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72 もう二度とあんな思いは

 シュゼットは愕然として後ずさった。

 すぐに、扉の隙間から煙が部屋に入り込んでくる。


「嘘でしょ……」


 シュゼットは慌てて部屋の中を見回したが、この部屋には窓すらなく脱出口らしきものも見つからない。


「誰か来て! 火事なの! 誰かっ……げほっ」


 助けを呼ぼうと懸命に叫んだが、その拍子に煙を吸ってしまい盛大にせき込む。

 熱気と煙で頭がくらくらし、シュゼットはふらついた。


(確か煙は高いところにのぼるんだっけ。だったら、少しでも身を低くしていないと……)


 ずるずるとその場に座り込み、膝を抱える。


(まさかメラニーがここまでやるなんて……)


 シュゼットはメラニーを見誤っていた。

 ここまで過激な手に出るとは思っていなかったのだ。


(本性を見抜けなかった私の落ち度ね……)


 部屋の温度はどんどん上昇していき、煙が充満して視界も悪くなっていく。

 シュゼットは絶望的な気分で、メラニーが狙いに行ったであろう相手に思いを馳せた。


(ユベール閣下、大丈夫かしら)


 彼ならばメラニーに騙されることはないと思うが、彼女のことだ。

 どんな手を使うかわからない。

 それこそ、アロイスやコレットに魔の手が伸びる可能性も……。


(……駄目。こんなところで死ぬわけにはいかないわ……!)


 そう決意を固めた時だった。


「――ちください!」

「――は危険です!」


 部屋の外から、幾人かの焦ったような声が聞こえてきた。


(誰か、来てくれたの!?)


 だが、中にいると知らせなければ危険を冒してまで助けには来ないかもしれない。

 シュゼットは這いつくばるようにして扉の近くまで進み、必死に声を上げた。


「中にいます! 私はここで――げほっ! げほっ!」


 再び煙を吸ってしまい、激しくせき込んでしまう。


(まずい、意識が……!)


 呼吸が整わず、意識が遠のきそうになる。

 それでも、必死に目を開けるシュゼットの目の前で……ガァン! と大きな音を立てて扉が破られた。

 充満する煙を突っ切るようにして、飛び込んできたのは――。


「シュゼット!」

(そんな、どうして……)


 シュゼットは信じられない思いで目を見開く。


「ユベール閣下……」


 彼は今まで見たこともないような、焦燥に満ちた顔をしていた。

 きっと扉を破るまで散々無理をしたのだろう。

 彼の身にまとう衣服はところどころ焦げ、顔にも煤が付着している。

 ……彼の身分なら、まっさきに避難することができたはずなのに。

 シュゼットの救出だって、他人に任せることができたはずなのに。

 それなのに……彼は、真っ先に来てくれたのだ。


「シュゼット! しっかりしてください!!」


 ぐったりしたシュゼットを抱きかかえ、ユベールは必死にそう叫ぶ。

 シュゼットは何か言ってあげたかったが、煙や熱気を吸いすぎたのかうまく声が出せなかった。


「くそっ、どうしてこんな……!」


 いつもの彼らしくなく激情を滲ませ、ユベールは必死にシュゼットを抱きしめた。

 彼の温度と抱きしめる力の強さに、シュゼットは自分がまだ生きていることを実感する。


「僕は……あなたまで失うわけにはいかないんですよ!」


 あっと思う間もなく、シュゼット体はユベールに抱きかかえられていた。

 そのまま、ユベールは足早に部屋を出る。


「アッシュヴィル侯爵閣下! 医師の下へご案内いたします!」


 この屋敷の使用人だろうか。そんな声が聞こえた。

 ユベールがシュゼットを抱えたまま走り出す。

 救出された安堵からか、煙を吸いすぎたのか、すぐに意識が朦朧としてくる。

 そんな中でも、ユベールの苦渋に満ちた呟きだけははっきりと耳に届いた。


「シュゼット……もう二度とあんな思いは……」



 ◇◇◇



 結論から言えば、シュゼットの負った怪我はあくまで軽いものだった。

 手と喉に軽いやけど。そのせいで少しの間は生活に支障があるかもしれないが、数日もすれば元に戻るだろうという見立てだ。


「奥様、よくぞご無事で……!」


 目が覚めた時、シュゼットはアッシュヴィル侯爵邸の自室に寝かされていた。

 レアたち使用人は皆泣きながら、シュゼットの目覚めを喜んでくれたものだ。

 そのユベールはというと、シュゼットよりもよほど怪我を負っていたようだ。

 なんでも、火が付き燃えていた扉を無理にぶち破ってシュゼットを助けてくれたのだとか。

 それでも、彼はすでに仕事に復帰している。

 その真面目さには驚かせられるばかりだ。


「私も早く元の生活に戻らないと……」

「駄目です! 奥様にはゆっくり療養していただかなければ!」


 ベッドを降りようとすると、レアに押しとどめられてしまった。


「今の奥様のお仕事はゆっくり休んで元気になることです。フルーツを用意いたしますので少々お待ちくださいね」


 優しくそう言い聞かせて、レアは部屋を出て行った。


(……やっぱり、聞いてこないのね)


 ……おそらくは、ユベールから厳命が出ていたのだろう。

 誰もシュゼットに「あの時何があったのか」ということは聞かなかった。


(別に、聞いてくれてもいいんだけれど……)


 だがやはり……真っ先にそのことを話す相手は、ユベールがよかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ユベール=サンが巨大な鎌の刃を研いでいる姿が見える… (本文にそんな描写は今のところ無い)
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