71 これが運命なの
「こんばんは、シュゼット」
楽しくて仕方がないとでもいうような声色で、メラニーはそう口にする。
扉一枚挟んで、シュゼットは冷や汗をかいていた。
「メラニー、何のつもりなの。ふざけているつもりなら全然おもしろくないわ。早くここを開けて!」
「嫌だわ、シュゼット。私は本気よ」
まったく悪びれる様子のないメラニーに、シュゼットは思わず息をのんだ。
いくら(傍から見れば)友人とはいえ、侯爵の婚約者をこんな風に閉じ込めるなんて、ことが露見すれば非難は避けられないのに。
(なのに、どうしてメラニーはこんなに余裕な態度なの……?)
後のことを何も考えていないのか、それとも……うまく立ち回る自信があるのか。
「ねぇシュゼット、私ね。幸せになりたいの」
夢見るように、メラニーはうっとりとそう口にする。
「私って可愛いじゃない? もちろん、周りにも目いっぱい愛されて育ったわ。だからね……世界一幸せにならないといけないのよ」
シュゼットにはメラニーが何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
メラニーが幸せになりたいというのなら、勝手になればいい。
何故シュゼットを巻き込もうとするのだろうか。
「ドレスも宝石も安物じゃダメ。私にふさわしいものじゃなきゃダメなの。それから……恋人や婚約者だって、その辺の安物じゃダメなのよ」
まるでドレスや宝石と人間を同列に扱うような言い方に、シュゼットは怒りを通り越してぞっとしてしまった。
「それに気づくまでに時間がかかってしまったのが悔しいわ。みんな私のことを好きになってくれるから、いろんな人とお付き合いしてみたけど……やっぱりダメなものはダメなのよ」
シュゼットは過去にメラニーに夢中になっていた大勢の男性のことを思い出した。
誰もかれもが、メラニーに夢中になる。
メラニーも当初は彼らに愛想よくしていたが、ふと気が付けば特定の相手を無視したり遠ざけたりすることがあった。
シュゼットは喧嘩でもしたのだろうと深く気にも留めていなかったが。もしかしてあれは……。
(メラニーのお眼鏡に適わなかったから、切り捨てたってことだったのね……)
そうやって、彼女は「自分にふさわしい相手」を探していたのだろう。
幾人もの男性を乗り換えながら。
「ニコルに会った時、やっと運命の相手に出会ったのだと思ったわ。彼は若くて、凛々しくて、いずれは立派な騎士になって私を支えてくれるのだと思ったの」
「……だから、私とニコルを引き裂こうとあんな噂を流したのね」
「怒らないで、シュゼット。だってニコルが私を望んだんだもの。私がちょっと声を掛けたら彼、何て言ったと思う? 『シュゼットと婚約したのは間違いだった。君こそが運命の相手だ』って言ったのよ」
その言葉を聞いたとき、シュゼットは鈍器で頭を殴られたような気がした。
ニコルとの楽しい日々の記憶が、悲しみと悔しさでぐしゃぐしゃに塗りつぶされていく。
そんなシュゼットの内心を見透かすように、メラニーは楽しげに笑う。
「それが正しい形なのよ。あるべきものがあるべき場所に収まった、ただそれだけ」
ニコルがシュゼットのことを好きになってくれたのも、彼とも時間も、何もかも無駄だったと。間違っていたと。
メラニーはそう言いたいのだ。
そんなはずがない、とシュゼットは言いたかったが、喉が締め付けられたように声が出てこなかった。
メラニーは、シュゼットにしたことを悪いとは思っていないのだ。
メラニーが誘惑し、ニコルが応えたから。それだけで、メラニーにとっては何も問題ないということなのだろう。
きっとシュゼットの悪評を吹聴したのも、そうすればメラニーが略奪したと思われずスムーズにニコルと恋人になれるからという、ただそれだけなのだ。
そのせいでシュゼットがどん底に落とされようが、メラニーが罪悪感を覚えることはない。
だって、彼女にとっては「本来そうあるべき正しい形に戻った」だけなのだから。
だから、何事もなかったかのように再会したシュゼットに話しかけることができるのだろう。
まるで、思考回路や行動原理が理解できない怪物と相対しているようだった。
ドアノブを握り締めた手が、嫌な汗でぬめる。
「だったら……ニコルと仲良くやればいいじゃない。何でこんなことするのよ……」
「言ったでしょ、シュゼット。私は誰よりも幸せにならなきゃダメなの。そのためには、ニコルじゃダメなのよ」
「まさか……」
「アッシュヴィル侯爵に出会った時、これが運命なんだってすぐにわかったわ」
甘えるようなメラニーの声に、シュゼットは血の気が引いた。
「彼こそが私にふさわしい相手なのよ。彼が死神だって構わない。私が支えてあげたいと思ったの」
……ニコルの時と同じだ。
メラニーはシュゼットの婚約者であるユベールに目を付けた。
だが、彼はニコルのようにあっさりメラニーに落ちるようなことはなかった。
シュゼットを陥れた張本人だと知っていうこともあるが、すぐさまにメラニーの本性を見抜いていた。
今までの手玉に取って来た男性とは違い、ユベールはメラニーのものにはならない。
だからこそメラニーは躍起になり――。
(こんな手に出たってこと……)
この後の展開を想像し青ざめるシュゼットに、メラニーは続ける。
「わかって、シュゼット。これが運命なの。アッシュヴィル侯爵と私が結ばれるのが正しい形なのよ。だから――」
扉の向こうで、メラニーが何やらごそごそと動いている気配がする。
「メラニー! 何をするつもりなの!? 落ち着いて!」
シュゼットは必死にそう呼びかけたが、メラニーは止まらなかった。
「私とアッシュヴィル侯爵を巡りあわせてくれてありがとう、シュゼット。あなたでは彼と釣り合わないって自分でもわかっているでしょう? だから……理解してね」
それだけ言うと、メラニーの足音が遠ざかっていく。
シュゼットはドアノブを掴んだまま助けを求め叫び続けたが――。
「熱っ!」
急にドアノブが火で炙られたように熱を持ち、シュゼットは慌てて手を離した。
それだけじゃない。室内の温度がじわじわと上がっていき、扉の向こうからはパチパチと何かが爆ぜるような音が聞こえてくる。
(メラニー、まさか……火をつけたの!?)




