70 くすりと笑う声
今日も今日とて、シュゼットはパーティーの場に駆り出されていた。
最近ではシュゼットのこういった場での立ち居振る舞いが板についてきて、少しならユベールと離れても場を持たせることができるようになっていた。
「聞きました? シュゼット様。今度上演される予定のオペラなのですが――」
「かの有名な劇作家の最高傑作だと噂になっていて――」
笑顔で相槌を打ちながら、シュゼットは頭の中のメモに「最新のオペラについてユベールに聞く」と記していく。
どちらかというとシュゼットはそう言った流行に疎い方だが、ユベールはそうではない。
もっとも彼自身が興味を持っているというよりは、仕事に必要な知識として仕入れているだけなのだろうが……。
とにかく、ファッションだろうが芸術だろうが最新の流行に関しては、ユベールに尋ねればだいたい必要な答えが返ってくるのだ。
「淑女のおしゃべりに必要なんです!」と頼み込めばチケットも取ってくれるだろう。
(あまり過激な内容じゃなければ、アロイスとコレットを連れて行くのもいいわね)
そんなことを考えながら、シュゼットは微笑む。
「まぁ……。それは楽しみですね」
ぼろを出したくないので当たり障りのない返事をしておいたが、それが逆に「がつがつしていなくて優雅」と受け取られたようだ。
「さすがアッシュヴィル侯爵のお選びになった方は気品が違う!」などと持ち上げられ、シュゼットは冷や汗をかいてしまう。
(ひ~! 逃げたい……!)
そんな思いが通じたのか、こちらに近づいてきた女性が声をかけてくれた。
「ごきげんよう、皆様方。いい夜ですわね」
やって来たのは、シュゼットも顔見知りの令嬢――セリーヌだった。
確か子爵家の娘だったと聞いているが、とある伯爵令息と婚約間近であり、彼のパートナーとしてシュゼットのように様々なパーティーに出入りしているようだ。
「こんばんは、セリーヌ様。会えてうれしいわ」
オペラの話題から逃れようと、シュゼットはセリーヌの方へ体を向ける。
「そのドレス、とっても素敵ね。ナヴァール伯爵令息が選んだのかしら」
「はい……! 『よく似合う』と褒めていただいて……」
ほんのりと頬を赤らめるセリーヌに、シュゼットは微笑ましい気分になる。
(いいわね……愛されてるって感じで……)
ユベールも山ほどのドレスをシュゼットに贈ってくるが、それはあくまで宣伝と社交のため。
愛情のこもったドレスを喜ぶセリーヌのことが、少しだけ羨ましく感じられた。
「ところでシュゼット様。実は今日……ご紹介させていただきたい方がおりまして……」
「紹介?」
「えぇ、私の友人なんです。今は別室にいるようなので、よろしければご案内いたします」
シュゼットはちらりと先ほどまで話していた令嬢二人に視線をやった。
彼女たちは既に別の話題で盛り上がっているようだ。
この二人は流行に詳しく、話題もそれに関することが多い。
情報をもらえるのはありがたいのだが……話を振られると焦るのも確かだ。
(とりあえずは離脱しよう……)
オペラについてじっくり勉強した後、また会った時に話せばいい。
そう決めて、シュゼットはセリーヌに頷いてみせた。
「えぇ、是非お会いしたいわ」
「ありがとうございます、シュゼット様……!」
セリーヌはほっとしたような表情を浮かべると、シュゼットを導くように歩き出す。
彼女の家も、シュゼットと同じような弱小貧乏貴族だと聞いている。
そのせいか、シュゼットはどこかセリーヌに親近感を抱いていた。
彼女も涼しい顔をしているが、もしかしたらこんな華やかな場で緊張しているのかもしれない。
そんなことを考えながら、セリーヌの後を追う。
大広間からかなり離れた廊下までやってくると、招待客どころか使用人すら見当たらなかった。
(喧騒から離れたところでゲームでもしているのかしら……?)
やがてセリーヌが足を止めたのは、奥の一室の前だった。
「こちらです、どうぞ」
「ありがとう、セリーヌ」
セリーヌが扉を開けたままにしておいてくれたので、シュゼットは礼を言って部屋の中に足を踏み入れる。
果たしてその中には……誰もいなかった。
(あれ? セリーヌの思い違い?)
さすがにこんなに奥まった部屋に来るのは違和感もあった。
きっと、緊張したセリーヌが部屋を間違えたのだろう。
「セリーヌ、ここには――」
誰もいないようだけど、と続けようとした言葉は、最後まで音にはならなかった。
シュゼットが振り返るのと同時に、焦った表情のセリーヌが勢いよく扉を閉めたのだから。
「ちょっ!? セリーヌ!?」
シュゼットは慌てて扉に駆け寄り、開こうとした。
だがまるで何かに引っ掛かったように、扉は開かなかった。
(何これ、かんぬきでもかけたみたいな……)
「セリーヌ!? ちょっと! セリーヌ!?」
もはや淑女の立場を忘れて、シュゼットはドンドンと扉を叩く。
やがて向こうから聞こえてきたのは、今にも泣きだしそうなか細い声だった。
「……ごめんなさい、シュゼット様」
「えっ!? よくわからないけど、ここを開けて!」
「それはできません……」
「なんでよ!」
「だって、言うことを聞かないと、私…………」
すすり泣くような声がしたかと思うと、バタバタと走り去るような足音が耳に届いてシュゼットは焦る。
(うっそでしょ! どうなってんのよ!!)
セリーヌに呼びかけながら何度も扉を叩いたが、応答はない。
それどころか、外からは何の物音もしなかった。
(いや、落ち着くのよ。別にここは誰もいない廃墟じゃなくて、今まさにパーティーが行われている大きなお屋敷なのよ? いつまでも私が戻らなかったらユベール閣下が気づくでしょうし、捜索が行われればすぐに見つけられるはず)
ほんの数時間待てば、迎えは来るはずだ。
しかし、何でセリーヌはこんなわけのわからないことをしたのだろうか。
慣れない上流階級のパーティーに、シュゼット以上に疲弊していたのだろうか。
(なんにせよ、いい迷惑よ)
シュゼットが大きくため息をついた時だった。
「っ!」
遠くから、かすかに足音が聞こえてくる。
足音は確実にこちらに近づいてきているようだった。
今がチャンスとばかりに、シュゼットは大きく声を上げる。
「すみませーん! 閉じ込められてるんです! 助けてください!!」
もはや「淑やかに」などと言っている場合ではない。
下町で働いていた時の経験を活かし、シュゼットはまるで客を呼ぶときのように大声を上げる。
狙い通り、足音はどんどんとこちらへ近づいてくる。
「よかった……! あの、人を呼んで頂けると助か――」
「シュゼット」
扉の向こうから、静かにシュゼットの名を呼ぶ声が聞こえた。
その声が耳に届いた途端、ざっと血の気が引くのがわかった。
(なんで、どうして……)
今夜、彼女がここに来るとは聞いていない。
それに、わざわざこんなひとけのない場所にやってくるのもおかしいではないか。
「メラニー……」
警戒を込めてその名を呼ぶと、扉の向こうからくすりと笑う声が聞こえた。