことを思い出さざるを得ないだろう。
まだ傷が癒え切っていない幼い二人の心を揺さぶるような真似はしたくない。
シュゼットは明るい笑みを浮かべ、二人に声をかけた。
「あはは、バレちゃった? 本当は大したことないんだけど、いい機会だからゆっくり休もうと思ってね!」
「なんだ、サボりかよ」
「いいなー」
途端に、少し不安そうだった二人の表情が明るくなる。
「ふふ、みんなには秘密よ?」
にやにやする二人を呼び寄せ、小声で囁く。
「じゃあ俺たちも今日はサボりだな」
「いっぱいあそぶー」
「じゃあカードゲームやらない? 勝った人がデザートを一個多くもらえるってことで!」
「やるー!」
「はっ、負けねぇからな!」
アロイスとコレットは目を輝かせて、すぐにゲームに夢中になった。
(……この笑顔を、守らなきゃ)
この子たちが理不尽に傷ついたり泣くことがないように、守らなければ。
身の安全だけではなく、心まで。
(そのためにはあと一歩……ピースは揃っている)
あとは、覚悟を決めるだけだ。
アロイスとコレットが部屋を出ていくと、見計らったようなタイミングでユベールがやって来た。
いや……実際にタイミングを見計らってはいたのだろう。
「体調はいかがですか」
「もうすっかり大丈夫です」
シュゼットが微笑むと、ユベールはほっとしたように少しだけ表情を緩めた。
彼は前回と同じように豪勢な花束を持参していた。
花束を受け取り、シュゼットは「ほぅ……」と感嘆のため息を漏らす。
「ありがとうございます、閣下。……レア、このお花を綺麗に飾ってくれる?」
「承知いたしました、奥様」
「それと……大事な話があるから、しばらく閣下と二人にしてほしいの」
シュゼットがそう口にした途端、ユベールとレアは驚いたように目を見開いた。
「……承知いたしました」
だがレアはすぐに落ち着きを取り戻し、花束を抱えて部屋を出ていく。
残されたのは、シュゼットとユベールの二人だけだ。
「ごめんなさい、勝手なことをして」
そう謝ると、ユベールは静かに首を横に振る。
「……構いません。僕も、あなたと話したいことがありましたから」
そう口にして、彼は静かにシュゼットのベッド近くの椅子に腰かけた。
「まずは、無事で何よりでした。そして、救出が遅くなってしまったことを謝りたい」
「その必要はありません。不用意に危険な場所へ足を踏み入れたのは私の落ち度ですから」
その言葉を発した途端、ユベールの視線が鋭さを増す。
「……あれは事故ではなく。あなたは意図的にあの場へ呼び寄せられた……そういうことですか」
「…………はい」
シュゼットが頷いた途端、ユベールは憤るようにぐっとこぶしを握る。
「……いったい誰が、そんなことを」
「メラニー、メラニー・ラヴェルです。アッシュヴィル侯爵家に害意を持つ者の仕業ではないので大丈夫です」
「何が大丈夫なんですか……!」
ユベールが憤りをあらわにそう吐きだす。
いつになく激情にかられた彼の姿に、シュゼットは胸が締め付けられるようだった。
きっとユベールはメラニーを許さない。
彼はシュゼット――アッシュヴィル侯爵の婚約者を害そうとしたのだ。
アッシュヴィル家としても、このまま野放しにはしておけないだろう。
シュゼットとて、ユベールを止めるつもりはない。
メラニーは相応の報いを……それ以上に、しかるべき治療を受けるべきなのだ。
(きっとあれは……心の病よ。ある意味、メラニーはかわいそうなのかもしれない。きっと、何を手に入れても満たされないのだわ……)
美しいドレスも、目が眩むような宝石も、非の打ちどころのない恋人も……一時的にしか彼女の心を満たすことができないのだ。
すぐに次が、もっと優れたものが欲しくなる。
その渇きが満たされることはないのだ。……このままでは。
(……社交界はメラニーに合ってない。もっと穏やかに暮らせる場所だってあるはず。だから――)
シュゼットはメラニーを断罪する。
それが、彼女のためだと信じているから。
だが、その前に――。
「……ユベール閣下」
そっと手を伸ばし、シュゼットは爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握ったユベールの手を取る。
その途端、ユベールは驚いたように目を見開いた。
「シュゼット……?」
「私、あなたのことが知りたいんです」
優しくユベールの手を包み込み、シュゼットはそう語りかけた。
「教えてください、本当のあなたを」
非情な死神の仮面に下に隠された、その素顔を。
「……私、やっぱりあなたが家族を殺した悪人だとは思えません。だって……あんなに必死に、私のことを助けてくださったじゃないですか」
――「僕は……あなたまで失うわけにはいかないんですよ!」
――「シュゼット……もう二度とあんな思いは……」
あの時のユベールの必死な姿を、シュゼットははっきりと覚えている。
きっとあれが、彼の素顔なのだ。
「これは『アッシュヴィル侯爵の婚約者』だから知りたいのではありません。私はあなたの本当のパートナーになりたいから、あなたのことを教えてほしいんです」
最初にユベールが望むのは、あくまで「仕事」としてアッシュヴィル侯爵の妻となる人間だった。
今、シュゼットは自らその枠組みを外れようとしている。
(出過ぎた真似を……って、追い出されるかもしれない)
彼はシュゼットがここまで踏み込んでくるのを望んではいないだろう。
だが……このまま、彼に大きな秘密を抱えさせたまま、傍にいたくはなかった。
その心の奥底を打ち明けてほしかった。
彼が抱える重荷を、少しでもいいから分けてほしかった。
「……あの日、本当は何があったのですか」
ユベールの両親や兄夫婦はどうして亡くなったのか。
ユベールが後ろ指を指されるような真似をしてまで、もみ消したかった事実とは何なのか。
……いったい何が、今も彼を苦しめ続けているのか。
じっと見つめるシュゼットに対し、ユベールは視線を逸らさなかった。
……しばしの間、二人の間を沈黙が支配する。
やがてその静寂を破ったのは、ユベールのため息だった。
「……あなたは不思議な女性ですね」
そう言ったユベールの声には観念や呆れのほかに……告解の念が混じっているように感じられた。
彼は、ずっと一人で抱えていたものをシュゼットに分け与えようとしてくれているのだ。
そう察し、シュゼットは息をのむ。
「最初に言っておきますが、愉快な話ではありませんよ」
触れたままだったユベールの手を、シュゼットは再び握り直した。
「傍にいる」と伝えるように。
「……大丈夫です。覚悟はできていますから」
そう口にすると、ユベールはゆっくりと頷いた。
……二人の、長い夜が始まりだった。




